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 その都市国家が「死と鋼鉄の街」と呼ばれるようになったのは、「バンハイム戦役」と呼ばれる都市国家間の戦争が、勃発した以後であった。それは100年前に起きたオージンとその信奉者による“十年紛争”以後、最大の戦争でもあった。

 「死と鋼鉄の街」アスガルド。

 7つの都市国家最大の都市であり、また最大の軍事力と侵略性をもった軍事大国。その強大な兵力を支える鋼鉄の兵器群は、まさに死を運んだ。

 そして軍需産業フェンリルにとって、最大の取引相手であり、その兵器のほとんどがフェンリル製であった。

 フェンリルの支社や軍事工場、フェンリル傘下の企業は数知れず。本社のあるヴァルハラをも凌駕している。ヴァルハラと並び、まさに軍事産業で国家を支える街であった。

 ヱインは、メディナスでユウキと別れたのち、その日のうちにアスガルド行きの便に乗った。そして到着後、ターミナルを出た彼の目の前に広がっていたのは、20年前にも増して要塞化したアスガルドの姿だった。

 この街の飛行艇ターミナルは、長方形のピラミッド型をした建造物である。軍事施設や兵器工場の密集した中央部を、巨大な鋼鉄の壁が取り囲みその左右に展開していた。まさに国家の中枢部と居住地域を隔てる壁に設けられた、巨大な門であった。

 事実ターミナルの下は、幹線道路が幾つか通っており、空と陸の玄関口…というより門と表現したほうのが、より正確であることは否めなかった。

 ヱインが目の当たりにしているのは、ターミナルや壁の内側に広がる中枢地域である。

 それは巨大な鉄の壁…50メートル以上はあろうかという高さと、厚さ5~7メートルはあるとてつもなく分厚い壁に周囲を取り囲まれていた。そして無数の鉄パイプと光ファイバーが走り、水蒸気が立ち上る工場区域の真下に、兵士や労働者たちの歓楽街だろうか?昼間にも関わらず、暗くどこまでも暗黒に沈み込むような、天井のない地下空間にネオンサインが彩られ、立体ディスプレイに裸のダンサーやアニメキャラクターが踊っていた。

 軍用施設のエリアには、ミサイルの発射口だろうか?開閉弁に閉じられた穴が、その屋上に幾つか設置された施設があり、また巨大な開閉式のハッチから、定期的に軍用飛行艇が飛び立つ格納庫も幾つか認められた。その飛行艇が定期的に飛び立つ理由は、軍事訓練が目的であることをヱインは知っている。

 その飛行艇の数は、明らかに20年前より増している。上空を見上げれば、編隊を組む飛行艇がそれぞれ7艘ずつ、3隊航行しており、計21艘もの飛行艇がアスガルドの周囲を旋回していた。

 (ストロハイムめ、この街をまた一段と物騒にしやがったな)

 ヱインは腕を組み、まさに上空を制圧する黒い死神を見るような心地で、それらを見上げていた。

 やがてヱインは、その視線を正面に向けた。

 軍用施設群の遙か向こう、そこには円錐状の巨大な建物が佇んでいる。周囲を覆う鋼鉄の壁の高さをゆうに超え、その偉容を露わにしているその施設は、この軍用エリア“ミッドガルド”のコントロールタワーだった。

 そこは“ミッドガルド”の中枢であるのと同時に、アスガルドの中枢でもあった。

 アスガルドの太守、ストロハイムが鎮座し、アスガルドの政治、経済、司法、軍事の中心…ただ、政治と経済、司法を司る中心施設は他にあるのだが、この街を独裁的に支配しているストロハイムが常に常駐しているからこそ、そこが実質的な中心となっているのである。

 ヱインは、コントロールタワーの最上部を見つめている。

 ヱインは知っていた。

 そこには、“ミッドガルド”はおろか、鉄壁の向こう側、アスガルドの街並みを一望できるテラスがあるのだ。

 (何だかな…俺の直感が、今そこにストロハイムがいることを告げている)

 彼は自ら支配するこの街を展望し、何を思うのか?

