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 ヴァルハラ大使館のメインルームには、弧を描くような形の大きなソファーがあった。そこには肩の痛みを刺激しないよう静かに、それでいて油断なく周囲に視線を走らせるマルコが座っていた。

 ヴァルハラ大使館の職員やヴァストのメンバーらが、メインルームを忙しく出入りしている。この部屋は、大使館各部署の職員とヴァストの情報交換の場になっているが、本来の任務が、ある意味特殊なマルコにとっては、蚊帳の外に置かれている感は否めない。

 しかし、マルコは平気だった。

ただ彼の心を支配するものは、マルコの表情にやや翳りを落としていた。

「肩の傷はどうだ?」

先ほどまで大使館の職員たちと立ち話をしていたジェシカが、彼らが情報管理室に戻るため部屋を後にすると、マルコに声をかけた。

「おかげさまで。ここのメディカルルームが優秀なためか、経過は良好です。まあ撃たれた後の、わたしの処置も完璧でしたからね。どうということはありませんよ」

「ふん。その減らず口が聞けるのなら、お釣りがくるくらいに大丈夫だな」

 ジェシカは鼻を鳴らしたが、マルコの表情は浮かない。

 「まあ…こっちの傷はどうってことはないですがね…」

 マルコは、タバコを口に咥えた。

 「隊長さん、ファングのことです。あいつはあの時、“火星の夜明け”の残党をまとめて、夕日の彼方に消えた…とか言ってましたよね?そもそもあいつは、夕日なんて似合う柄じゃありませんよ。そこら辺りにいる薄汚ねえドブネズミみたいなもんだから、暗闇がお似合いなんですよ」

 そして火を点けると、溜息をつくように煙を吐いた。

 ジェシカは無言で、マルコの隣に座った。

 「あいつは…あいつには、銃は似合わねえ。様になってねえんだ」

 マルコがつぶやくと、ジェシカは床に視線を落としながら頭を振った。

 「あいつの眼は据わっていた。銃を持つ佇まいも、殺気も…尋常ではなかった。マルコ、お前が撃たれた場所には、お前を撃ったであろう少年と、アルフハイム自警団の兵士が4人、躯となって横たわっていた。そして自警団の持つ銃は、あいつの持っていた銃と同型のものだった…」

 マルコは無言だった。

 「戦場は人を魔物にする。臆病風に吹かれ、逃げ出す奴も少なくないが、あいつは前者だった。そういうことだよ」

 ジェシカは溜息をついた。

 マルコはタバコを咥えたまま、ぼんやりとその煙を見つめ続けた。

 やがて灰皿に、軽くタバコを叩いて灰を落とすと、ジェシカを見やる。

 「…隊長さん、あなたが追っていたエインとやらは?それから、例の少年です」

 マルコが口を開くと、ジェシカは鋭い視線で前を見据えた。

 「エインはどうやら、10時間前にアスガルド行きの便に乗ったようだ。飛行艇の搭乗記録からそれは確認された。奴がなぜ、アスガルドに向かったか?様々な情報や憶測があるが、総合するに奴はどうやら、この街にある星船の部品を調達するため、あの忌まわしい“死と鋼鉄の街”を目指したようだ」

 マルコの瞳が、驚きに見開かれた。

 「星船が?この街にあるのですか?」

 ジェシカはうなずいた。

 「ある。ほとんどスクラップといってもいい代物らしいがな。ヴァルハラの女神さまが所有する最新式のものと違ってかなり古く、旧世界の遺物といっても過言ではない骨董品ということだ」

 「その骨董品とやらの部品は、アスガルドに行けば調達できるものなのですか?」

 マルコの瞳は、やや好奇心に揺れ動いていた。

 「アスガルドにも同じものがあるのだよ。わたしも初めて知った事だが…」

 ジェシカは、考え事をするように腕を組み、ソファーに背を預けた。

 「何のために?星船を動かして、宇宙に旅立つつもりなのですか?」

 ジェシカは「ふん」と鼻を鳴らした。

 「それができれば、わたしたちヴァストから永久に逃れられるからさ」

 「まさか?」

 マルコは笑った。

 

