
「どうだ?調子は?」
義手を開いたり握ったりしているユウキに、エインが声をかけた。
「うん。でも不思議だなあ」
ユウキは義手をまじまじとみつめ、時折、手のひらを指で突ついたりしている。
その肌触りは、生身の肌と寸分も違わない。機械で出来た腕とは思えなかった。
「神径系に限りなく近い伝達システム、血液の流れを通す細菅、人口の細胞組織、どれをとっても生身の体とほとんど変わりないさ。副作用もたいしたことなくてよかったな。人によっては地獄の苦しみを味わうというからよ。お前って、たいした奴だな」
「そんなことはないよ。昨日の晩まで、なんだか気持ち悪かった。でも今朝になったら、もう治まっていたよ」
ユウキがエインの知己である専門医にかかり、義手をつけてから三日ほどが過ぎた。
なんともいえない違和感はまだあるが、エインに言わせれば、ユウキのその回復力や生命力は、類をみないという。
(まあしかし…)
エインは、ユウキのそばに立て掛けてある“ユミルの鍵”、いわゆる件のギターをみやった。ユウキもそれに気づき、エインと視線を同じくする。
「これのおかげなのかな?これが近くにあるとなんだか、体が軽くなるんだ」
「…ユウキ」
エインは、ユウキの顔をまじまじと見つめた。
「お前、しばらくはこれを肌身離さず持っていたほうがいいな。お前の体のためにも」
ユウキは思案した。
「この部屋で養生しているうちはそうするよ。でも…」
ユウキは自分とギターを、別々にしたほうがいいのではないかと提案した。
「“火星の夜明け”が俺とギターを狙っているのなら、分散したほうがいいだろ。体の調子が良くなったら、俺は別の場所に移ろうと思うんだ。それこそイスラム教の施設とか…」
エインはかぶりを振った。
「それはやめたほうがいい」
ユウキは首をかしげた。
「どうして?」
「お前とギターが分かれれば、戦力も分散されるからさ」
「だから、俺は隠れていればいいだろ?ギターを守ることに専念すれば…」
するとエインは立ち上がり、腕を組んでユウキを睨んだ。
「いい加減にしろ。誰がそんな薄情なマネができるかよ。ナターシャだって、許しゃあしねえぞ。いや、例えナターシャが許しても俺は許さねえ」
そしてユウキの肩に手を置いた。
「俺たちはなあ、こんなガラクタよりお前のほうが大事なんだよ。お前は鍵のマスターを背負ってくれたんだ、だから決してお前を見捨てやしねえ。俺たちは、お前をなんとしてでも守り抜く。だからよ、お前も自分を大事にしてくれよ、なあ、頼むよ」
「エイン…」
ユウキは、エインの青い瞳を覗き込んだ。
アクアマリンのようなその瞳は、人工物であるにも関わらず、吸い込まれるように美しい。そしてそこには、強く雄々しい意志とユウキを本気で慮る気持ちが、その色合いに濃く現れていた。
「ごめんよ、俺、また間違ってた」
するとエインは、にやりと笑った。
「お前ってやつは本当に素直だな。なに,気にするな。ただ俺は恐いだけなんだよ」
「…?」
「アローラがよう…。お前、あの女がどれだけ恐ろしいかまだ知らねえだろ?お前にもしものことがあったら、俺が殺されちまうんだよ」
ユウキは笑った。
「エインが?アローラに?まさか」
アローラがそんなに恐ろしいというのなら、そもそもガーディアンなど必要ないのではないか?しかも「殺される」とおののいているエインが、ガーディアンというなら尚更である。
「そうでなくてもよう、お前、あいつの悲しい顔なんて見たくねえだろ?まあ、そういうことだよ」
エインは片目を瞑りながら笑った。
「エイン、前から気になっていたんだけど…」
「あ?」
「ほら、ライアもカイルもオージンの二人には“様”をつけるだろ?エインは呼び捨てだよね?まるで対等の立場みたいな。どうして?」
エインは頭をかいた。
