
はじまりの空
加藤康弘
「海の近くに学校があるなんて、なんて素敵かしら」
素直な奴ならきっとそう言うと思う。
でもわたしは、ねっとりとした潮風が鬱陶しくて、なんだか初日からいやになってしまった。こんな気まぐれで、わがままなわたしを受け入れた高校は、本当に海の高台に、その白い校舎がそびえ立っていた。
私立三州高校…風光明媚な名所として地元では有名。そして5教科オール2以下のわたしでさえ入ることのできた、奇跡の高校。ただ、学費だけはバカに高い。
だから入学式だけでも出てやらないと、親には申し訳ないから、今日は慣れない早起きもして一応は登校した。でももう一度、この嫌みなほどに綺麗に磨かれた、大理石のこの校門を明日もくぐる気は今の所さらさら起きない。
一応、その高い学費を出してもらっている親にはつくづく申し訳ないと思うけど。出席日数も単位もある程度、稼ぎたいと思うけど、これはわたしの性格だからしかたがない。そういう娘を産んでしまったんだと諦めてもらおうと思う。
新入生で髪を染めているのはわたしだけだなと、入学式の席上を見渡して思った。
始業式は明日だから、明日嫌でも先輩たちと顔を合わせるわけだけど(出ないかもしれないけど)間違いなくわたしは目をつけられる。まあ、タイマンだったら誰にも負ける気しないけどね。根性の入り方だったらわたしは普通の高校生とは違う。あと、北条さんの名前出せば、この学校の奴なら一発でびびるね、きっと。
「わたしの名前を出すな」と常々言っている北条さんには申し訳ないけど、面倒なことになるくらいなら、わたしはそうする。
校長が壇上で長い訓辞を続けている。顔がブルドックに似ているからわたしは「ブル」と名付けてやることにした。頬の肉が垂れ下がっているあの顔は間違いなく「ブル」だ。
他にも個性的な顔をした先生がいろいろいるから、順にあだ名をつけていこうと思う。
担任はどんな顔をした奴だろう?そう考えると憂鬱だった今朝からの気分が少し晴れてきた。何か楽しみがないとこんな人生、やっていられない。長いスカートを引きずりながらタバコを吹かし、「生まれてきてスミマセン」なんて心にもない親への謝罪の言葉を心中つぶやき続けるだけじゃ、面白くもなんともない。だから、かったるい式がようやく終わって教室に入ってから、わたしは先生だけじゃもの足りないし、不公平だと思って、密かに同級生たちにあだ名を付けてやることにした。
共学だから男女の比率は半々だ。私立高校だから、お世辞にも頭の良さそうな奴は1人もいない。みんなボンクラな顔をしている。男子はボンタンだけは一丁前に履いてはいるが、きっと根性なしばかりだ。いい男なんていない。女はどいつもこいつもニキビ面下げてキャーキャーとうるさい奴ばかり。友達になれそうな子なんて一人もいない。 一目で気に入る奴が一人くらい、いてもいいと思うのに、なんだか、あだ名を付ける前にまた気分が憂鬱になってきた。
気になるのは私の隣は男子の席だが、いまだに空席のままだ。
風邪でもひいて今日は登校できなかったんだろうか?どうせ、ろくな男じゃないだろうと思うけど。しばらくは話し相手くらいにはなるだろうから、どんな奴かくらいは早く知りたいものだ。
やがて担任が教室に入ってきた。
入ってきた瞬間から、彼のあだ名は決まった。「バーコード」だ。
あの頭はどう見ても「バーコード」だと思う。反則なくらいに笑える頭だ。少ない髪の毛を後生大事に整髪してくるものだから、あんな頭になる。どうせなら、スキンヘッドにしたほうが、潔くてすっきりするのに。大人というのは、どうしてあんな風に未練がましくなるんだろう?
面白いから、まあいいんだけど。
わたしの心が通じたのか、「バーコード」はわたしを睨んでいる。多分、このクラスの中ではやけに目立つこの茶髪のせいだろう。登校初日から、わたしは担任に目をつけられたというわけだ。
「コホン」と一つ咳払いをして「バーコード」は黒板に大きく自分の名前を書いた。
「関口透」というのが彼の本名だ。わざわざ、黒板に大きく書いてもらって申し訳ないんだけど・・・でも、わたしは「バーコード」と呼ぶことにもう決めているんだ。
「関口先生」なんて敬意を込めて呼ぶことなんて、まずないね。
出欠席が始まった。
「バーコード」が一人一人の名前を呼ぶ。みんな気のない返事とはいえ、まじめに返事を返しているだけまともだ。
でもわたしはもっとえらい。
わたしの番になった時、わたしはみんなに見本を見せるように「ハーイ!」と大きな声で返事をした。すると「バーコード」が怖い顔をして睨んだ。大声で返事を返す事は決して悪いことじゃないはずなのに何でだろう?この学校の校則じゃ、大声は出してはいけないのだろうか?
「バーコード」は咳払いをして「井上さん、元気があってよろしい」とニコリともせず、わたしを誉めた。まんざら、悪いことをしたというわけではないようだ。
順に名前が呼ばれて、いよいよわたしの隣の奴の番になった。
名前なんて、あだ名をつけて呼ぶわたしにしてみればどうでもいいことなのだが・・・わたしは自分の耳を疑った。
「バーコード」の呼んだ名前。それは…。。
「ゼンキタン、ゼンキタンはいないか?」
ゼンキタン?そんな名前の日本人いるのか?
その時、ガラッと教室の入り口が開いた。計ったようなタイミングで入ってきたその男は「ゼンキタンじゃねえ、チョン・フィリョンだ!」と怒鳴った。
計ったようなタイミングで入って来たのは多分、名前を呼ばれるまで入りづらかったんだろうが、しかしこいつ・・・!
