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 石畳の街路の両脇には、等間隔に街路灯が連なっていた。

 天然ガスなどの資源がない火星では、ほとんどの街路灯は電気で明かりを灯すのだが、そのデザインは、地球に人類が住んでいた頃の西暦1800~2000年代に、ヨーロッパなどでよく使用されていたガス灯そのものだった。

「おかしいな?たしかこの辺りだと思ったんだけどよう…」

 ユウキの前を歩くヱインが頭を掻きながら、キョロキョロと辺りを見回している。

 「ほんとにあるのかよう、俺もうくたびれたよ…」

 ユウキはうんざりとしたように、その場にへたりこんでいた。

 もう二時間近く、この辺りをウロウロしている。それに引き回されるユウキにしてみれば堪ったものではない。

 ユウキが失った腕に義手をつけるため、専門医が開いている病院を探しているが、見つからない。その専門医はヱインの知人らしいのだが、知人の開業している病院が判らなくなるとはどういうことだろう?

 「なにしろ20年ぶりだからよう、いやある筈なんだよ、間違いないって」

 「そんなこと言っているけど、さっきから同じ場所をくるくる廻っているだけじゃないか。あの教会もモスクも、この石畳の道だって、あの街路灯だって…もう見飽きたよ。でもそれらしい場所なんてどこにもない。ヱインの記憶違いじゃないの?」

 ヱインはユウキの言葉にまるで耳を貸そうとはしない。ただしかめ面で頭を掻いているだけだった。

 ユウキは溜息をついて、見飽きた周囲の街並みを、改めて見回した。

 旧世紀の古い街並みを模したアルフハイムは、高層建造物の建ち並ぶヴァルハラとはまるで趣が違った。

歴史的にはヴァルハラより新しい年代に成立した都市国家なのだが、「宗教都市」「聖域都市」などと呼ばれるように、多くの宗教宗派が共存する特異な街の特徴が、その街並みに顕著に現れていた。

 キリスト教の教会が密集する地域では、高い尖塔や、ステンドグラスが窓を彩る聖堂が建ち並び、その一帯を過ぎれば、丸いタマネギ型の屋根を持つモスクが現れる。路地に迷い込めば、道教の廟から線香の匂いが立ちこめる。ユダヤ教徒が黒い帽子とコートといういでたちで、集団で闊歩していけば、その向こうから、サフラン色の法衣を纏った仏教徒たちが托鉢をしながら練り歩く。そして街路で鉢合わせる…などなど、ヴァルハラに生まれ、長く生活してきたユウキの眼には、いくら彼がイスラム教徒とはいえ…いや、だから尚更のこと、奇異に見える光景の連続だった。

 ただ、この街の地下にも重力を地球のそれにあわせ、一定に保つ装置「ユグ」はある。

 その在処は、メディナス大聖堂の地下にあるとのことだが、人体に過酷な影響を与える低重力と無縁な街であることは、ヴァルハラとはなんら変わりはなかった。

むしろ、「ユグ」の影響が少ないスラム街が、中心街を取り囲むように広がるヴァルハラと違い、健康の面では骨や筋肉の劣化、そして奇形化などで差別偏見に苦しみ、なお短命に終わる者は少ないといえた。だから各地で差別と偏見、それに伴う暴力から逃れるため、この街に逃げ込むものは後を絶たなかった。それでも人口の密集や、格差と貧困が少ないのは、この街の住人となる上でのある「条件」と「資格」が必要だったためである。 

その「条件」と「資格」がムダな人口の流入を防いでいた。

 それは「無宗教の者はアルフハイムに居住できない」そして「アルフハイムの住人は各宗教や宗派に属し、それに身を捧げなければならない」というものであった。

 アルフハイムでは、そこに存在する様々な宗教や宗派は数多くあれど、営利を目的とした団体、排他的な宗派、カルト教団、過激組織などは排除され、ほぼ皆無である。反面、宗教宗派としてのクオリティは高く歴史も古い団体も多いため、信徒の生活様式は厳しく、制約も多かった。そしてほとんどの住人は、各宗派が管理する住居施設で暮らすため、その管理下におかれる。だからそれを苦痛に感じるものは、この街で生きていくのは難しかった。

