
スッと、紙屑が切れるように、鋼鉄のボディが真二つに斬り裂かれる。それはヱインの刃が、一体のアンドロイドを機能停止にした瞬間であった。
その後ろで風が抜けるような轟音が鳴り響き、迫り来るアンドロイドの体をいとも容易くぶち抜く。それも二体同時であった。
前方では、ワルキューレのソルジャーがマシンガンを構え、一斉に掃射を始めた。
空間を埋め尽くすような射撃音とともに、閃光が無数に走る。しかし、前を走るヱインには、毛ほどの損傷も与えることもできなかった。特殊な合金で構成されているヱインの体は、ダイヤモンド並の硬度に材質をあげることができる。たとえマシンガンでもヱインのボディを貫くことはできない。銃弾だけが虚しくはじかれるだけだった。
ヱインは立ち塞がるアンドロイドの死角に、体幹部をシフトした。
その瞬間、またもやアンドロイドのボディはいとも容易く斬り裂かれる。そしてアンドロイドたちの隙間に、素早くシフトを繰り返し、その刃を煌めかせ、鋼鉄の体を斬りつけていく。まさに一陣の狂風が吹き荒れるかのようであった。
その後ろを固めるライアのハンドガンが、何度も火を吹く。それはあらゆる方向に凶弾を飛ばし、何体ものアンドロイドの胸部や腹部を撃ち抜いた。そしてマネキンのように吹き飛ばされた彼らのボディは、力無く地面に叩きつけられた。
ヱインとライアの驚異的な戦闘力にワルキューレはまるで為す術がない。彼らにとって、二人は降って沸いた災厄そのものだった。
「ライア、あそこだ!」
ヱインが指さす方向に、地下に続く階段が見えた。
かつてこの界隈にあった地下街の名残である。
二人は風のように走り、口を開く地下の闇に飛び込んだ。
階段を飛び越え、地下街の地面に着地した二人は、休む間もなく地下道を駆け抜ける。
商店街の一角に物陰を見つけ、そこに飛び込んだ二人は、素早く壁際に背中をつけた。
ヱインはその角際に顔を寄せ、追っ手の動向を見据える。
「追っ手はこないわ。地下街に反応なし」
ライアの声にヱインは短く息をはいた。もし彼が生身の体であれば、それだけでは済まなかっただろう。深くため息をつき、その場にへたり込んだに違いない。
「“火星の夜明け”の動きは衰える様子はないわ。だから彼らは、よりホットな区域に移動したのね」
「俺たちに構っている暇はないってことか…」
地下の闇にポッと小さな火が点った。ヱインが例のごとく葉巻に火をつけたのである。
「思った通り、手薄だったな。やつらは“火星の夜明け”に手一杯だ。このままバベルの墓所まで突っ切るぞ」
「ヱイン」
ライアが腕を組み、ヱインの顔をじっと見つめた。
「あ?」
「この間、ブレードの足取りはまるで掴めなかった。奴はどこにいる?」
ヱインは葉巻の煙をみつめジッと考え込んだ。
「…奴がこんな戦争ごっこにつき合うはずはないな。手下たちにワルキューレを引きつけさせ、自身は悠々と…」
ヱインは葉巻を捨てた。
「奴に先を越されては面倒だ。急ぐぞ、ライア」
二人は地下道を再び走り始めた。
その時である。
地響きが鳴り、地下街が揺れた。瓦礫がパラパラと天井から降ってくる。
それは断続的に続き、遠くからも聞こえた。
「…!」
「これは!」
歴戦の戦士である二人は、何が起こったのか瞬時に理解した。
「ミサイルだ。小型の…ヴァルハラの中心部付近から発射されている」
「ちっ!ヴァルハラの腐れ軍部め。焼がまわったか!」
ヱインは地下街の天井をにらんだ。そしてスラム街で繰り広げられる戦闘が、より泥沼化するのを予感した。
行く手に続く地下道の揺れは続く。それは不気味に潜む怪物の咆哮にも似ていた。
赤々と燃え上がる炎が、闇にいくつも浮かんでいた。