「ありえんことではないだろ?しかし実情はどうやら、そんな単純な話ではないらしい。1つ言えることは、三姉妹の女神…オージンたちの争いが大きく絡んでいることなので、それ以上の真相はよく掴めないのだよ」

 「…」

 マルコは、ただ、上に立ち昇るタバコの煙を見つめるだけである。

 「マルコ…」

 ジェシカは溜息をついた。

 「我々人類は、あまりにもオージンに頼り過ぎてしまったのかもしれん。だから、救いたい命も守りたい命も…人間はあまりに無力だ。少なくともわたしは、無力感しかないよ」

 ジェシカはうなだれた。

 ジェシカの脳裏には、再会したユウキの姿と、鉄面皮を絵に描いたような(思い出したくもない)無表情のカイルの顔が浮かんでいた。

 「新しいマスター?カイル、それはどういうこと?」

 食って掛かるユウキに、カイルは表情1つ変えることなく答えた。

 「新しいマスターはソフィアだ。ナターシャ様がそうお決めになられ、マスターとしての資格を、お前からソフィアに移し替えになられた。そういうことだ」

 「ソフィアが?彼女は…それを受け入れたのか?」

 次の瞬間、ユウキは、その小さな体からは想像できない声で怒鳴った。

 「彼女に無理強いをさせたんだろ!あなたやナターシャに、彼女は逆らえないから!」

 カイルは否定した。

 「無理強いはさせていない。彼女はむしろ、この役目に誇りを感じている」

 2人の口論は激しさを増した。

 しかしその中身は、ジェシカの想像を遙かに超える話だった。

 火星の衛星ダイモスに、ユミルなる巨大な星船があること、その起動に必要な鍵を巡るヴァルハラとアルフハイムの女神の抗争…それが故の“火星の夜明け”による襲来…あまりに壮大かつ、火星の歴史の禁忌に触れた話に、ジェシカはただ戸惑うばかりだった。

ただ1つハッキリしたことがあった。

ユウキはどうやら、そういった諸々の流れに巻き込まれ、今このアルフハイムにいるということである。

そしてカイルの言い分は、ジェシカが聞いても呆れるくらい勝手なものに聞こえた。

巻き込んでおきながら、用がなくなったから帰れ。丁度、お迎えも来ている…と、平たく言えばそういうことになるのだから。

ジェシカは思わず、ユウキの抗議に加勢をしようかと考えたがやめた。

それほど事は大きく、またオージンたちが関わっている以上、一国の警官風情が口出しはできない…とジェシカをして自制させるものがあったのである。

ジェシカが出来ることは1つであった。

ユウキの帰国の意思を確認すること…。

しかしユウキは、帰国の意思を示さなかった。

アルフハイムが戦火に焼かれたのは、自分がその原因の1つでもあり、そして関わった以上は、この街が復興するまでは帰れない…と。

 (この子に、そこまで思い煩わせて…こいつらは罪だ!)

 ジェシカは叫びたくなったが、それも自制せざるを得なかった。

 だからこそ…ジェシカは、己の力に限界を覚え、ジレンマに苦しむのである。

 「マルコ」

 ジェシカはつぶやいた。

「わたしたちは、結局、少年たちを保護しきれず…無力を通り越して無様だな。警官とは何なのか?自分の職業に疑問を覚えるよ」

 マルコは相変わらず、タバコの煙を見つめたままだった。

 「まったくです」

  2人はしばらく無言だった。

 やがてその静寂を破るように、血相を変えた大使館職員がメインルームに入ってきた。

 そしてジェシカの顔を見ると近づき、耳打ちをした。

 ジェシカの顔が、驚きに見開かれるのに、時間はかからなかった。

 「…?」

 マルコは、ジェシカの顔を見つめた。

 「まさか…ありえない」

 ジェシカは、信じられない顔つきでマルコを見やった。

 「あのエインが…あの恐るべきサイボーグが…アスガルドの捕虜になっただと!」

 