 (奴に会うのも、スレイプニル号の一件以来か…)

 かつてアローラがこの街に現れた時、彼女の居所を掴み、そしてアルフハイムへ同行することを説得するのに、一役買ったのも彼だった。

ストロハイムには、オージンを理解し、オージンとも対等に交渉できる力がある。

なぜなら彼も、オージンを守護するガーディアンの端くれであったからだ。

しかしそれは過去の話である。

また、同じガーディアンでも、ハイドロイドであるブレードやライア、カイルとは性質を異にしていた。また、一定期間、氷室で眠りにつき、脳の老化を遅らせて永い時を生きる“コールドスリーパー”のヱインともまた違った。

彼もまた、永い年月を生きる“人にあらざる者”であった。彼とヱインは、ある意味近い手法で脳の劣化を遅らせてはいるのだが、その長寿の秘密は、ヱインでさえ正確に把握しているわけではなかった。ストロハイムのそれは、ある種独特のもの…であるのだが?

ただ脳を人工化していないということでは、彼もまたヱイン同様、人間であることは間違いなかった。その意味では、ヱインは彼に対してある種の親近感を覚えることは否定できなかった。

その生き方は、真逆ではあるが…。

(さて…久々の再会、冷たくあしらってくれるなよ。手荒い歓迎もご免だが…)

ターミナルを降りれば、コントロールタワーに入れる無人タクシーの乗り場がある。認証システムに登録された軍や政府関係者しか乗車は出来ないものだが、ヱインはその利用が可能な認証登録がされているので、乗車には支障はないはずだった。

ヱインの能力なら、徒歩でも充分にコントロールタワーへ速やかな移動は可能だが、コントロールタワー内部に入る方法は、その無人タクシーに乗るより他に手だてがなかった。

だからまずは、タクシーに乗りこまなければ話にならないのである。

ヱインはエレベーターホールに向かった。

そしてタクシー乗り場へ通じるエレベーターを見つけ、その扉の向こうに消えた。

 

火星の冷たい風は、地球歴の暦、四季でいうところの秋ごろになると、上空を摂氏マイナス50度の風が吹く。それが上空より舞い降りると、地上200メートル付近でも凍える寒さが身に染みる。ただそれは、生身の人間の話であった。

そのテラスから、アスガルドの街並みを展望し、そして上空を旋回する飛行編隊を見つめるストロハイムの瞳には、アメジストの光沢が輝いていた。

 そのテラスは手狭ではあるが、この街を実行支配するストロハイムにとって、その対象を睥睨する実感を満たすには充分な空間であった。

 白いタキシードとコートに身を包み、瞳と色を同じくする紫がかった髪は、やや長髪でもある。そして白いコートと紫の頭髪を、風に吹かれるままになびかせていた。

飛行艇部隊は今、演習の最中である。

 アスガルドの総帥として軍のトップたるストロハイムにとって、軍事演習を直接指揮するわけではないにしろ、その演習内容は把握しているので、それを観覧することは重要な責務でもあった。

やがてストロハイムの背後に、1人のアンドロイドが膝をついた。金髪のショートヘアが美しく、黒いスーツに身を包んだ女性型のアンドロイドであった。

 彼女はストロハイムに、極めて小さなカードを手渡した。ストロハイムはおもむろにそれを受け取ると、自らの頸椎に差し込み、そこからもたらされる情報をすべて“インストロール”した。

 やがて彼のアメジストの瞳が、異様な光を放つ。

 それは数十秒続いたが、その脳裏に呼び込まれたビジョンを一通り認識すると、彼は微笑みを浮かべた。

 「まさか、向こうから…ね。国賓並の歓迎を準備しなくちゃね」

 そしてアンドロイドに振り返り、カードを返してまた微笑を浮かべた。

 「古い友人が尋ねてくる。そそうのないようにしろよ」

 そして思案した。

 「そうだな。上等の葉巻を用意してくれ。とびっきりのね」

 そして片目をつむって見せた。

 やがて彼はアンドロイドを伴い、テラスから階下に降りるエレベーターの扉の向こうに消えた。

 

 アスガルドのターミナルは、飛行艇のターミナルであるばかりではなかった。その下層は、タクシーや定期バス、業務用トラック、ホバー式トレーラー、運搬用ドローンなどなど、様々な車両が行き交い、出入りを繰り返していた。