その男・・・そいつは、見上げるほどに背が高くて・・そう、巨漢だった。女のわたしから見ればすべての男が大きく見えるのは当たり前だが、そいつは本当に、見上げるほどに大きかったんだ。髪のセットは金髪のリーゼント。それはとさかのように前に張り出している。少年マンガじゃあるまいし、今時こんな頭の奴など、稀少価値の絶滅危惧種だ。そしてそいつは無造作に教室に入ってきて、空いていたわたしの隣の席へどかっと座った。
「・・・お前、今何時だと思っているんだ?」
バーコードが呆れたような声を上げた。怒りを通り越して悲しさの入り混じった、少し情けない声音だ。
しかし、こいつは・・・つくづく太々しい奴だと思う。
悪びれもせず、バーコードを正面から見据えている。不敵な笑みさえ浮かべている。バーコードでなくとも、わたしでさえ、「何考えているんだ、コイツ」と思うぐらいだから。バーコードの奴は、きっとわたしとこいつがこのクラスに入ってきたことで「貧乏くじ引いた」と思い悩んでいるに違いない。薄い髪の毛がますます薄くなりそうだ。バーコードがスキンに変わる日もきっと近いと思う。
「お前、とにかく遅刻!名前は・・・なんと言った?チョン・・・?」
「チョン・フィリョンだって。悪かったな、先生。日本人じゃなくて」
「・・・?全喜鍛と書いて、チョン・フィリョン?と読むのか?お前、在日韓国人のようだが、日本の通名はもってないのか?ゼンキタンじゃだめなのか?」
フィリョンは笑った。
「ゼンキタンなんて格好悪いっしょ?それに俺、韓国じゃなくて朝鮮のほうだから・・・まあヒリョンでいいからさ、そう呼んでよ、先生」
そう減らず口を叩くと、こいつは妙にいたずらっぽく笑った。
フィリョン・・・ヒリョン。まあどっちでもいいけど。こいつがそう呼んでほしければ・・・。でもわたしは気に入らなかった。
チョン・フィリョンでも、チョン・ヒリョンでも。 何故なんだ?なぜ通名を使わないんだ、こいつは?わたしでさえ、井上礼子という通名を使っているというのに・・・?
わたしだって本名はある。李礼華・・イ・レイファ。それがわたしの本名だ。
国籍は韓国。わたしの父ちゃんも母ちゃんも日本生まれの韓国人だ。だからわたしも生粋の韓国人なんだ!
そしてわたしの本名を知っているのは、わたしの家族と北条さんだけなんだ。
放課後に校舎の屋上に出ると、意外に景色がよく、海が見渡せるのでわたしは初日からここが気に入った。だだ、潮風だけはわたしは鬱陶しくて好きになれない。鼻をつく磯の臭いが何故かいやなんだ。それでもこの景色にはかえられないから、我慢することにした。別に我慢できないほど、いやじゃないってことだ。
今日は二日目、始業式。
二日目も出たんだから、我ながらえらいと自分を誉めたくなる。式が終わった後、気分も良かったから、わたしは少しだけ仲良くなった同じクラスの女子を誘って、またここへ来たりしたわけだ。
海を見ているとちょっと黄昏れた気分になる。気取ってフェンスに寄りかかっていると、上級生とおぼしき連中が四~五人でつるんでこちらにやってくるのが見えた。後ろに男子の姿も見える。
大方、生意気な下級生いじめにでも来たつもりなのだろう。四人くらいいる。男子もいるので少しやっかいだ。その男子は剃り込みがやけに目立って恐い。
北条さんの名前でも出そうかしら?
連れてきた同じクラスの女の子たちが、怯えたような視線をわたしに向けているのがわかった。よし、彼女たちを守ってやろうと、少し格好つけたい気分が出てきてわたしは、一人でこいつらを相手にすることにした。ただ、男子が厄介だ。よく見るとこいつの剃り込みは、鬼の角のように見事に剃り上がっていている。
「ねえ、あんた。ちょっと顔かして」
やっぱり因縁をつけてきた。始業式、いやでも目をつけられるだろうと踏んでいたが、案の定だ。ただ、こんなに早く因縁をつけにくるとは・・・!
「先輩、顔なんて貸せないですよ。首切らなきゃいけないもん」
わたしがせせら笑うと先輩たちの顔色が明らかに変わった。少しわたしをなめたような表情だったのに、みんな急に険しくなった。むしろわたしの方が先輩たちをなめたような顔をしているのだろう。
「じゃあ、首切りな。そのなめたツラ、海に放ってやるから」
先輩たちの中でリーダー格らしい、太めの金髪女が凄んできた。この高校のスケバンかな?まあまあ迫力あるけど、所詮は井の中の蛙。本物のレディースの世界じゃ通用しない。こいつに比べたら、北条さんの恐さといったら・・・百倍は恐いといっても決して大げさじゃないと思う。
「生意気なんだよ、てめえ、にやにやしながら腕組みしてるんじゃねえよ!」
「ちょっと礼儀知らずだよね、この子、ヤキ入れてやろうよ」
「ここから海に放ってやろうか?」
わたしは気づいた。こいつらは口ではいろいろ言うけれど、結局、手を出してこない。こんなやつら、わたしはちっとも恐くない。大方、実力行使だって、後ろで控えている剃り込み男にやらせるんだ。わたしは直感的にそう思った。そう、こいつらは恐くなくても、まだ剃り込み男がいるのだ。
「高田、こいつ押さえててよ」
「デブキン」が(太めで金髪だからそう名付けた)剃り込み男に命令した。男は無造作にわたしに近づくとわたしの髪を掴もうとした。わたしはその手を払いのけると、そいつの大事な所めがけて蹴りあげた。しかし剃り込み男は生意気にも、わたしの蹴りをかわして、逆にわたしにビンタをくらわしてきた。そして凄い力でわたしを羽交い締めにする。
まるでターミネーターのように凄い奴だと思った。か弱いレディーに容赦ないし、剃り込みも恐いし・・・こいつのあだ名は「ターミー君」で決まりだ。
わたしはデブキンがハサミを持っていることに気づいた。凄い顔でわたしを一瞥すると、ハサミをチョキチョキとやりながら、わたしの髪の毛を掴んだ。昔、女子プロレスを見た時、確か「断髪デスマッチ」というのをやってたような記憶が蘇った。勝ったほうが負けた方の髪の毛をハサミかバリカンで刈るのだ。デブキンがなんだか「ダンプ松本」に見えてきた。訂正する。こいつのあだ名は「デブキン」改め「ダンプちゃん」だ。
なんだか、やばくなってきた。そろそろ北条さんの名前を出してびびらせてやろうか?北条さんの名はこの辺りじゃ、水戸黄門の印籠みたいなものだ。「ターミー君」も随分と容赦なく締め上げるし、もうそろそろ限界だ。クラスメイトの前で格好つけるつもりが、随分とつまらない事になった。だいたいターミー君、女の子に手加減知らなすぎだよ。こいつの存在は反則だ。
