
第3場『近づく追っ手』
例の男たちが話し込んでいる
左官の男 「何だい、あの勇吉って奴は。え~、不意に現れやがって啖呵切って出ていきやがった」
国民服の男「歯切れのいい啖呵じゃなかったぜ、俺みてえに」
左官の男 「お勝さんのこと、いやに庇(かば)っていたね」
国民服の男「そりゃあ、おめえ親戚だからさ」
左官の男 「お勝さんにあんな親戚いたかな」
国民服の男「大家に聞けばわかるんじゃねえか」
左官の男 「大家が知るわけねえじゃねえか。第一、あの大家の『よ、今日は、良い天気だね』という声を聞いただけでぞ~とするんだ」
大家がやってくる
大家 「よ、今日は。良い天気だね」
左官の男 「来た~」
大家 「これはみなさんお揃いで。朝から秘密の会合ですか?結構結構。それにしても家賃集めの手間が省けて大助かりだよ。私はね、情け深い借り主がいて幸せですな。(急に恐い顔になって)さ、戴きましょう。どちらからだい」
手帳を出す大家
左官の男 「ちょっと待って下さいな大家さん」
大家 「なんだ」
左官の男 「今日は月末じゃないでしょ」
大家 「あんた何ヶ月滞納してると思っているんだ」
国民服の男「まあまあ大家さん」
大家 「あんたもですよ」
国民服の男「―はい」
憲兵の宇崎が歩いてくる
塀の奥に隠れる左官の男と、国民服の男
大家が捕まる
宇崎 「おい」
大家 「はっ!―はい」
宇崎 「(睨む)」
大家 「ま、まだ、わ、私に御用ですか」
宇崎 「(写真を出して)」この男を見なかったか」
左官の男と国民服の男が塀から窺う
大家 「い、いえ知りません」
宇崎 「この辺りの何処かに潜伏している」
大家 「見たことありませんがー」
宇崎 「名を清吉、静岡の演習から逃げ出した男だ」
大家 「それはー大罪ですなあ」
宇崎 「見つけたらすぐに知らせろ」
憲兵去る
緊張感が抜け、腰も抜ける大家
塀から左官の男と国民服の男が出てくる
左官の男 「大家さん、いま清吉って言いましたね」
大家 「さ、言ったかな」
左官の男 「しっかりして下さいな」
「よいしょ」と2人に抱きかかえられ起きる大家
大家 「そう清吉って言った」
国民服の男「あの啖呵をきったあいつ清吉じゃなかったか」
左官の男 「いや確か勇吉と言ったぜ」
国民服の男「そうなんだなあ」
大家 「そいつ、どこにいる?」
夜―お勝の家の玄関前
市太が町から帰ってくる
三之助が市太を家の前で迎える
三之助 「源さん帰ったか」
市太 「ああ、嫁さん、とても喜んでいたよ」
三之助 「そうか、よかったな」
市太、家に入ろうとすると
三之助 「あんちゃん」
市太 「―ん?」
三之助 「俺、志願するよ」
市太 「―」
三之助 「とうちゃんの敵(かたき)を撃ってくる」
市太 「戦争は殺し合いをするんだ。つらいぞ」
三之助 「―」
市太 「死ぬ覚悟はできているのか」
風
市太 「三の字、俺も志願するよ」
三之助 「あんちゃんは駄目だ。この家に残ってかあちゃんや七を守ってやってくれ」
市太 「俺には人を殺す勇気はない。正直、憎くもない相手と、どう闘っていいか解らない。だけど戦争がこのまま続けば、七だっていずれ戦場に行かなければならなくなるからな」
三之助 「あんちゃん、聞いたぜ。軍需工場に好きな人がいるんだってな」
市太 「誰から聞いたんだ」
三之助 「ばあさんだよ。あんちゃんらしいじゃねえか、日本の女工じゃないんだろ」
市太 「―ああ」
三之助 「弱い人に寄り添ってやれるのが、あんちゃんなんだ。」
市太 「―」
