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 ユウキがそのソファーに座り、カイルが機器を頭に被せてから数秒後、ユウキの意識は見慣れない場所に飛んだ。

そこは古い歴史を感じさせる街の中だった。

石畳が敷き詰められ、煉瓦造り、石造りの建物が左右に並んでいる。目の前にはゆるやかな階段があり、その先には寺院があった。様々な人種の人々が行き交い、身体的障害をもつ人々も普通に歩いていた。遠くには、巨大なビルや鉄塔が天高くそびえ立ち並び、反対側には、これもまた巨大なモスクのドームが山のような威容をなしていた。

あちこちから賛美歌や、コーランの詠唱が聞こえてきた。聞き慣れない呪文のようなものも唱えられている。おそらく仏教かゾロアスター教の教典を詠む僧侶たちだろう。

目の前の寺院を見上げれば、時計台がそびえている。

 その上層には欄干が渡り、時計の針さえ動かせるほどの位置にあった。

 そこには人影があった。

 遠目に見ても、女性だとわかる。ユウキはその女性がナターシャだと認識した。

 と、ユウキの体が浮き上がり、上へと昇る。やがて欄干の位置までくると止まった。

 目の前には、ガラスの棺で眠っていた少女…そしてアローラと瓜二つの少女が佇んでいる。

 「君がナターシャだね?」

 その少女…ナターシャは微笑んだ。

 「アルフハイムにようこそ。あなたにはアローラがお世話になっていますね。ここは、わたしの意識の中の世界です。でもあなたが目にしているのは、アルフハイムの街並みそのものですよ」

 丁寧で上品な言葉使いだった。ややそっけない感じのアローラとは、同じ姉妹でもこうも違うものなのか?

 「ユウキ、あそこにとても大きなモスクがあるでしょう?あれがメディナス、わたしたちがいる施設です。このアルフハイムを象徴する建物で、とても言いにくい話ですが、わたしをご神体とする大聖堂なのです。遠くに見えているあのいくつもの高い塔やビルは、企業のオフィス街です。でもそのほとんどはヴァルハラの企業が入っています。アルフハイムにおいては異質の区域と言ってもいいでしょう。わたし、あそこだけはどうしても好きになれないわ」

 ナターシャの指さす先にあるその場所は、確かにこの街には似つかわしくない違和感がある。ヴァルハラの街が切り取られ、そこに存在している感じがした。

 「ナターシャ」

 ユウキは切り出した。

 「俺は、アローラを助けたい。俺には伝わってくるんだ、彼女の寂しさや悲しみ、苦しみ、助けを求める声が。君がアローラのお姉さんなら、俺に力を貸してくれないか?」

 ユウキの眼差しは真剣だった。それを見てナターシャは微笑んだ。

「あなたはとても純粋で真っ直ぐな人ですね。アローラがあなたのことを好きになったのもわかるわ。でもね、ユウキ…」

 ナターシャの表情が、やや翳りを帯びた。

「あなたもきっと、アローラの事が好きだと思うから言うけど、わたしたちオージンと人とは根本的に違うの。わたしたちは、人類が火星に移住して社会が形成され始めた初期に、今は失われたテクノロジーによって人に創られた、人造人間の一種。人によっては神様のように崇める人もいるし、事実わたしも信仰の対象になっています。でも本質は、混乱期にあった人類に方向性を示し導く、羅針盤としての役割をもった人工物に過ぎない。人智を超えた能力を持ち、神と呼ばれ畏敬されたとしても、人が造った“装置”には変わりないのです」

 ユウキは自分たちを“装置”と呼ぶナターシャに不思議な違和感を覚えた。ナターシャ、そしてもちろんアローラも、“装置”と呼ぶには、あまりにもリアルに人間的過ぎるからである。

 「ユウキ、アローラを好きになってはだめ…といっても、あなたは納得できないでしょうね。でも忠告だけはしておくわ。人が人を好きになることは、とても素晴らしいことだけど、時にひどく傷つくこともある。その相手がオージンならなおさらのこと。アローラを想い救おうとしている気持ちは尊いことだけど、それ以上踏み込めば、あなたはきっと身も心もボロボロになってしまう。でも…」

 ナターシャは言葉を区切り、目を閉じた。

 「あの子も悪いのね。あなたの自己責任と片づけるのは、あなたには酷なことだわ…」

 ユウキは思わず、身体が熱くなり、胸を焦がすものがあるのを自覚した。

 そして今更のように、自分の気持ちに気付いたのである。

 「あなたは自分の気持ちが解らなかったの?でも仕方がないわ。それも全てあの子が無意識のうちに、あなたをそう導いてしまったことだから。アローラは特殊なの。わたしやエリスには持ち得ないものを持っている。それが時に人を傷つけてしまう。それをあの子も解ってはいる。でも生まれついた性(サガ)は、人間ではない彼女には変えられない。そんなあの子に出会ってしまったばかりに…ユウキ、あなたが気の毒だわ」