 イスラム教徒のユウキもこの街について、施設で教わったこと程度には知識はあった。ただ、ユウキの周囲にいたイスラム教徒たちは、この街の是非について、必ずしも「是」ではなかった。思想信条の自由、それは当たり前のこととして認めることはできても、各宗教団体の共存と繁栄、そしてそれを目的や理想として掲げる…その意義については、疑問があったためである。

 “所詮はアルフハイムの宗教者たちが、互いの権益を守るために政府を利用して、政策にしていることにすぎない”

 中にはそんな辛辣なことを言う者もいた。

 思想や習慣、そしてなにより崇める神が違う者同士、共栄などありえない、むしろ余計な紛争を招き、テロの温床にすらなりかねない…ヴァルハラのイスラム教徒はおおむね、そのように冷ややかな見方をしていた。そして、アルフハイムこそが、この星の過激派テロ組織が巣喰い、その元凶となっていると疑ってやまなかったのである。

 しかし、この街に来てこの街の住人と接し、さらにナターシャと邂逅してからユウキは、その認識を改めざるをえなくなった。

 少なくとも、この街の宗教者たちは、掲げる教えに忠実で敬虔であるのと同時に、ナターシャの思想…“全ての宗教が全ての人類の救済に大同団結する”、その考えにある程度、真摯に向き合い、実践もしているように見受けられた。だからこの街が“テロの温床の地”という見方は、今のユウキに言わせれば、まるで根拠のない偏見としか言いようのないものだった。

 そしてナターシャとの邂逅と彼女の語った言葉は、ユウキにとって運命を感じずにはいられなかった。

 アローラに託されたギター、その秘密、その“マスター”となった自分の役割、そしてアローラの救出…。

 考えなければならないことは、いくつもあった。

 自身の身体の養生もあって、メディナスで自分に与えられた部屋に籠もりっきりになったユウキは、常にそのことが頭から離れられなかった。看護をするソフィアが、心配そうに見つめていることにも気付いてはいたが、ユウキはただ黙して、与えられた食事や薬を口にし、ただ思索に耽るばかりだったのである。

 ヱインが「そんな腕じゃ不自由するばかりだろ。義手をつけようぜ。俺の知り合いに腕のいい開業医がいるからよう、行かねえか?」と言ってユウキを誘い出したのは、そんな時だった。

 しかし…。

 「ああ、もうわからねえ!」

 ヱインはとうとう、頭を抱えてしまった。

 「引っ越しちまったのかなあ?いや、俺を信じろって。確かにこの辺りにあったんだってばよう!」

 疑りの目を向けるユウキに、ヱインはただそう強弁するばかりだった。

 「わかったよ、別に疑ってはいないから。ただいい加減、付近の人に道を尋ねようよ。俺、さっきからそう言っているじゃないか」

 ヱインはまた頭を掻いた。

 「ああ、わかったよ。本当はそんなこと必要ないんだけどな、一応、念のため、そこらへんで聞いてみるわ。お前は、そこのベンチにでも座って待っていろ」

 ヱインが指さす方向には、街路灯のすぐ真下に設置された鉄製のベンチがあった。

 「うん、そうさせてもらう」

 ユウキがベンチに座り、あたりを見回した頃には、ヱインの姿はなかった。

 ユウキは、「やれやれ」とばかりに肩をすくめた。

 うららかな日和だった。

 ユウキの頬をなでる風は冷たいが、緩やかでやさしい。街行く様々な衣装の宗教者たちも、せかせかとした様子もなくゆったりと落ち着いて往来していた。

 (こんな時、アローラなら、あのギターを奏でるんだろうな)

 例のギターは、部屋に置いてきたままである。

 ナターシャの話では、“マスター”となった者は、肌身離さず持っていなければならないらしいが、とてもそんな気持ちにはなれなかった。

 ユウキの目の前には、巨大なドームがそびえるメディナス大聖堂がある。

 このアルフハイムを象徴するかのような巨大構造物だが、ナターシャに言わせれば、「無駄に大きく造りすぎたハコモノ」で「アルフハイムよりヴァルハラ系列の建設業界が潤った」という忌まわしい代物らしい。