三之助 「あんちゃんは長男だ。この家に残って、家族を守ってやってくれ。戦争が終わったら、今日のようにまたみんなで歌を唄おう」
市太 「―」
おかつの家
市太と三之助が帰ってくる
お勝が奥の部屋から出てくる
おさん 「七は寝た?」
お勝 「ああ。ねえ、あんた達に相談があるんだ。勇さんの仕事なんだが何かないかね」
勇吉 「あのう、俺のことだったらほっといて下さい、おかみさん」
お勝 「おかみさんなんて水臭い。これからはね、みんなと同じように、かあちゃんって呼んでもらいますよ」
おさん 「何か帳場みたいな仕事がいいと思うんだけど。三の字、何かないかい。それとも勇さんに軍隊に入ってもらいたいのかい」
三之助 「いや。勇さんは心が優しい。だから軍隊には向かねえや」
おさん 「(笑う)」
市太 「実はひとつ当てがあるんだ。新聞社の経理が一人具合を悪くして、前に人を捜してるってきいたことがあるんだ」
お勝 「直ぐのでも聞いておくれ」
市太 「うん。明日にでも聞いてみるよ」
勇吉 「みなさん、俺のことはどうか心配しないで下さい。俺は昨日、これ以上ない立派なものを、みなさんから戴いています。源さんが嬉し泣きするのは当然だが、みなさんまで泣いて喜んでいた。俺はみなさんの綺麗な心を一生忘れねえ。だからこれ以上、俺に構わないで下さい」
お勝 「何を言うんだい、勇さん」
勇吉 「みなさん、実は俺、俺―」
大家が入って来る
大家 「ごめんよ。かあちゃんはいるかい?」
お勝 「おや、大家さん、さ、どうぞお上がり下さい」
大家 「いや、ここでいいんだ。みなさんお揃いで。こんばんは」
一同 「今晩は」
大家 「他でもないんだがね。おかつさん、お前さんとこに田舎から若い衆が越してきたそうじゃないか。長屋連中がそう言ってたから来たんだがー」
お勝 「ええ、遠い親戚なんですよ。この子です」
間から顔を出す勇吉
大家 「名は何というんじゃ」
お勝 「勇吉と言います」
大家 「勇吉―。う~ん、清吉の間違えじゃないかね」
お勝 「いいえ、勇吉です。間違えございません」
大家 「お勝さんのことだから間違えはないと思うんだけど身許は確かだろうね。何しろ間違えを起こすと長屋全体、いや中町全体に累が及ぶからね」
お勝 「そのことなら心配ありません。あたしが親代わりなんですから」
大家 「お上がやかましいんでね。悪いが身許の証を立てる証明書を出してもらいたいんだ。それが決まりだからね。ああ、今日でなくていいよ」
お勝 「―そうですか、わかりました」
大家 「大変な世の中だからね、形だけは踏んでおかないと(立ち上がり)それじゃあ」
お勝 「あ、大家さん」
大家 「何だね」
お勝 「昨日は大変でしたね」
大家 「あ、お勝さんまで。(咳をする)」
大家出て行く
三之助 「身許の証ってどういうことなんだ、かあちゃん」
市太 「勇さんが以前勤めていた仕事場で貰ってくりゃあいいんじゃないのか。うちでも一度そんなことがあったよ」
三之助 「勇さん、何て店だい」
勇吉 「え?そのー」
お勝 「た、たしか淡路屋だったね」
勇吉 「え、ええー」
三之助 「上町に淡路屋なんてあったかなあ」
お勝 「お前たちも寝る仕度をしておしまい。さあ、さあ」
部屋から追い出す、お勝
お勝は台所に行く
三之助 「なんだい、かあちゃんムキになっちゃって」
市太 「ま、いいじゃないか」
おさん、市太、三之助、部屋に入る
勇吉、辺りを見回してー
勇吉 「今だ」
玄関から出ると一目散に逃げようと走り出すが
おさんの声「待って勇さん、どこへ行くのさ」
