
「…」
ユウキは、立ち止まった。
「どうかなさいました?」
ソフィアが、怪訝にユウキの顔を覗きこんだ。
ユウキはしばらく、俯いていたが、やがてソフィアの両肩を掴み、真剣な面持ちでじっと見つめた。
「また俺の脳裏に新しいビジョンが見えた。ソフィア、このままだと、このメディナス大聖堂は、大規模な爆発が起きて、多数の犠牲者がでる!」
「え?」
ソフィアは思わず、口を塞いだ。
「避難民の中に、テロリストが紛れ込んでいる。彼らは、イスラム教スンニ派の施設に向かっているはずだ。このままでは危ない!」
「でも…。メディナスの爆発物に関するセキュリティは万全です。あらゆる火薬や薬品の類に対する、識別装置が働いている。それが見過ごされるなんてありえない」
ユウキはかぶりを振った。
「それは、なんらかの理由があるはず。もう一度、セキュリティをチェックする必要があるのかもしれないし、彼らの思いもよらない企みがあるのかもしれない。確かに言えることは、なんらかの手立てをとらないと、このままでは危険ということ。何か見過ごしていることがあるはずだ」
ユウキはソフィアの肩を離した。
「ソフィア、カイルの元に行って、このことを伝えてくれないか?彼なら、このギターの不思議な力について、分かっているはず。俺の言葉に疑いを持つ暇間もなく、手立てを講じるはずだ」
「でも…」
ソフィアはしばらく躊躇していたが、ユウキの真剣な面持ちと確固たる瞳を見て、覚悟を決めた。
「わかりました。でも、ユウキさん。もしものことには、ならないでくださいね」
ユウキは笑った。
「ああ、約束する」
そしてユウキとソフィアは、その場で別れた。
互いに、時間との戦いを意識しながら。
そしてさらなる激動の渦が、大きく口を開け、ユウキを飲み込もうとしていた。
ダミー通路の奥に到達した時、溜息とざわめき、悲鳴にも似た泣き声、そして怒号が避難民たちからあがった。
「みなさん!落ち着いて…」
“白羊の騎士団”の兵士が必死で宥めるが、喧躁は収まらない。
そこは広い広場になっていたが、殺風景で何もない空間だった。
ナターシャ様のもとに行ける!ナターシャ様がきっと、テロリストから自分たちを護ってくださる!
そう信じて、ここまで逃げてきたのに…。それは、彼らにとって裏切り以外、何者でもなかった。
喧躁は時を追うごとに大きくなり、群衆はパニック寸前になりつつある。
その群集の中に、ニコルとポーレットがいた。
「…ナターシャ様はいないの?」
まだ幼いポーレットは、この状況を飲み込めないでいた。
「うん…よく、わからないや」
ニコルは、首をかしげるばかりである。
ニコルは六歳、ポーレットは四歳…。
二人はこの避難の最中、両親とはぐれ、手に手を取り合って、ここまで逃げてきた。
両親の行方は、杳として知れない。
“火星の夜明け”が襲来し、ニコルとポーレットの住む区域に、彼らが発砲する音が聞こえてきた時、ニコルは母に手を引かれ、ポーレットは父の腕に抱かれながら、充分な荷も持てぬまま、家を飛び出した。
テロリストに追い立てられ、逃げていく最中、まず母の手が、避難民の急激な流れにニコルから離れた。そして大聖堂の入口付近で、群衆が揉み合い、父がそれに巻き込まれて転んだ。ポーレットは泣きながら、揉み合う群衆の中から飛び出し、母から離れたニコルと合流した。
家族は、この混乱で散り散りになってしまったのである。
それでも「ナターシャ様が、いらっしゃる、あの大聖堂まで逃げれば、きっとナターシャ様が護ってくださる」という、両親の言葉を信じ、「ナターシャ様の聖堂に向かう人はこちらです」という、白い甲冑を纏った兵士たちに導かれてここまできた。
両親からもらったロザリオも、彼らに見せた。
なのに…。
二人は一度、両親に連れられて、ナターシャの大聖堂に入ったことがあった。
その時の、荘厳な景色!今でも忘れられない。
ニコルは開いた口が塞がらず、ポーレットは、その金色やステンドグラスに輝く、柱や天井を見上げ、興奮気味に「うわあ…」と繰り返した。
これほど、綺麗な場所がこの世にあるのか!