 「火星全土の経済は、ヴァルハラを中心に動いているし、アルフハイムの政府高官もヴァルハラの企業とは、少なからず金銭的な繋がりを持っている。しかたないわ」

 ナターシャが原因不明の眠りについてから、表向きは彼女の信奉者たちの願いもあってアルフハイム政府が建設したことになっているが、事実はかなり異なるようである。

 「わたしを支持する人々はけしてそんなことは望まない」とナターシャは悲しみと憤りを込めて独白した。

 ナターシャを盲信するカイルの様子をみれば、必ずしもそうとばかりも言えないのでは?とユウキは思ったものだが、確かに彼女の目指す理想とは、かけ離れた建造物であることは確かだった。

 そのナターシャは、ヱインやカイルの話によれば、原因不明の眠りにつく前、この火星でもっとも大きな力をもつ生命体であったという。

 「誰も彼女には敵わなかった。敵であったエリスやあのブレードでさえ…。多分、俺やライアくらいがいくら束になっても無理だろうな。そもそもガーディアンなんて、彼女には必要のないものだったが…ああなってしまっては…」

 ヱインは、棺の中で永い眠りにつく彼女を見つめながらそう言った。

 アローラの持つギターの“マスター”をユウキに変えたのもナターシャだった。生命体として活動を停止している彼女が、アルフハイムから遙か数千キロ離れたヴァルハラでマスターをすげ替える…そんな力を持つ者は、この星で彼女をおいて他にはいないという。

 「あの時は、あなたの生命が危なかったこと、そのギターがアローラごとエリスの手に渡り、ユミルが復活する危険が差し迫ったこと、それらを止めるにはそうするしかなかった。そのギターは、生体エネルギーという特殊なエネルギーが働いている。マスターの生命エネルギーと互換しながら働くそれは、ある一定の信号パターンでマスターと同一化するの。同時に生命力もエネルギーとして互換するから、あなたは助かった。ギターのマスターをあなたに変えた理由は、それ以外の何ものでもないわ。アローラのためにも、あなたが助かって、とても良かったと思います」

 そう言って精神世界の中のナターシャは微笑んだ。

 しかしユウキは首をかしげざるをえなかった。

 「でもナターシャ。それほどの大事なものなら、なぜアローラに持たせたりしていたんだ?それに俺だってそんな器じゃない。あの女…エリスがそれこそ本気で奪いに来たら、とても俺なんかの力じゃ、守れやしない。君か、ヱインか?俺に託すより、もっとマスターにふさわしい人なら、いくらでもいるじゃないか?」

 ナターシャはかぶりをふった。

 「アローラに託していたのは理由があるの。あのギターのマスターに必要なことはまず、純粋な生命体であること。でも普通の人間では、あなたの言うとおり、あのエリスから、あれを守ることなんてまずできない。ではヱインならどうかというと、彼は純然たる生命体とはいえないのよ。彼の脳は確かに生身です。でも、その心臓も血液も、ほとんどが人工でできている。本来、生命体としてのエネルギーは、生物が持つ血液の循環に由来するもので、ヱインは違う。でもわたしたちオージンは、人と同じ心臓も血液も持っている…少し特殊かもしれないけど、純然たる生命体。また、むしろわたしたちを創造した科学者の方々が、わたしたちに合わせてギターを創ったということもあります。でも…わたしは、こんな身体です。とてもマスターとしての資格はありません。生命体としては生きていない…あのギターはそう判断するのか、いくらやってもわたしをマスターとしては認めないのです。わたしは、ユミルや“ユミルの鍵”を創った科学者から、“鍵”を管理する力は受け継ぎました。だからふさわしい者なら、変えていくこともできます。でもふさわしくない者なら、いくら管理者たるわたしでも、マスターにはなれません…」

だから必然的に、アローラがギターのマスターとなった…ナターシャはそう付け加えた。

「でもわたしにも誤算があったわ。あの子は、マスターとなることを引き受けてはくれた。もともと“ユミルの鍵”は、ギターのような形ではなく、別のものだったけど、彼女の希望…というかわがままね。あの子の好みでギターの形になったのよ。でもそこまではまだよかった。アローラがじっと、このアルフハイムにいて、彼女の好きな弾き語りをしていてくれればよかったの。でもあの子はじっとしていることはなかった。アルフハイムに留まることはなく、火星全土にその活動範囲を広げ、文化や歴史や、そして人間らしい生き方の認識、それを人々に伝え歌い上げた。でも、それは人間を人間でなくし、社会システムの歯車に変えようとするエリスには、とても許しがたい行為だったの。だからエリスは彼女を目の敵にした。“ユミルの鍵”を隠す、このわたし以上に、エリスはアローラを憎み、抹殺しようと執拗につけ狙ったのよ」