おさんがやってくる
勇吉 「俺はもうー、さよなら」
おさん 「ちょっと乱暴じゃない、急にさよならなんて」
勇吉 「でもさー」
おさん 「三の字がまた変なこと言ったの?あの子は乱暴な言葉をいう性質(たち)なのよ。腹はいい子なんだけどー」
勇吉 「違うよ、そうじゃねえ」
おさん 「じゃあ私たちが嫌いなの。貧乏暮らしに愛想が尽きたのね」
勇吉 「そんなんじゃないったら。俺は家の人たちと一緒に暮らせるような人間じゃないんだ。俺はおかみさんの親戚でもなんでもねえ、軍隊から脱げだしてきた卑怯者さ。本当はー、昨日の夜、お前さんの家に入った泥棒なんだ」
おさん 「?」
勇吉 「そしたらおかみさんが腹が減っているだろうと、すいとんを食べさせてくれて。たった1晩だったが家に厄介になって人の親切が死ぬほど身にしみたよ。家族みんなで働いて牢から出た源さんが生活出来るようにしてやるなんて、このご時世でまるで信じられねえ。出来ることなら一生厄介になりてえ。おかみさんが本当のかあちゃん、みんなが本当の兄弟に思えちまうんだ。だけど俺の本性を知ったらみんなは何て思うだろう。それが段々恐くなって今のうちに逃げ出すのが一番だと思ったのさ」
おさん 「―」
勇吉 「どうしたんだ。恐くて声も出ねえだろう」
おさん 「―」
勇吉 「おい聞いているのか」
おさん 「はい、聞いていますよ」
勇吉 「じゃあわかっただろ。あばよ」
おさん 「ちょっと待って。私が言ったのはね、勇さんの言うことを聞いてたっていうだけよ。私たち兄弟全員、かあちゃんの話を聞いたわ。そして今、勇さんが言ったことも聞いたわ。でも会ったばかりの勇さんの言う事と生まれたときからずっと一緒にいるかあちゃんの言うとこと、どっちを信じるかって言われたら、やっぱりかあちゃんのことを信じるより仕方ないわ」
勇吉 「?」
おさん 「だってそうじゃない。私たちにとってあんたは上町から来た親戚の勇さんよ」
勇吉 「馬鹿げてるよ、そりゃ」
おさん 「そうかもしれないわ。でも勇さんもひどいじゃない。かあちゃんが本当のおっかさんで私たちがほんとに兄弟のような気がして一生家に居たいんなら、そうすればいいじゃない」
勇吉 「だけどー、俺の身許なんて町中捜したって見つかりはしないんだからな」
おさん 「勇さんは、かあちゃんがどんな人間かってこと、まだ知らないのね」
勇吉 「―」
おさん 「心配しなくてもいいのよ」
塀から覗く左官の男
犬の遠吠え
おかつの家
出かける仕度をする、おかつ
玄関で勇吉、おさんと出くわす
お勝 「あら、お帰り」
おさん 「かあちゃん出かけるの」
お勝 「ああー。上町の淡路屋に行って証明書を貰ってくるんだよ」
おさん 「こんな時間に?」
お勝 「こういうことは早い方がいいんだよ」
おさん 「かあちゃん」
お勝 「大丈夫だよ。さ、お前さんたちも寝ておしまい」
お勝、出て行く
おさん 「(奥の部屋に入ると)あれ、あんちゃんと三の字がいない?」
犬の遠吠え
電柱前
易者が居眠りをしている
お勝が小走りにくる
お勝 「ちょいと。起きて下さいな」
易者、眼を細く開けて、お勝を見る
お勝 「頼みがあるんだよ」
易者 「(眼をパチリと開き、虫眼鏡を出して)長年連れ添った亭主が戦地へ。子どもたちの出来がみな良く、晩年は金が貯まるっときた。ーなあ、かあちゃん」
お勝 「誰が占っておくれっていったんだい。証明書を書いて欲しいんだよ」
易者 「お門違いだね。わしゃ代書なんてせーへん」
お勝 「字はかけるんだろ」
易者 「失礼な。わしを誰だと思っているんじゃ」