 ターミナルからコントロールセンターまでは、リニア式の幹線が行き帰り2車線伸びている。コントロールセンター行きの無人タクシーは磁力で動くため、その幹線には常に磁場が働いていた。

 タクシー乗り場には、約20機の無人タクシーが駐車していた。軍の関係者が時折、出入りしているが、出入りの比率はほぼ同じなので、その数が大きく変わることはなかった。これが戦時中なら、状況はまた違うものになるのであろうが…。

 エインは、発着スペースに繋留されているタクシーの1つに乗り込んだ。

 そして認証システムを作動させた。

 顔の形状、指紋、身体を構成する製造ナンバー…それらがエインの登録している内容である。システムを作動させれば、自動的にそれは認証され、タクシーは自動でコントロールタワーに向かうはずなのだが…?

 「アナタハ認証システムニ登録サレテイマセン」

 人工的に録音された女性の声が無慈悲に響いた。

 「笑えねえ冗談だな」

 エインは腕を後ろに伸ばし、シートに背を預けて舌打ちした。

 「ストロハイムの野郎、あれから俺の認証システムを抹消しやがった!」

 機械に罪はない。

 しかたなく、憤懣やるかない気持で車両を降りると、後ろから声がした。

 「エイン様ですね」

 エインが振り向くと1人の女性が佇んでいた。

 彼女は色白で黒髪の美しい女性だった。そして笑顔である。

 しかしエインには、その笑顔が不自然なものに思えた。人形がぎこちなく笑っているようにしか見えないのである。

 (アンドロイドか)

 エインは、彼女の正体をすぐに見抜いた。

 「エイン様、あちらの車両にお乗りください」

 女性は、向かいに停車している一際大きなタクシーを指差した。

 「どうぞこちらに。ストロハイム様がお待ちです」

 

 そこは果てしなく、白い大理石の床が続き、突き抜けるような蒼天が、どこまでも広がる空間だった。

 ただ、現実に存在する場所ではなく、またバーチャルとも異質であった。

 その輝く大理石に映える空には、雲ひとつ流れず、白亜の地平は果てることを知らなかった。

 カイルはその磨き抜かれたような白く、透明な床に跪いていた。

 ここは、ナターシャの精神世界と呼ぶにふさわしい“空間”であった。

 カイルは、ナターシャから彼にだけ認識できる合図を受けた。そしてメディナスの最深部、ナターシャの眠る“ゆりかご”にて、彼女の意志と交感をしている最中であった。

 そのナターシャは、カイルの目の前で栗色の長髪をなびかせ、その青空を凝縮したかのような青い瞳で彼を下ろしていた。

 「ユウキは、納得してないでしょうね」

 ナターシャは、憂いを帯びた表情でカイルを見つめた。

「ナターシャ様…」

 カイルは床に視線を落とし、頭を垂れた。

 「出過ぎた言葉ではありますが、お許しを。ソフィアを“ユミルの鍵”のマスターに替えたことはご明断でした。ヴァルハラの人間であるユウキを、アルフハイムに留め続けるのも限界があります。ここが潮時ではありましょう。彼の身柄をヴァストに預け、ヴァルハラに返すことは、当然の話です。しかし…」

 カイルは顔を上げた。

「ご指示に従い、ヴァストの隊長ジェシカを外さず、ユミルの鍵とユウキの関係について、洗いざらい話をしましたが…よろしかったのですか?」

 ナターシャはうなずいた。

 「隠す必要はありません。それに余計な疑惑を持たせることは、今後の成り行きを考えるなら却ってマイナスです」

 カイルはなお首をかしげた。

 「ですが、ヴァストはヴァルハラの国家機関です。当然、フェンリルとの繋がりも懸念されます。ヴァストの掴んだ情報はエリスにも筒抜けで、当然の如く伝わる可能性が大きいでしょう」

 「カイル…」

 ナターシャは静かだが、やや窘めるような口調で口を開いた。

 「物騒なことを考えてはいけませんよ。口封じにヴァストを抹殺しても当然、彼女らが行方不明となった理由を、ヴァルハラに説明しなければならなくなります。ヴァルハラを納得させることなど不可能です。またそのようなやり方は、必ずあなたに因果応報となって災いが降りかかりますよ。考えることはおやめなさい」