ターミナルタワー付近から打ち上げられた光が、流星のようにスラム街に降り注ぐのが見える。やがて紅蓮の炎が巨大に膨れあがり轟音を響かせた。大地を揺るがすような音は、ユウキが住む区域の住民を大いに震え上がらせた。人だかりがあちらこちらできて、その異変の起きた方向を指さしざわめいている。
「なんだ、あれ?」
「スラム街が燃え上がっている!」
「あれは…ミサイルだ」
「そんな…政府が街の住民に攻撃するなんて」
「テロリストが政府軍とやりあっているらしい…」
ユウキは人混みを掻き分けながら、スラム街に向かって走った。もはやトラックを起動する猶予はない。なぜこんな事が起きているのか?考える暇もなかった。ユウキの脳裏をかすめるもの、ただそれだけが彼の心と体を動かしていた。
(どうか…無事で)
瓦礫と廃墟の隙間に住まう、あの子どもたち。
夜の寒さに震えながら、炎と轟音に震えていることだろう。
その時ユウキは、スラム街からも発光する矢のようなものが、放物線を描いて夜空に打ち上がるのを見た。やがてそれはヴァルハラの中心部に着弾した。そして大きな音をたてて建物を破壊し煙を舞い上がらせた。
(スラム街から?応戦している?)
そんなことをすれば、政府軍からの攻撃が激しさを増すのは目に見えている。ユウキの心は焦った。
スラム街に入る通りにさしかかった所で、ユウキは立ち止まった。
警備隊が物々しい武装でずらりと並び、道を塞いでいるのが見えたからである。
ユウキは構わず突っ切ろうとした。しかし、警備兵に腕を掴まれ、周囲を囲まれてしまった。
「離せ!」
ユウキは叫んだが、大の大人に数人がかりで取り押さえられては、どうすることも出来なかった。
「ここは立ち入り禁止だ。帰れ小僧!」
警備兵の恫喝に負けじと、ユウキは言い返した。
「スラム街に友人がいるんだ!街の人を閉じこめて見殺しにする気かよ!」
抵抗虚しく、ユウキの小さな体は弾き返されてしまった。
「街の人を閉じこめるために、ここを封鎖しているんじゃない。この区域から逃げてくる人はテロリスト以外、外に逃がす手筈になっているんだ、見ろ!」
警備兵が指さす方向を見ると、確かに避難してきた人たちの一団が、列をなし検問を受けているのが見える。
「だが、この区域に入ろうとする人間は別だ。市民を危険地帯に入れるわけにいくか。わかったら早く立ち去れ」
ユウキは引き下がるしかなかった。
しかしスラム街を商売のエリアにしているユウキは、あらゆる裏道を知っていた。なにも、この通りからの進入にこだわる必要はない。
ユウキはあらゆる建物の隙間、下水の通る道、建物の屋上から屋上に移り、目的地を目指した。その間も街は燃え、ミサイルの着弾が相次いだ。轟音が廃墟群を揺らし、炎と煙がユウキの行く手を遮る。そしてその目的地にたどり着いた時…。
ユウキは愕然となった。
(そんな…こんなこと…)
そこはあの小さな子どもたちがねぐらにしていた場所。アローラとともに歌を歌い、飢えと病気で骸になった子どもを火葬した場所。それは跡形もなく破壊され、炎に包まれていた。
発炎性が高く、火星の石材でできた建物さえ燃やす、ヴァルハラの凶悪な兵器…。
その炎は、ユウキの頬をも焦さんばかりに燃え上がっていた。
ユウキはガクリとうなだれ、その場に膝をついた。
その地面にポタポタと染みができる。
そして声を上げて泣いた。
「なぜだ!」
ジェシカはヴァルハラ中心部から飛来する、凶悪な流星群を見上げて叫んだ。
スラム街のあちこちが炎の海に包まれている。そして呼応するように夜空に打ち上げられる無数の閃光。“火星の夜明け”が、政府軍の攻撃に応戦しているのは明らかだった。
