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 そこは暗く、しかし広い空間だった。

 ただ飛行艇を推進する動力の音だけが後方から響いていた。それは暗闇の底でうずくまるファングの不安に、なお拍車をかけるばかりだった。

 ライフルや防弾ジャケット、そして光学迷彩服で武装したファングは、その両眼を闇の中で爛蘭と輝かせている。しかしその輝きには、疲労と焦躁の色合いも濃く現れていた。

 そこは、“火星の夜明け”がアルフハイムに侵攻するための部隊を輸送する、大型飛行艇の内部だった。ファングの周囲には、彼と同じ武装をした兵士が整然と並び、その場に腰を下している。みな一様に、上下開閉式のハッチを見つめ、いつでも殴り込みの出来るような異様な殺気に満ちていた。

「ファング…ファング…」

ファングの隣には、スラム街からつき従ってきた少年が、ファングと同じ武装で、両膝をかかえていた。彼はファングの袖を引き、声をひそめて彼の名を呼ぶ。

 「…なんだ?」

 ファングは、彼の顔を見ようともしなかった。

 「…重力だよ」

 その言葉は短かったが、ファングを苛立たせるのには充分だった。

 「なあ…俺たち大丈夫かな?」

 「…アレン」

 その名を呼ぶファングの声は、不気味なほど静かだった。

 「黙ってろ。こんど口を開いたらぶん殴るぞ…」

 アレンはオリュンポス山での訓練で、ファングとともに優秀な成績を残し、今回の作戦に参加してきた。スラム街の仲間たちの中で、今回の作戦に参加しているのは、ファングの他は一握りしかいない。アレンはその一人である。

 「オリュンポス山で散々訓練してきただろ、あの通りにやればいい…」

 オリュンポス山にある“火星の夜明け”のアジトには、重い重力下での訓練施設もあった。人類の生まれ故郷、地球と同じ重力を保つ装置“ユグ”…。その影響の少ないスラム街で育ったファングたちにとって、都市部の重力下での活動は、その体に及ぼす負担は想像を絶するものがある。だから、そのような環境でも動ける訓練を、ある一定は行ってきた。それでも不安は拭えない。

 ファングは、アレンの心境が手に取るようにわかった。それは自分も同じだからである。アレンの不安はファングの不安でもあった。だから、同時に彼に対してイライラとする気持ちもあった。アレンが怯えているのを見ると、自分もそれに捉われ、無理に奮い立たせているものが、崩れそうになるのである。

 唐突にファングは、アレンの頭を引っ叩いた。

 「いて!なにするんだよ!俺、喋ってないだろ」

 「うるせえ!てめえ、しっかりしろ!」

 すると隣から「やめんか!」という声がした。

 周囲の先輩兵士たちのジロリとした視線が、二人に突き刺さる。

 ファングは恥入るように「ペコリ」と頭を下げた。そしてアレンの肩に手を回し、グイッと引き寄せる。

 「いいか、アレン。俺たちにとっちゃ、これはいいチャンスなんだよ。俺の見立てじゃ、ここは実力主義だ。年功序列なんて存在しない。だから、これからの戦闘で実力を見せつけて武功をたてれば、ここでの地位も上がる。ビビってる場合じゃねえんだよ。お前、いい女を大勢抱きたいだろ?酒も煙草も、上等なもんがほしいだろ?一兵卒じゃ、安っぽいババアの娼婦しか抱けねえし、酒も安酒しか飲ませてもらえねえぞ?」

 ファングの声をひそめたささやきに、アレンは目を光らせて何度もうなずいた。

 「ああ、そうだよな?うん、そうだよなあ…へへ、久々に女抱きてえ」

 ファングはニヤリと笑った。

 「なあ?そうだろ?それもよう…そう、あいつに認められれば、思いのままなんだよ。そう、あいつに…」

 ファングは、天井を見上げた。

 黒々としたむきだしの鉄骨が、無機質にファングの視界を覆う。

 その上のフロアにあの男…ブレードの居室があることを、ファングは知っていた。

 今、あの男はあそこで何を考え、何を思うのか?

