top of page

数日後のことである。

そこはスラム街の路地裏であった。路地裏は、大小様々な空間や広場があり、ギャングたちの溜まり場となっている場所も少なくなかった。

「ちっ、今日はしけてやがる」

ファングの舌打ちと重なるように、無数の硬貨がジャラジャラと音をたてた。

そこは、ビルの廃墟の中にある広い空間だった。ガラスのない窓から差し込む日差し以外は、その空間を照らす光はない。殺風景なその部屋は、骨に染みるような冷え冷えとした空気もそのままに、ヴァルハラ紙幣や硬貨を数えるファングたちを囲っていた。

「ファング、どうするよ?先月の分も支払いは済んでないんだろ?イワノフは許しちゃくれねえぞ」

この場所には、ファングの他6人の少年が屯していた。みな少年ギャングである。

そしてファングの手足とも呼べる子分たちであった。

彼らは、それぞれの得意先…ファングにとってユウキのような金ズルから巻き上げた金を、一旦持ち寄っていた。そして、上納先が納得いくような上納金が集まったか?計算し確認しているところであった。

上納先とは、この辺りを仕切るギャングのボス、イワノフである。

施設を出たファングが行き着いた先は、このスラム街だった。そのころに出会ったのがイワノフである。

イワノフは、少年たちにドラッグを売りさばくべく、ファングを少年ギャングのボスに仕立て上げた。イワノフはファングがこの街で生きていけるよう、彼に対してあらゆる生活の面倒をみてきた。しかしその目的は、彼を自分の手下として利用できる…そう見込んだからに他ならない。

イワノフはファングに恩を着せる形で、巧みに彼を己の手足とし、馬車馬のように働かせた。ファングはイワノフの企みに薄々気づいてはいたが、自分がこの街で生きていく上ではどうにもならないと、その状況を受け入れるしかなかった。

彼にできることは、子分を増やし、金ツルを増やし、そして定期的な上納金を上回るよう、出来る限り多くの金銭を巻き上げ、残りの金で潤った生活…酒や、女や、そして仲間同士の博打。それに明け暮れることであった。

それは明日の見えない日々でもあった。

しかし…ファングには、どうすることもできない現実だった。

ファングは投げ出したかのように、床に仰向けになった。

「それより、ユウキだよ。聞いたか?あれからよう、あいつ、あの弾き語りの変わった女と、とうとうねんごろになったそうじゃねえか。あの女が現れる“バベルの墓所”に毎日通って、いやいちゃしてるらしいぜ。まったく、こっちは女日照りだっていうのによう」

子分の1人が、ふてくされた顔で吐き捨てた。

「へっ、あんな奴のどこがいいんだか。でもよう、あの女、見たことあるか?可愛い顔してるんだよなあ。ああ、抱きてえなあ…」

「よせよ。薄汚ねえなりしてるし、弾き語りなんかやってる変わった女だぜ。俺はごめんだね。ユウキには、お似合いなんじゃねえの?」

子分たちは、下品な声で笑った。

「…」

ファングは無言で天井を見上げているだけである。

「よう、ファング」

子分の1人が声をかけた。

「あの女、使えねえかな?あの女の歌を聴きに集まってくる奴も多いし、そいつら相手に商売するんだよ。まずは、ユウキのやつを脅してよう…」

 「あ?いつの話だ?今はあまり聴きにくる奴はいないってよ。ユウキ以外は…」

するとファングは飛び起きた。そしてその子分を殴った。

「いて!何するんだよ?」

ファングの瞳から獰猛な光が燃え上がっていた。

 「うるせえ!俺の前で、ユウキの話なんかするんじゃねえ!」

 そしてファングは立ち上がり、茫然とする子分たちを尻目に、部屋の片隅にある古びたドアを開け、足早に去って行った。

 足下がおぼつかない感覚には、慣れたつもりだった。

 それでも一歩、赤い大地を踏みしめるたびにふわりとして、まるで水の中に足を入れたように感じる。

 ユウキの目の前には、広大な緑地が広がっている。そのひとつひとつが、芋の葉であり茎であった。火星の風土に合わせて品種改良されてきた芋は、その大地にそびえ立つ巨人たちの手によって育てられていた。

「お~い」

 巨人の一人が手を振っている。そして手招きしてユウキを畑に招き入れた。

「今月もお願いします、シェーンさん」

ユウキは帽子をとり、頭を下げた。

その巨人…シェーンは、額に汗をにじませながらニコリと笑い、左手に握った大振りな芋をユウキの目の前に差し出した。

「どうだ。今月もなかなかいいできだろ?ここの畑は半年前に種芋を植えたが、手をかけた分、芋も大きくなったよ」

ユウキは目を輝かせた。

「大きいですね。取引先も喜びます。焼き芋を楽しみにしている子どもたちも驚くだろうなあ」

「はは、あちらにもっといい芋がある。今日はそいつを分けてやろう」

「ありがとうございます」

シェーンは肌が黒い。本人曰く先祖はアメリカという昔の大国の出身で黒人と呼ばれた人々だったらしい。さらに先祖を辿れば、アフリカ大陸に起源があるらしいが、本人は「今は火星人さ」とうそぶいて、それ以上の話はしなかった。