 カイルは恐れ入ったように再び頭を垂れ、かしこまった。

 「あなたの懸念はわかります。ブレードが復活すれば、また“火星の夜明”を復興させ、再度アルフハイムに攻め寄せてくることも考えられます。しかし不備のあったこちら側の備えを万全にすれば、今回のように容易くは攻撃できない。エリスは狡猾ですから、それを見て取って、違う手法でユミルの鍵の奪取を目論むでしょう。それこそソフィアにあらゆる手管を使い、近づき、そして奸計によって、ソフィアの身柄ごと奪うこともやりかねない…」

 ナターシャは瞳を閉じた。

 その栗色の髪は、風もないのに揺れ動き、たなびくままである。

 「だからソフィアのことは伏せ、その目をユウキに向けさせたままにする。そしてソフィアとユミルを守るため、ユウキを囮にしておきたい…だから、ヴァストにはそれを伏せたままにしておきたかった。あなたはそう考えているはずです」

 カイルはもはや、反駁のしようがなかった。

 「ご明察です。やはりナターシャ様は、偉大なオージンであらせられる」

 ナターシャは頭を振った。

 「カイル、わたしは偉大ではありません。ただそのような能力と役割をもって、この世に生を受けているだけです。カイル、ユウキをこれ以上、わたしたちの争いに巻き込むことは、神の意志、自然の理に適いません。彼をこの件から解放するため、彼を鍵のマスターから任を降ろした…そのことを知らしめるために、わたしはあえてヴァストの隊長にも、その経緯を聞かせることを指示したのです」

 ナターシャは目を閉じたままだった。

 「しかしユウキは…ヴァルハラに帰還する意志はないのですね」

 「はい。星船を動かすのに必要な部品を求め、アスガルドに赴いたヱインを待つとか」

 ナターシャは静かに目を見開いた。

 「それもあるでしょうが、彼はアルフハイムが戦火に焼かれたことに、己の責任を感じ、見て見ぬふりはできないという気持ちになっています。おそらく、アルフハイムに滞在しているあいだ、街の復興を手伝う心づもりでしょう。カイル、そんなユウキの気持ちに応えるためにも、彼がアルフハイムで生活しやすいように、できるだけ寄り添い、生活の支援をしてあげなさい。彼の腕のこともあります。療養させることも大事ですから」

 「承知しました」

 カイルのいらえは短かった。

 「カイル、今1つ。アスガルドに向かったヱインのことです」

 「は?」

 ナターシャは、厳しい視線を白亜の地平線に向けて言った。

 「ストロハイム。かつて、エリスのガーディアンであり、エリスを裏切ったあの男。裏で軍需産業の繋がりはあっても、エリスに昂然と楯突き、反逆を続けるあの男…」

 ナターシャが言わんとする言葉を、カイルは静かに待った。

 「あの男の野心は今、大きく膨れあがっています。ヱインに何事もなければいいのですが…」

 

 タクシーの車窓から見えるコントロールタワーの威容は、迫るように近づいていた。

 軍事施設や軍事工廠で構成されているこの“ミッドガルド”は、まさに鋼鉄に覆われた街である。その中心にそびえ立つ鉄の尖塔は、巨大な鏃のように禍々しい。

 エインは、やがてコントロールタワーに吸い込まれるように入るであろう、無人タクシーのシートに足を投げ出し、背をもたれていた。

 隣に座る女性アンドロイドは、無表情のまま前を見据えている。

 (すいぶん精巧に造られているな。まさにレプリカントだ)

 エインはストロハイムが、人間に限りなく似せて造られるアンドロイドの開発に、心血を注いでいたのを思い出した。

人間に限りなく近い、人型のロボット。

火星の歴史の中で、エリスを頂点とする軍需産業フェンリルが発達させてきたものである。

人類は人間の身体を人工物に変え、火星の厳しい風土と低重力を克服してきた。

その人工の四肢や内臓、骨格などは、人工知能さえあればほぼ人間と同等、あるいはそれ以上の能力を発揮するほどに発達もしてきたのである。

その背景の中で生み出されたのが、AIを搭載した人工身体の集合体、アンドロイドであった。

アンドロイドはあらゆる分野の産業で活躍し、産業によっては人間より地位の高い存在として有用された。やがて軍事的にも用いられるようになり、その中でフェンリルが開発したのが、戦闘用アンドロイドの雛形となるスぺクターやガルムであった。スぺクターはやがて、ヴァルハラの軍事に取り入れられ、対テロ特殊部隊ワルキューレが誕生するのである。