 想いを馳せるファングの眼は、獣のような獰猛な光と、憧憬にも似た色合いがないまぜとなり、暗闇に浮かび上がっていた。

 

 その部屋の広い窓からは、パノラマのように雲海が広がっていた。

 簡素なつくりだが、居室としては十分なスペースがある。その真ん中でブレードは、一人用のソファーにどっかりと腰を下ろし、ひじ掛けに肩肘をのせ、頬杖をついていた。

その視線の先にある雲海の景色は、ゆっくりとではあるが、刻々と変化している。

しかし、このはるか先にあるアルフハイムの空にまで続く、雲の絨毯は、一向に切れ目を見せることはなかった。

 「大佐」

 後ろでドアが開き、コーネリアが入ってきた。

 「準備はいつでも…しかし…」

 コーネリアは言いよどんだ。

 「ヴァルハラの新兵たちは、都市部の活動にはまだ不適格です。まともに戦えるかどうか…」

 ブレードは無言のまま、ただ正面に広がる雲海を見つめているだけである。コーネリアには振り向きもしない。

 やや間があって、ブレードは口を開いた。

 「ユミルの鍵、そしてアルフハイムの星船、この二つを奪取すること。そして聖域の女神を抹殺すること…」

 ブレードの声には、静かな迫力があった。

 「我々の最も強力なスポンサーである、エリス様から依頼された、以上三つの目的。なんとしてでも果たさなければならない」

 コーネリアは無言で、ブレードの言葉を待った。

「ユミルの鍵は、この星の繁栄を約束するもの。星船は、エリス様のおわすダイモスに馳せ参じるため。そして女神の抹殺は…」

ブレードは言葉を切った。

「我々の最も強大で恐るべき敵…それを未来永劫、排除するためだ」

ブレードの言葉にコーネリアはなぜか、身震いするようなものを覚えた。それは、ありとあらゆる罪を犯すことより、とてつもない背徳のようにも思えた。

 「これは“火星の夜明け”にとって大いなる大義。そしてアラーの思し召しでもある。アラーの御加護により、あの若者たちは必ず“喜びの野”に導かれる。すべてはアラーの御心のままに…」

 その言葉にコーネリアは抵抗を覚えた。

 “喜びの野”に導かれるということは“死”を意味する。所詮彼らは、捨て駒に過ぎないということか?

ただそれは、今に始まったことではない。戦場で生きるか死ぬか?それはアラーのみぞ知る神の御業。

コーネリアに言わせれば“死ぬ奴は死ぬ、死なない奴は死なない”

早い話が運次第ということなのだろう。戦場で簡単に命を散らす者は、例え神の御許に召されるにしても現実世界では捨て駒で終わり、逆に生き残る者は、その経験とともに歴戦の戦士となっていく。

 (あいつは…どっちだろうね?)

 コーネリアの脳裏をファングの獰猛な顔がよぎる。そんな自分がおかしくなり、彼女は思わず皮肉な笑みを浮べた。

 「何を不安に思う?コーネリア」

 ブレードがボソリとつぶやいた。

 「お前はなにも案じることなどない。手は他にも打ってあるのだ」

 コーネリアは思わず呆気にとられた。

 「手を?他にも?」

 その時、ブレードの口元が歪んだ。それはまさに悪魔の笑みだった。

 「奴らは思い知るだろう、信仰の名のもとに排除されてきた者たちの…その憎しみを」

 「…」

 コーネリアはただ無言で、ブレードの後頭部をみつめることしかできなかった。

 この人間離れした男は、何を企み、そして何を起こそうとしているのか?