だから二人は、この通路の先に間違いなく、あの景色が広がっているものと期待して、群衆についてきたのである。
しかし、その先にあるものが、そうではないと解った二人は、ただ落胆するだけだった。
「お兄ちゃん…」
ポーレットがニコルの袖を引っ張った。
「ナターシャ様のロザリオ、落としちゃった。取りにいきたい」
ニコルはイヤな顔をして、妹の顔を見つめた。
「だめだ。今戻ったら…あの、恐ろしい二人の悪魔に殺されちゃう」
ニコルは、何もない空間から突如姿を現した、あの男…いや、悪魔が、白い甲冑の兵士を次々に惨殺していく様を思い出し、身を震わせた。
そして突如、銃撃戦が始まり、流れ弾にさらされる恐怖を味わった。足がすくんで動けず、頭をかかえながら、身を伏せる大人たちに倣い、ただその場に突っ伏した。
ポーレットが、「あっ」と、叫んだ時、まるで音質の違う轟音が響き、流れ弾の飛んでくる方向から、短いうめき声が無数に聞こえた。
いつしか流れ弾は収まり、飛んではこなくなった。
ニコルが頭を上げた時、その目に飛び込んできたのは、無数の屍と血の海…まさに、地獄のような光景だった。
その地獄に佇む二人の人影…。
一人は、突如現れたあの悪魔。
もう一人は、黒ずくめのコートを着た死神のような女。
(悪魔が…もう一人現れた!)
ニコルはそう思い、また身の震える思いが募った。
二人の悪魔は、睨み合いを続けている。
「さあ、今のうちだ!」
大人たちに促され、その場を後にしたのは、その直後だった。
「大丈夫、あの黒い女の人、悪魔じゃないもん。わたしたちの味方だよ」
ポーレットは眼を輝かせて言った。
「だって、あの人が、悪い人たちを、みんなやっつけるのを見たもん。悪魔は一人だけ。きっとあの人が、悪魔をやっつけてくれるよ」
ニコルはまた、首をかしげた。
「そうかなあ?」
ただ、あの二人の悪魔が、仲間ではないことはニコルにもわかる。今にも決闘を始めそうな雰囲気もあった。
(あの二人が闘っている間なら…)
ニコルはポーレットの顔を覗き込んだ。
「どこで落とした?覚えはある?」
「わからない。でも、多分、さっき、あたしたちがいた場所」
「ええ!あそこかよ」
ニコルは溜息をついた。
しかし、ナターシャ様のロザリオは、とても大事なもの。そう両親に言い聞かされてきたニコルとしては、放置はできない。
「わかった。行こう。ポーレット…」
ニコルは、人差し指を口に当て、四つん這いになった。
誰にも見つからないよう、この場は這って行こう…という、意志表示である。
ポーレットもそれに倣い、四つん這いになる。
そして二人は、地面を這い、群衆の中を抜け出て、二人の悪魔が刃を交える地獄に向かって走った。
コーネリアは荒い息もそのままに、壁に背中を預け、その場に座り込んでいる。
手持ちの銃を胸に引き寄せ、壁を隔てた向こう側にいるであろう、強大な敵の気配を窺う。
汗は、頬を伝い流れ、その額に玉のように滲み出る。
光学迷彩のスイッチは切ってある。それがあの男に対して、有効な手立てにならないことを、この戦闘で思い知ったからであった。
おそらく、高性能な赤外線センサーを装備しているのであろう。自分たちの攻撃は、たちどころに看破され、犠牲者が増えるばかりであった。
コーネリアは部隊に「散開」を命じた。新兵も抱えるこの部隊では、いくら束になったところで敵う相手ではない。
市街地に身を潜めさせ、無理な闘いは避け、新兵や経験の少ない兵士には、拠点への帰還も選択肢に含ませた。あの男から逃げ切れれば、また生きて会うこともあるかもしれない。
それほど、強大な敵であった。
しかし、コーネリアは逃げるわけにはいかない。
仲間の惨殺を目の当たりにして、隊長として引き下がるわけにはいかないからだ。
(…あれさえあれば)
コーネリアの頭にあるのは、携帯用のロケットランチャーだった。
中距離用の兵器だが…。白兵戦には不向きだが…。
強力な火力を持つ兵器でなければ、あの男…エインを仕留めることはできない!
それは、エインと遭遇したバザーにあるはずだ。
部隊の休止を命じた時、ロケットランチャーをその場に降ろし、略奪に走った部下たちがいた。そんな彼らがエインに獲物とされる中、それを再び携帯して「散開」しているとは思えないからである。
ここはそのバザーから、五十メートルは離れた場所であった。
あそこに戻り、ロケットランチャーを手にするしか、この窮地を抜ける手立てはない。
(奴は今、どこにいる?)