お勝 「ねえ、急いでるんだ、頼むよ」
易者、手を出し、銭を要求する
財布から銭を取り出し、易者の手に置く
金を見て渋い顔の易者は、もう一度、手を出す
懐から銭を出す、お勝
お勝 「あと5銭、しめて1円」
易者、満足そうにー
易者 「で、何を書けばいい~の」
犬の遠吠え
左官の男と国民服の男が出てくる
国民服の男「するってえと何かい?その源さんとかいう男を助けのための銭集めだったっていうことか」
左官の男 「どうもそういう話なんだなあ」
国民服の男「だとしたら、お勝さんは情け深い人なんだ?」
左官の男 「全くだ。このご時世に俺たちにも大家にも、ましてや隣組や国防婦人会に欺いて人助けとは」
大家が走ってくる
大家 「おー、いたいた。大変なんだ」
左官の男 「どうした大家さん」
大家 「憲兵がお勝さんの家に向かったらしい」
国民服の男「おめえ、どうする?」
左官の男 「どうするって言ったってー」
お勝の家
市太と三之助が帰ってくる
おさん、ちゃぶ台に俯いて寝ていた、おさんが起きる
おさん 「どこに行ってたの、こんな時間に」
三之助 「あれ、勇さんは?」
おさん 「奥、七を見てもらってるわ」
三之助 「かあちゃん、何処へ行ってたと思う?」
おさん 「淡路屋でしょ」
三之助 「だからばあさんはのんびりしてるって言われるんだよ。長屋の角に易者がいるだろ」
おさん 「ああ、いる。いつも居眠りしている易者でしょ?」
三之助 「そこへ行ってたんだ」
おさん 「え?」
市太 「実は俺と三の字でこっそりかあちゃんの後をつけたんだ。案の定だ、かあちゃんその易者に証明書を書いてもらってたんだ」
おさん 「ふ~ん」
三之助 「今にかあちゃん、威勢よく帰ってくるぜ」
お勝が帰ってくる
三之助 「そら、来た来た」
中に入ってくる、お勝
三之助 「かあちゃん、ご足労だったな」
お勝 「あら、お前たち、まだ起きてたのかい?」
市太 「ばあさん、心配して待ってたんだぞ」
お勝 「そうかい。(ちゃぶ台の前に座り)勇さんは?」
三之助 「勇さん、かあちゃんが帰ってきたぜ」
勇吉が出てくる
お勝 「実に気に食わない店だね、淡路屋ってのは。はじめに女房が出てきて用件を聞くから、お宅のご亭主に会いたいって言ったんだ。そしたら主人は知らない人には会いません、そう言うんだよ。それであたしは言ってやったんだ。主人に会うまではここを一歩も動きませんってね。ところが女房も女房なら亭主も亭主だ。一旦出て行った男には用はない、帰ってくれって言うんだ。あたしはね、そう言う無茶なことを言って良心が咎(とが)めないのかい?あたしは勇さんを良く言ってもらおうと思って来たんじゃない。お宅で働いていたっていう証明書が欲しいんだってね」
三之助 「で、どうなったんだ」
お勝 「ごらんの通り。証明書を出してくれたよ」
三之助 「まったく、うちのかあちゃんときたら」
市太 「まったくだ」
勇吉 「す、すみません」
お勝 「あたしが行けばうまく行くことぐらい解りそうなものじゃないか。明日早速、大家さんに届けてくるよ」
太鼓の音
戸口が開き、宇崎と憲兵が入ってくる
三之助 「け、憲兵だ」
市太 「憲兵?」
お勝 「あの、何かお調べですか?」
宇崎 「この中町の隣組は実に優秀でな。怪しい人物がいると解れば、すぐに我々の所に通報する」
お勝 「―そ、それで?」
宇崎 「昨日から若い男が来ているそうだな」
お勝 「は、はい。勇吉と申します。勇さん」
勇吉、前に出る
宇崎 「貴様、勇吉というのか。清吉ではないのか」