突然、ターミー君の羽交い締めが解けた。何事かと振り返ると、彼はその場でうずくまっている。脇腹の辺りを押さえて咳き込んでいるのだ。そしてその後ろに大きな人影・・・フィリョンが立っていた。
「あ、・・・ごめん先輩、手加減したつもりだったんだけど」
フィリョンは悠然とたたずみながら、そんな呑気なことを言っている。心底ターミー君を気遣っている風でもない。
彼はわたしに拳を見せてニヤリと笑った。まるで岩のような拳だ。あれをおそらく、脇腹にでも叩きこんだのだろう。こいつ喧嘩は相当やると睨んではいたが、これほど容赦ない奴だとは思わなかった。
フィリョンは先輩たちを不敵な笑みをうかべながら睨んでいる。そのうすらでかい体は先輩たちを完全に圧倒していた。
「一応、うちのクラスのやつなんだよね。傷つけるなら、俺が相手になるよ」
不意打ちとはいえ、ターミー君を一撃で倒してしまった奴だ。ダンプちゃん始め、腰抜けの先輩たちじゃ、勝ち目はない。
「覚えてろ」なんてセリフ、テレビの中の悪役が去り際にしか使わないと思っていたけど、ダンプちゃんがのびているターミー君を必死に急き立てながら、去り際、本当にその言葉を使った時は正直笑えた。さすがはダンプちゃん、ヒール(悪役レスラー)だね。
「オウ、覚えておいてやる!お前らも覚えておけ!俺がチョン・フィリョンだ!」
これ聞こえがしに自分の名を叫ぶフィリョンを見て、わたしはいやな気分になった。
なぜだかわからないけど・・・。
そしてなにより、わたしは面白くなかった。強がりを言わせてもらえば、これからがわたしの見せ場だったはずなんだ。そんな安々と髪の毛を切られることを許すほど、わたしは甘チャンじゃない。ターミーの金的をかかとで蹴り上げて、素早くダンプちゃんからハサミを奪い、逆に彼女の髪に切りつけることぐらいは・・・できたはずだ。
だから、フィリョンの奴が「よう、怪我ない?」なんて聞いてきても、わたしは無視した。それどころか、「ウゼーんだ、バカ!」なんて怒鳴って、わたしは屋上の階段を駆け下りた。我ながら随分、大人げないことをした。フィリョンのうすらでかい体を見るとわたしは、何故かイライラしてそんな態度をとってしまう。さらにあの人を喰ったような不敵な笑みを見るものなら、なおさらだ。
ウチのクソババアについて少し話す。
「クソババア」といってもわたしの母ちゃんのことだけど・・・。
この人にはわたしが悪さをするといつも口癖のように言う言葉がある。
「あんたみたいな、バカ娘、一度でいいから韓国の祖母ちゃんの墓の前まで連れて行って、土下座させてやりたいわ」
韓国の祖母ちゃんは、母ちゃんからすれば祖母ちゃんになるわけで、わたしからは曾祖母ちゃんになる。それはさておき。わたしが墓の前で土下座するか否かはまあ、置いておいて、両親(特に母ちゃん)が、わたしをもう一つの祖国、韓国に連れて行きたがっているのは確かだ。ただわたしが面倒くさがっているのと、我が家の経済的な事情も相まって、いまだにそれは実現していない。
わたしの祖父母は両家とも韓国で生まれ育っているが、両親は二親とも日本で育った。
ただ、母ちゃんのほうは結婚前は、何度か韓国の土を踏み、曾祖母ちゃんの墓も参っている。韓国の話をするとウチのクソババアはうるさい。
キムチの味は日本と比べものにならないくらい旨いだの、辛いだの、チマチョゴリが日本より安いだの、チャンゴは質が違うだの・・・リアルタイムに日本で生きているわたしにはどうでもいい話ばかりだ。キムチはともかく、わたしにはチマチョゴリより特攻服、チャンゴよりチャンバーだね。
「あんたみたいな、バカ娘、一度でいいから韓国の祖母ちゃんの墓の前まで連れて行って、土下座させてやりたいわ」
わたしは今日もその言葉をクソババアに吐かせてしまった。
娘が夜遅く、外出するのを快く思う親は確かにいないと思う。だけど今日は集会がある日なのだから、しかたがない。
北条さんが待っている。時間にはうるさい人なので、少しでも遅れると半殺しだ。
だから母ちゃんに構っている暇なんてない。家の中でなにやら喚き散らす母ちゃんを尻目に、わたしはゲンチャリを勢いよく走らせた。
夜風が心地よい。誤解のないように言っておくけど、わたしは風ってやつは決して嫌いじゃない。ただ、潮風がいやなだけだ。磯の香りが嫌いなだけなんだ。
泣く子も黙るレディース「かぐや姫」は地元では超有名な暴走族だ。老若男女だれでも知っている。だから「かぐや姫」に入っている娘を持つ親にしてみれば、(地元であるだけに余計)世間様に向ける顔がない。そんな心境はもちろん、うちの両親にしても例外ではないはずだ。「韓国の祖母ちゃんの墓の前で土下座」させたくなるのも無理はない。
なぜかぐや姫?と聞かれても別に明確な答えはない。
中学の時、馬鹿なツレと馬鹿なことばかりやっていたら、気づいた時にはメンバーになっていた。
暴走族なんて小学生の頃は、世界の違うものだと思っていたのに、運命なんてわからないものだとしみじみ思う。
集合場所はいつも倉庫の密集した埠頭だ。ここから市内を走り、国道へ出る。
市内といっても三州は田舎町だから、走りもたかが知れている。本当に「かぐや姫」が夜の花形になるのは国道に出てからだ。今夜も臙脂色の特攻服が夜の闇に映えるのかと思うと、なんだか妙に興奮してくる。
埠頭には仲間がもう何人か来ていた。北条さんの顔も見える。真っ白に染めた髪を後ろに束ね、その青白い顔は妖艶というか・・・その刺すように鋭い眼光がきらめくと並の女なら萎縮してしまう。大の男でも震え上がるに違いない。
そして彼女は集合時間の三十分前にはもう埠頭に来ている。だから、後から来るわたしたちは恐縮だ。時間に遅れたりしなければ、北条さんは別にその事で気分を悪くしたりはしないのだが。
「礼子、あんた今夜、ケツ持ちやりな」
北条さんはわたしの顔を見るなりそう言った。ケツ持ちとはようするに、しんがりのこと。他の暴走族やパトカーの煽りから、チームを守る役割をするから結構、責任重大なポストだ。時々わたしなんかに任せてくれる北条さんには感謝するけど、その期待に応えなきゃと思うと緊張するもんだ。
「かぐや姫」のメンバーの間で今、流行っているホットな話題があるんだ。
なんだと思う?