 周囲のビジョンが、再び荒野をさすらうアローラの姿を映した。

 そして、その背後に現れ、彼女に迫る大柄な体躯の男を見たとき、ユウキは「あっ」と叫んだ。

 「彼はブレード。テロ組織“火星の夜明け”の首魁。そしてエリスがもっとも信頼する股肱にして、彼女の強力なガーディアンでもあります」

 ユウキは、ターミナルタワーの最上階手前の貨物置き場で立ちはだかった、あの男の顔を思い起こした。あの時の男が“火星の夜明け”の首魁、そしてエリスの強力な配下だったのか?

あのヱインやライアでさえ退けることのできなかった戦闘力には、慄然とした気持ちになる。そしてブレードがアローラに迫るそのビジョンを見るにつけ、今すぐ彼女の手を引いて、その場から立ち去りたい想いが募った。

 「ナターシャ!」

 ユウキは思わず叫んだ。

 「一体!ユミルって!ユミルの鍵って何なんだ?地球が滅んでないとかどうとか?俺にはわけがわからない!鍵がエリスの手に渡ればどうなるというんだ!」

 「ユウキ…」

 ナターシャは、ユウキを憐れむかのような瞳をして、静かな声で彼を落ち着けた。

 「ユウキ、ごめんなさい。何もかもあなたに背負わせるようなことをしてしまって。ユミルは…」

 また、風景が変わった。

 それは、ユウキが今朝、夢に見た光景であった。

クレーターとも異なる巨大な竪穴、そしてそこに横たわる不気味な赤い蛍光色に覆われた…星の海を越え、途方もない長い時を経て航行できる巨大な星船…。

 「ユウキ、ユミルというのは、木星はおろか、太陽系の遥か彼方まで人や膨大な資源を乗せて航行ができる、“失われたテクノロジー”で建造された巨大な星船です。火星の衛星、ダイモスにそれは眠っています。かつては火星や地球に木星のメタンガスを運び、人類社会に膨大なエネルギー資源をもたらした貴重な星船でもありました。しかしやがては、その船の所有権をめぐり、火星や地球の国家や企業、テロ組織、犯罪シンジケートなどが、血みどろの争いを繰り広げ、果てには火星圏と地球圏の星間戦争にまで発展したのです。その戦争の末、地球の人類社会は衰退し、火星との連絡、交流は途絶え、今に至るのですが…。わたしたちオージンが、この火星で生み出されてからしばらく、ある科学者がエリスのユミルを欲する野望を察知して、“ユミルの鍵”を作り、ユミルのドッグがあるダイモスに封印しました。ユミルのその動力炉の起動には、ある周波数のエネルギーの波動が必要となるよう仕掛けたのです。そのエネルギーの波動はあの“ユミルの鍵”によって生み出されるもので、この世に唯一のもの。それが奪われない限り、ユミルが動くことはありません」

 ユウキはまた首をかしげた。

 「鍵は閉まっているんだろ?なら、鍵であるあのギターを壊してしまえばいいじゃないか?」

 ユウキの当然の指摘にも、ナターシャはかぶりをふった。

「それはできません。ユミルの起動に必要なエネルギーの周波数が失われないうちは、ユミルは起動しません。しかしそれがマスターと共に失われれば、ユミルの鍵も開いてしまう。そしてその起動は容易にできるようになってしまう。だから破壊することもできないのです。エリスはおそらくアーカイブを解析して、そこまで研究を進めているはず。だから彼女にとってあのギターの奪取は今、アローラを滅ぼすことより最優先の事項でしょう。きっと、ブレードに命じ、“火星の夜明け”を使ってこのアルフハイムに攻撃をしかけてくるはず。“ユミルの鍵”とあなたを奪うために…」

 

 ベンチで物思いに耽っていたユウキは、ふと正面のメディナス大聖堂から北側に少し離れた場所に、見覚えのある時計台があるのを視認した。それは、ナターシャの精神世界でナターシャと邂逅した場所であった。