お勝 「清吉ではありません。勇吉です。親戚の勇吉に間違えございません」
似顔絵と比べる、緊張が走る一同
お勝 「何をお調べになっているのですか?」
宇崎 「いいか。嘘をついたらお前たち家族は大罪だ。子どもも牢に入り、厳しい拷問が毎日続く。聞けば貴様の亭主も思想犯まがいだったそうじゃないか」
お勝 「い、いえ。―あたしの亭主は学生に好かれる大学の教員でした。あの人の悪口を言うのはよして下さいな」
宇崎 「下の息子は何処だ」
お勝 「奥で寝ていますがー」
宇崎 「坊主を締め上げれば白状するだろう」
上がり込む憲兵
お勝 「ちょっと、おやめになって下さい」
一同、騒然となる
大家の声 「大変だあ、大変だぁ」
大家と国民服の男がやってくる
大家 「ここにいらっしゃいましたか?」
宇崎 「何だ」
大家 「(国民服の男を指しながら)いま長屋の角で清吉という男を見たそうです」
宇崎 「なに!」
国民服の男「ええ、怪しい男だったんで問いつめて聞いてみたら、確かに清吉と名乗りました」
宇崎 「本当だな」
国民服の男「ほほほほ・・・本当です」
宇崎 「どこだ」
国民服の男「え~、あ!あそこです」
左官の男が何やら黒いモノを羽織って長屋の角に立っている
国民服の男「ほら」
三之助 「あ、左官屋だ」
お勝が三之助の足を踏む
三之助 「痛たたたた」
国民服の男「あの男に間違えございません」
宇崎 「追え」
憲兵 「はっ!」
憲兵、走って左官の男を追い、宇崎も追う
国民服の男「急げ~」
音楽
一同、ほっとため息
お勝 「大家さん、長屋のみなさん。本当にありがとうござきました」
国民服の男「ま、いいってことよ、な」
大家 「困ったときはお互い様」
国民服の男「それが長屋の付き合いってもんですよ。しかし、左官屋は大丈夫なのか」
大家 「あいつはね。足だけは誰にも負けねえ。憲兵の足じゃ到底追いつけっこないよ」
国民服の男「しかし我々も大罪を犯しましたなあ」
大家 「クソ食らえだ、ははは・・。それじゃあ」
歩き出す大家たち
♪知らせられたり 知らせたり
トントン トンカラリンと 隣組
お勝、頭を深く下げる
お勝 「三の字、大丈夫かい?」
三之助 「かあちゃん、本気で踏むことないじゃないか」
お勝 「すまなかったね。」(子どもたちに)さ、寝ておしまい」
市太 「そうだな」
三之助 「(勇吉に)よかったな、勇さん」
勇吉 「(頷く)」
お勝を残して奥の部屋に引っ込む子どもたち
お勝、ちゃぶ台の前に座り肩を叩く
するとー奥から市太と三之助が顔を出す
三之助 「かあちゃん」
お勝 「ん?」
三之助 「証明書のことだけどー」
市太 「易者に1円も出して痛かっただろう」
お勝 「え?じゃあお前たち知っていたのかい?」
二人、笑って奥に引っ込む
お勝 「―そうだったのかい。全く、うちの子どもたちときたら」
一人で可笑しくなっている
終 章『かあちゃん』
翌日、昭和17年2月2日
朝、小鳥の囀り
玄関口で七之助が学校の仕度をしている
勇吉が送り出す
家では台所で市太が顔を洗い、お勝とおさんは朝ご飯の片づけをしている
七之助 「行ってきま~す」
勇吉 「気を付けてな」
三之助 「憲兵に気をつけろよ(笑う)」
勇吉 「三の字、冗談きついぜ」
三之助 「(笑っている)」
勇吉 「昨日は危うく捕まる所だった。びっくりしたよ」
三之助 「俺はちっとも驚かなかった」
勇吉 「どうして?」
三之助 「かあちゃんがそんな人じゃないっていうからさ」
勇吉 「またかあちゃんか」
