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 それは旗というには、あまりに禍々しい代物であった。

 ただ“火星の夜明け”に、為す術無く蹂躙されたアルフハイム市民にとって、それは希望の旗のように見えた。アルフハイム自警団や国防軍には、勝利の旗印であり、“火星の夜明け”にとっては、自軍が掲げているわけでなくとも、まさに降伏の白旗であった。

 ユウキの掲げるそれは、その禍々しさ以上に、絶大なインパクトをこの戦場にもたらした。

 “火星の夜明け”の首魁、不死身のノスフェラトウと呼ばれたその男…ブレードと名乗る、火星で最も危険なその男の首は、ユウキの手によって、アルフハイムの戦場を駆け抜けた。

 ある者は恐れおののき、ある者は歓喜し、ある者は勝ちどきの声を上げた。そしてある者は絶望し、ある者は怒り狂い、ユウキに襲いかかってきた。

 路上に放置されたホバー式のトラックに乗り、ブレードの首を掲げて、“火星の夜明け”に降伏と撤退を呼びかけたユウキは、何度も命の危険にさらされた。

 しかし、カイルの指令を受けた“白羊の騎士団”の兵士が、ユウキを護衛し、その脅威を退けた。

 ユウキは無我夢中だった。

 “火星の夜明け”による暴力の嵐は、司令塔であるブレードを欠いたため、増々その凶暴さを増していた。死を恐れない彼らは、欲望のままに刹那的な狂乱に身を任せていた。

 だからユウキは、それを目にする度に、ブレードの首をこれ見よがしに掲げ、そして叫んだ。

 「お前たちの親玉は死んだ!これ以上、憎しみや悲しみを増やすな!」

 “火星の夜明け”は、軍隊の体をなしていなかった。

組織的な部隊もあったが、暴力と破壊、そして略奪…。

ただ彼らは、市街地での戦闘には長けていたため、戦闘経験の少ないアルフハイム側は、なかなか優位に戦局を展開できないでいた。

 結局、その進軍を食い止めきれず、市内のあらゆる場所に、テロリストたちを散らす結果となっていた。これがブレードの狙いなのだと、ユウキが気付くのに時間はかからなかった。市内を混乱させ、それに乗じてメディナスに自ら乗り込み、ナターシャを狙う。しかも信者に化けたテロリストや、自爆テロ実行犯の援護つきである。

 テロリストがライアによって壊滅し、ブレードが討ち取られた以上、あとはメディナスのどこかに潜み、自爆テロを狙う狂信者をなんとかしなければならない。それはカイルに任せるしかなかった。

 今、自分が出来ること。

それはブレードの首を使い、“火星の夜明け”の侵攻を止め、この戦乱を終局させること。

 それは、自らがやらなくとも、武装した“白羊の騎士団”に任せればよかったのかも知れない。しかしユウキには、それを判断する余裕も暇もなかった。

 ただ、この戦闘で多くの人間が殺し合い、傷つき、そして悲しみが広がる…宗教による人類救済の象徴たるこの街で、憎しみと悲しみの連鎖が広がる様を、ユウキは傍観することなどできなかったのである。

 だからユウキは、ひたすらアルフハイム市内を駈けた。そして時には高台に昇り、ブレードの首を掲げて振った。

 そのユウキの姿を、ヱインとジェシカ、そしてコーネリアらが目撃したのは、まさにその時だったのである。

 そのユウキの眼下には、ブレードの首を取り返そうとする“火星の夜明け”の部隊が迫り、“白羊の騎士団”と戦火を交えていた。

 

 鮮血にまみれた少年の遺体をはねのけ、負傷した左肩を押さえながらマルコは、地面を這っていた。

 荒い息もそのままに、煉瓦の壁伝いを進む。やがて壁際に身を預けるとマルコは、夕闇に染まりつつある空を仰いだ。そして呼吸を整え、左腕の裾をまくった。その腕は合金製で、肘に近い所にスイッチが付いていた。

 マルコがそれを押すと、腕がパカッと開き、中には応急処置用の医薬品や医療器具が入っていた。

マルコは苦痛を堪えながら、左肩に薬品を塗り、そして円筒形の器具を取り出すと、それを押し当てて、弾丸を抜いた。抜いた弾丸は地面に落とし、再び鉄の粒がめり込んだ辺りに押し当てて、それを抜いた。

