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 沈む太陽が、白銀のターミナルタワーを照らし、その巨大な構造物をオレンジ色に光らせていた。

高さ1000メートルはあろうこの巨大建造物は、都市国家ヴァルハラの象徴でもある。標高500メートル付近から最上部まで計12ものターミナルがあり、無数の飛行艇がひっきりなしに出入りを繰り返しているのが見えた。

夜の闇が大地を覆うにはまだ早い黄昏時。その空には格子状の雲がたなびき、空の三分の一ほどはまだ青くはるか成層圏まで達していた。人類が火星に移住する以前、かつて暮らしていた地球という星の空もまた青く、その空は金色に輝いたという。

定期便の窓からユウキは、ターミナルタワーの下に広がる無数のビルや施設を眺めていた。

そしてその周囲に広がる暗黒世界に想いをはせた。そこには、スラム街が広がっているのだ。

定期便はやがてターミナルタワーの広い入口の一つに、吸い込まれるように入港していく。

入れ代わりに飛行艇が一機、ターミナルを出ていく。下層のターミナルは民間用の貨物便が多く出入りする。上層のターミナルは、大企業や政府、そして軍用に使用されているものが主だった。ユウキを乗せた定期便がターミナルを入る直前、巨大な軍用の輸送機が轟音を立てて出航していく。ヴァルハラに住むものにとって、それは見慣れた光景であった。

 ターミナルの内部はおそろしく広く、床下にはガイド用の電光が無数に交差している。

何機もの飛行艇が発着所に繋架されており、貨物を積み込むためのトレーラーやクレーンなどの機器、そして乗り降りする人影が忙しく動いていた。天井は真っ暗だが、所々に青白く光るものが点線のように点滅を繰り返している。この巨大な建物は最下層から吹き抜けになっており、上層の発着所が見えるのだ。発光しているのはガイドビーコンである。

定期便が発着所に繋留されて間もなくハッチが開き、乗り合わせの客が次々に降る。ユウキが手荷物をまとめだした時、通信機器から聞き慣れた金属音が入った。

「オ帰リナサイ、ダンナサマ。トラックヲ用意シテ外デ待ッテイマス」

ユウキが窓からのぞくと、ОT500型ロボットがそのずんぐりとしたボディで佇んでいるのが見える。実家のホバー式トラックがその後ろだ。

ユウキはため息をついた。

「ノルン、いつも言っているじゃないか。定期便がついたら、トラックに乗って荷物用のハッチの前で待機してろって。本当に使えないロボットだな」

 ノルンとは、このロボットの名である。ユウキの死んだ父親がつけた名だった。

「ワタシハ、ダンナサマノ安否ヲマズ確認スルノガ使命デス」

 ユウキはまたため息をつく。

 「わかったよ。いますぐそっちへ行く。どうでもいいけど、その旦那さまというのはやめろよな」

  ユウキは手荷物をまとめ終わると帽子を被った。今は亡き父親が譲ってくれた帽子である。ユウキにとっては大事な宝だった。

 そして席を立った時…ユウキは異様な臭いを嗅ぎ取り、思わずドキリとした。

 硝煙の臭いである。それはユウキの目の前にいる女性から漂っていた。

 黒ずくめの背の高い女性。その背中を見つめてユウキは、死神の後ろ姿を見るような錯覚に陥った。

 そしてあの記憶が頭を巡る。

 突然の射撃音と悲鳴、そして鼻をつくようなあの臭い…それが硝煙の臭いだと知ったのは後々のことだった。目の前が真っ暗になり、ドロリとしたものが額や頬を伝った。ズシリとくる重みが、ユウキの肩や背中にのしかかる。夢中で叫び、自分でも何を言っているのかわからない声をあげた…。

 あの時の記憶が蘇り、ユウキは思わず後ずさった。

「おい、何やっているんだ。早く行け!」

 後ろから、他の乗客の怒声が聞こえてユウキは我に返る。

「ああ…すみません」

 タラップを降りてもユウキは、その女から目が離せなかった。

 「…」

 その女は短い黒髪で、頬は恐ろしく青白い。顔は、その衣服同様の黒い帽子で見えなかった。

 そしてその女の前に男がいる。

 その男は…短い黒髪を刈り込み、青い目が印象的な大柄の男だった。筋肉質の引き締まった体つきが、男の着ているシャツから伺える。その色は、黒ずくめの女と対照的な白だった。肌は日系のユウキと同じ黄色人系の色である。そしてその青い瞳は、どう見ても人工物だった。

 (義眼?サイボーグの傭兵なのか?)