「君がお父さんの商売を継ぎ、わたしたちの所にきて、もう一年は経つかなあ…」

シェーンは歩きながら、のんびりとした口調で空を見上げた。

「はい。本当にお世話になっています」

ユウキは畑の畝を早足で歩く。畝はユウキの腰の高さほどもあった。そんな場所を、シェーンのとなりで彼を見上げながら歩くのは、なかなかに骨が折れた。

「君のお父さんは本当に良い方だったよ。そして筋道の通った人だった。だからわたしたちは君のお父さんを信頼して取引を始めた。でも…気の毒だったね」

「…」

「おう、すまんな。君につらいことを思い出させてしまったかな?でも君はえらいよ。そんな若い時分からお父さんの跡目を継ぐなんて並大抵じゃできない」

広大な畑には、背をかがめて作業をする巨人の人々があちこちに見える。その中の一人が「おう、シェーン。景気はどうだ?」と声をかけてきた。

シェーンは軽く手を振り、「はは」と笑う。彼の挨拶はいつもそんな感じであった。

「ユウキくん、どうだい?わたしたちの畑は?とても広いだろ?」

「はい。いつ来ても驚かされます」

ユウキは汗をかきながら、必死でシェーンのとなりについて行く。彼はのんびりしているが話したがりなので、常に彼のとなりにいなければならない…それはユウキなりの気の使い方だった。

そんなユウキの気持ちを知ってか知らずか…シェーンはいつもの調子でとつとつと話す。

「わたしたちの先祖がこの火星にきた当初は、赤茶けた荒野が広がる大地だった。テラフォーミングが進み、大気や水が戻ったとはいえ、まだ火星はこんな植物の栽培ができるなんてほど遠い世界だった。シダやコケ類、原始的な巨木は生えていたが、土地そのものはとても痩せていたんだ。それを先祖の人々は木を燃やし、炭や灰をつくり、それを赤い大地に蒔いて耕し、少しずつ土を肥えさせていったんだ」

シェーンは遠い目をして遙かな過去に想いを馳せていた。

「それが今はどうだ?こんな大きな芋が採れるとても豊かな大地になった。わたしたちは先祖にとても感謝しているよ」

「はい…ぼくも…とても助かっています…シェーンさんの先祖のみなさんのおかげです」

ユウキは息継ぎをしながら必死に答えた。

「そうだ。先祖には感謝しなければならない。これだけの豊かなものをわたしたちに残してくれたのだから…。そう、足りないものなんてない…」

シェーンは一瞬、悲しげな顔をして押し黙った。

「わたしたちは、この星の重力の影響でこんなに大きな体になってしまった。しかし、わたしはそれでいいと考えている。人間は自然の摂理に沿って生きなければならない。地球が住めない惑星になり、多くの人類が火星に移住した。わたしたちはその遙か以前からこの星に住み、世代を重ねてこの体になった。寿命も地球で生きていた頃よりも短くなってしまった。しかし、同時にこの大地も豊かにしてきた。しかし地球から逃れてきた人々は違った。街を造り、工業プラントを造り、体を人工物に変えた。そしてみな戦争やテロや土地の奪い合いで、同じ人間同士、傷つけあっている。そんな不幸な人々に限ってわたしたちのような異形の者を、ミュータントと呼んで蔑む…」

「…」

「悲しいもんだ」

シェーンの横顔に哀愁を感じてユウキは、何も言えなかった。

「でも君のお父さんは違うよ。わたしたちを見ても決して恐れず、蔑む目もしなかった。対等にわたしたちと接してくれた。わたしたちは他にも取引先があるが、みなどこかでわたしたちを蔑視しているきらいがある。なかにはあからさまな態度や物言いで、わたしたちを馬鹿にする輩もいる…」