実はあのチョン・フィリョンの事なのだ。
なぜフィリョンが?と思うかもしれないけど、あの朝鮮人、もともとこの辺りの人間じゃない。最近になってこの街に引っ越ししてきたらしい。でなければ、あんなイカレた奴が、中学の頃からわたしたちの間で知られていないわけがないのだ。
「イカレたチョン公」チョン・フィリョンは瞬く間にこの業界(?)の有名人になった。なにしろ、やることが本当にイカレている。
以下はわたしの先輩が話した、ある暴走族関係のお兄さんの目撃談である。
パトカーも白バイも滅多な事では、暴走族は煽られることはない。
万が一でも、わたしたちが怪我をさせられたら、百パーセント警察のほうが悪くなってしまうからだ。
でも、中には狂ったようなパトカーもいて、そのお兄さんたちが(チーム名は確かスペクター)国道の検問を無理矢理抜けた所、そのパトカーが追ってきた。狂ったように煽りを仕掛けてくるので、お兄さんたちはひき殺されるんじゃないかと思ったらしい。
途中でそのパトが追ってきていないのに気づき、振り返ると・・・なんと一人の男がパトの上に乗り、鉄パイプか金属バットのようなものでグシャグシャに叩き壊しているのが見えたんだそうだ。フロントガラスは粉々になり、車の天井は縁が原型を留めない形でボコボコに・・・その男は見上げるように大きくて、狂ったように鉄パイプを振るう・・・というよりは、鉄パイプをまるで棒きれかなにかのように、無造作に淡々と振り回しているようだった・・・とそのお兄さんは証言している。
別の証言もある。
暴走族を高速で追走していたパトカーに、後ろから二人乗りのバイクが近づいてきて、後ろに乗っていた奴が突然、高速で走るパトの上に飛び乗ったと・・・そして手に持った鉄パイプであっという間にフロントガラスを叩き割り、パトカーを止めてしまったらしいのだ。まるで信じられない与太話作り話(フカシともいう)だが、その証言者は、ごくまじめな学生ということらしいので、信憑性はあるだろうということだった。そのあとの出来事もスペクターのお兄さんの話とも一致しているので、二つの話の男は同一人物であることは確実だ。
話をまとめると、検問を突破した「スペクター」というチームを、高速で追いかけたパトカーに追いついたバイクの後部座席に乗っていた大きな男が、そのパトカーの上に飛び乗って鉄パイプでフロントガラスや天井をめちゃくちゃにして叩き壊してしまったという・・・(ほとんどマンガだ!)
そしてその男こそ・・・チョン・フィリョンなのである。
この話を先輩から聞いた時には、「またまたあ、先輩ったらわたしを担ごうとしてえ~」なんて思ったりしたものだが、先輩だけはなくて、他のメンバーの間でも、そして学校でもその話で持ちきりなので、まんざらフカシでもないなと思った。本人に直接聞けばわかることだが、なぜか彼に確認してみようという気が起きない。彼が気にくわないからという理由ではなく、ただ単に億劫なだけだ。わたしの気まぐれな性格がそうさせているだけなのかも知れない。
ただ、なぜフィリョンはそんなことをしたのだろうか?
そのことだけが気になる。
こいつは確かにイカレた奴だけど、意味もなくそんなことをする奴だとは思えない。 指名手配されてもおかしくはないのに、奴の態度は相変わらず無頓着で鷹揚だ。学校に平気で来ている奴の神経もわからない。
他にも奴に関するいろいろな噂話がある。最近じゃ、「九尾狐」というチームのメンバー二十人と乱闘して、全員を丸坊主にしたなんて話も話題になっているのだ。
あいつがこの街に来て約二ヶ月、随分といろいろな無茶をやらかして、そして有名になったものである。
今日の集会も、出発前はそんな話でもちきりだ。
わたしはおもしろくない。
なぜかって・・・それはあいつが本名チョン・フィリョンを堂々と名乗り、無茶苦茶なことばかりするからである。
あいつのことだ、きっと事件の先々で「俺がチョン・フィリョンだ!覚えておけ!」なんて叫んでいるのに違いない(短期間で彼が有名人になったのもそのため?)。
これじゃあ、朝鮮人がみな、そんな無茶苦茶な奴ばかりと思われるじゃないか!
韓国国籍のわたしだって気が気じゃあない。韓国国籍だって朝鮮国籍だってまじめに生きている人はたくさんいる。わたしが親を泣かせるくらい、こんな馬鹿なことをやっていられるのも、通名を使っているという安心感があるためだ。あいつにはそういう自覚がないのかよ!
先輩たちが噂している。
「昨日の夜、またあの朝鮮人が現れたんだって?」
「つるんでいるバイクの奴と駅前の商店街に現れてさ、野島組系のヤクザ数人と乱闘になったってさ」
「ヤーサンとやったのかよ、さすが、チョン公は気合いの入り方が違うよね」
そしてわたしの顔を見ていたずらっぽく笑う。
「ねえ礼子、あんた同じクラスなんでしょ?今度、彼のサイン貰っておいてよ。もちろんハングルで!キャハハハハ!」
もう限界だ!