コーネリアは思案したが、それが無駄な時間を費やすだけと分かり、意を決して、その場を離れた。
物陰から物陰へ。
様子を窺いながら、路地裏を進む。
そして、バザーに辿り着いたコーネリアは、安堵するものを覚えた。
ロケットランチャーが数機、広場に無造作に置かれていた。ロケット弾も装着されたままである。
(これで奴を!)
しかし…。
それを手にして安堵したその時だった。
「よう、ようやく穴蔵からでてきたな」
頭上から声がして、コーネリアが振り向くと、二階建ての建物の屋上にその男…エインはいた。
葉巻をくわえ、にやりと不敵な表情を浮かべるその顔に、アクアマリンの瞳がギラリと輝く。
傾きつつある日の光を浴び、映えるそのシルエットは、不遜な佇まいでもあった。
その両肩には、人間をそれぞれ背負っている。そして彼の足下にも倒れている者が三人…みな、コーネリアの部下たちであった。
コーネリアは、我を忘れて叫んだ。
「ヱイン!!!」
次の瞬間、ロケットランチャーが火を噴き、ヱインめがけて飛んだ!
ジェシカは、我ながら馬鹿らしさを覚えていた。
あの少年と共に、アルフハイムの街中に消えたマルコを、なぜ自分が捜さなければならないのか?
通信機で何度も連絡を取っているのだが通じない。
メディナス大聖堂を周回するように、街をくまなく探索しているのだが、未だに二人は見つからなかった。
あのうるさいお目付け役がいないのである。本来なら、晴れて自由に行動できるはずなのだが?
(つくづく、自分の生真面目な性格が嫌になるな…)
ジェシカは溜息をついた。
やはり、任務はきちんと全うしたかった。包み隠さず、正々堂々と上層部に報告できるように。
その為にも、やはりマルコには、マルコの任務…自分の行動をきちんと監視し、ヴァストの上層部にきちんと報告する…その仕事だけはきっちり遂行してもらいたいのだ。
(それにしても、いつも冷静なマルコが…?あの少年は一体、何者なんだ?)
ジェシカは思案して、思い当たる節がひとつあることに気付いた。
アルフハイムに入る前、飛行艇の中で彼が言っていた言葉である。
(やんちゃな、若いギャングどもが急に少なくなりましてねえ。どうやら“火星の夜明け”がかなりの人数を吸収していったらしい。わたしも手のつけられないガキを何人か知っていますが、そいつらが軒並みいなくなっています。だから治安が悪いといっても、今は必ずしも最悪というわけじゃありません…)
(わたしはもともと、性悪のガキどもが得意分野でねえ、上もそれがわかっているものですから、特に少年ギャングの多いあの地域を任されていた、そういうのもあるんです。ところが、あの戦火を機に、手のかかるガキどもが消えた…)
あの少年は、その“手のかかるガキ”の一人なのか?
“火星の夜明け”に合流した若いギャングが、このアルフハイム侵攻に参加していたとしても、おかしな話ではない。
(それにしても?あんなに血相を変えて、あの少年を追いかけるとは…?)
どうやらあの少年とは、スラム街で手のかかるガキ以上の因縁がある…ジェシカは、そう推理し結論づけて、今は彼らを捜すことが先決と、思索を打ち切った。
メディナスには、今のところ大きな動きはない。
マルコの言う自爆テロの可能性が、まだ消えたわけではないので、今は様子見に留めていた。しかし、このままマルコたちが見つからず、メディナスの様子に変化がなければ、そろそろ乗り込んでいかなければならない。
そう考えて、メディナスを見やったその時だった。
「スパッ!」と空気が裂けるような音が、東の方角から鳴り響き、ジェシカはギョッとなり振り向いた。
(ロケットランチャー?たったの一発か?)
“火星の夜明け”が、各所で発射しているこの重火器は、組織だった攻撃で一斉に、7~8発火を噴くのが常であった。この兵器にも数に限りがあるのか、今は鳴りを潜めていたのだが…。
(…何か臭うな)
それは根拠のないものではあったが、警察官として長年、修羅場をくぐり抜けてきた彼女の感のようなものだった。
(それほど、遠くはない。マルコも見つからないし…少し、様子を見てくるか)
ジェシカは、その方角に向けて歩き出した。
ニコルは、骸が連なり、血の川が流れる凄まじい光景の中、恐ろしいほどに速く、そして凶暴な闘いに圧倒されていた。
ポーレットを見やれば、彼女も口を開け、呆然とそれを見つめている。
もはや、ロザリオを捜すどころではなかった。
そんな幼い二人が見つめる最中、二人の悪魔…ライアとブレードは、刃を交え合う。
時折、ライアのハンドガンが火を噴き、ブレードを壁際まで後退させた。
しかし、彼は何事もなかったかのように、またライアに襲いかかり、その凶刃を再び乱舞させる。しかしライアは、そのしなやかな体捌きで、ブレードの刃をかいくぐり、恐ろしい速さで彼の体を斬り裂いた。
が、致命傷になるはずのその傷は、みるみる再生し修復されていく。
ニコルは唖然とするより他になかった。
(やっぱり…あいつは悪魔だ!)
