
「そうは言うけどよ、ファング。昨日の夜、この街が燃えたのは“火星の夜明け”のせいじゃねえのかよ?」
「“火星の夜明け”はある目的のためにヴァルハラに来た。はなから戦争をやりにきたんじゃない。さきに攻撃したのは政府軍だよ。やつらは市民の犠牲がでるのも構わず、ミサイルを雨のように降らせた。どれだけ死人や怪我人がでたと思っている?奴らに復讐する気にならないか?」
ファングは熱弁を振っていた。彼が演説を始めてから三十分。最初はまばらだった少年たちの数が、今や百人以上に膨れ上がっている。
ファングは自分の子分を手分けして、この場所に街中の少年たちを集めるよう指示していた。この戦火で自分の棲みかを追われた少年たちは、行き場を失っていた。そんな彼らが集まれば、“火星の夜明け”に入ることを希望する輩が必ず出てくる、そう踏んだのである。
「“火星の夜明け”には、ブレードという凄腕のリーダーがいる。あいつの前には人間だろうがアンドロイドだろうが関係ない。みんな輪切りにされちまうんだ。彼についていけば、ヴァルハラの警察だろうと軍隊だろうと恐くはねえ。なあみんな。こんな腐った街を“火星の夜明け”に入って、みんなでぶち壊してやろうじゃねえか」
ファングの嘘を見抜ける者はここにはいなかった。“火星の夜明け”が今、ヴァルハラ政府と停戦に向けて動いていることは、ここにいる誰もが知らない。
「なあファング。じゃあなんで今、戦闘が止んでいるんだ?」
少年たちの中から声が上がった。その疑問は当然のことである。
「休戦というやつだよ。ミサイルを撃ちあってりゃ、互いに弾切れになるだろ?そういうことだ」
ファングは曖昧な言葉でごまかした。
今は少しでも多く兵士を集めることが先決である。余計なことを喋り、事を水泡に帰することは避けなければならない。
「ファングよう、お前はそう言うけどよ。俺たちは政府への復讐より、今日明日の寝床や飯がほしいんだよ。“火星の夜明け”に入れば、その辺は保証してくれるんだろうな?」
「へっ、それなら…」
ファングは、待ってましたとばかりにニヤリと笑った。
「三度の飯は当たり前、働き次第じゃ報奨金もたんまり貰えるぞ。酒も煙草も女も買い放題だ!」
ファングは両手を天に突き出して叫んだ。その声に少年たちは色めき立った。
「女買えるのかよ」
「ここんとこ、ご無沙汰だからよ。抱きてえな」
「飯さえ食えれば他はどうでもいい。こんな生活ともおさらばだ!」
「ファング、連れてってくれよ!」
「俺も“火星の夜明け”に入れてくれ!」
気勢を上げる少年たちを前に、ファングはまたニヤリと笑う。
そしてダメ押しとばかりに、ファングは大声を張り上げた。
「よおし!みんな行くぞ!向こうに“火星の夜明け”宿営地がある。武器が貰えるぞ!さあ、俺についてこい!」
「オオー!」と少年たちは、一斉に拳を突き上げた。
ファングは、この街の少年たちをコントロールすることには、非凡なほどに長けていた。この街の誰もが、自分に従ってくる…そんな快感に幾度も酔いしれてきた。
ただ一人…ファングにつき従うことをよしとしないのが、ユウキである。
彼がもし、この場に居合わせたとしても、彼だけは冷ややかな視線をファングに向けるだけだろう。
(まあ、あいつの親はテロで、おっ死んじまったからなあ…)
ユウキが、自分についてこないのは百も承知である。
(…それでもいつかは…)
この仲間たちの輪にあいつを入れたい…そんな執着がファングの中にはある。
理由はよく解らなかった。
ただひとつ言えることがある。施設でユウキと出会ってから、ファングは自分となにもかも正反対の彼に興味が芽生えた。だからこそ妙に「自分の傍に置きたい」という欲求が出てくるのである。
そんなユウキが近隣のビルの上から見下ろしているなど、ファングは夢にも思わなかっただろう。
「あいつ?」
ユウキは愕然とした表情で、ファングたちの様子をみつめていた。
「あ~あ、ブレードの奴、兵隊を補充しやがったよ。お前の友達か?あいつ。あの様子じゃ、“火星の夜明け”の鉄砲玉は確実だな」
エインの声は冷やかだった。
その時、ユウキは叫んだ。
「だめだ!ファング!」
