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それは山というには、あまりに平らで広大だった。

 太陽系最高峰のオリュンポス山の地面や岩肌には霜が降り、どこまでも雪景色のような白銀の世界が続いている。やや傾斜しているが、この遥か先に山の頂があり、火口が巨大な口を開けているなど、とても信じることはできない。それがこのオリュンポス山である。

 銃を構え、岩肌に身を寄せるファングの息は白く、その視線の先にある目標物を見つめ

る視線は鋭かった。

 そこにはコンクリート造りの建物がある。目標地点まではまだ、はるかに遠いが、まばらに転がる岩石以外には、視界を遮るものはない。ただ、逆を言えば、向こうからもこちらの動きは丸わかりなので、条件は同じだった。

ただ守る側としては、視界に捉えやすい分、攻守における優劣は五分とは言い難かった。

三日前、このオリュンポス山にある“火星の夜明け”のアジトに、コーネリアの先導で飛行艇に乗り辿り着いたファングは、スラム街の仲間たちと共にさっそくソルジャーとしての訓練に入った。身体能力を計るテストの末、ファングを始め、何人かはそれに合格し、合格した者はさっそく特殊な訓練に入った。

それはサバイバルゲームのような、より実戦に近い形式の訓練で、“火星の夜明け”の先輩兵士を相手取るものであった。それはある意味、体力的なしごきより過酷だった。

 銃を始めて手にしたファングは、試し打ちもそこそこに、オリュンポス山のサバイバル専用の訓練場に、いきなり放り込まれたのである。

 そこはファングが長年、住み着いたスラム街より明らかに低重力だった。少し歩いただけで体がふわりと浮くような感覚を覚え、それにとまどった。そして慣れるのに、しばしの時間を要した。

 水と食料は最低限渡された。そしてこの広大なオリュンポス山のどこかにある目的地を、ひたすら目指す。やがて過酷なサバイバルの末、それらしき建物に近づいたのである。

 あとは、あの建物のどこかにある旗を奪取する。そして追撃を逃れながら、アジトまで戻るのがこの訓練の内容だった。

 仲間の何人かはファングとパーティーを組み、慣れない銃を片手に付き従っていた。

 しかし仲間はすべて狙撃され、今はファング一人である。

狙撃された仲間は、コルク栓のような柔らかい弾丸で容赦なく撃たれた。殺傷力こそないが、ヘタをすれば骨にヒビが入り、打ち所が悪ければ失神しかねない威力があった。

 こちらを狙うスナイパーは、岩陰からライフルを撃ってきた。頭や胴体、足に当たれば、即訓練は終了でアジトに戻された。腕に当たれば続行になるが、そもそも腕に当てる事自体、難しいうえに敵を狙撃するには、的の大きい胴体や致命傷になる頭を狙うのが定石である。だから撃たれた仲間は、みな例外なく失格となりアジトに返されていた。

 ファングと最後まで生き残った仲間は、さきほど胸を撃たれ、うめき声をあげながら、その場にのたうち回っていた。さっそく医務の者が何人か駆けつけ、アジトまで運ばれて行った。残ったファングは、岩陰から岩陰へと移動を繰り返し、目的地を記した大雑把な地図を頼りに、ついにここまで辿り着いたのである。

 ファングたちの他に、パーティーを組んだのは二チームほどあった。彼らと競争で目的地の旗を奪い合うのだが、彼らはどうしたのだろう?まだ先を越されたわけではないが、遭遇すれば、彼らも仮想敵兵になるので銃撃戦は避けられない。一人で闘わなければならないのだが、ファングは自信があった。どんな形であれ、スラム街のリーダーを自認する自分が、子分たちに遅れをとるなど考えられないことだからである。