 (ナターシャ…)

 ナターシャとの会話を思い起こすたびにユウキは釈然としない、複雑な気持ちになる。

 ナターシャはユウキに、しばらく“ユミルの鍵”と共にアルフハイムに留まり、メディナス大聖堂で暮らしてほしいと頼んだ。そして“火星の夜明け”は近いうちに必ず、アルフハイムを襲撃にくるとも。

 「あなたをエインとともに、別の場所に移動してもらうことも考えたわ。でも、エリスはこの星にいる限り、必ずあなたの居場所を掴んでしまう。それならあなたを安全なアルフハイムに匿い、彼らを迎え撃つほうが妥当です。ここには、アスガルドの侵攻さえ食い止めた強力な自衛組織軍があるし、なによりヱインやライアもいる。逃げるより闘う、それしかありません。でもユウキ、心配しないで。あなたは必ず守るわ」

 その時、ユウキはナターシャに怒りを覚えた。あまりにも勝手である。そしてなにより、肝心なことが未解決のままであることに、苛立ちを覚えた。

 「ナターシャ、いい加減にしてくれ。でもいいよ、百歩譲って俺が、“ユミルの鍵”のマスターを継承したっていいさ。そんなことはどうでもいいんだ。そうアローラ、彼女だ。彼女は今、ダイモスにいるんだろ?彼女をそこから救出することは、どうなっているんだ?彼女は君の妹だろ?俺にとっては、ユミルや“ユミルの鍵”なんてどうだっていいんだ。彼女を救いたいんだ」

 アローラは悲しげにユウキをみやった。そして目を閉じた。

 「ユウキ、ひとつ言っておかなければなりません。ヱインは、わたしがアローラを救う方法を明示すると確かに言いました。そしてあなたの彼女を助けたい気持ちも痛いほど解ります。でもわたしにとって、アローラの命より、あなたと“ユミルの鍵”を守り、ユミルを起動させないことのほうが遥かに大事な使命なのです。さらに言うなら、アローラのことは全く心配ありません。彼女もオージンのはしくれです、エリスに彼女をどうこうできる力はありません。ただ…」

 ナターシャは目を開いた。

 「ブレード。そう、あの男がダイモスに上がれば話は違います。彼は、創造されたハイドロイドの中でも、特に力のあるガーディアンの一人です。アローラを力ずくでマグマの火口や、強力なプラズマが渦巻く宇宙の果てまで連れていくことも可能でしょう。だから、アローラを救うというのなら、まずはこの星で彼を倒さなければなりません」

 だから、ここアルフハイムで、彼らを迎え撃つのだとナターシャは繰り返した。

 しかしユウキは、やはり釈然としなかった。

 そう、結局ナターシャは本人が認める通り、アローラのことなど眼中にないのだ。

 その心づもりを読んだか?ナターシャは、ややうつむき加減になり、ユウキに向けたその視線を外した。

 「ユウキ、アローラがわたしの妹であるのと同時に、エリスもわたしの妹なのよ。そして彼女らの争いに、わたしが介入して、どちらかに荷担するということはできないの。さらに言うなら、オージンはそれぞれ役割が異なるだけで、その利害がぶつかる上では争うこともあるかもしれない。しかし基本的にわたしたちは、人類が生み出したシステムの一部に過ぎないの。だからまず、それを全うすることが、わたしたちの第一にやらなければならないこと。その意味では、エリスも絶対悪ではないの。ただ今は、エリスとアローラの利害や思想がぶつかっているだけで、それはわたしたちが生み出されたより幾星霜、輪廻のように繰り返されてきた現象のひとつに過ぎない。それはある種、自然の摂理に適うものでもあります。だからわたしは、彼女らの争いを傍観するより他にはないのです」

