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夏の旅路

 

                                                      加藤康弘

                                  

 正輝は裏山の、町が見下ろせる高台で風を受けていた。遠く海も見下ろせる場所なので、西陽が水平の果てに傾いていくのもみえる。

 海鳴りの彼方に連なる雲が赤く染まり、そして太陽は、潮風の彼方に消え去ろうとしていた。

 正輝は地面に座り込み、頭を垂れたまま、みじろきもしなかった。

 どれほどの時間が経過しているのだろう。

 首筋から流れ落ちる汗もそのままに、ポタポタと地面に染みを作った。

 蝉の鳴き声は、いつの時代もこんなに騒がしかったのだろうか?

 木々の間からワアアーンと響く蝉の音は正輝の背を圧迫するかのようでもあった。

 いつからここにいたのかさえ、記憶の中で定かではなかった。

 やがて木に背をもたれ、仰ぐように顔を上げた正輝は「フー」と大きくため息をついた。ポケットからタバコとジッポーを取り出し、たいぎそうに火を点けた。

 吐き出す煙の先には黄昏ゆく町の風景。正輝の生まれ育った町である。

 正輝はこの町が嫌いだった。

 時代の変化に取り残された田舎町。

 正輝にとってこの町に残る思い出は、一言で言えば「胸糞の悪く」なることばかりである。

 小学生の頃、ふとした出来心で近所の駄菓子屋で万引きした事がきっかけで、両親をはじめ、周りの大人たちにいわゆる「問題児」という目で見られた。

 正輝にしてみれば、ほんの出来心だった。たまたまポケットに小銭がなかっただけだ。お金はあとで、駄菓子屋の親父に渡すつもりだった。

 正輝にしてみれば、本当に悪気はなく、そしてほんの出来心だったのだ。

 しかし周囲の大人たちは彼を許さなかった。

 正輝の実家は兄弟が多く、上に兄二人、姉一人がいたが、彼のような問題を起こす子どもは一人もいなかったのだ。

 なぜ、俺だけがいつも悪者にされてしまうのか?

 大人たちの視線に反発するように正輝は非行を繰り返した。

 万引き、窃盗はもちろんのこと、中学では教師に暴力を振るい、校舎の窓ガラスを破損してまわった。中学の先輩たちからは当然のように目を付けられ、集団で暴行を受ける日もたびたびあった。やがて登校拒否におちいり、家に引きこもる日々が多くなった。

 中学を卒業すると、高校には進学せず、家業の左官を手伝いながらも、町をぶらつくだけの日々が続いた。

 近所では当然のように悪評がたち、両親も半ば、放任した形になった。

 どんな田舎町にも一人はいるであろう札付きの問題児・・・この町での正輝の存在とは、そのようなものだったのである。

 そして正輝は今年で十六歳になる。

 ほろ苦いタバコの味は、暮れ行く真夏の町の風景に正輝の複雑な感情を呼び覚ます。

 正輝の両の目に涙が浮かんだ。

 沙織のことだ。

 彼女は正輝のおさなじみだった。そして今日、彼女に対して特別な想いが芽生えてしまったのだ。それはこの町を憎む正輝にとって、このうえなく不本意な出来事だった。

 その瞬間は前触れもなく、突然訪れたのである。

 

 

