
星々が銀の大河をなし、黒々とした天海に漂うように流れていた。
宇宙(そら)を見つめるアローラの瞳にも無数の煌めきが宿る。遙かな暗黒の果てを見通すように佇む彼女の眼の前には、特殊な素材で造られた窓が星海と彼女を隔て、その憂いを帯びた顔を映し出す。
やがて背後の憤怒に満ちた妹の顔がそこに映っても、彼女の表情が変わることはなかった。
「あなただけじゃない、ナターシャにも出し抜かれたわ」
その眼光が異様な輝きを増し、憎しみに満ちて口元を歪める。アローラの悲哀の色をなすそれと対をなし、暗黒に浮き出たその顔は…その憎悪により形を変えていることを除けば、瓜二つであった。
「あなた、また険しくなったわね」
アローラがポツリと呟いた。
「わたしの顔が歪んでいるみたい。不快だわ」
アローラの辛辣な言葉に、エリスの口元がさらに歪んだ。
「あなたは根暗になったわね。その顔、目の前の宇宙(そら)より暗いじゃない」
エリスの皮肉にもアローラの表情は、微動だに動かなかった。ただ、遙か下界より感知する様々な事象が観測されるたび、その深淵の奥底は揺れる。やがて顔を上げ、目を閉じたアローラは、そこにエリスが憎しみの視線を向けるにも関わらず、深く嘆息した。
「火星でまた動きがあったようね。ブレードはあの子を、地の果てまで追うわ。あなたのお気に入りが八つ裂きにされる姿、ダイモスからでも観測できそうね。その時のあなたの顔が見物だわ」
エリスが不気味な声音で、アローラを嘲笑する。
「オージンが…滑稽ね。これであなた何人目かしら?本当に懲りない人…あなたは、やはり出来損ないよ。ある意味、ナターシャ姉さん以上にね」
星船がターミナルタワーを飛び立つ寸前、アローラが手持ちのギターを投げるのを確認したエリスは、それがユミルを起動させる鍵であることを瞬時に理解した。
そして眼下の少年が、そのギターを受け取った瞬間!
はるか数千キロの果てから、エルフハイムの“姉”の“意志”がその少年とギターに飛び込んでくるのを感知したのだ。
「ナターシャ!」
その瞬間、エリスはその名を叫んだ。
その時の忌々しさ!
忘れることはできない。
いや、エリスの“力”を持ってすれば、その感情の記憶を消し去ることも可能ではあるが、エリスはそうしなかった。憎悪にも近いこの感情こそ、次に打つ手へと繋がる糧となることを、彼女は知り尽くしていたからである。
やがてヱリスはアローラに背を向けた。
「ユミルの鍵があのガラクタに仕込まれていたなんて、わたしも盲点だったわ。でも、それをあなたの大事な彼に託すなんて…あなたのやっていることは矛盾だらけね。結局、人間を利用するのは、あなたもナターシャも、わたしと変わらないじゃない?」
そしてまたアローラを嘲りながら、その先にあるエレベーターまで歩を進めた。
「ヱインやライアでも彼を止められないわ。ブレードはまた性能を上げてきているのよ。二十年前の彼とは思わないほうがいい…」
そしてエレベーターの扉が開き、エリスはその向こうに消えた。
静寂が訪れる。
アローラは静かに目を閉じた。
(ナターシャ…なぜ?なぜユウキをマスターにしてしまったの?わたしは…わたしはそんなつもりで、あれを彼に託したわけではないのに…)
その数時間前であった…。
暗闇に二つの青白い光が爛々と浮かび上がり、その虚空の先に蠢く者を凝視していた。
山積みにされたコンテナの影で、ヱインは、かつての仇敵が虎視眈々と、まさに獲物を狙う肉食(プレデター)獣のようにこちらを窺っているのを感知していた。
ヱインの両眼には、暗視能力のみならず、物体の向こう側で動くエネルギー体の動きを捉える能力がある。その形さえはっきりとヱインの視覚から情報として“生身”の脳に伝わってくる。それは猫科の猛獣が、しなやかに前足を忍ばせて迫るにも似ていた。正確に一歩一歩と間合いを詰めてくるようである。その動きは、相手もこちらの位置が特定できていることを意味していた。
天井にあった照明は全て破壊されていた。暗視能力に長けたヱインが有利に闘いを進めるため、この数分の激しい戦闘でわざと撃ち落としたためであった。しかしブレードにはさほどの効果はないようである。彼もまた、ヱインと同等の性能を身につけていることは、この間の戦闘で充分に認識できた。