しばらく、その作業が続く。

やがて、全ての弾丸を抜き終わると、傷口にガーゼを押し当て、脱着式の輪で固定した。

そして一息つくと、タバコを取り出して火を付ける。

「…」

その煙の向こう側に見えるものをマルコは、ぼんやりと虚ろな視線で見やった

そこには高い建物の上で、奇妙な物を振る少年の姿があった。

その少年は、暮れゆく太陽をバッグに、何かを叫んでいる。

そして街の空気が、変化していくのを感じた。

彼は、こう叫んでいた。

「これ以上、憎しみや悲しみを増やすな!」と…。

マルコはニヒルに笑った。

「悲しみなんて…もう、忘れちまったよ…」

 

「何をやっている!早くあいつを撃て!」

 コーネリアは、遠巻きにその少年を見上げて、呆然と立ち尽くす兵士たちの元に駆け込んで叫んだ。

「俺たちの武器では、この距離は無理です。スナイパーライフルじゃないと」

兵士の1人が、額に汗を滲ませ応じた。

「それより、あれは本物ですか?大佐がまさか…」

 コーネリアは苛立った。

 「あいつを殺して、確かめてくればいいだろ!」

 「敵の部隊が、あの建物の付近を固めています。迂闊に近寄れません」

 コーネリアは、再び怒鳴ろうとしたがやめた。

 この部隊が、まだ経験の浅い兵士で固められていることを思い出したのである。

 「わたしが行く。銃を貸せ。わたしを追ってきている奴らがいるから、お前たちは、そいつらを足止めしろ」

 そして念を押すように、兵士たちを睨みつけた。

 「いいか、足止めするだけだぞ。くれぐれもそいつらとは、まともにやり合うな」

 そう言うとコーネリアは、渡された銃を肩にかけ、再び走り出した。

 見上げれば、ブレードの首が髪をなびかせ、夕陽に舞っている。

 その少年…ユウキは、円を描くようにそれを振っているのだ。

 コーネリアは叫んだ。

 「ふざけるな!そんなことがあってたまるか!」

 

ジェシカは、ただひたすらに警察官であることの誇りと、その任務を全うすることだけを考えて生きてきた。任務のためなら。己の肉体を捨て、機能性の高い人工物に切り替えてきた。四肢、眼球、そして心臓…。肉体改造を繰り返すたびに、その副作用にも悩まされたが、不思議と皮膚の老化は止まり、今年38歳になるにも関わらず、見た目は20代の若さを保っていた。しかし、子どもが生める身体ではなくなり、出産の望みは絶たれていた。

子どもがほしいと思わないわけではなかった。ただ、出産や育児と引き替えに、今の自分があるのだと言い聞かせてきた。職務を果たすことの充実感、恵まれた仲間、そして自分を認めてくれる上司たち…。それはジェシカにとって、何よりも代え難いものだったのである。

ただ、もし自分に子どもがいるのなら…と、考えることはあった。

戦争やテロで両親を失い、難民となった子どもたち。またそれに伴う貧困から親元を離れ、1人で、あるいは仲間たちと路地裏で生活する子どもたち…。ジェシカが、対テロの任務で、否が応でも接してきた少年少女は数知れなかった。

そんな子どもたちを救うたび、そしてその涙と悲しみを抱きしめるたび、ジェシカは捨てたはずの、子を持つ母となる夢が甦るのである。

ジェシカは、その感情を否定していた時期があった。

しかし今は違った。

それに抗うことの不自然さや、虚しさもまた感じるようになったからである。

今、ジェシカの目に映るのは、かつてセントラルパークで起きたテロ事件の唯一の生き残り…そうあの幼い少年の成長した姿だった。

もう、あの子をこんな危険な戦場に晒してはならない!あの子をもう一度、テロの悲しみから、守らなければならない!