「こんなことをすればテロリストどもも当然反撃する…そして市民の被害が拡大する!一体、誰がミサイル攻撃を命令しているんだ!」
その時、轟音が鳴り響き、熱風がジェシカの体を揺らした。燃える粉塵が容赦なくジェシカの部隊に襲いかかる。
「隊長、ここは危険です!いったん引き上げましょう!」
「できるか!」
部下の進言にジェシカは鋭い言葉を返した。その炎に照らされた顔は、まさに鬼の形相であった。
「ここまで来て!奴らはきっとこの街のどこかにいる。この混乱の中、あの女神…彼らのマスターたる、あのオージンの身柄を確保するために血まなこになっているに違いない!逃げたい奴は逃げろ!わたしは行く!」
あくまで強行突破を決意する隊長を止める者はいない。彼らは、火炎地獄と化したスラム街をひたすら駆け抜けた。
「これは?ひでえな!」
エインの青いはずの瞳が、オレンジ色に変色していた。ライアと地下道を抜けたあと、その目の前に現れたのは、一面の火の海であった。
「エイン、バベルの墓所は、こっちよ」
ライアは、眼前に広がる地獄の業火など、まるで気にする様子はなかった。ただ、なに喰わぬ顔で、目指す目的地の方向に、指を指し示しているだけだった。
「巨大なエネルギーが、わたしのセンサーにひっかかった。彼女に違いないわ。急ぎましょう」
「…ああ」
二人は、再び駈けだした。
どれくらい時間が経過しただろう?
ユウキの脳裏に、またあの忌まわしい日の記憶が蘇った。
うららかな、セントラルパークでの親子水入らずの休日…。
その幸福のひとときを一瞬で奪った無数の銃弾…。
母はユウキの目の前で肉塊と化し、身を挺して庇ってくれた父も血の海に沈んだ。辺りは硝煙の臭いと鮮血にまみれた無数の骸…。
テロ組織“暁の息吹”による犯行と分かったのは、ユウキが施設で育ち大きくなった時分だった。
(いつまで…こんな無惨で悲しいことが…)
目の前の炎は、勢いが衰える様子もなく燃えさかる。その髪や肌を焦がさんばかりだったが、それでもユウキは、その場にうずくまるばかりだった。
(テロリスト…また…テロリストの仕業なんだ…)
ユウキはようやく顔を上げた。
その瞳は、目の前の炎を映し、異様な輝きを放っていた。
悲しみと怒りと…そして憎しみが、沸々とその胸に宿るのをユウキは自覚した。
それは抑えようもない感情だった。この想いを…このやるせない想いを一体、どこにぶつければいいのか?
父も母も、そしてあの子どもたちも…もう戻ることはない。ならこのどうしようもない悲しみ怒り、そして憎しみをどこにぶつければ気が済むというのか?
ユウキはまんじりともせず、ただ目の前に広がる炎の海を見つめるだけだった。
その時である。
パラパラと足音がした。
ユウキが振り向くと…。
「おい…お前は…」
ユウキが目にしたのは、青い目の輝く男と黒いコートを着た女だった。
「…」
ユウキの脳裏に数日前、ターミナルタワーで出会った特異な二人組の記憶が蘇る。
男のほうはヱインという名だったか?横暴で挑戦的な雰囲気の男だった。そして黒ずくめの女が放つ硝煙の臭い。無機質で血なまぐささの漂う戦場の臭い。
機械の体を持ち、戦場を駆ける傭兵…そんな印象を持ったあの時の感覚が今、ある符号を持ってユウキの中で一致した。
彼らはなぜ、ここにいる?
どう見ても彼らは政府軍ではない。スラム街を戦場にしたのは、テロリストたちだと聞いていた。なら…ここにいる彼らこそ、この惨状を招いた張本人たちではないのか?テロリストたちではないのか?だから、あの時、飛行艇の乗客を装い、このヴァルハラに、侵入したのではないのか?