二十年前、崩れ去った旧ターミナルタワー地下で交えた戦闘は、似たような状況下にあったが、その時はヱインが有利であった。しかし今は、条件がほぼ同等である。
やがて、ブレードの動きが少しずつ緩慢になってきた。そして力を徐々に溜めていくような風情で静止する。互いにコンテナの角を曲がれば、鉢合わせるような危険な位置だった。
と、ヱインの右腕が瞬時に、その形状を変えた。
次の瞬間、それは轟音とともに火を吹き、ブレードとの位置を隔てるコンテナを直撃した。コンテナには大きな穴が開き、その向こう側の暗闇が、ブラックホールのように口を開く。ヱインは間髪入れず、今度はコンテナの上に向けて発砲した。ブレードがコンテナの上に飛び上がったことを素早く察知したからである。しかしその銃撃も虚しく、空を切った。
ヱインは駆け出し、コンテナの上を夜叉の如く駆けるブレードを追う。
走りながらヱインは再び発砲した。しかし再び空を切る。ブレードがまたコンテナの向こう側に消えたからである。
(…!)
ヱインに焦りの色が見えた。ブレードの位置を見失ったからである。
そして次の瞬間!
ヱインは振り向き様、今度は右腕を刃に変化させ、背後から迫ったブレードの強烈な斬撃を受け止めた。
火花が閃光のように走り、二人のその鬼の形相を一瞬だけ照らす。
ブレードは後方に飛びずさった。そして赤く爛々と光る両眼もそのままに、凄みのある笑みを浮かべる。
「また腕をつまらんガラクタに変える芸当を身につけたか。銃器など、貴様の相棒の専売特許ではなかったのか?」
ヱインはせせら笑った。
「人の物真似をする奴が、よく言うぜ。その赤い眼、エリスに泣きついて付けてもらったのか?気色悪いぜ。俺のは青くてクールだからよう、てめえとはセンスが違うんだ」
そして構え直し、刃を光らせながらジリジリとブレードとの間合いを詰める。
ブレードの右腕も刃に変化していた。ブレードは、その刃を正眼に構え直し、ヱインに対峙する。
次の瞬間、また暗闇に火花が散った。刃の斬撃が交差し、二匹の猛獣が闇に舞う。一合二合と打ち合い、また距離をとる。そしてまた距離を詰め、凶刃を交わす。それはまさに暗黒に相喰む悪鬼のようでもあった。
その時、轟音と共に強い振動が倉庫内を揺らした。
「これは!」
ヱインが天井を見上げた。
その瞬間、ブレードの赤く禍々しい両眼が、妖しい輝きを増した。
素早く間合いを詰め、その刃を横殴りに払う。ヱインは後方に身をかがめ、後転してその一撃をかわす。間髪入れず、ブレードは空いた左手をヱインに突き出した。それは鋭い金属音でヱインの胸を貫いたかに見えた。
「へっ、油断も隙もねえな」
ヱインは、にやりと笑った。
ブレードの左手には、いつの間にか細長い剣が握られていた。しかし瞬間、身体を鋼鉄と化して、その凶刃を逃れることができたのだ。
ヱインは水面蹴りの要領でブレードの足を払った。ブレードは後転して、立ち上がり悔しげな表情で唸る。しかしそれもつかの間だった。勝ち誇った表情でヱインを睨みつけた。
「ライアはしくじったようだな。もう星船は出航した。ダイモスに上がれば、もはや貴様たちに、アローラ様を救出する術はない。貴様の敗北だ、ヱイン!」
ヱインは「クッ」と唸り、歯を食いしばった。
「まだ…わからんさ」
ヱインは素早く、頭を巡らした。
(エリスじゃ、アローラをどうこうできやしない。こいつがダイモスに上がらない限り…)
今はこの場を離れ、ライアやユウキと合流する必要がある。
不敵な笑みを浮かべ構えるブレードの後ろには、他とは色の違うコンテナがあった。暗闇でも光が照らせばどんな色彩になるのか?その青い両眼を通じて、情報として伝わってくる。
それは危険物を示す赤…。ヱインの知識が正しければ、コンテナに大量に詰め込まれているのは、火薬や砲弾の類…。軍港の倉庫ならそれしかない。
そのコンテナのはるか後方には、ライアとユウキが、最上階を目指して消えたエレベーターの扉がある。
(まだ保つか?)