そんな、ややもすればエゴにも近い使命感が、ジェシカを支配し突き動かしていた。

だから行く手を塞ぎ、あの少年に毒牙を突き立てようとするテロリストたちに、ジェシカは容赦する気など、さらさらなかった。

そしてその向こう側に、少年のいる建物に猛然と駆け込もうとするコーネリアの姿を見て、ジェシカは思わず、彼女に向けて銃を構えた。

その時である。

「バカ野郎!ユウキを殺す気か!」

ヱインである。

彼の言うことも、もっともであった。

この強力過ぎる銃弾が火を噴けば、少年のいる建物は倒壊する恐れがあった。

周囲を見渡せば、“火星の夜明け”のテロリストたちが、数多く集結していた。

ユウキを護衛する“白羊の騎士団”と銃撃戦を展開しているが、数の上で押されている感は否めなかった。

「おい!お前。あいつからユウキを守り通すことを、約束できるか?」

ヱインの意外な言葉に、ジェシカは思わず、彼の顔を凝視した。

しかし、それもつかの間だった。

「約束も何も!わたしは、あの子を必ずヴァルハラに連れて帰る!」

ジェシカは叫んだ。

「ユウキは、お前にはやらん!だが、今はあいつを護ることが先だ。俺は、テロリストどもを一手に引き受ける!お前は、コーネリアから、必ず、ユウキを守れ!」

言うが早いか、ヱインは草食獣の群れを襲う猫科の獣のように、テロリストたちに切り込んでいった。

たちまち無数の弾丸が火を噴き、閃光が黄昏の街を切り裂く。流れ弾がジェシカの足下を跳ね、彼女は堪らず、建物の影に飛び込んだ。

そして、コーネリアの動向を窺った。

彼女は、恐るべきソルジャーだった。

建物の影から影とすばやく移動し、的確な狙撃で“白羊の騎士団”を1人、また1人と屠る。ユウキのいる屋上へと続く階段に、彼女が飛び移るのも時間の問題だった。

意を決して、ジェシカは飛び出した。

そして意表を突かれたコーネリアが、銃を構えるよりも早く、彼女に組みつくことに成功した。

「…!」

「貴様!」

勢い余って2人は、向かい側にある廃屋の中まで、組んず解れつ、転がった。

そして廃屋の闇の中、2人は立ち上がり、異様な眼光を光らせてにらみ合う。

2人は、ともに銃を落としていた。

コーネリアは舌なめずりをして、ダガーナイフを構えた。

「ヴァルハラの警察風情が!舐めるんじゃないよ!」

ジェシカは、徒手空拳で油断なく構え、そして恫喝した。

「貴様こそ!子どもに悲しみを背負わせる前に、わたしの手で葬ってやる!」

 

 それはほとんど、軍隊の体を成していなかった。

 ユウキがブレードの首を掲げ、撤退や投降を呼びかけても、組織的な行動に移す部隊は、1つもなかった。ブレードという絶対的な頭を欠いた彼らは、ブレードの死を知らされても、いやむしろ、知らしめれば知らしめるほど、その凶暴さを増し、破壊や略奪、そして市民への暴行を増加させたのである。

 ユウキがそのことを悟ったのは、この建物の屋上から望む街の様子が、彼の望みとは明らかに反対の方向に進んでいることを、いやでも目の当たりにしたからであった。

 「…なぜ?」

 ユウキは力なく、ブレードの首を下ろした。

 狙撃の危険さえ覚悟して臨んだこの行為だったのだが…。無力感だけがユウキにのしかかった。

 街のあちこちで、建物に押し入り、略奪行為を繰り広げる“火星の夜明け”のテロリストたち。彼らは、ユウキとそれほど歳も違わない若者にも思えた。

 戦火はあちこちで繰り広げられているが、彼らの統制は取れず、ばらばらに動いていた。それがために市街戦は、アルフハイム側に有利に運んでいるとも言い難かった。

 建物に火をつけ、爆弾を投げ込み、無茶苦茶な動きをしている部隊さえある。

 (こんなはずじゃ…)

 思わずユウキは、その場に膝を落とし、そしてうつむいた。

 その時であった。

 「ユウキ!!何をやっているんだ!それを振り続けろ!!」

 聞き覚えのある声が響いた。

 ハッとし顔を上げたユウキが、その方角を見ると、驚きの光景が繰り広げられていた。

 千切っては投げ…とは、まさにこのことを言うのだろうか?

 それはヱインであった。

 彼はテロリストたちに囲まれていた。が、無数の閃光にさらされながら、それをものともぜず銃を取り上げては放り、その首根っこを捕まえては放っていた。やがてテロリストたちは、クモの子を散らすように逃げていった。ヱインはこちらを振り向くと、拳を天高く振り上げた。

 「ヱイン!!」

 ユウキは再び、立ち上がった。

 そして建物を降りると、再びホバー式のトラックに乗り込んだ。

 ユウキを護衛する“白羊の騎士団”が駆けつけてくる。

 「君、これ以上は危険だ。もう止めろ」

 隊長格の兵士が諫めた。

 「まだ続けるというのなら、わたしたちがやる」

 彼はそう申し出たが、ユウキは首を振った。

 「これは、俺がやらなくちゃいけない。ブレードの狙いは、このギターと俺だった。俺はブレードがこうなる前に、奴と対峙して交渉した。撤退しなければ“ユミルの鍵”を壊すと。奴を直接、倒したのはライアだよ。自分の命と引き替えにね。でも、俺がそのきっかけを作ったことは確かだし、ライアも今際の際に、この首を有効に使って戦争を終局させることを俺に託した」