それら軍事用のアンドロイドや、企業等で登用されているアンドロイドは、人型とはいえ、骨格や外装が剥き出しで、いわゆるロボットと性質は何も変わらなかった。人間の皮膚に似せて作られる外装は、コスト面もさることながら必要性が認められないため、ほとんどのアンドロイドに採用されていないのである。

しかし、アスガルドで開発されるアンドロイドはまるで様相が違った。

皮膚や頭髪、瞳や手足の爪に至るまで、生殖器を除けば、ほぼ人間と容姿は変わらないクオリティで製造される。

人によっては“レプリカント”と呼ばれるアスガルド製のアンドロイドは、ヱインにしてみれば、首をかしげたくなるような代物だった。

より精巧に造られれば、軍事的な観点から見て、有用なものがあるのは確かだった。

 限りなく人間に似せて造られているため、例えばスパイや暗殺など、リスクの高いミッションを、人命を損なうことなく遂行ができるからである。

 ただ認証システムや生命体反応システムの発達で、人間かアンドロイドか?その識別が容易になった時代では、むしろ無用の長物になりかけていた。

だからストロハイムが、アンドロイドの開発に執着する理由は、エインには解らなかった。

 タクシーはやがて、コントロールタワー内部に進入した。

 その正面にはすぐにエレベーターがあり、無人タクシーはそのまま中に入った。

 無人タクシーごとヱインらを上層階に運ぶエレベーターは、もの数秒程度で目的の階に到着した。

 そしてエレベーターの扉が開いたとき、ヱインを出迎えたのは、微笑をたたえホールに佇んでいたストロハイムだった。

 ヱインはタクシーを降りると、すぐに手を差し出した。

 「アスガルドの太守が、自らお出迎えとは。いたみいるぜ」

 ストロハイムは、ヱインの手を握り返すと、その肩を叩きながら、彼を誘うように歩き出した。

 「20年ぶりだね。ターミナルで君の姿が確認されたから、差し出がましいとは思ったが、特別便のタクシーを用意させてもらったよ」

 そしてヱインの首に腕を回して「上等な葉巻も用意してあるよ。あちらの応接室だ」と正面の自動ドアを指さした。

 ヱインは、ストロハイムの馴れ馴れしさに違和感を覚えた。

 そもそも、ナターシャとエリスが争っていた時代、2人は敵同士であった。

 ストロハイムがエリスと袂を分かち、反エリスという形ではあっても、必ずしもエリスと利害が不一致というわけではない。事実アスガルドの兵器は、フェンリル製がほとんどであり、ヴァルハラからの購入に頼る形になっているのだから。

 火星の経済を司るエリスは、例え敵対するストロハイムが治めるアスガルドといえど、兵器の輸出を差し止めることはしなかった。

 ヴァルハラ政府に、アスガルドと対等な通商協定を結ばせ、“スレイプニル号事件”に端を発する紛争の折りにも、アスガルドへの兵器輸出を規制しなかったのである。

 だからエリスとストロハイムは、現在は対等な商売相手でもあった。

 一般市民には到底、理解し難い関係…ユウキなら戸惑い混乱し、憤りを覚えることだろう。ストロハイムのような男と知古である自分に、不信の眼差しを向けてきてもおかしくはなかった。

 ヱインとストロハイムの関係は、神々の黄昏と言われた“十年紛争”にまで遡る。

 ナターシャが原因不明の眠りにつき、エリスが勝利するかに思えた時、ストロハイムは突如エリスを裏切った。そしてアルフハイム側に与し、エリスの野望を頓挫させた。

 “エリスが火星の支配者として君臨したならば、火星に生きる人類にとって暗黒の世界になってしまう。だからそれを阻止した”…というのが、ストロハイムの言う理由である。

 無論ヱインは、その言葉を信じてはいない。

 彼はエリスに反旗を翻した後、エリスより譲り受け掌握した自らの部隊で、クーデターの絶えなかったアスガルドを占拠した。ストロハイムが平和主義者でないことは、その行動からも明らかであった。そしてアスガルドに100年の独裁体制を敷いてきたのである。