シェーンは足元で必死についてくるユウキに、ニコリと微笑んだ。

「だから、そんなやつらには上等の芋はくれてやらないんだ。君と君のお父さんだけには極上の芋をわけている」

そう言うと彼は「わはははは」と笑った。

「むこうがわたしたちを差別しているんだ。せめてこちらは、それくらいの事をしても神様は咎めないさ」

シェーンはそう言って、しゃがんだ。ユウキが何事かとびっくりしていると、彼は長い腕を伸ばしそのままユウキを抱え上げた。

「どうだい、ここからの景色は?畑がよく見えるだろう」

シェーンは身の丈三メートルを超えている。太陽に照らされ緑の光豊かな芋畑は、淡い雲がたなびく空とあいまって壮大であった。

「成層圏にオゾン層を人工的に創り上げ、この星を温暖化して生命の住める星にした人類は偉大だよ。しかし、今の人類はだめだな。みな私利私欲にまみれている…」

シェーンはまた悲しげな眼差しをして表情を曇らせた。そんな彼の顔は今、ユウキの目の前にある。ユウキはそれをただ見つめるだけだった。

「ユウキ君、今からわたしが話すことを聞いてくれないか?」

「…はい」

「これは君のお父さんに常に話をしてきたことなんだ。君もずいぶん大きくなったから、わたしの話は理解できるだろう。だから是非、君にも伝えたい。街に住む為政者たちは、この火星で人類がいかに歩んできたか…それ以前の地球の歴史はどうだったのか…それを正しく伝えようとしないからね」

「…」

「わたしが今から話すことは、わたしたちの伝承だ。もちろんすべて正しいとは限らない。ただ伝承では、火星をテラフォーミングした当時の人類のことをこう伝えているんだ。その当時、地球は貧困も差別も戦争なかった。そして幾つもの国々が宗教や人種、国境を乗り越えて民主的な営みを続けていたと…。民主的という言葉はわからないかもしれないが、要はみんなで話し合い、国や国どうしの様々な問題や、どう人類の社会を造るのか。それをみんなで決めていくということだよ。今の火星では考えられない社会だがね。それこそ、戦争やテロや民族差別などとは無縁だったんだ」

ユウキはシェーンの言葉を一つ一つ飲み込みながら、黙って彼の言うことを聞いていた。

「その当時の地球で一番の問題は、人口の増加による食料問題だった。そこで人類はこの火星を地球に似た星に造り変えた。火星はかつて海も森もなく、凍てつく赤い大地が広がる荒涼とした惑星だった。しかし、そんな火星を人類は、叡智の限りを尽くして生命が宿る星に造り変えたんだ。ただ人類が住めるようになるまでには、かなり時間がかかったがね。やがて火星に水があふれ、海ができ、緑が育まれるようになった頃…徐々に人類が移り住むようになった。わたしたちの先祖のようにね。ただそういう開拓者はあまり多くなかった。この星は地球からあまりに遠すぎたからだ。しかし…そんな地球にも大きな異変が訪れた。巨大隕石が衝突して地球は壊滅的になり、人類や生命の大半が絶滅した。そして人類の住めない星になったんだ。生き残った人々は、どこかに移り住まなければならない。そこで巨大な宇宙船をいくつも造り、星の海を渡ってこの火星に移民したんだ。それが火星歴以前の人類の歴史さ。だが…やがて人類は限られたこの星の資源を巡り、争うようになる。そして…」

「…」

「火星は今のありさまだよ…」

シェーンはため息をついた。

「だからこそ、若い君に真実を伝えたかったんだ…うん、どうした?はは、こんな話はなかなか聞き慣れないことだろ?頭が痛くなったかな?なにしろこの星は、金持ちや役人など、一部の者しか教育が受けられないからな。人が地球に住んでいた頃は、どこの国でも子どもなら無償で学校に行けたし、歴史などは人類の成り立ちから丁寧に教育されたらしい。まったく、うらやましい限りだねえ…」

ユウキはかぶりを振った。

「いえ…そうじゃありません。僕は無学ですが、育った施設で一応、一通りの事を勉強させてもらいました。主にイスラムの教えに沿ったものですが…。でも、いまシェーンさんが話したことは、確かに教えてもらってはいません。でもそうじゃなくて…違うんです…」

シェーンは怪訝な表情でユウキの言葉を待った。

「シェーンさんなら、多分信じてくださると思って話しますけど…」

ユウキは思案し、どう言葉を選ぶべきか迷った。

「僕は…どう言ったらいいのか…今、シェーンさんがお話してくださったことを、ある女の子に教えてもらったんです」

「…!」

シェーンは驚いた表情でユウキを地面に下ろした。

「教えてもらった?女の子に?」

「…はい。でも…それは…なんと言ったらいいのか…」

「ああ…」

なにか思い当たる節があるのか、シェーンはユウキの言葉に深くうなずいている。

「彼女はギターを弾くのだろう?」

ユウキは驚いた表情で目を見開いた。

「はい、そうです。なぜ解ったのですか?」

「はは。解るとも」

シェーンは、腰に手をやって大きくのけ反るように笑った。

「君の言わんとすることは、わたしにはわかるよ。なぜならわたしは、君が出会った女の子を知っているからさ。彼女が君に伝えたこと…それは言葉ではなく、彼女の音楽を通して、君の頭の中にビジョンとして現れた…そうだろ?」