ユウキの声が廃墟に響き渡る。エインは驚いてユウキの口を塞いだ。
その声はしかし、若者たちの歓声にかき消された。
やがてユウキは目を閉じ、その場に倒れ込んだ。
「…」
ファングだけは何かを感じ取り、荒廃した廃墟を見上げていた。
「なにしてくれるんだ、このガキ!見つかったら…あっ、気絶してやがる」
エインはユウキを介抱しながら、身をかがめた。
「心配ない。やつらはこちらには気づいていない」
ライアの声は冷静だった。
やがて少年たちは歓声をあげながら、南の方角に移動していく。
「“火星の夜明け”が壊滅しないわけだ。貧困と紛争がテロ組織の新たな戦士を生みだす。ブレードはそのことをよく熟知してやがる」
「その仕組みを造ったのは、彼ではない」
エインは思わず、能面のように無表情のライアの顔を睨んだ。
「エリスか」
「軍産複合体の女神。火星全土はここ数百年、戦争によって経済が廻っている。“火星の夜明け”がその大きな役割を果たしているのは間違いない。そして常にその中心にいるのは、彼女よ」
ライアは、ヴァルハラの中心にそびえる、ターミナルタワーの方向を見据えている。この廃墟群の果てにある、あの場所には、“女神の玉座”があるのだ。
「よし、こいつは負ぶっていくとして…このままターミナルタワーを目指すぞ」
エインは気絶しているユウキを背負った。
「ターミナルタワーの地下に入ったら、その子を起こすというわけね」
「それまで、くたばらなければいいがな」
エインとライアは、廃墟から廃墟へと移動を繰り返した。
やがて重力の異変を感じ立ち止まった。それはスラム街を抜け、ヴァルハラ市街地に入ってきたことを示すものだった。その先には、白銀の光を放ち、そびえ立つターミナルタワー。日が傾きかけ、黄昏が徐々に、その色合いを強めている。
二人は立ちすくみ、その巨大な建造物を鋭い眼差しで睨んでいた。
ターミナルタワーの地下は、「地下都市」と言っても差し支えなかった。
政府の各機関がここに集中し、ヴァルハラの経済を支える各企業のトップや、高級官僚の居住区も設けられている。こういったヴァルハラにおける都市造りの傾向は、ターミナルタワーをはじめとする中心街が、スラム街南部にあったころより継承されたものだった。
後に「スレイプニル戦役」と呼ばれたアスガルドとの戦争で、中心部が焼き払われたにもかかわらず、都市の中枢になんら支障をきたさなかったのは、ヴァルハラのこういった都市機構の仕組みが活きた結果であった。
その地下官邸でヴァルハラ太守カルロスは、落ち着きのない様子で“火星の夜明け”首領ブレードと相対していた。
広いが簡素な部屋である。
木製の扉が左右にあり、足元は青い絨毯が敷き詰められていた。白塗りの壁には、絵画が掛けられている。それには大きな城がそびえ、羽根を羽ばたかせながら、剣を持った乙女が無数に飛び交っていた。神話の神の館“ヴァルハラ”を描いたものである。その絵の下には武装した数人の護衛が壁際にズラリと並んでいた。部屋の中央には黒く大きな机がしつらえてあり、太守カルロスがその太った体を持て余しながら、机の右側に座っていた。カルロスの横を固めているのは外交官のヴァンと国家防衛元首のターナーである。そしてその机上には二枚の紙がペンと共に置かれていた。それは停戦合意を約束する唯一の拠り所だった。
挟んで向かい側には、ブレードが尊大な表情でヴァルハラの高官たちを見据えている。足を組み、不敵な笑みさえ浮かべているが“火星の夜明け”側は彼一人だった。護衛の一人も付けてはいない。しかしブレードのその不遜すぎる圧迫感に飲まれたのか?ヴァルハラ側の緊張感は、数の上の優位をもってしても、拭うことはできなかった。
ちょうど互いが書面のサインを交わし、「停戦」の合意がなされたところであった。
しかし太守カルロスは終始落ち着きがない。この場所はヴァルハラの中枢である。彼の態度は、敵地に一人で乗り込んできたブレードの前で、あからさまな醜態であった。そんな大守を国家防衛元首のターナーは、苦虫をつぶしたような表情で睨む。この場で一番しっかりしなければならない立場なのに、何をそわそわしているのか?