 「ナターシャ…」

 ユウキは言葉を失った。

 「俺は…そんな、傍観することなんてできない」

 しかし、自分には何もできない、そして力もない…それが現実と理解するにつけ、ユウキの胸の内には、掻きむしられるような無力感だけが影を落とすのだった。

 「ユウキ、あなたは無力じゃないわ」

 ナターシャの声は静かだった。

 「アローラのことについては、わたしも考えていることがあります。わたしとアローラはけして利害が不一致ではないし、彼女を失うことは、わたしの使命成就にも大きな損失となります。だからわたしは、直接は介入できないけど、ヱインには話していることもある。アローラのことについては、ヱインに協力を仰ぎなさい。でもまずは、ここアルフハイムに留まり、わたしたちの保護を受けてほしい。それは、あなたに強制できることじゃないけれど…よく考えて決断してほしいわ」

そしてナターシャはポツリと「“火星の夜明け”の襲来は近いから」と付け加えた。

 それはもう、十日前の出来事だった。

 そして今ユウキは、こうしてヱインに連れ出され、アルフハイムの街並みの中、かのメディナス大聖堂の偉容を眺めている。

 「よう、わかったぜ」

 振り向けば、ヱインが戻ってきていた。

 「いやあ、面目ねえ。道一本、間違えてたわ。もう少し、あっちのほうだった。あそこにモスクがあるだろ。そこより北側なんだよ。道理で、二十年前の記憶にあったモスクがないわけだわ」

 ヱインは、バツが悪そうな顔をして頭を掻いていた。

  「…そんなことだと思ったよ」

 ユウキは笑った。

 「それで?また戻るの?」

 「おう、悪りな」

 そう言いながらもヱインは、ユウキの隣に座った。

 「どうした?疲れたか?まあ無理もねえな、その身体だしな」

 「いや、そうじゃないんだ」

 ユウキの視線の先には、メディナス大聖堂がある。

 「ナターシャのことか?まあ、だいたいのことは聞いているけどよう、遅かれ早かれ、“火星の夜明け”はお前を狙ってくるだろう。まあ、あそこに引っ込んでいたほうが無難だろうな」

 「ヱイン…」

 ユウキは視線を落とした。

 「“火星の夜明け”や、その首魁ブレード。あなたは彼らについて、きっと俺よりよく知っているはずだよね?彼らは…ヴァルハラのスラム街で紛争を起こした時も、そこに住んでいる人たちのことなど、一顧だにしなかった。人々が戦闘に巻き込まれようがなんだろうが…。まるで平気でヴァルハラの軍隊とミサイルを撃ち合っていた。それはヴァルハラ政府も同じことが言えるけど…」

 ヱインは、ユウキの言葉を待つように無言のままだった。

 「なあヱイン、アルフハイム政府が、市民に対してヴァルハラ政府と同じことをやるとは思わないけど、“火星の夜明け”は違う。目的のためなら必ず、このアルフハイム市民も巻き添えにすると思う。俺と“鍵”がこの街にある限り…」

 「ユウキ…」

 ヱインはユウキの肩に手を置いた。

 「だからこの街を出ていくというのか?それはさせるわけにはいかないな。俺はお前の言うとおり、ブレードのやり口はよく知っている。お前が、この街を出ていけば出ていったで、別のやり方でお前を脅迫するだろうよ。それこそ、このアルフハイムを戦火に焼き、“アルフハイムに戻れ。そして俺の元に来い。さもなくばこの街を焦土と化する”くらいのことは言いかねない。どのみち奴は、俺やライア、そしてナターシャがこの街にいる限り、この街を常に狙っている。今までそうしなかったのは、宗教者たちの余計な反感を買わないためだ。だが、“ユミルの鍵”の所在が知れた以上、これまでとは様相が違ってくる。それこそ奴らはなりふり構わず、来るだろうさ。お前が、この街にいようがいまいがな」

 冷たいが、ほどよく肌触りのよい風が、二人の間を吹き抜けた。

「お前は余計なことを考えるな。まずは自分の身体を治すことが先決だろ。そのために義手をつけるんだからな。滋養も大事だが、腕が無くてはいろいろ不都合も多いだろう。ナターシャも心配している…」

 「ヱイン!」

 ユウキは、ヱインの言葉を遮るように声を張り上げた。

 「俺は自分の身体なんてどうでもいいんだ。自分が原因で、人が争いに巻き込まれるのを見るのもいやだ。それに俺は…」

 ユウキは立ち上がった。そして隣に座るヱインを見下ろす。

 「ヱイン、君はどう考えているんだ?ナターシャは、アローラの救出には、君の協力を仰げと言った。それはきっと、あの男…ブレードや“火星の夜明け”を、このアルフハイムで迎え撃ち、そして多くの犠牲を払ってブレードを倒して…その後の話になるんだろ?