 今のところは建物の近くに人影は見えない。

 周囲を支配するのは静寂だけである。ただ耳を澄ませば、かすかに風の音も聞こえた。

 ファングが身を潜める岩の斜め右には、やや小ぶりな岩がある。次に移動するのは、あそこだと身を乗り出そうとした次の瞬間だった。

 銃声がして、悲鳴が響き渡った。

 ファングは慌てて岩肌に身を寄せる。

 悲鳴のしたほうをそっと覗き見ると、仲間が一人、腹を押さえながら、うずくまっているのが見えた。

 そして近くの岩陰から、銃を構えたスナイパーが現れた。どうやらあの仲間も失格のようである。

 仲間を撃った兵士は、しゃがみ込み、うずくまる仲間を介抱している。やがて岩陰から一人二人と、兵士が現れ仲間に駆け寄っていた。

 (全部で四人…)

 ファングの瞳が獰猛に光り、鋭さを増す。

 素早く近くの岩陰に移動したファングは、彼らの背後に回るコースを吟味した。

 彼らが姿を現した岩場まで全部で七つの岩がある。距離にして200メートルほど。その背後を取るのに、不可能な状況ではなかった。

 もはや躊躇している理由はない。

 ファングは近くの岩陰まで全力で走り出した。

 ファングはまだ、敵の撃破には成功していない。しかし今は大きなチャンスである。

こちらを狙うスナイパーは、けして姿を見せようとはしなかった。仲間が撃たれれば、敵である彼らが、通信機で医務班を呼ぶことになっている。姿を現した連中も、医務班と連絡を取り合っているようだが、多くの新兵を討ち、戦果を上げたことが彼らを油断させているのか?明らかに無防備であった。

 ファングは霜に足を取られないよう慎重に、そして速やかに移動した。岩陰に身を潜めるたび、彼らの様子を観察する。

 彼らは二人が介抱し、二人が周囲を哨戒していた。その視線が逸れる瞬間を逃さす、移動するのだが、彼らとの距離が縮まるにつれ、捕捉される危険も高まる。その距離が50メートルほどに近づいた時、ファングはしばらく様子を見ることにした。もはや目と鼻の先だが、彼らの視界に入る以上に、うっかり音を立て気づかれてしまう危険が大きかった。

 ファングは息を殺し、その眼光だけは鋭く標的を見つめていた。

 やがて撃たれた仲間が立ち上がった。それにつられるように、哨戒していた二人が撃たれた仲間のほうに向いた。そして二人して彼に近づき、その背を向ける。

 ファングはそのチャンスを逃さなかった。

 そのまま、彼らの背後にある岩山に駆け上り、すばやく銃を構えた。

 気づいた彼らは、慌てて銃を構えたが、ファングの方が一瞬早かった。

 続けざまに銃声が鳴り響き、その頭、胸、腹などを撃ち抜く。彼らは次々に倒れ、うめき、そして地面にのたうった。

 「ファング!」

 仲間が驚きながら、ファングに駆け寄った。

 「お前、凄いな!」

 ファングは岩山を降り、地面から見上げるように睨む先輩兵士たちを見下ろした。

 「へっ、当たり前だ!俺を誰だと思ってやがる」

 ファングは得意げに銃を肩に担ぎ、仲間の肩を叩いた。

 「大丈夫か?」

 仲間は笑い、親指を立てたが、またしゃがみ込んだ。彼は胸を押さえている。

 「胸が痛えのか?肋骨をやられたかもしれねえな」

 ファングが心配そうにかがみ込んだ時、耳元で「カチャリ」と音が鳴った。

 「ゲームセットだよ。銃を捨てて、そのまま両手を上げな」

 女の声だった。

 頭に銃を突きつけられている。その銃口が冷たく後頭部に触れた時、ファングは観念して銃を放り、ふてくされたように両手を上げた。

 同時に酒臭い匂いがファングの鼻をついた。振り向くと案の定、コーネリアである。

 気配を消して背後を取ったのは、さすが歴戦の戦士といったところだが、このような時にすら、酒を呷るとはどういう神経をしているのか?ファングは呆れる思いがした。

 「初めてにしちゃ、よくやったじゃないか?もっともそいつらこそ、鍛え直さなきゃならないようだけどね」

 コーネリアの冷たい視線が、地面に転がる先輩兵士たちに突き刺さる。その声音にも容赦のない響きがあった。

 「ちっ!」

 ファングは舌打ちした。

 「もう少しだったのによう。先輩たち放っておいて、すぐにあそこへ向かえばよかったかなあ…」

 ファングは、目的地であるコンクリート造りの建物をみやった。

 コーネリアは笑った。

 「まあ、お前たちには知らせてなかったけど、あの中には、戦闘用のアンドロイドが四機ばかり待機しているのさ。お前じゃ、どう逆立ちしたって敵う相手じゃないよ。そもそも、この訓練自体、新兵じゃクリアできないように出来ているんだ」