太守の気持ちを代弁するように、外交官のヴァンが口を開いた。
「ブレード大佐、これで停戦の約束は交わされました。“火星の夜明けは”速やかにヴァルハラから撤退していただきたい。今回の件は、ワルキューレが貴殿らを勝手に攻撃したことに始まりますが、もとをただせば貴殿らがスラム街とはいえ、武装兵団をヴァルハラ領内に入れたことより起こったことも事実。これよりは貴殿らの撤退が優先と考えますが、いかがか?」
その言葉に、落ち着きのなかったカルロスの表情がやや明るくなった。そしてわが意を得たりとばかりに何度もうなずく。ターナーは内心舌打ちをした。
(こいつ、自分が言いだせないものだから…まったく頼りにならん…)
ターナーは眼の前で足を組み、こちらを見下した態度をとるブレードに殺意を覚えながらも、太守がカルロスなら、それも理解できる気がした。自分がブレードの立場なら、明らかに相手を侮るだろう。
「分かりました。ヴァルハラ政府の要請は当然のこと。ご憂慮なさらずとも、わたしはすぐに戻り部隊の撤退を始めます。ただ…」
ブレードはやや間を置き、組んだ足を元に戻した。
「速やかにとはいきません。わたしの指揮下にある部隊はしばらく、ヴァルハラ近郊に残留することを承知いたただきたい」
その言葉をきいたターナーは気色ばんで机を叩き、椅子を立った。
「約束が違うではないか!貴殿がサインしたその書面をよく見るがいい。貴殿の直接部隊が残るということは、貴殿がこのヴァルハラに残るということになるではないか!」
カルロスの額に汗が滲む。そしてハラハラした表情でターナーを見上げた。
“どうかこの場を穏便に済ませたい”そんな彼の気持ちが痛いほどその顔に表れていた。
「この間の戦闘でわたしは、多くの部下を失いました。直属部隊といっても、少数でしかも急造のにわか部隊です。あなた方が目くじら立てるほど強力ではありませんよ。それに…」
ブレードは言葉を切った
「わたしはこのヴァルハラで、あるお方に会わなければならないのです」
ブレードは落ち着いた物腰でターナーを見据えた。
そして机の上に両肘を乗せ、両手を組んで睨むような視線を向ける。
「エリス様」
その言葉にターナーは言葉を詰まらせた。
「エリス様が直々に、わたしとの面会を求めておいでです。もっともあの方が、お会いしたいのはわたしではありません。あの方と面識のある、さるお方です。そのお方は今、わたしの手の内にあります」
「…」
「ヴァルハラ政府高官の方々、どうかエリス様とそのお方を引き合わせるまでは、わたしと直接部隊の撤退時期を引き延ばしていただけないか?部下たちにしてみれば、ヴァルハラに、わたし一人を置いて撤退することはできません。ご理解いただきたい」
ヴァルハラ側の三人は、互いに顔を見合わせた。
“エリス”。
その名を出されては判断がつきかねるのである。
「その…ブレード大佐。エリス様に引き合わせる人物というのは?」
ブレードは、ニヤリと笑った。
「あなたがたが、知らないはずはない。このヴァルハラが誇る、警察組織ヴァストから情報が入っているはずだが…まあいい。その方はエリス様の姉上にあたる方。この火星で三人しかいないオージンの一人、アローラ様ですよ」
“失われた科学”と呼ばれるテクノロジーが人類科学の主流であった頃、光学兵器や高度な知能や身体能力を持つ人造人間が、戦乱に明け暮れる国家間の戦争の主流であった。
光学兵器を無力化する“盾(シールド)”の発達、戦争が起こるたびに散っていくハイドロイドの減少によって、火星における人類の戦闘は、その形態を大きく様変わりさせていった。
銃火器や弾道ミサイルなど、人類が火星に移住するはるか以前の旧世界。その時代に蔓延した実弾兵器が、やがて戦場の主流になった。そして現在に至るのである。
ファングが集めた少年たちは今、そんな銃火器を己々に与えられ、興奮を抑えられないままでいた。
銃身を、手のひらでこすりその肌触りを楽しむ者、片目をつむり標準を確かめる者…。まだ弾は与えられていないため、試し撃ちはできないのだが、その真似をしては、しゃぐ者もいた。
「まるで子どもに、おもちゃを与えたみたいだね」
気だるげにその様子をみつめるコーネリアの片手には、グラスが握られており飲みかけのブランディーが半分ほど残っていた。
「へっ、どうだい?」
得意げな表情を浮かべて、コーネリアの傍でたたずむファングの手にも、ライフルが握られている。最新式というわけではないが、“火星の夜明け”が標準装備している信頼性の高い代物だった。
(それにしても…この女、いつまで飲んでやがるんだ?)
ファングは内心呆れる思いであった。今朝初めて彼女に会ったのだが、ファングが仲間を集めているあいだ、ずっと飲み続けている節がある。しかもブランディーをストレートで…。この女の肝臓はどうなっているのだろう?