明日、学校であいつを問いつめてやる!一体どういうつもりなのかと・・・何を考えて生きているんだと!わたしが韓国国籍だということも当然話すことになるが仕方がない。朝鮮民族の恥さらしをこれ以上は放ってはおけない。
なんだか憂鬱だ。こんな調子じゃ今夜のケツ持ちはまともに勤まりそうにないが、北条さんの命令には逆らえないので仕方がない。「かぐや姫」にちょっかいをかけてくる馬鹿なチームやパトカーが現れないことを祈るしかない。
「かぐや姫」は地元では超メジャーな暴走族だが、所詮はレディース、走っていると、ちょっかいというか、からんでくる暴走族はいるにはいる。
そんな彼らをまくには、ケツ持ちの役割はとても重要だ。
たかが、原チャリで中免のバイク小僧どもをまくのは並大抵の苦労じゃない。(これが交機の白バイともなるとなおさらだ)
最近でも隣町西王の暴走族「西王エンペラー」がからんでくるのでうざい。
そこの頭の藤堂という奴が、どうやら北条さんを気に入っているのだ。
もちろん北条さんはそんな奴、はなから相手にしていない。よほどの男じゃない限り、北条さんを口説くのは難しいよ。
北条さんに言わせれば、彼らはただ「うざい」「鬱陶しい」の二言なのだ。
「ヒュン」と風を切る音が聞こえた時、わたしは「しまった!」と思った。
奴らが、反対車線を走り、前に回り込んでしまった。暴走族にありがちな、騒々しい爆音も響かせず、高速で走ってきたため、奴らの接近に気付かなかったのだ。
奴ら・・・チーム「西王エンペラー」が「かぐや姫」の進路に立ちふさがった!
わたしたちのルートは完全に読まれていたんだ。まあ、毎週、同じ日に同じ道しか走らないわたしたちだから、それも仕方ないことだけど。
藤堂のやつが、勝ち誇ったように笑っているのが見える。いつの間にか後ろも塞がれてしまった。わたしたちは完全に囲まれてしまったのだ。
「よう、ユカリ、今日こそ返事聞かせてもらうぞ」
藤堂がいやらしい笑みを浮かべながら、北条さんに近づく。返事を聞くもなにも嫌われているのがわからないのかお前・・・だいたい、北条さんをファーストネームで呼ぶなんて百年早いわ。
「・・・いいよ、聞かせてあげる。あんたなんか大嫌い、これでいい?」
北条さんの目が恐い。あんな眼光をまともに受けて平然としている藤堂という男は、どういう神経をしているのだろう?
「つれないこというなよ、ユカリ、いいのかそんなに強がっていて?」
「エンペラー」のメンバー全員がバイクを降り始めた。包囲網が徐々に縮まってくる。 「この子たちは関係ないだろ!手を出すな!」
北条さんが怒鳴った。今にも藤堂に掴みかからん勢いだ。
「それはユカリちゃんしだいだねえ・・・」
こんどはちゃんづけか!こいつは一体何が目的なんだ?いやもう、そんなことはどうでもいい!この無礼な男に腹がたった!
「いい加減にしろや、このボケ!」
そう叫びながら、わたしは藤堂に掴みかかった。頬を張ってやろうと手を伸ばしたが、くやしいことに奴にあっさりその手をつかまれてしまった。
「なにさらすんじゃ!このアマ!」
次の瞬間、頭が吹っ飛ぶかという凄い衝撃を受け、わたしは何がなんだか、わからなくなってしまった。
「礼子!礼子!」
北条さんの叫ぶ声が聞こえた。意識が無くなっていくなと実感した。
泣く子も黙る「かぐや姫」の総長、北条由香里にわたしが一度だけ、喧嘩を売ったことがある・・・と言えば誰が信じるだろうか?
当時、中坊だったわたしたちが(おちゃめな仲間内限定で)憧れたのが「かぐや姫」であり、当時はまだ総長じゃなかったけど、名は知れていた北条さんだった。
始めて「かぐや姫」の集会に出た時、わたしたちの面倒を見てくれたのも北条さんだった。あの頃のわたしは家出は日常茶飯事で(今でもそうだけど)その時は決まって北条さんの家に泊めてもらったものだ。
北条さんは恐い人、そして不思議な人だ。
まるでわたしの心が見透かされているかのように、ちょっと落ち込んだ時なんか、必ずそばにいてくれる。そしてじっとわたしの目を見て「元気ないだろ?お姉さんの胸で泣くか?」と言ってげらげら笑う。そして本当に(!)抱きついてくるんだ。抵抗しても無駄。凄い力で抱きしめられるから、逃げられないよ。そうなるともう始末に負えない。変わっているでしょ?この人。でもおかげで悩みなんてすぐに吹き飛んじゃう。
そんな北条さんだから・・・わたしはこの人を信頼しているし、尊敬もしている。
だから、あの時はそんな北条さんだからこそ、ひどい裏切りを受けたように思った。
わたしの本名、李礼華を知るのはわたしの家族と北条さんだけである。
始めてわたしの本名と国籍を北条さんに打ち明けた時、北条さんは言った。
「へえ、そうなの?でも関係ないじゃん、そんなの」
「関係ないじゃん」その一言でわたしは・・・プツンと切れてしまった。わけのわからないことを叫びながら、わたしは北条さんに掴みかかった。もう無茶苦茶だった。自分が本当に何がなんだかわからなくなってしまったんだ。気づいた時、わたしは北条さんの胸の中にいた。そして泣いていた。何事かと仲間が何人か駆けつけてきた気配を感じたが、北条さんは豪快にゲラゲラ笑い、「ハハ、何でもないよ、ちょっとこの子をからかったら怒りだしちゃった。」と言って仲間たちをひきとらせた。
後で同期の仲間に聞いたことだけど、わたしは泣きながら北条さんの顔を平手で何発か殴ったらしい。しかし北条さんは手を出さなかった。そして止めに入った先輩たちを「手を出すな!」と一喝し、暴れるわたしを引き寄せて抱きすくめた。
今考えると恐ろしい話だ。
あの時、なぜわたしが切れたのか、北条さんに殴りかかったのか・・・そしてひどい裏切りを感じたのか、一言ではうまく説明できない。
あの時の感情は、とにかく切なかった。そして悲しかった。信頼してる北条さんだからわたしはもっと聞いてほしかったんだ。「関係ないじゃん」の一言では終わってほしくなかったんだ。
わたしが周りの友達と国籍が違うこと、人種が違うこと・・・それを話すことがどんなに勇気のいることか、それをわかってほしかったんだと今にして思う。
そして北条さんはわかってくれた。わたしの悲しみをすべてその胸で受け止めてくれたのだから・・・。
だから、わたしは北条さんをコケにする奴は許せない。藤堂のような奴はなおさらだ。
「礼子!礼子!」
その声で気がつくと、目の前に「かぐや姫 」に一緒に入った同期、麻子の顔が目の前にあった。麻子の顔は腫れている。
きっとあいつらに殴られたんだ。他のメンバーはどうなったのだろう?北条さんは?