  青い目の男は、黒ずくめの女と何事か話し込んでいる。女のほうは微動だにせず、ただじっと男の話を聞いているだけだった。あの男が傭兵なら、女の方は傭兵仲間なのか?

 ユ ウキは、あの黒ずくめの女から漂った、硝煙の臭いの正体がわかった気がした。

 (あの女…あいつ間違いなく銃を持っている)

 定期便に銃器を持ち込むことは、ヴァルハラでは決して違法ではなかった。

 しかしユウキは、少年に似つかわしくない厳しい視線で、その男女をただ無言で見つめた。

 ユウキの眼差しに男が気づいた。青い目もそのままに怪訝な視線を返してくる。ユウキは思わずソッポを向いた。

 「ダンナサマ、荷下ロシノ準備ガデキテマス。ドウカナサイマシタカ?」

 ノルンの声だ。

「なんでもない。いくぞノルン」

 ユウキは公共用のクレーンを使い、定期便の格納庫からコンテナを慣れた作業で、トラックの荷台に移した。トラックの運転席には天蓋がない。ユウキの体とノルンのボディはむきだしになるが、もとより雨の少ないヴァルハラでは無用だった。

 運転はユウキがやることにした。コンテナの中には、大事な商品があるのでノルンには任せられない。

 業務用のエレベーターに移動し、トラックを乗り入れようとした時だった。

 「悪い。乗客用のエレベーターは混んでいるみたいだ。俺たちも乗せてくれ」

 ユウキが振り向くと、あの青い目の男と黒ずくめの女だ。

 その時、ユウキははじめて、黒ずくめの女の顔を目にすることになった。

 その顔はやはり青白い。鋭いがどこか機械じみたその瞳。ユウキは一目で彼女がサイボーグだとわかった。

 「…ご自由に」

 ユウキは冷たく言い放ち、トラックをエレベーターに乗り入れた。

 「おう、助かるぜ」

 青い目の男の口調は軽い。

 エレベーターが下に降りるあいだ、重苦しい空気が流れる。約500メートル下のターミナルタワー最下層にエレベーターが着くまで、それほど時間はかからないはずだが、長い時間が過ぎていくようだった。

青い目の男と黒ずくめの女は、腕を組みながら壁に寄りかかっている。運転席のユウキは、ただエレベーターの扉をまっすぐ見つめるだけだった。

 「おい、ボウズ」

 青い目の男が唐突に口を開いた。

 思わず男のほうに振り向いたユウキは、やや気圧されるものを感じた。

 「さっき、俺たちを睨んでたな」

 口元には余裕を感じさせる笑みが読み取れたが、その青い眼には容赦のない光があった。

「俺たちが気に喰わねえって面だったな?」

「…」

 緊張した空気を破るように黒ずくめの女が口を開いた。

 「エイン」

 その言葉は短く鋭い。エインとはこの男の名のようだ。

 そのときエレベーターが最下層に着き、扉が開いた。

 ユウキはホバートラックを動かしながら、男の視線を無視しながら叫んだ。

 「俺はボウズじゃない!ユウキっていう歴とした名前があるんだ!」

 「おお…」という男の声がユウキの耳をついた。ユウキは構わず、ターミナルタワーの出口へ向かう。ターミナルタワーの最下層は、とてつもなく広いロビーで、業務用や自家用の車両、様々な色の肌や衣服の人々が行き交っていた。壁際に筒状のエレベーターが何本も上下に走っているのが見える。ユウキは雑踏の中を掻き分け、家路を急ぐ。

 業務用車両専用通路に入り、そこを抜けると夜風がユウキの頬を伝う。

 見上げれば、幾億の星が流れる銀河が頭上に輝いていた。

 