勇吉と三之助が話している
おさん 「昨日のこと驚いたわね」
お勝 「お前もかい。みんな驚いた驚いたっていうけど、あたしは初めから勇さんのことを信じていたから平気だったさ」
おさん 「そうかしら。憲兵が上がり込んだとき声が掠(かす)れてたじゃない」
お勝 「うるさいね、手がお留守だよ」
おさん、クスっと笑って手を動かす
お勝 「早く勇さんの仕事がみつかるといいね」
おさん 「そうね、いつまでも家にいたんじゃ張り合いないでしょうね」
お勝 「三之助とよく話してるじゃないか」
おさん 「三の字がね。勇さんのこと、本当の兄弟のような気がしてきたって言ってたわ」
お勝 「―」
おさん 「勇さんってきっと心のやさしい人なのね」
お勝、じっとおさんの顔を見る
三之助出て行く
お勝 「市太のほうはどう?その後」
おさん 「監督に見つからないように女工の子と会ってるみたい」
お勝 「あの子は優しいからね」
市太、欠伸をする
三之助が帰ってくる
三之助 「かあちゃん、よかった、よかった」
お勝 「何がよかったんだい」
三之助 「いまその角で親方に会ったんだが、左官に一人空きがでたんだ」
お勝 「勇さん」
おさん 「勇さん」
お勝 「早速来て欲しいっていうんだ。いいかい」
勇吉 「(頷く)おかみさん、何から何まですみません」
お勝 「あたしは何もしていないよ。よかったね、勇さん」
勇吉 「(頭を下げる)」
おさん 「そうだ。はい勇さん、お弁当」
勇吉 「すまない」
おさん 「勇さん謝ってばっかり」
市太 「俺も一緒に行くよ」
出かける3人
勇吉 「すまないが先に行っててくれないかな」
市太 「ん?」
勇吉、戻る
お勝 「おや、どうしたんだい。忘れ物かい?」
勇吉 「言いにくいんだけど、おかみさん」
お勝 「おかみさんって言ったら返事しないって言ってあるよ」
勇吉 「―あのう、俺のことみんなと同じようにしてくれないか」
お勝 「おや、同じようにしていないかい」
勇吉 「弁当のことなんだけど・・・」
お勝 「勇さん、初めに断ったはずだよ。こんな貧乏所帯だから不足もあるだろうがー」
勇吉 「違うんだ、不足を言うんじゃないんだ。俺だけ弁当が特別になっている。飯も多いし、おかずも多い」
お勝 「え?」
おさんを見ると台所に逃げていく
お勝、はは~んという顔をする
勇吉 「みんなと比べるとわかるんだ。弁当箱を開けるたびに、やっぱり俺は他人なんだなって」
お勝 「それはね、断っておかなかったから悪かった。堪忍しておくれ。勇さんが痩せて元気がないから、もう少し肥(ふと)るまで勇さんの食事を多くしたいって、おさんが言うもんだからね。もうちっと肉がついたら同じにするから辛抱しておくれ」
勇吉 「すまねえ。俺あ、生みの親にもこんな親切にされたことはねえんだ」
お勝 「生みの親がどうしたってんだい。それだけは聞き捨てならないね」
勇吉 「だってー」
お勝 「親の気持ちに変わりはあるかい。もし出来ることなら身の皮を剥(は)いででも、子に何かしてやりたいのが親の情けだよ。それが出来ない親の辛い気持ちをお前さんは察してあげたことがあるのかい」
勇吉 「―悪かった、俺が悪かったよ」
お勝 「子が親を悪く言うような人間は大嫌いだよ」
いつの間にか市太と三之助が帰っている
市太 「かあちゃん、もういいじゃいか。勇さん謝っているじゃないか」
お勝 「お前の知ったこっちゃないさ」
市太 「そうだけろうど、ばあさんまで泣かしちゃってるぜ」
お勝が台所を見ると、おさんが泣いている