ユウキは立ち上がった。
その背後で燃えさかる炎が、彼の怒りを象徴するように立ち昇る。
「お前たちのせいで!」
ユウキは我知らずそう叫び、ヱインに突進した。
その振り上げた拳がヱインの頬を打つ!バキリと音がして、ヱインの頭が後方に揺れた。
その勢いにヱインは驚きの表情を浮かべる。そしてユウキを抱えながら、ドサリと後ろに倒れこんだ。
「お前たちが!お前たちが!」
ユウキは、両目から流れる涙もそのままに、拳をふるい続けた。
「…」
ヱインはただ唖然とした顔で、馬乗りになったユウキの拳を受けるだけだった。
「そこまでだ」
ガチャリと音がしてライアの銃口が、ユウキの頭にピタリとつけられた。
「これ以上、ヱインを傷つけるなら容赦はしない」
ライアの冷たい眼光が鋭さを増して、ユウキに突き刺さる。
ユウキは拳を振るうのをやめた。そして涙を拭い両手をあげる。まだポタポタと滴が落ちてヱインの白いシャツに染みを作った。その様子をヱインは、ただ黙って見つめていた。
その時…また無数の足音がして、ユウキは顔を上げた。
「お前たちこそ手を挙げろ!その子を放すんだ!」
彼らはぐるりとヱインたちを取り囲み、銃を構えた。
「ヴァストか!」
ヱインは舌打ちをした。
「無駄な抵抗はよせ。このショットガンは、お前の鋼鉄の体をも撃ち抜くぞ」
ジェシカは勝ち誇ったように、ショットガンの標準をヱインに定めた。
「いよいよ年貢の納め時だな。おとなしくすれば、この場での射殺は免じてやる」
ライアの氷の瞳が妖しい光を放った。その銃口はいまだ、ユウキの頭に向けられたままである。
「…撃ってみろ。この子どもの命はないぞ」
炎が燃えさかる中、緊迫した空気が張りつめる。ライアもジェシカも銃を引くそぶりは見せない。人工の身体を持つ二人の女が、その視線を交錯させ火花を散らす。
「…クッ」
根負けしたのはジェシカだった。子どもを人質に取られては、警官としてやはり為す術はない。
そして…ジェシカが銃を降ろしたまさにその時!
耳をつくような凄まじい轟音!そして爆風がユウキたちを襲った。
それは、ミサイルが近くで着弾した瞬間だった。
「うわあ!」
その場に居合わせた全員が吹き飛び、瓦礫とともに舞う。
その最中、ユウキの意識は遠いた。
「…!」
アローラの研ぎ澄まされた意識に電流が走った。
(ユウキ!)
彼女は夜空を見上げ、「ああ…」と嘆息する。
その紅蓮に染まった夜空の果てに銀河が輝き、流星が流れる。それは明滅を繰り返し宇宙の闇に消えていった。
「…お迎えにあがりました」
星の海を見上げるアローラの瞑想は、野太い声に破られた。
その男の体躯は大柄だった。長くこわばった髪を、頭に巻いたバンダナでまとめ上げている。暗闇から現れたその男は、うやうやしく片膝をついた。
「わが主の姉上さまには、ご機嫌うるわしく…」
「イスラム教徒を騙るあなたに言われたくはない!」
アローラはピシャリと言い放った。
「ブレード。これはあなたが仕組んだことね」
スラム街を包む炎はなお盛んだった。
ヴァルハラ中心部から発射を繰り返すミサイルはいまだ放物線を描き着弾する。火の海から打ち上げられる凶弾もまた、散発を続けていた。
「アローラ様。わたしの要求は二つあります。一つはお解りのはず。二十年前もその遙か過去も…そして未来永劫変わることはない。輪廻の如く繰り返すもの。今一つは…」
「…」
ブレードはニヒルに口を歪めた。
「あなたの妹君にお会いいただきたい。それさえ了承いただければ、この戦火を沈めることをお約束します」
アローラの琥珀色の瞳が、やや冷たい色を放った。
「選択の余地はないのでしょう?わかった。妹に会うわ」
(つづく)