周囲を見渡すとわたしは唖然としてしまった。
「エンペラー」のほとんどのメンバーが道路上でのびているのだ。死屍累々とはこのことをいうのだろう。 腹を押さえながら「ウーウー」とうなっている奴もいれば、仰向けに倒れてぴくりとも動かない奴、側溝に吐いている奴までもいる。一体どうなっているんだ?誰がやったんだ? まさか北条さんが一人で「エンペラー」をやっつけたのか?
「・・・麻子、どうなっているの?」
麻子はわたしの質問には答えず、わたしの後ろばかりを見上げている。振り向くとそこには見覚えのある・・・あれ?「ターミー君」だ。
バイクに乗って無言でわたしを見下ろしている。サングラスをかけているので、さしずめ本物のターミネーターのようだ。
「礼子、現れたんだよ」
「現れたって・・・何が?」
「あんたの同じクラスの朝鮮人!その人と一緒に現れたの!」
「え?」
見れば、確かにフィリョンがいる。藤堂とその他四~五人が対峙しているのが見えるのだ。
北条さん始め、「かぐや姫」のメンバーが遠巻きに彼らを取り囲んでいるようだ。
藤堂が吠えた。
「チョン公!いい気になるな!」
藤堂の懐がキラリと光った。ナイフだ!
藤堂にしてみれば、チームをほとんど壊滅させられたも同然である。殺しても飽き足りない気持ちだろう。逆上したその顔は白目を剥いてまるで鮫のようだ。藤堂のあだ名は「シャーク」もしくは「ジョーズ」だな。
フィリョンはと見れば、あいつけっこう傷ついている。こめかみあたりから血も流れているし、左目の上あたりが腫れ上がっているのがわかる。けっこう無茶をやったんだ。
この二人の対決は・・・実にあっけなかった。まるで大人と子供の喧嘩だった。藤堂だって一応この辺りじゃ有名な「エンペラー」の西王支部の総長を張っている男なのだ。弱いわけがない。しかしフィリョンの強さはまるで次元が違った。
藤堂の突き出したナイフを持つ手を素早く取ると、そのままねじり上げナイフをはたき落とした。そしてそのままボディブローを一発食らわせると、藤堂は「ウッ」と呻いて胃液を吐き、その場にうずくまってしまった。わたしを失神させた男をあっけなく倒すなんて・・・何か複雑な気持ちだ。
しかしあいつの化け物じみた強さは認めるしかない。
これまでパトカーを壊した話だの、「九尾狐」のメンバー全員を丸坊主にした話だの、ヤクザと乱闘になったはなしだの、どうせ話に尾ヒレのついたフカシ話ばかりだろうと思っていた。しかし、この現実をみるとまんざらそうとばかりも言えないようだ。
「エンペラー」の残ったメンバーはバイクを起こし、退散し始めている。もう彼らがこの辺りを走ることは二度とないだろう。「エンペラー」の本部からの制裁もきっと彼らを待ち受けているに違いない。
フィリョンがわたしに近づいてくる。
「よう!怪我ねえか?」
その陽気な声はまるで天をつくようだった。たった今、乱闘を繰り広げた男の声とは思えない。
「・・・ねえ、あいつら全部あんたがやったの?」
「いや、そうでもねえ、オメーの仲間と高田先輩も結構やってくれたぜ」
そういうとフィリョンは「ターミー君」のバイクに飛び乗った。
「わたしたちを助けてくれたの?」
「・・・そうさ、ま、正確にいやあ、おめえがやられたのを見て、飛び込んだって感じだな」
「なぜ?」
「同じクラスの仲間じゃねえか、俺たちクラスメートだろ?」
バイクの爆音が響いた。フィリョンはわたしに向かって悪戯っぽくニッと笑って言った。
「それじゃあよ、井上礼子、また明日学校でな」
フィリョンを乗せたターミー君のバイクは、爆音を夜空に響かせ遠ざかっていく・・・ちょっと待て!なぜあいつら・・・フィリョンとターミーがつるんでいるんだ?
フィリョンといつもつるんでいるバイク野郎ってターミー君のことだったのか?
あの二人の間に一体何があったんだ?一体何が・・・?
「礼子、大丈夫か?」
北条さんが声をかけてくれた。
「・・・すいません北条さん、勝手なことしてしまって・・・」
「ハハッ、いいんだよ、気にするな。それよりあんたのクラスメートいい男だねえ、今度わたしに紹介しなよ」
「え?」
「まあ、別にあんたの彼氏、横取りするわけじゃないから安心しな」
キャハハハハッと豪快に笑いながら、北条さんは向こうに行ってしまった。そして「さあ出発だ!」とチーム全員に号令をかけた。
北条さん誤解だ、別にあいつはわたしの男じゃないし。あいつを紹介するのは別に構わないけど、あんな奴、北条さんが気にいるようないい男じゃないよ。本当に無茶苦茶な奴なんだから・・・。わたしは北条さんに、あいつと同じ民族の血が流れていると思われることが、なんだか一番イヤだな。
つまらない校則はどこの学校にでもあるけど、校則違反の罰則に差別がある学校はうちの高校だけだろうか?