 ユウキは、ナターシャに強い反感が沸くのを自覚した。

 「君は何を言っているんだ?俺はアローラに出会えたことは、素晴らしいことだと思っている!後悔なんて微塵も思ってないし、彼女が例え人間じゃなくても…特殊な存在だとしても、彼女を助けたいし、大事にしたいという気持ちは変わらないよ!でも君は…」

 ユウキは言葉がでなかった。ナターシャは再び目を開いたのだが、そのどこか哀れみにも似た表情や瞳を見るにつけ、やるせない気持ちになったのである。

 「ナターシャ…教えてくれ。君たちオージンとは、そもそもどういう存在なんだ?なぜ、エリスとアローラ、そして君は闘い続けているんだ?」

 ナターシャは再度、目を閉じた。

 そして瞑想するかのようにしばらく沈黙した。

「あなたがアローラを大事にしたいというのなら、わたしたちについてよく知る必要が、ありますね。でもそれは、この星に発展した人間たちの歴史について話さなければなりません」

 ユウキは思わず、溜息をつきたくなった。

 人類の歴史についてなら、ヨツンへイムのシェーンに散々聞かされたことだからである。

「ユウキ、ヨツンへイムの大きな人々が、あなたに話したことは、断片的なほんの一部に過ぎないし、とても正確なこととは言えないのよ。さらに言うなら、アローラが語り部のようにあちこちでメッセージを発し、伝えていることも実は間違っている。でもそれはいいわ。人類が火星という星の赤い大地で、新たな歴史を展望し、刻んでいくという真実には変わりないのだから…」

 心中を的確に読まれてユウキは、呆れるしかなかった。彼女らの前では隠し事など、とても無理である。

 「ユウキ、気を悪くしないで。オージンでも常に人の心が読めるわけじゃないし、心を閉ざした人間ならなおさら無理。今はそうしたほうが話もしやすいと思ったから、あなたの記憶と想念を読んだだけ。不快ならもう二度としないわ」

 ナターシャはややバツの悪そうな顔で微笑んだ。こういう表情を見ると、とても彼女らが人間とはかけ離れた存在とは思えなかった。

「ユウキ、わたしたちは、たった一つの人口細胞から造られたために三つ子なの。でもその姿形は寸分違わず、似てはいても、性格はその目的によりまったく違う。長女のわたしは宗教による人類の“心”の救済を使命にしています。あらゆる宗教がいがみ合い、争うことなく共存し、本来宗教が持つ「救い」が人類の発展に役立つよう、人々を導いています。でもあまりうまくいってないわ。わたしを神として崇める人々もいるし、逆にわたしを邪神と忌み嫌う人たちもいる。わたしは決して神になろうとしているわけではないのに

…。旧世界のイエス様もきっとそういうところで苦労なされたのね」

 ナターシャは、自嘲気味に嘆息した。

 「俺はイスラム教の施設で育ったから、こう見えて一応、イスラム教徒なんだ。イスラム教は、アラーの前では、人はみんな平等だと説いている。本来、イスラム教は、他の宗教とは共存共栄を唱えているから、イスラム過激派のテロ組織とは根本的に違う。だから君の言うことはよく解るよ」

 「ありがとう。でも、あなたのような人は意外に少ないのよ」

 ナターシャは微笑んだ。

 その時、周囲の景色に変化が現れた。

 ユウキとナターシャはいつの間にか、黄昏時の荒野にいた。

 風がサッと吹き抜け、地面を削るように砂塵が舞う。

 そしてどこからともなく流れる弦楽器の音色に、ユウキは思わず周囲を見渡した。

 その荒涼とした大地は赤く、遠くにそびえる岩山は夕陽を受け、真っ赤に燃え上がるかのようだった。

 その時、ユウキは胸をえぐられるような痛みを覚えた。アローラの得も知れぬ寂寥とした思いが胸に迫る。その荒涼とした大地に風に吹かれるがままのアローラ。

ユウキはそんな彼女がこの上なく、いとおしいと思った。ただ今は、そんな彼女を、見つめることしかできない自分にどうしようもないジレンマを覚え、ただいたたまれなくなるばかりだった。

 と、また景色が変わった。

 目の当たりに岩山が迫り、その頂上に人影らしきものが見える。弦楽器…ギターの音色はそこから聴こえてくるのだ。

 古びた帽子と旅装、そして風になびく長い黒髪…ユウキは思わずその名を叫ぼうとした。

 しかしやめた。

ここはナターシャの精神世界、これはあくまで彼女のイメージした「映像」であり、そして自分に伝えようとしている何かを、邪魔してはいけないと思い立ったからである。

 「ナターシャ…」

 ユウキはなお、岩山の上に佇む少女…アローラを見つめていた。

 「彼女の弾くギターは、なぜあんなに切なく儚げで…なのに激しい。何故なんだろう?」

 ナターシャは何も言わなかった。

 ただ、ユウキの後ろに佇み、憂いを帯びた視線で妹を見つめるだけだった。それはユウキの視界から見えるはずのない彼女の表情なのだが、ユウキにはそれが解った。やがてナターシャは口を開いた。