 コーネリアの思惑をよそに、飛行艇はただひたすら、火星の空を駆け抜けていく。それはまさに、白い絨毯の上を滑るかのようであった。

 

 そこは同じ都市にあるとは思えないほど異質な場所だった。

 ただ、高層ビルが林立するヴァルハラで育ったジェシカやマルコには、違和感はなかった。ただ眼下に広がる街の景色を見るにつけ、この都市が異質な文化に醸造された街であることは認識せざるをえない。

その広大な領地のほとんどを埋め尽くす寺院の時計台や尖塔、モスク、そして石造りの街並み。

その中にポツンとたたずむ鋼鉄のビル群…そこはヴァルハラの各種企業がアルフハイムに拠点を置く支社、そして飛行艇のターミナルなど、が狭い敷地に林立している場所であった。

 ターミナルで飛行艇を降りたジェシカたちは、政府関係機関専用の通路から、アルフハイムでの活動の拠点となる、ヴァルハラ大使館に向かっていた。大使館といっても、ターミナルのすぐ隣に立つ、オフィスビルの一角に入っている。だから街での活動が主な仕事となる今回の任務に、どちらかといえば不便な場所ではあった。

 ターミナルからそのビルに至る直通の通路は、ガラス越しに街の景色が望める。

宗教施設が軒を連ねるその街並みの中、一際、大きな建物がマルコの注意を引いた。

それがこのアルフハイムを象徴する「メディナス大聖堂」であることは、充分に認識してはいたが、実物を見るのは初めてであった。

 「ほう、あれが噂の。さしずめヴァルハラにおけるターミナルタワーのような存在、といった所ですな。あそこにこの街の女神様がおわすのでしょう?まったく、この惑星の神様というのは、大型公共事業がお好きですなあ、どれだけゼネコンに優しいのやら…」

 「マルコ!」

 ジェシカがキッとマルコの顔を睨んだ。

 「独り言なら、一人になった時に言え。わたしたちと行動を共にする時にぼやくな」

 「おや?聞こえましたか?相変わらずの地獄耳ですな。わたしはあなたより、こんなに後ろを歩いているのに…」

 事実、マルコは十数名からなる、アルフハイム派遣部隊の最後部を歩いていた。先頭に立つジェシカとは距離がある。

 「ふん。本当の地獄耳を持つ方々に、お前の言葉が届いていれば、お前の命などないぞ。そうなれば、わたしはせいせいとするがな」

 ジェシカの毒舌に、マルコはケロリとした顔で、ただ肩をすくめただけだった。

 「この街の女神様は、長い眠りについていると伺っています。どういということはありませんよ」

 相変わらずの減らず口を叩くと、今度は他のメンバーが一斉に振り返りマルコを睨んだ。無数に突き刺さる厳しい視線に、さすがのマルコも帽子を目深にかぶり直し、小さくなるしかなかった。

 (…それにしても)

 マルコは思索にふけった。

 減らず口を叩く相手がいなければ、そうするより他にない。

マルコはこの街に降りた時から、ある違和感を覚えていた。

(ターミナルの物々しさもそうだが…妙な緊迫感があるな)

飛行艇のターミナルには、アスガルドやニブルへイムなど、他国からの飛行艇も入ってくるのだが、当然のように税関を通って外国の人間は入国してくる。その際に、警備兵が付近に常駐するのは常だが、その人数はあまりにも多く、そしてピリピリとした空気に包まれていた。

(この街はあれが常なのか?確かに民族、宗教、思想等、複雑な都市国家ではあるが…)

 税関の前には、長蛇の列ができて喧噪を極めていた。

ヴァルハラのターミナルタワーでも、これほどの警備体制を敷くのはまれである。政府間での正式な手続きの上で入国したマルコやヴァストのメンバーは、簡単な入国手続きだけで済んだのだが、一般の乗客らは、明らかに度の過ぎた検問対制に、その多くが引っかかっているのだ。

(何が?起こっているんだ?)