 「ああ!」

 ファングはコーネリアを睨んだ。

 「なんだってそんな難題、俺たちにやらせたんだよ!」

 ファングは怒りをあらわにした。模擬戦とはいえ、ほぼ実戦に近い訓練である。素人同然の自分たちがやることではない。しかも最後に戦闘用アンドロイドのオマケ付きとあっては、頭にくるのも当然だった。

 「まあ、怒鳴りなさんな。殺されるわけじゃあるまいし。こういう模擬戦を通して戦士として鍛え上げていくのが、うちのやり方さ。もっともそれに耐えうる力や能力のない奴は、基礎から鍛え直すけどね。だけど、この模擬戦に参加した者は別だよ。二日後、また訓練を行う。今後はこの繰り返しだと思えばいいさ」

 そしてコーネリアは腕を組み、ファングを面白そうに見つめた。

 「あんた、ブレードと話がしたいだろ?」

 ファングは、思わずコーネリアの顔を凝視した。

 「彼は帰ってきているんだ。会わせてやるからついてきな」

 

 そこは暗い部屋だった。

 ただ無数の光が漂い、点滅を繰り返している。それはほのかな輝きだった。そして光るたびに、ソファーに横たわるブレードの筋肉質の体を照らす。

 彼はエネルギーの代謝を落とし、その光跡をみつめ、神経回路に一定の癒しと回復を与えていた。

エインやライアとの死闘は、想像以上にブレードの精神をすり減らしていた。        

彼は人口の肉体、そして特殊な脳や神経をもっていた。人間から人工生命体にその記憶を写し取り、見た目にもほぼ人間と変わらない特徴を持つハイドロイドの中でも、彼はもっとも性能の高い人造人間であった。

その思考や感覚は人間のものにより近い。精密に造られているからこそ、豪快かつ野性的な見た目とは裏腹に、繊細でショートしやすい神経を持っていた。

ブレードの周りで点滅する光…“ホタル”は、そんなブレードには欠かせないものであった。

“ホタル”は、その光の一粒が画面に変化して通信機の役割も果たす。だから、休息時にも緊急事態に対処できる利点もあった。

やがて“ホタル”が、赤く点滅し、直列に並んだ。それを見てブレードは起きあがり、“ホタル”のさらなる変化を待つ。それはブレードにとって特別な存在からの通信を示すものだった。

やがて巨大な画面が現れ、エリスの青白くも、ゾッとするほどの美貌を持つ顔が映し出された。

「首尾は?」

エリスの言葉は短い。

ブレードはうやうやしくその場に片膝をついた。

「“火星の夜明け”は、ヴァルハラの争乱で多くの同志を失いました。新しい兵の補充は完了しましたが、まだ戦場では使い物になりません。早急に兵の練度を高め、速やかにアルフハイムへの侵攻を開始します」

「“ユミルの鍵”」

エリスはつぶやいた。

「アルフハイムなどどうでもいい、ただそれだけは何としてでも確保するのよ。そして…」

エリスの瞳が氷のように冷たく、そして妖しく光った。

「ナターシャを殺して」

エリスの声には、憎しみをともなう残酷な響きがあった。

「彼女に二度と邪魔をさせてはならない。この世に肉片ひとつ残さず、消滅させるのよ」

ブレードはさらに頭を低く下げた。そして画面が消え、エリスの顔が残像として残っている限りは、頭を上げることはなかった。

 

赤い石造りの通路は傾斜し、下へ下へと伸びている。

ブレードの居住空間が本当にこんな地下にあるのか?ファングは前を歩くコーネリアにやや疑いの目を向けた。この通路に辿り着く前にも、エレベーターで降りてきたのだが、下に降りるまでおそろしく時間を長く感じた。ようやく着いたと思い、その扉が開けば、今度はこの通路が口を開き、待っていたのだ。