ヱインの右腕はまだ刃のままだった。
ジリ…と、ブレードがやや間合いを詰めた。
「何を考える?ヱイン。貴様の砲弾もどきでは、俺は倒せんぞ」
ヱインの胸中を見抜き、不敵にそう言い放ったブレードは、右腕の刃、左手の細剣を交互に構え、さらに距離を詰めた。
「ブレードよう、お前なにか勘違いしているぜ」
ヱインはその青い瞳をすっと細めた。
「俺の“銃”は、威力はあるが、ライアの持っているやつほど高性能じゃない。それに身体に負担がくるからあまり使いたくねえんだ。だからそろそろ撃ち止めにしようかと思う…」
無造作に構えたその右腕は、瞬時に長身の銃に変化した。
ブレードの赤い両眼が獰猛に光る。そしてヱインが発砲した瞬間、身を屈めヱインの胴体を目掛けて飛び込んだ。
砲弾はブレードの頬をかすめる。そしてそのまま後方のコンテナに命中した。
次の瞬間、大きな爆音とともに、炎が燃え上がる。
倉庫は一瞬にして、火の海となった。
「ヱイン!貴様!」
ブレードは憤怒の形相で罵声を発した。発砲の瞬間、横に飛びながら、斬撃をかわしたヱインは爆風に紛れ、その姿を消した。激しい炎と熱風に煽られ、ブレードは堪らず、倉庫の壁際まで後退せざるをえなくなった。
(奴は?どこだ?)
消化装置が作動し、ドライアイスの霧が炎を包んだ。それが余計に視界を遮り、エネルギー反応の感知を鈍らせる。
その時、霧の向こうにエレベーターの扉が開くのを目視した。扉はすぐに閉まり、最上階に向けて上がっていくのがわかった。
「…ヱイン」
ブレードは凄まじい形相で、ヱインの消えたエレベーターの扉を睨みつけた。
「…袋のネズミだぞ」
ブレードは炎とドライアイスの霧の中、ゆっくりとエレベーターへ歩を進めた。
最上階に充満していた煙は、今はゆっくりと晴れ、徐々に視界が開けてきた。
ライアは薬莢をはじき、新しいものを銃に装填した。そして油断なく構え、センサーの索敵能力を最大限に引き上げる。やがて斜め手前に人影を目視し、それがユウキであることを確認した。
ユウキは、何か抱えていた。
それがギターだと判別できた時、ライアの情報システムはやや混乱をきたした。そこから発するエネルギー反応と、生命体とシンクロする波長…。ライアの電子頭脳には識別できない現象だった。
ユウキはただ、星舟の消えた夜空を見上げていた。そしてアローラが自分に託したギターをひたすら強く抱きしめていた。
やがて彼は「アローラ…」と一言つぶやいた。
その時、後方でエレベーターが開いた。
エインである。ライアとユウキの名を呼び、彼らの元へ駆け込んだ。
「下は火の海だ。ここから脱出するぞ」
ユウキは放心していた。
しばらく空を見上げていたが、やがてうつむき片手の拳を握り締める。
そしてライアは、そんなユウキを呆気にとられたように見つめていた。エインは怒鳴りかけたが、ライアのただならぬ様子に、言葉を飲み込んだ。
「…ナターシャ様」
ライアがつぶやいた。
「…?何があった?」
ライアの思わぬ言葉に、エインはそう言うのがやっとだった。
その時、ライアの瞳がすっと細められ、鋭さを増した。彼女のセンサーが階下より迫る脅威を感知したのだ。
「話はあとよ、エイン。奴が来る」
ライアはハンドガンを、エレベーターの入口に向かって構えた。
やがてエレベーター扉が開くと同時に、ライアのハンドガンが火を噴く。轟音が鳴り響き、閃光が走る!そして中の人影が吹き飛び、エレベーターの壁に叩きつけられた。