 佐織は正輝の二つ上の姉の親友でもあり、幼い頃は姉と沙織と三人でよく遊んでいた。

 彼女とはそれ以来の、腐れ縁のようなものだ。

 佐織はよくしゃべり、よく笑う女の子だ。そしてよく人をからかう。正輝も例外なく、その標的にされた。

 地元では有名な悪童、正輝をからかい、子ども扱いするのは佐織くらいのものだろう。正輝の上の兄弟でさえ、彼をもてあましているのだ。

 正輝にとって佐織は苦手な存在である。頭がよく、ひとの揚げ足をとるのがうまい。正輝が怒って凄むと、ヘラヘラと笑ってこたえている様子もない。

 そして決まって「おい、不良、あんまりバカなことやっていると親が首吊るぞ」と言ってクスクス笑う。

 正輝がタバコを吸い始めると、曰く「ウチのおじいちゃんみたいに肺ガンになっちまうぞ」と言い、またクスクス笑う。 

 万引きをはたらいたことを知ると、曰く「それくらい自分で買いなよ。けちくさい」と言い、正輝が怒ると、「くやしかったら、銀行強盗ぐらいやってみなさいよ。完全犯罪のやり方教えてあげるから」と物騒なことを平気で言う。そしていたずらっぽくまた、クスクスと笑った。佐織は正輝を全く恐れていないのだ。

 佐織は地元では有名な進学高校に通っていた。

 中学の頃は成績優秀で、運動神経もよく、男子にも人気があった。

 正輝のような問題児と優等生の佐織がなぜ、口をきける仲なのか、周囲の誰もが不思議に思っていた。

 佐織は今年で高校を卒業する。卒業後は東京の大学へ進学するという。

 ひきかえ正輝はこれからも、相変わらずの毎日が続きそうだ。そして今は夏も真っ盛りで、この時期は特に、日中、外の仕事が多い左官業の者にとって、厳しい日々が続きそうである。

 佐織が正輝のもとに訪れたのは、蝉の鳴き声も騒がしいちょうどそんな時期であった。

 

 

 「お前、仕事の邪魔だ、あっち行けよ!」

 「何言っているのよ、仕事なんかしてないじゃない」

 「今は休憩、休むのも仕事のうち」

 正輝は日陰で寝ころんでいた。彼の赤い汗ばんだシャツは、黒く変色している。日差しを受け続け、日に焼けた顔は無数に汗が吹き出ていて、休憩に入ってからもまだ、その汗は引いていない。

 ひきかえ佐織は、登下校に使用している自転車で風を受けて走ってきたせいか、その様子はいたって涼しげだ。しかしモノの一~二分で佐織の顔が汗ばんでくるのが、彼女を見上げる形になっている正輝にもわかった。

 こいつ何の用で来たのだろう?

 いかにもそう言いたげな正輝の表情にもお構いなく、佐織は機関銃のように喋り始めた。

 「今年はこの町で過ごす最後の夏休みなんだ、いまから友達と海に行くんだ、最後にいっぱい思い出つくるんだ、あんたのお姉さんも一緒よ。もう、毎日海で泳ぐんだから、日に焼けてしょうがないね。あんたの顔と一緒だね」

 俺のは仕事で焼けたんだ、遊んで焼けたんじゃない。正輝はそう言い返そうとしたが、言葉が出なかった。

 佐織の目が、まだもの言いたげだったからだ。

 しかし佐織は何も言わなかった。ただ、正輝の目の前で彼をみつめながら立っているだけだ。

 正輝は少し苛立った。それでいて不思議な気分に包まれてもいた。こんな佐織を見るのは始めてだからだ。

 「だから・・・何?」

 やっとの思いでついて出た言葉がそれだった。

 佐織はまだ黙っている。そして何か言いたげな表情は変わらないのだ。炎天下のもと、無数の蝉の鳴き声がこだまする中、ただいたずらに時間だけが過ぎていく。

 やがて佐織はプイッとそっぽを向いてしまい、「さよなら」と言い捨て、自転車に乗って走り去っていった。

 (何だ?あれは?)

 正輝は佐織の後ろ姿を首をかしげながらも、ただ、黙って見送るしかなかった。

      

 

 正輝の遊びの主流はゲームセンターがほとんどだ。

 中学の頃も、授業をまともに受けることのなかった彼は、毎日のようにゲームセンターに入り浸っていたこともあった。

 だから、佐織たちのように海にいくような、健全な遊びは中学にあがってからは、ほとんどしたことがない。

 姉貴や佐織たちと俺とは違うんだ、正輝はそう思うことにした。佐織は東京にも進学しようかという優等生、俺は高校にも行けなかった左官屋のせがれ・・・しかも札付きの問題児。所詮は住む世界が違うのだ。

 そんなことを考えながら、正輝は今日も町にただ一軒のゲームセンターで、一番お気に入りのゲーム機の前に座っていた。仕事が終われば、親にも気兼ねすることなく、ゲームに没頭できる。しかも中学生の頃とは違い、働いて得た自分のお金で遊ぶので、親も自分に文句は言えない。とはいえ、金を無心する時にも気後れや遠慮は全くなかった。

 コントローラーや、ボタンをせわしく動かしながら、それでも佐織のことがなぜか頭から離れなかった。

 佐織は俺になにが言いたかったのだろう?