 父と母の手は温かかった。

 左手は父。右手は母。

 二人に手を繋いでもらい、ヴァルハラのセントラルパークを歩いていた。真正面にそびえ立つターミナルタワーは、ユウキの住む商店街からの景色とはまた違った。大小様々な飛行艇が出入りしている。ユウキは、新鮮な気持ちでそれを見上げていた。商店街はターミナルタワーの裏側にあるので、こんな光景は見られないのである。

 その中で一際大きな飛行艇を父は指さした。

「ユウキ、あれが“ヘイムダル”だ。ヴァルハラが誇る飛行艇だよ。貨物の輸送量は、火星で一番だ」

  黒い偉容で航行していく巨大な飛行艇に、ユウキはただ圧倒されるだけだった。

 「うちのトラックの何倍の荷物が運べるの?」

 「さあ、どれくらいかな?うちのトラックは、そんなに大きなものは運べないしな。それこそ比較にならないよ」

 母が笑っている。

「今日は久しぶりの休日でしょ。お仕事の話はなしよ」

 セントラルパークには、他にも子ども連れの家族が来ていた。様々な種類の飛行艇を象ったバルーンが、公園のあちらこちらにロープで繋がっていて、小さな子どもたちが戯れている。

 中央には三段式の巨大な噴水があり、青色に着色された水が無数に吹きあがっていた。通り沿いは、中世ヨーロッパ式の建物がならび、レストランやカフェ、雑貨や流行ものの衣服を売る店がずらりと軒を揃えていた。またユウキが歩いている小道は磨かれた煉瓦だった。その両脇には色とりどりの花が植えられた花壇があり、蝶や蜂など花の蜜を吸う虫たちが集まっていた。

 まるで夢の世界に迷い込んだようで、ユウキは少し不安になる。でも父と母が手を握っていて、仰ぎ見れば自分に笑顔を見せてくれる。

 何も不安はないはずだった。

 あの立ち込める硝煙と、ベタリと頬を伝う血の臭いを嗅ぐまでは…。

 子どもたちの笑い声が、ヴァルハラの空にこだましていた…まさにその時!

 セントラルパークは突如、地獄に変わったのだ。

 突然の銃声と無数の悲鳴、そして閃光がセントラルパークを走った。

 ユウキの右手を握っていた母の胸が突然裂け、どす黒いものが飛び出すのが見えた。

 「ユウキ!」

 父がユウキの手を引いて覆いかぶさる。無数の銃声と悲鳴が交錯するなか、ユウキは気が遠くなるのを覚えた。

 どれくらい時間がたっただろう。

 なにかベトリとしたものがユウキの頬を伝っていた。もがいても、どうしようもない息苦しさ…そして焦げ臭い異臭。ユウキの体に重量のある何かかのしかかっている。ユウキは必死でその中から這い出た。

 ユウキが最初に目にしたのは、血まみれでうつ伏せに倒れている父の姿だった。

 その隣には、胸を真っ赤にして仰向けになっている母の姿。辺りは焦げ臭さと血の匂いが混ざり合った空気が充満している。

 男、女、年寄り、子ども…屍が累々とセントラルパークに転がっていた。

 公園の花々はどす黒く血に染まり、飛行艇のバルーンが無数に風に舞い上がっていくのが見えた。噴水は止まり、その貯水槽には頭を突っ込んで倒れている人々の屍があった。

 頬を伝うものを手にとるとそれは真っ赤だった。まだ温い。さっきまで手を繋いでくれていた父の温かい手…その温もりと同じだった。

 ユウキは足元の父の屍を見下ろす。意識を取り戻すまで自分はこの下にもぐっていた。

 父が自分を庇い守ってくれていた。その父はもう動かない。

 「…とう…さん」

 胸をえぐられるような何かが湧き上がり、ユウキは我知らず何度も叫んでいた。

「父さん!父さん!父さん!父さん…」

(…父さん…父さん…父さん…)

 

 (…とうさん)