 だからヱインにとってストロハイムは、決して油断できない手合いでもあった。

 アスガルドを火星随一の軍事大国として発展させ、バンハイムとの地底資源を巡る戦争、“テロとの戦い”と大義を振りかざして、“火星の夜明け”を始めとする様々なテロ組織との交戦…などなど、血塗られた歴史を歩ませてきたのも彼だった。

 アルフハイム政府との関係が良好だからこそ、こうして親密な付き合いもできるのだが…この男がいつ、ナターシャとアルフハイムに牙を剥くか?わからないうえに、この微妙な関係が、将来にわたり続く保証などどこにもないのである。

 やがてその応接室に通されたヱインは、部屋の真ん中にあるソファーにドカリと腰を下ろした。

 「ストロハイム、早速だが用件を言おう。アスガルドにある星船、あれのスペア部品を少しばかり分けてくれねえかな?」

 ヱインは単刀直入に切り出した。

 ストロハイムは、テーブルの上に用意された葉巻をヱインに勧めながら、彼の顔を見やった。

 「アローラ様の救出かい?あのわがままな女神様のお守りも、難儀なことだな」

 「へっ、状況は把握済みってことか。さすがだな。なら話は早い。お前にはスレイプニルの件で借りもあるし恐縮だが、今回もあのわがままな女神様の件で頼む」

 ストロハイムは笑った。

 「よしなよ。オージンは地獄耳だ。君の言葉は遙かダイモスまで届いているぜ」

 「へっ、構うもんか。というより…」

 ヱインは葉巻を咥え、火を点けた。

 「先に言ったのはお前だろ?」

 ストロハイムはまた笑い、ソファーに背を預けながら、ニヒルな表情でエインを見やった。

 「アスガルドにとっても貴重な星船の部品だ。タダでというわけにはいかないよ。それなりの見返りはほしいね」

 「ほう…」

 エインはニヤリと笑った。

 「ストロハイムよ、この街は以前にも増して、随分、物騒になったじゃねえか?軍備が急ピッチで進んでいる。またバンハイム辺りとやりあう気か?」

 「バンハイムとは地下資源の採掘について、折り合いがついている。もう、やり合う意味はない。当面は平和を享受したいところだね。ただテロとの戦いは、まだまだこれからさ。ところで…」

 ストロハイムは言葉を切った。

「昨日、アルフハイムを襲った“火星の夜明け”。ブレードは破壊されたらしいね。あの男が…信じられないが。倒したのは君か?」

 エインは、やや間を置いて答えた。

 「いや、ライアだ。よくやったよアイツ」

 エインは、ライアの状態については伏せた。この男に余計な情報を与えるのは、得策ではない。

 「だが、破壊された奴の身体、昨日から行方不明らしい。奴のことだ、すぐに復活するだろうな」

 そしてエインは、身を乗り出した。

 「アスガルドが、テロとの戦いをやろうが、どこと戦おうがどうだっていい。ストロハイム、俺を傭兵として雇え。俺がいれば、百人力だろ?それにアスガルドの損失を少なくして勝利に導いく自信もある。報奨金はいらん。代わりに星船のスペア部品だ」

 ストロハイムは不思議な眼差しで、エインを見つめた。

 「なるほど。取引としては悪くない。ミサイルや光学兵器の使用は、敵に大きな損害を与えるが、戦後処理におけるインフラの整備が厄介になるうえに、民の犠牲も増え、怨嗟も招く。だから極力、兵士同士の白兵戦が望ましいのさ。テロリストとの戦いも、ゲリラ戦になるケースがほとんどだからな。だから、君のような規格外のソルジャーがいれば、確かに助かる。だが…」

ストロハイムは、すっと眼を細めた。

 「アスガルドの戦う相手が、アルフハイムだとしたら?君はどうする?」

 「…!」

 エインは血相を変え、立ち上がった…かに見えた。

 (なんだ?力が…)

 エインは意識が遠のくのを感じた。

 その最中、エインが耳にしたのは、ストロハイムの笑い声と意味深げな言葉だった。

 「君の咥えた葉巻は…脳の…神経に…ふふ、こうもあっさり…これで…ユミルが…近づくな…」

 そしてエインの意識は途絶えた。

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