お勝 「言っとくけどね、今日からばあさんはやめておくれ。おさんはまだ嫁入り前なんだから。ばあさんなんかじゃないんだから」
市太 「かあちゃんだって昨日ばあさんって言ってたぜ」
お勝 「やかましいね。今日からだって言ってるだろ。これから、ばあさんって言ったら承知しないよ。わかったらさっさとお行き。なにぐずぐずしてるんだい」
市太、勇吉、三之助は出て行く
勇吉 「市太さん。とおちゃんってどんな人だったんだい?」
市太 「ん?とうちゃんかい」
勇吉 「おかみさん見てると、どんな人か気になってしまって」
市太 「―大学の先生でね、いつも生徒に囲まれている人だったんだ。教え子に召集令状が来ると、とうちゃんは『君を生んでくれたお母さんのために生きて帰って来なさい』そう言ってた。お母さん方からは『大きな声では言えない親の本当の気持ちをよく言ってくれた』と感謝されてね。でもそれが大学に知られて臨時教員になり、給金も減ってしまったけど、とうちゃんはいつも強い信念を持って生きていたよ。大きな人だった。」
勇吉 「―」
市太 「とおちゃんが出征したとき、七之助はまだ小さかったから顔をよく覚えていないらしい。本当に可哀想だな。かあちゃんも、とおちゃんのこと何も言わないから」
勇吉、家の方を見る
市太 「ま、本当の気持ちはかあちゃんしか解らないんだけどね」
勇吉 「それを聞いて俺もやっとおかみさんのことが少しだけわかったような気がするよ。すまねえ、先に行っててくれないか」
市太 「ん?またかい」
音楽
勇吉、家に戻り、市太は仕事に出かける
お勝が仏壇に手を合わせ、声を殺して泣いている
暫く、それを見つめる勇吉
お勝、勇吉に気づいてー
お勝 「なんだい、まだ何か用かい?」
勇吉 「なんでもないんだ」
勇吉は「かあちゃん」と言おうとするが言葉に詰まり外に出る
お勝、また仏壇に手を合わす
勇吉 「―かあちゃん!」
と言って走って立ち去る
お勝、はっとして外に出るが、勇吉の姿はもうない
辺りが急激に暗黒になる
空襲警報と爆撃の音
軍服を着た市太、三之助が敬礼する
その顔は何故か微笑んでいる
―
まっくろけ節の唄が聞こえー
(終わり)
『小さな運動から始めよう!』
人間に絶対はない。どんな偉い学者だって必ずミスをする。原発の再稼働が叫ばれ、「もし事故が起きたときの安全対策は万全です。政府が責任を持って対処します」と言うけれど、被爆国・日本で核の事故などあってはならないことです。
戦争法案が可決し、アメリカの戦争に日本が巻き込まれるようなことがあっても安全は確保されているというけれど、戦地に行くのは若者で、戦地に安全な場所などあり得ないのです。
2015年は戦後70年の節目の年です。初めは70年が何なんだと思っていましたが、10年後の2025年に戦争体験者がどれだけお元気に戦争体験を語れるだろうと考えたとき、我々日本人が70年の節目に平和の尊さを学ぶことはとても大切なことなんだなあと思いました。
原作の魅力からドンドン離れてしまい、ガッカリされる方もいるかもしれませんが、これからの日本を支えていく青年たちと共に平和について考えるきっかけをつくりたいと思い、山本周五郎さんの「かあちゃん」をリメイクしました。出征し、戦場で尊い命が失われることは二度とないよう、みなさんで小さな運動から始めてみませんか?アジアの人や世界中の平和を願う人々と手を携えていきたい。その小さな運動の一つに演劇「かあちゃん」が少しでもお役に立てれば嬉しいなと思います。
2015年8月11日(火)台本を書いた野崎佳史