 ユウキは目を覚ました。

「オハヨウゴザイマス、ダンナサマ。礼拝ノ時間デス」

  ノルンの金属音がユウキの耳をつく。

 (…また…あの夢だ)

 ユウキはおもむろに起きあがり、ゆっくりと毛布をはねのけ、ベットから降りた。

 「その旦那さまというのはもうやめろ」

 ユウキでいい…と言いかけて止めた。ロボットになにを言ってもプログラムを変えない限り埒のないことだ。

父があのテロで命を落としてから、ノルンはユウキのことを「ダンナサマ」と呼ぶようになった。それまでは父のことをそう呼んでいたのだ。ユウキが施設から帰るまで、数年はシャットダウンしていたが、再起動して最初に認識したのがユウキだった。そのようにプログラムされたロボットだった。だから彼はユウキのことを「ダンナサマ」と呼ぶようになったのだろう。

 プログラムを書き換えようとも思ったがやめた。

 父や母の記憶まで消してしまいそうな気がして…ユウキは恐かったのだ。

 それは矛盾していた。ノルンに「ダンナサマ」と呼ばれたくない一方で、それを変えることが出来ない自分がいる。ノルンが父を「ダンナサマ」と呼び、母を「オクサマ」と呼んでいた頃のノルンの記憶…それが人工頭脳のどこかに残っているような気がして…。

 だからそれを消してしまう勇気がもてなかった。

 あの頃のノルンはユウキのことを、これといった名では呼んでいない。ただ父や母に「オコサマガコウ言ッテイマス」と言って、ユウキの用件を伝えるだけだった。ノルンはあくまで父と母のものなのだ。

 施設から帰ってきて、大きくなった自分を「マスター」として認識してしまったのは仕方がないが、父と母からノルンを取り上げてしまうことは、ユウキにはできなかったのである。

 ノルンはよく働くロボットだった。

 食事の準備、洗濯、掃除など、命令すれば家事一般のことは全部やってくれた。施設を出て実家に帰ってきたユウキが、一人でまともな生活ができるのもノルンの力によるところも大きかった。

 だだ、父が残した家業…商売だけは、ユウキが己の力で切り開いていかなければならない。

「礼拝ガ終ワリマシタラ、朝食ヲ食べテクダサイ。準備ガデキテイマス」

 イスラム教徒であるユウキは、毎日決まった時間に、地球に向かって礼拝をする。

 かつて人類が500年前まで生存していた星だ。もう跡形もなく蒸発してしまったであろう、かつてのイスラム教の聖地に向け、サラートと呼ばれる礼拝を4度行うのである。

 1日で最初の礼拝は、日の出とともに行う。本来、夜明け前の時間に行う礼拝もあるのだが、それほど敬虔なイスラム教徒ではないユウキにとって、さすがに夜明け前というのはつらい。だから、せめて日の出の時刻だけは欠かさず守っているのである。

 父と母をテロで亡くしてからユウキは、イスラム教の施設に引き取られた。悲しみと救いを求める気持ちから、その施設で洗礼を受けイスラム教徒になったのである。

 礼拝が終わると、ユウキはテーブルにつき朝食を頬張る。ノルンが作る朝食はパンとゆで卵、サラダという簡単なものだ。

 「ダンナサマ、トラックノ準備ガ整イマシタ」

 朝食を食べ終えると、ノルンが報告してきた。ユウキが食事のあいだ、商品をトラックに積み込んでくれていたのだ。

 (今日もいくか…)

 生きていくためにユウキは、街をトラックで駆けまわるしかなかった。

 そしてユウキには、商売を終えたあとの楽しみがあった。

 (あの子…今日も来るかな…?)

 住まいの隣りにあるガレージが開く。ホバー式トラックの黒い巨体がユウキを待ちわびていた。運転席に飛び乗り、動力を起動させると「ブーン」という音が響いた。ファンが回り、その機体を十センチほど浮かせる。

 火星の朝陽がターミナルタワーの側面を照らし出しているのが見えた。その下には巨大なビル街が広がっている。まだ朝日が届かず、そこは黒々として暗い。そのさらに向こう側には、ユウキが商売のテリトリーとしているスラム街があった。

 

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