俺はそんなには待てない。俺はこうしている間にも、アローラを助けに行きたいんだ。ナターシャは、けしてアローラの身を案じてなんかいない。だってアローラの救出は全部、君に丸投げじゃないか。そしてそういう君は…」

 ユウキは拳を握りしめた。

 「けしてアローラのことを快く思ってはいない」

 ヱインは無言だった。

 「もう、誰も信用はできない。俺は“ユミルの鍵”なんてどうでもいいんだよ。ユミルが起動してこの星がどうなろうと知ったこっとじゃない。ブレードがほしいというのならくれてやるさ。でも…アローラだけは…」

 するとヱインは「クク」と笑った。

 「何がおかしいんだ!」

 そうユウキが詰め寄っても、ヱインは笑うのをやめなかった。

 「お前よう、自分が惚れた女を少し嘗めすぎちゃいないか?そんなお前を見てよう、あいつがお前を好きになると思うのかよ?むしろガッカリさせちまうんじゃねえのか?」

 ユウキは言葉を失った。

 「俺も正直、ガッカリだぜ。あいつが、こんな情けない奴にあのギターを渡したのかと思うとよう。彼女は、自分が全うしきれない仕事を、お前が信用できる奴だと判断したから、多少勝手だが、託したんじゃねえのか?なら、潔よく引き継いで使命を全うしたらどうだ?惚れた女のためを思うならよう?」

 「それは…」

 ユウキは己を恥じた。

 「すまない、ヱイン。俺は間違って…」

 「いや、そうでもねえさ」

 ヱインはベンチに深々と腰掛け、愛用の葉巻を取り出して火をつけた。

 「お前を勝手に“鍵”のマスターにしたのは、ナターシャだしな。それはアローラの本意でもなかっただろ。きっとあいつはお前をこんな形で、巻き込んでしまったことを後悔しているさ。ただなあ、ユミルの危険性、そして“ユミルの鍵”の重要性…それはあいつもよく解っている。だからナターシャがああなってから、本来は自分の使命でないはずの“鍵”のマスターを引き受けた。そして二百年近くもエリスやブレードの追跡を逃れ、“鍵”を守り通したんだ。そのことだけは、いかに彼女がオージンといえど、認めざるをえんよ」

 「…」

「俺はお前の言うとおり、あいつはどうもいけすかねえ。わがままで自分勝手で…。俺は元々、ナターシャのガーディアンだったんだ。それが、アローラが“鍵”のマスターになってから、様相が変わった。ナターシャが俺とライアに命じたのさ。“彼女を守って。これからあなたたちは、アローラのガーディアンです”てな。苦労したさ、あいつには。でもよう、ナターシャの代わりを永きにわたり、よく務めてくれた感謝っていうかよう…あいつをエリスから取り戻すのはやぶさかじゃねえんだ、俺は…」

 ユウキは顔を上げた。その表情は意外な驚きに満ちていた。

 ヱインは笑った。

 「勘違いするなよ、ユウキ。全ては“火星の夜明け”を迎え撃ち、ブレードの畜生を退治してからだ。ダイモスに上がるには星船が必要だからな。星船の燃料さえ貴重な、この星に、星船なんて滅多にないが…。ただ俺が知る限り、ダイモスに上がることのできる星船はこの星に三つある…」

 「星船が?三つ?」

 ヱインはうなずいた。

 「そうだ。ひとつはヴァルハラ、それはエリスとアローラを運んで今、ダイモスにある。ひとつはアスガルド、ヴァルハラと双璧をなす大国で、政府の管理下だ。そしてもうひとつは…」

 ヱインは、メディナス大聖堂を指さしてニヤッと笑った。

 「ここ、アルフハイムにある。それは、あそこの地下に眠っているんだ」

 「ヱイン!」

 ユウキの表情は明るくなった。

 「ユウキ、やつらとの決着がついたら、そいつでアローラを助けにいこう。きっとナターシャも承知するさ。ダイモスに上がりエリスを蹴散らして、アローラの泣いて喜ぶ間抜け顔を、拝んでやろうじゃねえか」

 

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