 その凍てつく空間には、青白い光を放つ巨大な柱が幾つも立っていて、周囲を走る色彩豊かな幾筋もの光の点滅と対をなすように、薄暗い佇まいを見せていた。

 その巨大な冷却装置の間に、青い巨柱に比べれば、極めて小さな、それでいて極めて異質な氷の柱があった。

 その下には、氷柱を維持する装置が「ブーン」と音を立てている。その下からは何本ももの太い線が伸び、近くにある青い柱と直結していた。

 「氷床」と呼ばれるこの空間は、その青い巨柱が、摂氏マイナス100度の世界を構築しているエネルギーの源であった。その極寒の世界でも、凍りつくこのとない特殊な液体で氷柱は構成されていた。それを固形として維持するために、そのエネルギーを青い巨柱から摂っているのである。

 そしてその氷柱の中に、アローラはいた。

 彼女は、眠ってはいなかった。

 ただその身体の機能は、すべて停止し、体内を流れる血潮も凝固して動きを止めている。

 しかし、その状態であってもなお、彼女には意識があった。

 瞼を閉じてはいても、その意識は、暗黒にほのかな光を無数に散りばめる宇宙空間を彷徨っている。

 その星海の果てから、アローラの意識に迫る流星が1つ…。

 アローラの前に停止し、その光が花弁を開くように展開した。

 アローラは、それがナターシャであることをすぐに認識した。ナターシャは、アローラと瓜二つの姿で彼女の前に姿を現した。

 「久しぶりね、アローラ。エリスもあなたに対して、随分、ひどい仕打ちをするものだわ」

 ナターシャは、その栗色の髪を、宇宙の暗黒空間になびかせ、アローラの眼の前に佇んだ。

 「ナターシャ、わたしに同情するのはやめて。これはわたしが選択したことだから。エリスは哀れだから、何も分かっていないけど、わたしに“グレイプニール”をはめ、氷の中に閉じ込めたくらいで、もうわたしを征服したつもりになっている。でもやがて、追いつめられるのは彼女よ。きっとその時が来るまで、彼女がそれに気づくことはないでしょうけど」

 アローラの意識が形作る彼女の顔は、やや無表情に冷めて、それでいて挑戦的なものだった。

 「相変わらず、負けず嫌いね。その点では、あなたもエリスもよく似通っているわ」

 アローラは反駁した。

 「やめて、ナターシャ。用はなんなの?“ユミルの鍵”のマスターではなくなったわたしに、あなたが話すことなんて何もないはずよ」

 「アローラ、マスターをユウキに代えたことを怒っているの?でも、ああでもしなければ、鍵はエリスに渡ってしまうし、ユウキの命も危なかったわ」

 ナターシャは、やや悲しげな顔をした。

 「そんな顔はやめて、ナターシャ。なんでも自分の判断が正しい、絶対だなんて過信しているのがあなたの悪いところだわ」

 アローラは、きつい感情をナターシャにぶつけた。

 「ユウキはどうしているの?彼の身を危険にさらしたことは判っている。もし、彼が傷ついていたら、あなただって許さないから」

 アローラの怒りを、ナターシャは意にも介さず、ただ不思議そうな表情を彼女に向けた。

 「アローラ、忘れたの?あれを最初に彼に託したのはあなたでしょ?ユウキを危険にさらしたという意味では、あなたも同罪なのよ。ブレードが火星に残っていたにも関わらず、なぜあなたは、あんな選択をしたの?」

 「それは…ヱインやライアもいたし。彼らならユウキを守れると思ったから…」

 アローラは、やや歯切れ悪く答えた。

 ナターシャは再び、悲しげな表情をアローラに向けた。

 「アローラ、その選択が間違っていたとは言わないわ。鍵を守ることを優先してくれたことは、わたしとしても嬉しいし、わたしがあなたの立場でも、きっとそうしたでしょうね。オージンとしはそれで正解なのよ。でも、あなたは気付いていない。あなたは、自分の行動が結果的にユウキを巻き込んでしまった、そのことに思い悩み、これで良かったのかと自問し続けている。アローラ、それはオージンの思考や感情には、本来無いものなのよ。むしろそれは人間に近い…いえ、人間そのものだわ」

 ナターシャの哀れむ視線に、アローラの意識は反感を覚えていた。

 「だからなんなの?わたしは、オージンとしての役目はきちんと果たしている。何も問題はないわ。あなたやエリスは、わたしが人間に近づき過ぎたために、オージンとしての力を失い、墜ちた神になりつつある…とこう言うけど、あなたたちはどうなの?エリスは、戦争と金の亡者となり、神であるどころか、悪魔に成り下がっている。あなたはあなたで、眠ったままの身体になってしまった。意識を飛ばし、こんな風に会話する以外は、何もできない存在になり果てているじゃない。力を失い、人間に…人間に近づいたからといって、それが何だと言うのよ!」

