
ヴァルハラ中心街は眠らない街である。
繁華街では色彩豊かなネオンが輝き、飲食店や水商売の客引きが店頭に並ぶ。その通りを仕事帰りのビジネスマンや労働者、若者たちが所狭しと行き交っている。エインたちは、人混みを避け、迷路のような裏道をひた走っていた。目の前には巨大なターミナルタワーが黒々とそびえ立ち、行き交う飛行艇を照らすライトが眩しく光っていた。
「おい、大丈夫か?」
エインは立ち止まり、ユウキの顔を覗きこむ。
スぺクターの追跡を振り切り、この繁華街に入ってからユウキは、エインとライアに走ってついてきた。しかしそれも限界となり、今はエインに背負われている。しかしユウキの息づかいが荒くなり、溜まりかねたエインは彼を下ろし、その症状を確かめているのである。
ユウキの体力は限界にきていた。意識は朦朧とし、視点はかすれぼやけている。
ライアは、冷たい視線をユウキに投げかけていた。
「エイン、この子は限界よ。もうこの場に置いていこう」
「ライア」
エインの言葉は短かったが迫力があった。そして無言の圧力をかけてライアをにらむ。
「坊主、じゃなかったユウキ。ここで終わりにするか?心配するな、俺はライアのような人でなしじゃない。この中には、人間の良心ってものがちゃんと残っている」
エインは自分の頭を親指でつついた。
「そこら辺のバーに駆け込んで、病院なりに搬送してもらえばいい。まあ、どうするかはお前次第だがな」
「…」
「こうしていても時間がもったいない。さあ決めろ」
「アローラは…」
ユウキは片腕に力を込めてエインにしがみついた。
「俺に助けを求めている。俺が行かなきゃ…だから…エイン。もう少し頼む」
「アローラは、まだお前を呼んでいるのか?彼女の居場所はわかるのか?」
ライアは腕組みをしてユウキに尋ねた。
「ああ…呼んでいる。あの子がどこにいるのかも…俺にはわかる」
「そうか…決まりだな。ただしお前がくたばったら、その辺の路地に捨てていくからな。お前の生死は、お前が責任を持て」
「わかってるよ。好きにすればいい…」
その時である。
頭上で轟音が鳴り響いた。
思わず見上げるとターミナルタワーの頂上が、花びらのように開いていくのが見える。
「…!あれは!」
「あそこはターミナルタワーの星船発射施設だ。エリスは星船を出そうとしている!」
ライアが珍しく、大きく声を張り上げた。
「…ダイモスだ。あそこは地球や木星に行ける船がある。やつらの狙いは…」
エインはその蒼い目を大きく見開き、強く拳を握りしめた。
「急ぐぞ!アローラがあの船に乗せられたら終わりだ!」
そう言うが早いかエインはユウキを背負ったまま駆けだした。ライアも後に続く。
ターミナルタワーは禍々しく異様な変化を遂げ、不気味な静けさで佇んでいた。
「あっ!」
アローラは小さな声で短く叫んだ。
そして演奏を止め、ギターを胸に抱きしめ目を閉じた。
後悔にも似た感情が、胸に去来するのを覚える。
(エイン、ライア…それに…)
アローラはギターを抱く腕に力を込めた。
(ユウキ…来ては駄目)
ターミナルタワーの最上階近くに身柄を移されたアローラは、簡素な部屋でギターを奏でていた。スぺクターの衛兵が、武器を構え彼女を監視している。ここは普段は荷物室に使われている部屋だった。
(わたしのせいだ…。このギターが、わたしの演奏が彼をここに誘ってしまった)
近づく彼らをもう止める手段はない。ブレードやスぺクターは容赦なく、ユウキに襲いかかるだろう。エインとライアなら心配はない。むしろスクラップの山を築き、ここまで切り込んで来ることも可能である。
しかし…ユウキは?
彼が大きな怪我を負っていることをアローラは知っている。ただでさえ普通の少年では危険な女神(エリス)の領域に、深手を負った彼が踏みこんでくることは自殺行為に等しかった。
(エインが彼を利用しているのね)
アローラの瞳に怒りの色が灯る。
(だからわたしは、彼と行動を共にしたくないんだ。ユウキに何かあったら許さない…)
その時、部屋のドアが開いた。
入ってきたのはブレードである。
「アローラ様、お時間です。あなたの頼もしい騎士(ナイト)がここを目指してタワーを昇ってきていますよ。彼らの相手はわたしが致します。エリス様が先に星船でお待ちですのでどうか速やかにご搭乗を」
そしてニヒルな笑みを浮かべ、殺意のこもった眼を光らせた。
「彼らを始末したら、わたしは別の船で後を追います。木星船ユミルを動かすことができたら、共に地球へ参りましょう」
広いスペースの貨物用エレベーターは高速で上昇を続けている。
このエレベーターに通じる通路は封鎖されていたが、エインの工作でいとも容易く侵入することができた。
薄暗い室内には、申しわけ程度に白い室内灯が備えてあるので、お互いの顔は見えるのだが、人工物でつくられたエインとライアの表情を見る限り、彼らが何を考えているのか、窺い知ることはできなかった。ただこの二人に焦りがあるのは、ユウキも充分に感じ取ることができた。
ユウキ自身も焦っている。
不思議なことに、限界に近かったユウキの体力は戻っていた。アローラをなんとしても救い出さなければならない!そんな彼の意志と気持ちが力を漲らせているのか?