「次女はアローラ。旧世界の失われた歴史と文化を継承し、伝える役割を与えられたオージン。わたしとは違うアプローチで、人類に人間らしく生きることの意味を、認識させることを使命としている。あの子はその使命以外には、何者にも縛られない。自由に火星の赤い大地を彷徨い、そして人々と交流し導く。あの子の力で、失なわれた数々の旧世界の文化が、復活してきた。そして失われた旧世界の記憶も…間違いもあるけど。ただ…」

 ナターシャの表情は哀れみに満ちていた。

 「あの子は、人に近づき過ぎてしまった。そして孤独や悲しみを覚えてしまった。その意味では不憫よ。でもオージンとしては、“落ちた女神”そう言えるのかもしれない」

 そしてまた景色が変わった。

 そこはユウキの見慣れた場所。ターミナルタワーがそびえ、飛行艇が行き交い、大小様々なビルが建ち並ぶ…ユウキの故郷ヴァルハラだった。

 「ヴァルハラはあなたも知っての通り、火星の新たな人類社会が成立した街です。火星歴が始まった当初、人類は共和制と民主主義を敷いて人類社会を造っていこうとする一派と、強大なカリスマ性と統治能力をもった人間のもと、独裁政治によって社会を造っていこうとする一派に分かれていました。そしてヴァルハラの成立後も、それぞれの特色をもった都市国家がいくつも造られたのです。しかし独裁政治国家を標榜する国家は民衆の蜂起で次々に崩壊。どこも経済政策がうまくいかなかったんです。共和制を敷いた国家も巨

大企業が政治の実権を握り、貧困層が拡大、テロや戦争が相次ぎました。それは今も変わらないかもしれませんが、その当時は現在と比べ物にならないくらい、混迷を極めていた。その状況はもはや人の手には負えない。それを憂いて立ち上がった人たちがいる。それが地球に人類が繁栄していた頃のテクノロジーを受け継ぐ科学者たち…そう、わたしたちオージン三姉妹を創り出した人々なのです」

 やがてヴァルハラの空に星々が輝き始め、不夜城のように無数の電光が、ターミナルタワーやビル街に灯り始めた。

「わたしたちは人類を導くリーダー…神として創られました。人の手によっては、正常な社会など創造できない、だから人とは異なる存在に未来をゆだねようと…。ただ度重なる実験の失敗や、想像を超えるコストの大きさでわたしたちは、三体しか創られなかった。そして様々な思想、市場主義的な思惑などが絡み、わたしたちそれぞれの性格はまったく異なるものとなった…」

 その時ユウキは、ターミナルタワーの頂上、星船の発射口すら眼下にある、鉄塔の真上に、漆黒の衣服をまとった何者かが佇んでいるのが見えた。その姿を見たとき、ユウキは、今朝の夢の中に出てきたあの“女”だと解った。

アローラと瓜二つの姿、そして不気味な笑み…。彼女と遭遇した鉄塔の並ぶ施設の真下には、得体の知れない巨大な星船があった…。

 「ヱリス」

 ナターシャはつぶやいた。

「三女のエリス。この都市国家ヴァルハラの実質的支配者。火星経済を動かすことを使命としたオージン。彼女こそ、今火星を覆っている混迷の時代を創り上げている元凶…都市国家間の戦争を仕掛け、シビリアンコントロールを排除し、兵器の売買による経済の活性化を目論む死の商人…」

 漆黒の衣装と長い黒髪が風に揺られ、この星の地平遙か彼方まで睥睨するような眼差しは、けしてアローラとナターシャにはない、傲岸かつ不遜な趣があった。

「ユウキ…」

ナターシャの声に力がこもり、そのユウキを見つめる瞳には、強い光が宿っていた。

「アローラから託された彼女のギター、あれを彼女に渡しては絶対にだめ。あれは木星に辿り着ける唯一の星船ユミル起動の鍵になるもの。木星資源をめぐり、人類の新たな戦乱

の時代が始まってしまう。そして、人類の故郷地球へも容易く航行ができる。資源に群がるように、地球の支配者たちがまた目を覚まし、息を吹き返してしまうわ」

「…?なんだって!」

ユウキは驚き、そして戸惑った。

「地球の支配者?地球は隕石の衝突で人類はおろか、生命の住めない星になっているんじゃ…?アローラがそう伝えているじゃないか?」

 「いいえ」

 ナターシャはかぶりを振った。

 「アローラは知らないのよ。地球は隕石で滅んではいない。今も人類は、あの星で生きている!」

                                       

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