 「最後の夏休みだから海へ友達と遊びに行く」という意味の事だったと思うが、それ以外のことは全く不明だ。

 そしてあの何かもの言いたげな表情の意味するところとは、一体何だったのか?

 今日は調子が出ない。すぐにゲームオーバーになってしまう。普段の正輝なら、延々と二時間くらいなら、一つの台で粘れるにもかかわらずだ。

 これでは小銭がいくつあっても足りないと、正輝は早々にゲームセンターを後にした。

 もうあと、小一時間は粘りたかったのだが、仕方がない。それも佐織のせいだと思うと、少し腹立たしいものを覚える。

 (あいつの家にいこうか?)

 佐織はともかくとして、彼女の両親がどんな顔をするか?

 彼女に会わせてもらえるだろうか?

 町で有名な札付きワルが、娘に会いにくればいくら幼なじみでもいい顔はしない。たとえ家に佐織が居たとしても居留守を使われてしまうかもしれない。

 (もう、友達と海に行っているかもしれない)

 正輝はそう思い直し、ゲームセンターの前の道路から海岸へ真っ直ぐに伸びる道路へ出て、ブラブラと歩きだした。

 見上げれば空は青く、入道雲が白くそびえ立っている。佐織が正輝の仕事場に現れたのが、正午を少した過ぎた時間だったので、あれから彼女が海へ出ていったとしてもおかしくはない。

 正輝は蝉の鳴き声が無数に鳴り響く炎天下の中、入道雲を見上げながらそこを目指して歩き続けている自分が、なぜかおかしくなった。

 俺は佐織に何の用事があるのだろう?

 今頃、佐織は友達と夢中になって波と戯れているはずだ。俺が行ったところで佐織は取り合わないだろうし、友達が俺を怖がるだけだ。今、佐織に会いに行ったとしてもしょうがないような気がしてきて、正輝の足取りはしだいに重くなっていった。

 昔は、この道を歩いて姉や佐織とよく海まで行って遊んだ。それこそ夏休みに入ると毎日のように・・・非行に走る前の正輝は確かに佐織とはよく遊んでいたのだ。

 さざなみの音が遠くから聞こえる。

 遠い、夏の記憶が鮮明に正輝の脳裏によみがえる。

 水平線の果てにそびえ立つ巨大な入道雲。

 正輝は必死に沖に向かって泳いでいた。浜辺では姉や佐織がなにやら叫んでいる。波間から垣間見える太陽はじりじりと焼けるように熱い。正輝が目指すのは、波に今にも消え入りそうな白い麦わら帽子だった。  

 風に飛んだ佐織の麦わら帽子だ。

 正輝の泳ぎもむなしく、帽子は沖へ沖へと流されついには見えなくなってしまった。

 いつの間にか、正輝は波打ち際に座り込んでいた。 

 麦わら帽子の消えた海を、いつまでも眺め続ける自分がいる。

 佐織が横に佇んでいる。  

 時折、小波が寄せてきては、佐織と正輝の足元を濡らした。

 「正輝、もういいよ」

 佐織は微笑んでいる。

 「また、ここに来ようよ。その時もう一度、あの麦わら帽子を探してくれる?」

 その日以来、佐織とは一度も海には行っていない。

 

 

 海岸線の道路から藪を抜けると海が開け、遙かな水平線が望めた。貨物船が東から西へ航行していくのが見える。穏やかな波の音とともに海は午後の日差しを反射して輝いて見えた。