ただ今の彼には、アローラの“声”を感じ取ることができなくなっていた。だから不安げな表情を浮かべ、エレベーターの入り口をただ見つめることしかできなかったのである。
「…心配するな。あいつは間違いなく最上階にいる。星船が発射する前に救出することもできるさ」
エインがユウキの肩にそっと手を乗せた。
「…」
ユウキは意外な顔でエインをみつめた。
彼の体は100%人工物ではなく、脳は生身らしいが、それでもこんな気遣いができるのは不思議な気がした。やはり全身を人工物に変えてしまったライアとは、根本的に何かが違う。脳が生命の根幹を成すものだとしたら、それらを残すエインは間違いなく「人間」なのだろう。
やがてエレベーターは最上階に到達した。扉が開くとそこは、大小様々なコンテナがまばらに集積された、とてつもなく広い空間だった。
「軍の貨物置場だな。この下は軍用定期便の発着施設だ。おそらく、あのコンテナの中身は銃や弾薬だろ」
ライアは腕を組み、コンテナの山を見つめている。そして無造作に近くのコンテナに近づきつぶやいた。
「…何か使えるものがあるかもしれない」
コンテナを開き物色を始めるライアを、エインは呆れた表情でみやった。
「そんなことは後にしろ。上に昇る階段かエレベーターを探せ…あ?あれか?」
エインは、その奥にさらに上へ昇るエレベーターを見つけて、そこを指差した。
「星船の発射施設はこの上だ!」
確信に満ちた声を上げたエインは、そこに駆け寄り、機器を操作してエレベーターを降ろす。
その時である。
ライアのセンサーが何かを感知した。
「エイン!気をつけて!」
ライアが叫ぶと同時に、鉄製の扉が開いた。
「…!」
「お前は!」
長身で筋肉質の体。長く伸ばし放題の髪をまとめ上げた異様な模様のバンダナ…。
それはまぎれもなくあの男だった。
“火星の夜明け”の首魁ブレード。
エインとライアが長年、戦いを繰り広げてきた仇敵。その彼が今、エインたちの前に姿を現したのである。
「久しいな、エイン、そしてライア。スレイプニル号以来になるか…。時間が惜しい、もはや語るまい。ここがお前たちの墓場だ!」
その刹那!
金属音が鳴り響き、ブレードとエインの刃が火花を散らした。その肩口を切り裂かんばかりの斬撃は、エインの刃に阻止された。バランスを崩しながらも受け止めたエインは、素早く後ろに後ずさった。そして距離をとり油断なく構える。
続くブレードの一撃は、横殴りの斬撃だった。ブレードの動きは、まさに肉食獣そのものである。その牙がエインを捉えたと思われた次の瞬間、ブレードとエインの位置が入れ変わった。エインはそのままブレードの背中を蹴り上げ、貨物室の奥へとはじき出した。
ライアの二丁の銃がブレードに狙いを定め、火を吹いた。二つの弾丸がブレードを貫いたかに見えたが、彼は仁王立ちで凶弾を弾き返した。
ライアはひるむことなく、その銃口をブレードに向け撃ちつづける。轟音が鳴り響き薬莢がいくつもはじかれた。ブレードは弾丸を躱しつつ、貨物の陰に素早くその姿をくらました。
「ライア!」
エインはそう叫び、ライアを制止した。
「奴は体を、鋼鉄化する能力を格段に上げている。しかも肉体の再生能力もある。お前のその銃でもあいつを仕留めるのは難しい。あいつを倒せるのは、この刃を持つ俺だけだ。お前は、ユウキを連れてこのエレベーターに乗れ。そして星船を目指せ!」
「…」
ライアはその表情を変えず、黙ってエインを見つめた。
「命令だ。ユウキを必ずアローラの元に連れていけ」
エインの言葉には、二言を許さない響きがあった。
「わかった」
そう答えてライアは乱暴にユウキの手を引く。
「痛い!離せよ!」
そう叫ぶユウキに構わず、彼をエレベーターに引っ張り込んだライアは、そのまま鉄製の扉を閉めた。
上に昇る音を聞いて、エインは安堵の表情を浮かべた。
しかしそれもつかの間だった。蒼い眼を爛々と輝かせ、ブレードが潜むコンテナを睨む。
「さあ、おっぱじめようぜ。いつまでも鼠みたいにコソコソ隠れているんじゃねえ。スレイプニル号以来の決着、今ここではっきりとつけようじゃねえか!」
数世紀もの長きにわたり、幾度も繰り返されてきた二人の死闘…。
それはより激しさを増し、今再び始まろうとしていた。
その星船はセラミック製だった。船体は発射場のライトに照らされ、鈍い白色に輝いている。シャトル型で全長は五十メートルほどだが、単独で火星の重力を振り切り、衛星ダイモスにたどり着くには、充分な性能があった。