 「いや、だからと言って、君がやることはないだろ」

 その時である。

 「ライアが?あの女は多分、死んでねえ」

 それはヱインであった。

彼はあの場所から、もう駆けつけてきたのである。そして無数の銃弾を受けたためか、彼の服はボロボロであった。

 「ヱイン…でも、ごめんよ。彼女を助けられなかった」

 「だから!死んでねえって。復活には時間がかかるかもしれないがな。まあ、ややっこしいから、その説明は後だ。お前たち、ご苦労だったな。後は俺がユウキを護衛する。こいつはなかなか頑固で聞き分けがないんだ。アルフハイムがこうなっちまったことに責任を感じて、いてもたってもいられないのさ。だったら気の済むようにやらせるだけだ。

こいつをジレンマに苦しませているのも、俺たちの責任さ。だから、俺が責任をとって、こいつを護る!」

 言うが早いか、ヱインはトラックの荷台に乗り込んだ。

 「ヱイン…」

 ヱインはニヤリと笑った。

 「ユウキ。ブレードのいない“火星の夜明け”を、統率できる奴が1人いる。そいつの所に案内してやるから、トラックを動かせ。そいつは…」

 「…?」

 「お前をヴァルハラから連れ戻しに来た奴と、おそらく、じゃれ合っている。そいつに殺されねえうちに早く急げ!」

 

 廃屋の崩れた壁からコーネリアの体が、まさに人形のように吹き飛んだ。

 そしてその建物に面する広場の地面に、強く叩きつけられた。

 コーネリアは、ダガーを構えながらすぐに立ち上がった。彼女の頬に玉の汗が伝う。

一方のジェシカは慌てる様子もなく、コーネリアに1歩2歩と近づいた。

 「無駄なことはよせ。わたしは度重なる肉体改造で、普通の人間では太刀打ちできない体と身体能力を身につけた。お前もなかなかのソルジャーだが、人間ではサイボーグに勝てんぞ」

 「ふん、いい気になるな!」

 コーネリアはそう吐き捨てると、再びダガーを振るい、ジェシカに切りつけた。

 ジェシカは、体を入れ換えると後ろから背中を蹴り上げ、再びコーネリアを地面に這い蹲らせた。

ジェシカの動体視力や反射神経は、人工物に切り替えた眼球と四肢によって、普通の人間の2倍近い反応速度がある。だから、生身の身体であるコーネリアでは、ジェシカに手傷を負わせるどころか、触れることさえ難しかった。 

(…銃があれば!) 

コーネリアは、悔しげな表情でジェシカを見上げる。そのゆったりとした佇まいは、コーネリアに焦りと苛立ちを募らせるのに、充分なものがあった。

ジェシカは、余裕の笑みさえ浮かべていた。次の一撃が来たら、ダガーを叩き落とし、そしてねじふせる…その算段で構え、コーネリアの攻撃を待った。

と、その表情が険しくなり、次の瞬間、銃声が鳴り響いた。

間一髪、ジェシカは横に飛び跳ね、地面を転がった。そして片膝をつき、その銃口の先を見やった。

「…!ファング!」

コーネリアは、我が目を疑った。

慣れない重力と、初めての戦場で青い顔をしていたあのファングが、銃を構えてジェシカに狙いをつけているのだ。

 「お前、拠点に戻れと命令しただろ!」

 コーネリアは叫んだ。

ファングは、ただ表情を消して、ジェシカに狙いを定めているだけである。

 その地面を踏みしめる両足は、根が生えたように浮き足立った様子もなく、腰もどっしりと落ち着けている。その能面のような表情と、光の消えた瞳を見つめた時、コーネリアは、思わずゾッとするものを覚えた。

 (…何があった?)

 それは死神の眼差しだった。人の命を命とも思わない冷酷な瞳…戦場で、数多く見てきた狂気の瞳である。コーネリアを驚愕させたのは、ファングのその劇的な変化であった。

 拠点に力なく戻っていく、弱々しい後ろ姿…それが短時間で、何が彼をここまで変貌させたのか?