しかしその男は何事もなかったかのように立ち上がり、不敵な笑みを浮かべた。
ブレードの胸には、弾丸が二つめり込み、煙が立ち昇っている。やがてその胴体が膨張し、弾丸を弾き出す。しかしライアはひるまなかった。
再び、ハンドガンが火を噴き、再度ブレードの体を後方に吹き飛ばした。しかし、またムクッと立ち上がり、ライアを凄まじい形相で睨みつける。
「相変わらず、手加減というものを知らんな、ライア」
ブレードの右腕がゆっくりと刃に変化していく。細長い剣が左の二の腕から滑り落ち、その手に握られた。
「ライア!時間を稼げ!」
エインは通信機を取り出し、忙しくタッチパネルを叩く。そして放心したままのユウキを起こそうと、その腕を取ろうとした。しかし、その腕には力がなく、だらりと垂れ下がるだけだった。
「…?おい」
ユウキの瞳がゆっくりと閉じる。彼はギターを抱いたまま、その場でうつ伏せに倒れ込んでしまった。
ヱインは急いで介抱して、ユウキを抱き上げた。
(限界だったか)
脈拍や心臓は動いているが弱々しい。一刻を争う状態である。
その時、ライアの銃が轟音とともに再び火を吹いた。ブレードが動いたのだ。
その姿勢を低く構え、ライアとは斜向かいに走る。ライアは身体をやや斜めに傾け、右手の銃を撃ち放つ。弾丸はブレードの頭上をかすめ、その向こう側の鉄の壁に大きな金属音を響かせて砕け散った。
ブレードは左足を踏み込み、素早く身体をシフトした。そして低空のまま飛び込み,ライアに強烈な斬撃を浴びせかける。間一髪、ライアはブレードの死角に入り、体勢を崩しながら仰け反る。その頭上を刃がかすめ、狂風がライアの額を圧迫し、そのしなやかな身体をなお仰け反らせた。
その時、ブレードはニヤリと笑った。そして間髪入れず、右手の細剣をライアの脇腹をめがけて突き出した。
が、ライアのハンドガンもブレードの顔面に狙いを定めていた。仰け反りながらも背中越しに右手の銃を突き出していたのだ。
轟音が鳴り響き、閃光がブレードの顔面を捉える。ブレードはそのまま、壁際まで吹き飛んでいった。
その時、「キーン」という音と共に、一機のVTOL機が開いたままになっている星舟の発射口から入ってきた。
「ライア!」
エインはユウキを抱きかかえたまま、VTOL機から降ろされた梯子に飛び乗った。VTOL機は、ライアの方向に移動してくる。ライアは梯子に飛びつき、片手でそれを掴んだ。そしてもう片方の手にハンドガンを構え、ブレードを牽制する。
ブレードはもう立ち上がっていた。
「不死身か!奴は!」
ヱインが忌々しげに叫んだ。
ブレードはただ立ちつくし、VTOL機を見上げているだけである。しかし眼下に見えるその顔面は、禍々しく変化していた。
顔の半分はただれ、金属のような銀色の肌が露出している。その眼球も剥き出しになり不気味な赤い光を放っていた。そしてまた…例の凄みのある笑みを浮かべ、睨みながら、こちらを見上げているのだ。並の人間なら、その狂気にあてられ、平静ではいられないだろう。
そんなブレードにヱインは、臆することなく「ハー!」と声を上げ、あざ笑うかのように挑発した。
「いい男前になったぜ、ブレード!それじゃあ、あばよ!」
「キーン」という金属音を響かせ、VTOL機は星空に舞い上がる。
やがてそれが闇の彼方に消え去っても、ブレードはその禍々しい顔もそのままに、いつまでもそこに佇んでいた。