アローラは、スペクターの衛兵に銃をつきつけられ、垂直に立つ星船の上部に開いた入り口への階段を昇っていた。階段の角度は緩やかだが、足首の“グレイプニール”が歩行を妨げていることもあってか、まるで死刑台へ一歩ずつ歩かされているように、その足取りは重かった。
警備は物々しく、星船をぐるりと囲むように走る通路には、銃を構えたスペクターが二十体ほど配置されていた。
アローラには解っていた。
エインは下の階でブレードと闘っている。星船に荷を運び入れるフロアには、エレベーターがあり、そこからライアが来る。ユウキも一緒である。その扉が開いたとたん、スペクターは銃を一斉に掃射するだろう。
(お願い、ユウキ。来ないで…)
アローラは目を閉じた。オージンたる彼女でも未来を見通す力はない。しかし今のままでは最悪の未来が訪れる可能性のほうが高い。そして“神”であるはずのオージンが“神”に祈るしかないという皮肉な状況でもあった。
星船を宇宙に打ち上げるこの最上階の施設には、コントロールセンターが備わっており、そこではコンソールを忙しく操作する、一連の作業がほぼ終了していた。そして…コントロールセンターから数字を読み上げるアナウンスが流れ始めた。星船が発進するまでのカウントダウンが始まったのだ。
アローラが乗り込む前に、それが始まったということは、彼女の守護者であるエインとライアが間近に迫り、エリスらの脅威となっている証拠でもあった。
と、アローラが足を止めた。
(…来た)
同時に鉄の扉が開いた。
それに反応したスペクターが一斉に銃口を向ける。
しかし中には誰も乗っていなかった。
その時!
轟音が鳴り響き、シャフトに近い位置にいたスペクターの体に、大きな穴が開いた。
そこは何もない空間だった。続けざまに凶弾が火を吹き、スペクターを襲う。早くも七体のアンドロイドが機能を停止し、導線や潤滑剤が飛沫となって飛び散った。
スペクターたちも銃を乱射し、応戦を開始した。しかし敵の位置を正確に掴むことができない。弾丸がむなしく跳ね回り、床を無数に散らばった。
「アローラ!」
ユウキの叫ぶ声が、アローラの耳をついた。
「ユウキ!」
その声のする方に振り向いたアローラも、思わず叫んだ。
そして通路の陰に隠れる、ユウキの姿を視認した。
彼は発光するジャケットのようなものを羽織っている。それは、彼の体にはやや大きめの光学迷彩ジャケットだった。
ライアが下の階でコンテナを物色した時に見つけた代物である。そしてライアも同じものを羽織っていた。彼女はスペクターの視認を封じ、まさに災厄となって、一方的な凶弾を浴びせているのだ。
しかし彼らのスクラップをいくら増やしても、次々と新手が現れた。それにともない、銃の掃射は一段と激しさを増してくる。敵の猛攻にユウキも、そしてライアさえアローラの元に近づくことはできなかった。
その時であった。
何を思ったか
アローラは肩からギターを外した。そしてユウキに向けて、自らのギターを投げたのである。そして彼女は叫んだ。
「それを!ナターシャのもとに届けて!お願い!」
ユウキはそれを必死でキャッチした。
そんなユウキを狙うかのように、スペクターの銃撃が激しさを増して襲いかかった。その瞬間、ライアが疾風の如く駆け込み、ユウキを拾い上げた。そしてハンドガンを撃ちなが安全な場所へ移動する。
アローラはその様子を一瞬たりとも見逃さなかった。
そしてユウキの安全を確認すると安堵の表情を浮かべる。それを遠目に見たユウキには、なぜか彼女が寂しげな微笑みを浮かべたようにも見えた。そして衛兵に促されてアローラは星船に姿を消した。
「アローラ!」
ユウキは叫び、ライアを振りほどこうともがいた。その足元にスペクターの放つ無数の銃弾が無慈悲に飛び跳ねる。カウントダウンが終わりに近づき、やがてロケットブースターに炎が点灯する。
そして…カウントダウンが終った。星船は激しい轟音と膨大な煙、そして爆風を放ちながら上昇を開始した。その頂の先には星の海が無限に広がる。火星の寒い夜空に飛び立つそれをもはや止める術はなかった。
「アローラ!」
彼女の名を叫ぶユウキの声が虚しく夜空に響く。
星界の果てに消えゆくその星船は、流星の如く輝きを増し、天を駆け上っていった。
(つづく)