今朝、千春というクラスメートが教室に入ってくるなり、「ワッ」と泣き出してしまった。いつも長い黒髪が綺麗な子だったのに、今朝の彼女の髪の毛は、まるでおかっぱ頭のように短かった。
今日は服装検査、持ち物検査の日だ。
この子は運悪く、校門の所で生活指導の「ソニック」に捕まったんだろう。
「ソニック」の意味?テレビゲームの主人公の名前だよ。ハリネズミなんだ。奴は頭がハリネズミみたいにツンツンしているから。ちなみに「ソニック」の本名は中原ね。
わたしやフィリョンには見向きもせず、千春みたいにおとなしい生徒ばかりを狙う嫌な奴だ。「ソニック」が、というより、この学校自体がわたしらみたいな生徒は放置、という方針をとっているフシがある。だからわたしの茶髪や、フィリョンのトサカなんて見向きもしない。「ソニック」なんてわたしとまともに目も合わそうともしない。生活指導の対象外、というわけだ。
千春にとっては災難だったが、しかし、なにもあそこまで短くすることはないのに・・・同じ女として少し許せない気持ちになった。
フィリョンが男子となにか相談している。「ターミネーター」の高田先輩が教室に入ってきてフィリョンの肩を叩いて耳打ちした。
只ならぬ空気だ。フィリョンの奴、また何かやらかす気なんだ。
フィリョンの後に続いて、男子たち四~五人が教室を出ていく。ターミー君も一緒だ。
あの人、本当にいつからフィリョンと行動を共にするようになったのだろう?「ダンプちゃん」との関係はどうなったのだろうか?まあ、わたしにはどうでもいいことだけど。
一限目の授業が始まっても、彼らは帰ってこなかった。
国語の授業で先生は、「ペキン原人」。女の先生だが、顔も髪の毛も、あれは「ペキン原人」だ。妙なイントネーションで授業を進める。生徒が騒いでも花札に夢中になっていてもまるでお構いなしだ。おかげでわたしは夜遊びの疲れをこの時間にとれるから、この先生の授業は非常に楽である(ようするにわたしの睡眠時間)。
こんな先生が多いから、私立の学校は生徒もやりたい放題で学力も伸びないんだろうね。
そして事件が起こった。
「ザブーン」という大きな水音が響き、何事かと生徒が皆一斉に窓から身を乗り出す。
わたしも眠い目をこすり、窓から顔を出すと・・・なんてことだ!
一台の自動車が海に沈んでいくのが見える。岸では五~六人の生徒が歓声を上げている。
沈んでいるのは赤のポルシェ、直感的にわたしはそのポルシェが「ソニック」の車だとわかった。うちの学校の先生で赤のポルシェに乗っているのは「ソニック」だけだからだ。
やがてその生徒たちは、しめしあわせたように散り散りになった。あいつらはフィリョンたちに間違いはない。しばらくすると先生が何人か駆けつけてきた。「ソニック」の姿も見える。「ソニック」は海の藻くずと化したポルシェを呆然と見つめ、やがてその場にへたり込み、頭を抱え込んでしまった。
わたしはとっさに千春の顔を見た。彼女は笑っている。今まで暗い顔をしていたのが嘘のように晴れ晴れとしている。わたしは思った。フィリョンの奴、彼女のためにやったんだな、と。いや、彼女のためだけではないかも知れない。今朝の服装検査は常道を逸していた。そして多くの生徒が「ソニック」の標的にされたという。千春を始め、そういう生徒たちの無念を晴らすために彼はやったんだ。ターミー君やクラスメートが、フィリョンに協力したのも「ソニック」の異常ともいえる行為に、反発や怒りを覚えたからだろう。
でも、だからといって・・・少しやりすぎだ。
クラスメートたちの声がする。
「中原、いい気味だね」
「天誅だ、天誅!」
「フィリョンがやったんだろ?」
「さすが、朝鮮人はやることがえげつない・・・」
わたしは「ペキン原人」の制止も聞かず、教室を飛び出した。
フィリョンの隠れている所は大体察しがついている。
校舎の屋上に物置小屋があり、彼はいつもその前でタバコを吹かしている。案の定、彼はそこにいた。物置の入り口は段差になっていて、彼はそこに腰掛けている。わたしは彼をひっぱたいてやるつもりだったが、不覚にも気後れするものを覚えた。
パトカーをぶち壊した男、「九尾狐」全員を丸坊主にした男、ヤクザと乱闘になった男、「エンペラー」の西王支部をぶっつぶした男、そしてつい今し方、教師の自家用車を海に放った男・・・並のワルじゃない。そんなワル独特の雰囲気というか、空気というか・・・間違いなく彼はそういうものをまとっていて、わたしはそれに気圧されてしまった。そこに座っている全喜鍛という男はそういう男なのだ。
全喜鍛・・・チョン・フィリョンはわたしの顔を見ると、一瞬、鬼のような形相を浮かべたが、すぐに顔をほころばせた。
「よう、かぐや姫のねえちゃん、昨日の夜は災難だったなあ」
「・・・聞きたいことが山ほどあるんだけど」
「何よ、やけに恐い顔しているじゃねえか」
わたしはフィリョンの顔をみて少し返答に窮してしまった。子供みたいに無邪気な顔をしている。まるで今までの悪行三昧が、他愛のないいたずらか何かにすぎないと思っているようだ。それは構わないけど、ただ・・・本名を堂々と名乗って、そういうことをしてほしくないのだ。
「・・・ターミー君とはいつからつるんでいるのよ?」
「は?ターミー君?」
「高田先輩のことよ!始業式の時、ここで揉めたあの人と!」
「ああ、あの人とはあの後いろいろあってよ、俺に女の前で恥かかされたとかって、また因縁つけられてタイマンになったんだ。それで何度か殴り合う内に意気投合してゃって、バイクにも乗せてもらったりで・・・俺、この辺に越してきたばかりだったから、高田先輩みたいな感じのつれがいなくってさ、あの人もどこか独りぼっちな感じだから、つい・・・・」
「・・・で、つい二人で夜な夜なやんちゃしちまったっていうわけ!?」
「うんそんな感じ・・よう、だから何怒っているのさ?」
「別に怒ってねえよ!で、ターミー君、ダンプちゃんとはどうなったわけ?」
「・・・は?ダンプちゃん?」
「あのデブのクソ女のことだよ!」