そして身震いするものも覚えた。
やがて、二人の動きが止まった。
異様な緊迫感の中、睨み合いが続く。
空気が張りつめ、ニコルとポーレットの肌をビリビリと痺れさせた。
そして!
ブレードが刃をギラリときらめかせ、ライアに襲いかかった。
その刹那!
ニコルとポーレットは見た。
ブレードの刃が、ライアの細い長い剣を持つ、その右手を斬り飛ばす様を!
が、瞬時に左手で右手の剣をキャッチしたライアは、そのまま横に刃を走らせ、ブレードの首を刎ねたのである!
それは一瞬の出来事だった。
二人は言葉が出なかった。
ただ、その瞬間は、二人の脳裏に焼き付くほど強烈かつ、鮮烈なものだった。
やがて、ブレードの素首と、ライアの腕が、ボトリと音を立て地面に落ちた。
ブレードの首のない胴体は、その場に崩れ落ち、その脇を彼の素首が転がる。
ライアは、その様をしばらく見下ろしていたが、やがて踵を返した。
その鋭利な視線は、こちらを射抜くように見据えている。
「…」
ニコルは、言葉もなくその恐ろしさに身をすくめた。
ライアは、一歩また一歩と、こちらに歩を進めてくる。
悪魔同士の闘いが終わった後、次に喰われるのは、自分たちか?ニコルはポーレットを抱きしめ、その場にへたりこんだ。
「あ?」
その時、ポーレットが小さな声を上げた。そしてその視線の先に、信じられない光景をみたからである。
ニコルもそれに気づき、唖然とその恐ろしい光景を見つめた。
ライアの背後で、ブレードの首が動き、横たわるその胴体に吸い寄せられる。そして、それは接着剤が塗られたかのようにくっつき…そして立ち上がった。
次の瞬間!
その恐ろしく巨大な刃が、ライアの背後から突き抜け、その体内に流れる液体が飛び散った!
「ああ!」
ニコルは思わず、叫んだ。
悪魔が甦った!ニコルにとって、それはまさに悪夢を見ているかのようであった。
ライアは虚ろな瞳のまま、口から透明の液体を垂れ流している。悪魔の血の色は透明なのか?
そしてその片腕はだらりと下がっていた。ライアを貫いたその刃は、彼女のほぼ鳩尾の辺りから突き抜けている。いくら、透明の血を持つ悪魔でも、これは助からないと思われた。
甦ったその悪魔は、その恐ろしい刃でライアを抱えながら、こちらに近づいてくる。
ニコルは生きた心地がしなかった。ポーレットも恐怖のあまりしゃくり上げ、涙をこぼしている。ニコルはポーレットを強く抱きしめて、その頭に顔を埋めた。
その時である。
「待て!」
声が響いた。
ニコルが思わず見上げると、悪魔の背後に、一人の少年…ニコルからしたら、ずっと年上だが…一人の少年が佇み、ギターを掲げて悪魔…ブレードを睨んでいた。
「それ以上、その子たちに近づくな!“ユミルの鍵”はここだ!そしてそのマスターは俺だ!」
ブレードは振り向き、恐ろしい視線でその少年を睨んだ。
その少年…ユウキはなお叫んだ。
「これ以上の殺戮はやめろ!お前たちが求めているユミルの起動、それが出来なくなってもいいのか!」
その声は、まさに屍と血のふきだまる通路に、雷鳴のように響いた。
「これ以上、悲しみを増やすな!!」
そこは、星が大河のように煌めく空間にありながら、一切の光も通さぬ部屋であった。
ただ、器機の動く音と、時折ファイバーを流れる光のきらめきがあるだけであった。
その奥まった位置に、彼女の座する大きな椅子がある。そこに背をもたれ、眼を閉じ、ややうつむき加減の少女の姿があった。
エリスである。
しばらく、彼女は瞑目していたが…。
やがてカッとその眼を見開いた。
「ブレード…」
それはやがて、うめき声に変わった。
「彼が…わたしの股肱が…あの無敵の戦士が…失われる!」
(つづく)