ファングは苛立った。そしてコーネリアに文句の一つでも言ってやろうと、口を開きかけた時、彼女がポケットから通信機を取り出したのを見て思い止まった。その通信機にはディスプレイがあり、コーネリアはその画面の向こう側にいる誰かと通信を交わしていた。

やがて通信が終わり、コーネリアは振り向いた。

「ブレードがお待ちかねだよ。お前は今日の戦果を報告するだけでいいから。大佐はきっとほめてくれるさ」

 そしてその行き止まりには昇降式の扉が見えてきた。この向こう側にブレードがいるのだろう。

 コーネリアが扉の前に立ち、開けようとした時、ファングが呼び止めた。

「待てよ」

コーネリアは振り向いた。

「なんだい?怖じ気づいたのかい?」

「そうじゃねえ」

 ファングは反論した。

 「その様子だとよ、ブレードが俺に用があるみてえな感じじゃねか?もちろん俺はブレードに会うのは楽しみだ。けどよ、腑に落ちねえ。ヴァルハラでは俺のことなんか歯牙にもかけなかったブレードが、なんで今さら俺なんだよ?」

「へえ…存外、馬鹿じゃないみたいだね。」

コーネリアは面白そうな顔でファングを見つめた。

 「別にあんたが特別ってわけじゃないさ。実はあんたたち訓練の様子は、逐一、ブレードに報告していたんだよ。わたしたちは、即戦力がほしいからね。今度のアルフハイム侵攻で、使える奴と使えない奴をきちんと見極める必要もある。その中であんたは中々の戦果を残した。だからブレードはあんたに興味を持った…」

 その時、部屋の扉が開いた。中は暗く、こちらからでは、部屋の様子はわからない。

 「おっと、お待ちかねだ。まあ要するに、あんたはこの訓練でブレードに認められたってことさ」

 そしてファングに先に中に入るよう、促した。

 ファングは緊張した面持ちで部屋に入った。ブレードは部屋の奥にいるようだが、暗闇でよく見えなかった。ただほのかな明かりが無数に点滅していて、それがゆっくりと不規則に飛び回っている。光るたびに人影を映すので、それがブレードなのだろうと眼を凝らすと、ファングは思わずギョッとした。

 暗闇の中にいるそれは、両眼を爛々と赤く光らせ、まさに闇に潜む獣のような佇まいだったからである。しかし、そう見えたのは一瞬だけだった。目の前の男は、ただソファーに片足を乗せ、片肘をつき、リラックスした様子でこちらを眺めているだけである。

 (…今のは?眼の錯覚か?)

 ブレードは、野太い声でコーネリアを叱責した。

 「遅かったな、コーネリア。速やかに連れてくるよう申し伝えたはずだぞ?」

 「申しわけありません。訓練の後始末もありましたので…それに、マーキュリーが疑問を口にしたこともあり、今し方、それに答えていたところです」

 ブレードは、ファングをみやった。

 「何か不服があるのか?マーキュリー?」

 ファングの額に汗がにじんだ。まるで猛獣に睨まれているかのような錯覚さえ覚えた。

 「いえ、そんなことは…」

 ファングは言葉が出ない。その時、“ホタル”がブレードのにやりと笑う顔を映した。

 「では俺が貴様の不満を解消してやろう。マーキュリー、貴様は今日からファングだ。そう名乗れ。そしてこれからもその名に恥じない働きをしろ」

 ファングは呆気にとられた。そして思わず直立不動になった。

 「はい!必ず期待に添えるよう、努力します」

 ブレードはまたニヤリと笑い、そして立ち上がった。それは背の高いファングでさえ、見上げるような大きな体躯だった。

 「努力などどうでもいい、戦果をだせ、ファング。これからもそれを心がけろ」

 そしてブレードはコーネリアをみやった。

 「準備を始めろ、コーネリア。一週間以内に、侵攻を開始する。目標は…」

 ブレードの鋭い眼光が闇を切り裂くように走った。

 「聖域都市アルフハイムだ」

 

                                                                                                                                   (つづく)

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