 ナターシャはまた、悲しげな表情を、意識体としての顔に浮かべてアローラを見やった。

 「だから、その顔はやめて!」

 アローラは吐き捨てるように叫んだ。

 「解ったわ、アローラ。そのことについては、もうやめましょう。わたしがあなたの元に来たのは、何もこんなことを議論するためではないの。アローラ、ヱインがアスガルドのストロハイムに捕まり、捕虜になったわ」

 アローラは沈黙した。

 「彼は、平たく言えば、こう言っている。“鍵をよこせ。さもなくば、エインを破壊する”と。カイルは、その通達をはねつけることに決めたわ。“あいつなら大丈夫。それに自業自得、自己責任だ”だと言ってね。問題はユウキよ」

 アローラの意識体がざわめきたった。

 「そもそも、ヱインがアスガルドに行ったのは、アルフハイムにある星船を動かすため。足りない部品を、ストロハイムに分けてもおうと交渉に出向いたの。その際、ストロハイムは、奸計を用いて彼を拘禁した。ヱインが星船を動かそうとした理由、あなたならわかるでしょ?あなたのガーディアンとして、あなたを救出するため。そして何より、あなたを想うユウキの希望だから」

 「…」

 アローラは沈黙を続けたが、その心はざわめくばかりだった。

 「ストロハイムは狡猾にも、その事実を政府関係者だけでなく、民間にも情報として流した。わたしやカイルは、そのことをユウキに伏せようと思ったけど、だめだったわ。ユウキは、単身でアスガルドに乗り込んででも、ヱインを救出する気でいる。わたしたちは、ヱインが自らの力で脱出すると信じているから、わたしはカイルに、それまでユウキをメディナスに監禁するよう指示を出した。彼には気の毒だけど。彼は勇敢だわ。“火星の夜明け”を撤退させたのも、彼の行動が大きかったけど、今回ばかりは同じことをさせるわけにはいかない。わたしはユウキを、鍵のマスターの任を解き、ソフィアという身体的発達障害のある少女に、その任を負ってもらうことにした。だから彼は今、鍵のマスターではないわ。しかし彼は、自らを鍵のマスターと偽り、アスガルドに乗り込もうとしたの。そしてそれは、わたしたちから監禁されている今も、脱出の機会を窺い、それを成そうとしている」

 アローラは、しがみつくようにナターシャの意識体に近づき懇願した。

 「ナターシャ、お願い!ユウキを危険な目に遭わせないで!彼を守って!お願い…」

 「アローラ…」

 ナターシャは、また哀れむような悲しい表情で、アローラを見やった。

 「それは当然よ。彼はアルフハイムを救い、鍵を守りきってくれた立役者、彼を危険な渦中に放り込むわけにはいかない。ただ…」

 ナターシャは、アローラの意識体に触れ、その手を握りしめた。

 「彼の行動原理はあなたなの。あなたを助けること、それが彼をして、ここまでひたむきに走らせる原動力になっている。アローラ、わたしの精神世界を通して、ユウキに会わせてあげる。ただし…」

 アローラはその心の深淵から、さざ波のような感情が沸き上がってくるのを自覚した。

 「ユウキに、別れを告げなさい。彼が二度と、あなたを慕い、そしてあなたを追うことがないように…」

 「…」

 アローラの意識体は、はっきりとした彼女の身体を形づくり始めた。

 「それが彼のためよ。彼をこれ以上、危険な目に遭わせたくないのなら…」

 「…いや!!」

 アローラの身体は、完全な形となった。

 そしてその姿は、両の瞳から涙を溢れさせ、泣きじゃくる少女のそれであった。

 「アローラ…」

 ナターシャは不思議な面持ちで、アローラを見やっていた。

 アローラは懇願した。

 「ナターシャ、ユウキに会わせて!でも…別れを告げるなんて…そんなことはできない!」

 

                                         (つづく)

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