 浜辺にでた正輝は、白砂を踏みしめるように波打ち際へ向かって歩いた。

 子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる。砂山を造ったり、砂浜に棒きれで何かを書いている。子どもたちの他には人影らしき姿は見えない。 

 佐織は海にはいなかった。

  

 

 姉の京子から、佐織がもうこの町にいないことを聞いたのはそれから数日後のことであった。

 東京の大学への入学の準備で予備校に通うため、予備校のある町の親戚の家にいるというのだ。夏休みの間はその家から予備校に通うのだという。

 夏休みが明ければまた帰ってくるというが・・・。

 (毎日海で友達と遊ぶんじゃなかったのかよ?)

 正輝は姉京子に佐織が数日前、仕事場に自分を訪ねてきたこと、この夏は友達と海で遊ぶのだと言っていたことを話した。そして京子も一緒だと。

 京子は首をかしげる。

 「そんな約束してないよ。あの子は大学のことで今、それどころじゃないはずだし・・・」

 「・・・・」

 「それにさあ、あの子そんな一緒に海で遊ぶような友達なんて学校にはいないはずだよ。前、進学校に入れたのはいいけど友達がなかなかできないって、そう打ち明けてくれたことがあったんだけど・・・」

 「はあ? なんだそれ?」

 「あの高校じゃ、本音でつきあえる友達ってなかなかできないって話だよ。なにしろこの辺りじゃ有名な進学校だからさ。クラスメートがみんな自分をライバル視してくるんだって。ああいう高校も大変だよね。クラスメートが全員競争相手なんだから・・・」

 京子は正輝の顔をまじまじとみつめる。

 「ねえ、正輝・・・佐織は友達と海に行くっていったんだよね?最後の夏休みだから思い出をつくるって言ったんだよね?」

 「・・ああ」 

 「その友達って・・あんたのことじゃないの?」 

 「はあ?何言っているんだ?」

 京子はため息をついた。

 「佐織は・・・あんたと海に行きたかったんだよ。最後の夏休みだから。ほら、昔はよく遊んだじゃない?わたしとあんたと佐織と・・・。夏休みになると毎日のように海に行って遊んだじゃない?佐織にとっては今年が最後だったんだよ。昔みたいにあんたと海に行って遊ぶのがさあ・・・」

 「・・・・」

 「もう、戻れないのかな? 昔のわたしたちのようには・・・・」

 その日、陽の落ちかけた夕方になっても蝉の音は、永遠に続くかのように鳴り止まなかった。

 何を思うともなく、ズボンのポケットに手を突っ込み、ブラブラと、家の裏手にある町の見下ろせる高台に登ったのもその後のことだ。

 

 

 蝉の音が正輝の背を押しているかのようだ。木にもたれて座っているのになぜだろう? この高台から見下ろせる海は、夕日を反射し淡いオレンジ色を湛えている。

 佐織のことが頭から離れない。

 彼女は来年にはもう、この町にはいないのだ。

 胸糞の悪くなる思い出ばかりの町だと思っていたが、そうとばかりも言えなかった。

 佐織がいたのだ。

 そしてあの海がある。

 あの海の彼方に消えた白い麦わら帽子・・・・。

 (またここに来ようよ。その時もう一度、あの麦わら帽子を探してくれる?)

 あの約束を俺はまだ果たしていない。

 (明日、もう一度海に行こう。探すんだ、あの白い麦わら帽子を・・・)

 きっとあの時より遠くへ、水平線の果てまで泳ぐことができるならば・・・見つかるはずだ。

 あの日、海の彼方にそびえ立っていた白い入道雲は明日も見えるのだろうか?

 流れ落ちていた汗は、いつの間にか引いていた。

 蝉の音は鳴りやまない。その町の見下ろせる高台を覆い尽くすかのような音響を背に正輝は立ち上がり、そして歩き始めた。 

 正輝が背にもたれていた木から、一匹の蝉が羽ばたき、西陽の彼方に消えていく。

 

                     

                    終

 

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