ユウキは驚いてただうなずいた。

「そうか…。君は…」

「…」

「オージンに会ったのだな」

シェーンの静かな言葉は、どこか神秘的な韻を含んでいた。ユウキは三メートル頭上にある彼の顔を思わず凝視した。

「わたしも彼女…オージンに会ったことがあるんだよ。わたしが歳も若かった頃だがね。もう二十年になるかなあ…」

シェーンは懐かしそうな表情で空を見上げた。

「二十年?二十年前ですか?ありえない。彼女は僕とそんなに歳が変わらない。でも…確かに彼女は、他の誰とも違う感じはします。人間でもサイボーグでもアンドロイドでもない…」

シェーンは大きくうなずいた。

「そうだ。彼女はこの火星でも特別な存在なんだよ。そう、オージンはこの星に三人しか存在しない…彼女はそのうちの一人だ」

そしてシェーンは腕を組み、思案した。

「…ユウキ君…君も憶えておいたほうがいい。もちろん、わたしも全てのことを知っているわけではないが…わたしたちの一族は火星に長く住んできたから、君たちのような街部の人間よりは、はるかに多くのことを知っている。そして確実に言えるのは…この星の三人のオージンのうち一人は彼女、もう一人はアルフハイムに居て…最後の一人は、君の住むヴァルハラ、そこを永く支配している者なんだよ」

ユウキはまさか…と思った。

ヴァルハラの太守が誰なのかは知っている。

カルロスというイスパニア系の男で、太っていることで有名だ。

「わたしが言っているのは太守のことではないよ。太守など、その者の操り人形さ。その者はヴァルハラの…いや、火星すべての経済を動かしていると言ってもいい。それ以上のことは君にどう説明したらいいのかわからないが…ただ確かに言えることは、同じオージンでも二人は相反する存在…。しかし…そんな彼女がヴァルハラに現れたということは…」

シェーンはしばし思案し、そしてかぶりを振った。

「悪いことは言わない。彼女にはあまり関わらないほうがいい。君の身の安全のためだ。彼女は都市国家だけでなく、火星のあらゆる場所に現れる。そして失われた過去の歴史と文化をつむぎだし、歌い、そして人々に伝承していく…。ただそれは、ヴァルハラの支配者であるあの者にとっては、とても許し難いことなんだ」

ユウキは理解に戸惑った。

あの彼女が、アローラが…?オージンと呼ばれる存在で、しかもヴァルハラの支配者と敵対している?

それはどう考え、どう受け入れればいいのか?

確かに彼女は、理解を超えた不思議な力を秘めている。彼女の奏でるギターは、ユウキの気を狂わせるものもあった。

しかし一方では、彼女の奏でる歌とギターの音色がユウキに安らぎを与えた。過去の悲しみと日々の疲労…それを癒すのが彼女の音楽であり、彼女の存在でもあった。

思案にくれるユウキをよそに、シェーンは唐突に明るい声をあげた。

「おう、ここだ。ここら辺の芋は特上だよ。好きなだけ採っていくがいい…」

ユウキは浮かない顔をしながらも、シェーンへの感謝の言葉を忘れなかった。

「はい…ありがとうございます」

そんなユウキにシェーンは心配げな表情を見せた。

「ユウキ君…。君がかのオージンと、どのような関わりを持っているかは知らないが…。わたしは君のお父さんのように君を失いたくないんだよ。その気持ちはわかってくれ…」

そんなシェーンをユウキはすがるように見上げた。

シェーンさん、僕は…彼女と毎日会ってます。まだ友だちというほどでもないけど、でも友だちになりたい。彼女の歌は、音楽は…」

シェーンは無言で、ユウキを見下ろしている。その表情は、悲しげな色を帯びていた。

「彼女は、君に自分のこと…生い立ちや、なぜ弾き語りをしているのか?自分が何者なのか?なぜ、超常的な力があるのか?その身の上を君に話したか?」

ユウキは頭を振った。

シェーンは溜息をついた。

「彼女は、自分と君が異なる存在だと理解しているから、君と距離を置いている。その距離は君がどんなに望もうとも縮まることはないんだ」

ユウキは頭を垂れてうつむいた。

「…シェーンさん。オージンというのは一体?」

「…失われたテクノロジーで人工的に造り出された神だ」

シェーンは言葉を短く切る。それは話したがりの彼には珍しいことだった。

「今はそれ以上、君に伝えられる言葉はない。言っただろう?わたしは君たちより多くのことを知ってはいるが、全てではないと。すまないな…」

「…」

いつの間にか日は傾き、辺りを黄昏色に染めている。そして畑には大小二つの影が細長く伸びていた。

 

                                                                                                                                 (つづく)

© 2023 著作権表示の例 - Wix.com で作成されたホームページです

bottom of page