 「…おい」

 唸るような低い声だった。そして野獣じみた眼でジェシカを睨む。

 「コーネリアに近づくな。次は外さねえ…」

 ジェシカは、彼の持つ銃が、アルフハイム自警団の持つ、フェンリル製の武器であることを見て取った。重量も軽く持ちやすい銃ではあるが、けして威力の軽い代物ではない。

 ジェシカの装甲を抜く力は、充分に持っていた。

 (こいつ、自警団から奪ったな)

 ジェシカは今、手持ちの銃がない。

 そのうえ、この距離で、迂闊に動くこともできなかった。

 (形勢逆転というやつか…少し油断したか?)

 ジェシカは、早い段階でコーネリアを仕留めなかった未熟さと、余裕を持ってしまった己の迂闊さを呪った。

 銃を構えた少年は、微動だにせず、その銃口をこちらに向けたままである。その佇まいには、一分の隙もない。

 (…!こいつは?あの時の…?)

 ジェシカの脳裏に、マルコが血相を変えて後を追った少年の姿が、目の前の少年と重なった。

 あの時の彼は、戦場に怯え、己が何をしているのか?まるで状況が把握できておらず、そして弱々しく、挙動も安定していない風情があった。

 眼の前の少年が、あの時の彼と同一人物ならば、あの時はなんだったのか?マルコの顔を見たとたん、脱兎の如く逃げ出した、あの姿はなんだったのか?

 (マルコ?)

 ジェシカは、マルコの行方と安否が気になった。

 彼は、この少年を捕縛できなかったのか?

あるいは…この少年に殺害されてしまったのか?

様々な疑問が頭をもたげたが、とにかく今自分が置かれている状況が、最悪なのには違いがなかった。

コーネリアが立ち上がり、またダガーの刃を光らせて、こちらに近づいてくる。

太陽は地平の彼方に落ちつつある。赤々とした光と暗闇が、空を織り込むように覆いつつあった。

その時である。

ジェシカの背後から、ホバー式車両の、「ブーン」という独特の音が響いた。

そして銃を構えた少年の顔が驚きに満ち、コーネリアの表情が憎しみに歪んだ。

「ファング!」

「…ユウキ!まさか…」

2人の少年の声が交錯する。

 「これは珍しい。ヴァストのエリートが、大ピンチとはね」

それは、ホバー式のトラックに乗ったユウキとヱインであった。

「ユウキ…なぜお前が?」

「ファング…なぜ君が?」

ユウキとファングは、我を忘れて互いを見やった。

「知り合いか?」

エインは、ジェシカとコーネリアに油断なく視線を走らせながら、トラックを降りた。

「ファング!こいつは、お前の知り合いか?こいつがなぜ、ブレードの首を持っている?」

 「?コーネリア?何を言って…」

 ファングの瞳が、再び驚愕に見開かれた。

 ユウキが掲げているもの…それは剣先に刺されたブレードの首だったからである。

 ファングは、しばらく言葉がなかった。

 そして、その場に崩れるように両膝をついた。

 「…ブレードが…あの…無敵の戦士が…」

 「?ファング?」

 ユウキは、ファングの只ならぬ様子を、ただ見つめるしかなかった。

 「ユウキ…ユウキ…」

 やがてファングは、ブツブツとユウキの名をつぶやき、それはしばらく続いた。

 やがてファングは立ち上がり、そして叫んだ。

 「ユウキ!!どういうことだ!!」

 それは、夕闇の空に轟くように響いた。

 

 そこは冷気が充満した、暗く、そしてとてつもなく冷えた空間であった。

 無数の青く巨大な柱が林立し、広いその空間の周囲を、光ファイバーの点滅が幾筋も走っていた。

 その一角に、青白い光を放つ、一本の氷の柱が立っていた。

氷の柱には、1人の少女の身体が埋め込まれ、眠るように眼を閉じていた。

 彫像のようなその少女の姿を、満足そうに見つめる人影が1つ。それは、氷の中の少女と瓜2つの容姿であった。

 エリスである。

 エリスは、氷の棺に眠る少女…アローラに囁くような声でつぶやいた。

 「これであなたも、ナターシャと同じね。心配しなくていいわ。火星の未来は、わたしが切り開くから…あなたは、安心して眠りなさい」

 そしてエリスは笑みを浮かべた。

 「そう、永久に眠りなさい!今にあの少年を、あなたの夢の中に送ってあげるから!」

 エリスは哄笑した。

 それは、極寒の暗黒空間に、いつまでも響き渡っていた。

 

                                         (つづく)

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