その時、コーネリアの胸のポケットで通信機が鳴った。
「…そうかい。ご苦労」
応答したコーネリアが発した言葉は、それだけだった。
「休戦協定は滞りなく終わったようだね…。おいファング、お前の英雄がご帰還だよ」
通信機をしまうとコーネリアは奥の部屋へ引っ込んだ。そこには水場がある。しばらくすると彼女は髪を濡らして戻ってきた。水を頭から被ったのだろう。死んだ魚のような眼に精気が戻っている。さすがの彼女も首領の前で、素面に戻らなければ示しがつかないということなのだろう。直立不動でブレードを待つその姿は紛れもなく、歴戦の戦士そのものだった。
(いよいよあいつが…)
ファングの胸の鼓動が高まる。
まるで頭が上がらなかったイワノフを、たった一振りで、その首と胴体を切り離したあの男…。
その背中に彼が感じたのは、とてつもない存在感だった。その男が今、再びファングの前に現れようとしているのである。
「コーネリア!」
まるで猛獣のような声が響いた。部屋に入ってきたその男は、長身で筋肉質、長髪をまとめるように額にバンダナを巻いていた。紛れもなくあの男…イワノフを一瞬で屠ったあの男であった。
「コーネリア、ここはいつから、託児施設になった?あの少年たちに玩具を与え、ここで遊ばせておくつもりか?」
コーネリアを詰問するブレードの眼差しは、恐ろしかった。まさに肉食獣のそれである。しかしコーネリアはまるで臆する様子はない。むしろ不敵な笑みさえ浮かべて、ブレードを見やっている。
「大佐。我々はこの戦闘で多くの同志を失いました。アラーの御心に殉じる戦士の補充は必要不可欠。よってこの者の力で、スラム街の若者を集めた次第です。今は烏合の衆ですが、若い彼らなら、鍛えれば一人前の戦士になります」
そしてコーネリアはファングの背中を押した。挨拶しろということである。緊張感がファングの体を硬直させた。しかしここで引き下がるわけにはいかない。自分を変えたいから…自分が変わりたいから、わざわざ仲間を連れてここにきたのである。
ファングは大声を張り上げた。
「ブレード大佐!わたしはあなたに憧れてここに来ました。あなたのように強くなりたい!その思いでここに来ました。あいつらは俺の手足になる子分です。ですが、大佐がお望みなら大佐の手足となるよう、俺が責任をもって奴らを鍛えます。俺自身も大佐の力になります。けして足手まといにはなりません。ですからどうか、俺たちを“火星の夜明け”に入れてください!お願いします!」
直立不動でブレードに訴えたファングの額には、汗が滲み出ていた。
ブレードは腕を組み、ファングを見据えている。その表情からは、彼が何を考えているのか読み取ることはできなかった。しばらく沈黙が続いたが、やがてブレードはおもむろに口を開いた。
「頼もしいな。貴様、名はなんという?」
ブレードの表情に変化は見られなかったが、その言葉にファングは安堵を覚えた。
「ファングです」
「ファング?そんな名前の奴はいない。本名を言え」
ブレードの眼光が、心なしか鋭さを増したように思えた。
「…」
ファングは返答に窮した。ファングの脳裏に自身の忌まわしい過去が蘇る。
死ぬほど嫌いだった父親がその名を何度も呼び、理由もない暴力を受け続けた、あの日々…。
「なぜ答えない?」
荒々しいブレードの声がファングの耳をつく。
「…マーキュリーです」
観念したファングは、そう告げると視線を外しうつむいた。
ブレードはファングの胸の内を射抜くような視線で睨んでいる。
「マーキュリーか。これからはそう呼ぶ。不服か?」
「…いえ」
ファングはそう答えるだけで精一杯だった。
「マーキュリーよ」
ブレードは言葉を切った。
その声音には、先ほどまでの荒々しさは影をひそめ、静かな韻があった。
「ブレードというのは俺の本名ではない。俺の闘いを見て同志たち皆がそう呼ぶようになった。マーキュリーよ、“牙”と呼ばれたいのなら、それ相応の働きを示せ。アラーは必ず、お前の働きを天よりご照覧くださるだろう。そしてお前の望をお認めになるだろう。それまでお前はマーキュリーだ」
そしてブレードはくるりと背を向けた。
「部隊をまとめる。コーネリア、出発の準備を始めろ。俺の直属部隊以外は全員撤退!」
「了解」
コーネリアの返答は短かった。
「マーキュリーはしばらくお前に預ける。立派な戦士に鍛え上げろ」
そう言い残すとブレードは、ゆっくりとその場を立ち去った。
その巨大な壁のような背中は、ファングには新しい道標に見えた。