「知るかよ!別れたんじゃねえの?なあ、さっきから語気荒いぞ。やっぱり怒っているだろ?何が気にいらねえのさ?」
「あんたのやることすべてが気にいらねえんだよ!いや、別に好きにやりゃあいいさ!ただ、何で本名堂々名乗っておちゃめやらかしてんのさ!やめてくれっていいたいの!」 「・・・?」
「わたしも在日なんだ!国籍はあんたと違って韓国だけど。本名は李礼華と書いてイ・レイファ。わたしもこんなバカやっているけど、あんたみたいな恥知らずじゃない。本名は隠して生きているんだ。わたしの本名を知っているのは親と北条さんだけさ!あんたの存在は同胞には迷惑なんだよ!」
一瞬、フィリョンの体が倍近く大きくなったような錯覚を覚えた。それは彼が立ち上がったからばかりとも言えなかった。わたしが後ずさるのも構わず、フィリョンはわたしの前に大きく立ちはだかった。そして・・・なんとも言えない眼差しでわたしを見下ろしていた。
「なるほど、確かに俺は迷惑な奴さ、社会の仕組みの中じゃあな。でも俺は自分のやることに心にやましいことなんて一つもねえぞ。お前も二回くらい助けたしな。パトカーの話は・・・ありゃ大げさだ!いくらなんでも走っている車の上に飛び乗るなんてできやしない、たまたま高田先輩のつれがスペクターにいて、追い回されていたから、そのパトの前に回り込み、フロントを叩き割っただけだ。話に尾ヒレがついているんだよ。九尾狐もヤクザの話もそう・・・問題は俺の名前が朝鮮名だから、そんな話が大げさに伝わっているだけじゃねえのか?じゃあ俺が日本人だったらお前はいいっていうのかい?朝鮮人だから名前隠せ?お前言っていることがおかしいぞ。日本人だろうと朝鮮人だろうと・・・俺は俺なんだよ!」
パトカーのフロントを叩き割っただけでも十分凄い話だが・・・でも確かにフィリョンの行動は、高田先輩のつれを助けたり、千春の仇をとったりとずいぶんと人情泣かせな動機が多い。まあ、わたしも二回くらい助けた気になっているようだけど、わたしはそうは思ってないね。むしろありがた迷惑な感じがしたけど。むしろそれにかこつけて、ただ暴れたかっただけなんじゃ?という気もしないでもない。
「でも・・・わざわざ、チョン・フィリョンって名乗ることねえじゃん?そりゃあ、まずいだろ?」
わたしの嫌いな潮風が吹き、ボタンをしてないフィリョンの学ランが揺れる。いやな風だ!フィリョンがまた、大きくみえる。
「なにがまずいんだ?自分の名前を堂々と名乗って何が悪いんだ?俺たち朝鮮人には名前を隠さなけりゃあならない、後ろめたいことなんて一つもねえんだぞ!お前歴史も知らねえのか?俺たち在日の朝鮮人が日本でこんな不条理な生活強いられているのも、もとをただせば全部、昔日本がしかけた戦争や植民地支配に原因があるんじゃねえか!日本人のワルは自分の名前が堂々と本名を名乗れて、朝鮮人のワルは名乗れない・・・そんなバカな話はねえよ。それは逆に言えば・・・李礼華、お前は俺を差別しているんだ!そして・・・自分自身もな!」
去り際、フィリョンは「てめえに胸も張れねえなら、暴走族なんかやめちまえ!」と捨てゼリフを残して屋上から降りていった。
わたしは無性に腹が立ってしかたがなかった。でも、くやしいが、奴の言うこともスジが通っているような気がした。でもやっぱりくやしかった。あいつは自分に自信を持って生きている。本当にイヤになるくらいに・・・。ひきかえわたしは、自分に胸を張れないから、そして自信がないから・・・本名、李礼華を名乗れないのだろうか?
「俺たち朝鮮人には名前を隠さなけりゃならない、後ろめたいことなんて一つもねえんだぞ!」
フィリョンの言った言葉はしかし、多くの在日同胞が、共感は覚えても現実感として共有する人は少ないと思う。現実はそんなに生やさしくはない。フィリョンのように強く生きていける同胞は明らかに少数派。だから、わたしは奴に腹が立つんだ。
その日の夜、わたしは北条さんの家に遊びに行き、フィリョンのことを話した。
北条さんは言う。
「・・・少なくともてめえに胸張れねえハンパもんが暴走族やってると思うんだよね。所詮、暴走族なんて社会のクズ、いない方がましの落ちこぼれの集まりさ。みんなそんなこと承知で、交通違反犯して、かたぎの皆さんに迷惑かけまくりながら、バカやってるわけじゃん?それは日本人だろうと、在日だろうと関係ないと思うんだけど?あんたのクラスメートはナニ?自分がやってることが正しいと思いこんでいるわけ?その人の噂聞くととてもまともな所行なんて一つもないように思えるんだけど?でも自分は正しいわけだ?自分にやましい所なく、堂々と胸張れるくらいに、正しいと思ってるわけだ?」
そして例のごとくキャハハ、と笑う。
そう、フィリョンは自分が正しいと思っている。パトカー壊しても、教師の車沈めても、理由や筋道さえあれば、俺は正しい。なぜなら、俺様はチョン・フィリョンだから!
・・・やっぱりあいつはまともじゃない。いかれてるね!
もう考えるのはやめた!結論はでた。チョン・フィリョンはいかれてる!っと。
「あんたみたいなバカ娘、韓国の祖母ちゃんの墓の前まで連れて行って、土下座させてやりたいわ!」
また、クソババアが騒ぎだした。
北条さんの家で一晩明かして、しかも酒を飲んで帰ってきたとあれば、嘆くのも当たり前か?でも今に始まったことじゃああるまいし。
まだ、なにかグズグズ言っている。わたしは無視して部屋に入ろうとしたが、やめた。 クソババア・・・母ちゃんの顔をまじまじと見て、そして自分でも思いがけない事を言って、母ちゃんを驚かせた。
「どうでもいいけどさあ、韓国いつ行くの?本当に行く気あるの?わたし今年の夏休み、空けてもいいんだけど?」
わたしの韓国旅行記はまた、別の機会に話すことにする。イカレた同胞のこともまだまだ話足りない。これからあいつ、まだ事件を起こしそうだし・・・目が離せそうにない。ここに話した事件の数々は多少誇張はあるけど・・・全部事実だ。
「イカレたチョン公」全喜鍛が全ての発端なので、間違いない。
終