やがて大使館のフロアに入ると、ジェシカたちを待っていたのは、物々しく武装した警備兵とアルフハイムの外交官を名乗る黒服の男だった。

「ヴァストのジェシカ隊長ですね。外交部のウォーレンです」

 その男は、ジェシカの認証システムでも“アルフハイム外交部部長ウォーレン”と認証された。男が名乗った内容と一致したため、ジェシカも自分の身元を明かし、握手を交わす。

 「大層なお出迎えですね。以前、この街を訪れた時は、これほどの熱烈な歓迎はありませんでした」

ジェシカが皮肉を言うと、ウォーレンは悪びれた様子もなく、ただ生真面目な態度で彼女の顔を見返した。

「誠に申しわけありません。アルフハイムは今、戒厳令に準じた治安体制です。せっかくお越しいただきましたが、しばらくあなたがたの任務の遂行はご遠慮いただきたい。そのことをお伝えにまいりました」

たったそれだけのことで、この人数の警備兵を引き連れてきたというのか?ジェシカは、おかしく思った。ただ、これだけの手練れが外国から入国してくれば、当然の対応と言えなくもない。

「テロの予告でも?ターミナルの雰囲気も尋常ではなかった」

ジェシカの問いかけにも、ウォーレンは全く態度を崩そうとしない。

「わけは今、申し上げることはできません。ただ、我が国としてもあなた方の任務を阻害するつもりなど毛頭ありません。今は情勢が落ち着くまで大使館で待機していただきたいのです。どうかご理解を」

「その情勢とやらをお聞かせしてもらわなければ、納得できません。我々も遊びでこの街に来ているのではない。我々が得心できるお話をしていただけないのなら、本国と連絡を取り合い、外交上の圧力をかけてもらうよう、ヴァストの上層部に掛け合うつもりです」

 そんなジェシカの脅しにも、目の前の外交官は、まるで動揺する気配を見せなかった。

 「お気持ちはわかります。ただ今、わたしが確実に言えることは、要請に従っていただいた方が、あなた方のためにもなるということです。今、このアルフハイムには危機が迫っています。その危機を回避するため、我が国は全力で防衛体制を整えている最中です。その状況下であなた方に動かれては、混乱が増してしまいます。どうかご理解を」

 ジェシカは二の句が告げなかった。

 ただ、大使館はなんらかの情報は掴んでいるはずである。ここで押し問答を繰り返しても埒はあかない。

 「分かりました。当分、我々は訳も分からず、大使館で軟禁と…。その間は、気の利いた接待でもしていただきたいものです。アルフハイム産の上等な蒸留酒の差し入れとかね。あなた方の危機とやらが、早急に収束するのを心待ちにしていましょう」

 ジェシカの皮肉にも動ぜず、ウォーレンは頭を下げた。

 「ご協力感謝いたします」

 そのやりとりをただ黙って見守っていたマルコは、首をかしげながら、外交官ウォーレンの顔を盗み見た。

 (百戦錬磨のジェシカ隊長を引き下がらせるとは…だが、けしてこの男が特別、優れているというわけではないな)

 マルコは、この異様なアルフハイムの状況に、強固な組織力が働いていることを観てとった。外交官のウォーレンは、ただ組織に忠実なだけの男なのだろう。忠実であるがゆえに、組織の尖った部分や方針を、より体現する力があるのだ。

 (アルフハイムを、組織として一つにまとめる力があるのは、かのメディナス大聖堂の女神のみ。そしてアルフハイムが相手にするのは間違いなく“火星の夜明け”…)

 マルコは溜息をついた。

 (やっかいなタイミングで…これは先が思いやられる…)

 マルコはタバコを吸いたい気分になった。

 ヨツンへイム産のタバコを取り出し、火をつけて煙をくゆらせると、マルコの脳裏をある想いが支配した。

 (スラム街のガキどもも、戦闘に参加してくるかもしれんな…やれやれだ)

 

 

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