「そうだな…いや、そもそも俺たちガーディアンは、いくら彼女たちがオージンでも“様”をつけて別格扱いしなければならない理由なんてないんだよ。彼女たちだってそれを望んでいるわけじゃないしな。ただ、ガーディアンといっても、いろいろなタイプがあるんだ。ライアやカイルは人間の体を捨て去って、その記憶だけを機械の体に“移しかえた”特殊な存在、いわゆるハイドロイドだ。永い年月を生き続ける、オージンの守護を使命としたガーディアンは、自分たちの体も、長生きできるように改造しなければならない。その究極が俺に言わせれば“人間を捨てた”存在、ハイドロイドというわけだ。しかし俺は、体のすべてを捨てたわけじゃない。脳は人間だった頃のままなんだよ。ただ、生身だからいずれこの“オツム”も、細胞分裂を終えて朽ち果ててしまう。だからある一定期間は“氷室”で冷凍睡眠に入り、脳細胞の活動を抑え、その細胞分裂を遅らせなければならない。ちなみに俺の“氷室”は、ここの地下にあるんだがな。前にも話したが、俺みたいな輩を“コールドスリーパー”と呼ぶんだ。だから俺は、機械の体を持ってはいても中身は人間というわけさ」
エインは自分の頭を指さしながら、説明を続けた。
「人間には意志がある、選択の自由もある。しかし、ハイドロイドは違う…。オージンを創造した科学者たちは、ガーディアンのオージンに対する忠誠を強化するため、特にハイドロイドをオージンに服従せしめるプログラムを開発した。あいつらは、それがインストロールされているから、オージンは絶対的存在だ。あいつらの“様”呼ばわりは、それが大きく影響しているんだよ」
そして忌々しげな表情を浮かべ、吐き捨てた。
「あのブレードの畜生も例外なくな…。俺は、そんなのまっぴらごめんなんだ」
ユウキは首をかしげた。
「それでエインは、ハイドロイドにならなかったんだ。でもエインは、ハイドロイドを選択しなかったにしろ、命を生き永らえて、長い年月オージンを護ってきた。ライアやベイルも体や心を捨ててまでそうしてきた…」
エインは両腕を頭の後ろに組み、面白そうな顔をしてユウキの次の言葉を待った。
「そこまでして?なぜ、君たちはオージンを?」
エインは笑った。
「じゃあ聞くが、お前はなぜ、アローラをそこまでして助けたいと思っているんだ?」
呆気にとられたユウキの顔を見て、エインはまた笑った。
「そんなに難しい話じゃねえ。お前がアローラを好きになって、いかれちまったように、俺たちもナターシャにいかれちまっているんだよ。まったく、オージンっていうは、罪な連中だぜ。女神さまなんてのたまわっちゃいるが、その実、悪魔かもしれねえな」
「悪魔?言い過ぎだろ、ナターシャが聞いているよ」
エインは「構うもんか」と笑うだけだった。
ユウキは思った。
確かにエインの言う通り、アローラやナターシャには、普通の人間には抗しがたい魅力があるように思える。人類を導く超常者として創造された彼女らに、それは必要な力なのかもしれない。
しかし、それが時に人を傷つけるものでもあり、過酷な運命をも背負わせてしまう。
(そのことを、アローラが自覚してしまったとしたら?)
ナターシャの言葉が脳裏をよぎる。
(あの子は、人に近づき過ぎてしまった。そして孤独や悲しみを覚えてしまった。その
意味では不憫よ。でもオージンとしては、“落ちた女神”そう言えるのかもしれない…)
ユウキは、はるか上空にある火星の衛星ダイモスに想いを馳せた。
アローラは今何を想い、この惑星の赤い大地を見つめているのだろう?
ユウキは、エインの顔を見つめた。
「エイン、星船はどうなの?動きそう?」
エインは、渋い顔でバツが悪そうにうつむいた。
「それがよう、なにしろあれが最後に動いたのが半世紀くらい前のことでよう、それだけならまだしも、整備不良なものだから動かせる確証が得られるまで、まだ時間がかかりそうなんだわ。なあに、心配するな。こう見えて俺は優秀なメカニックなんだ。必ず、ダイモスに出航できるよう、完璧に整備してみせるさ」
そしてやや気落ちしているユウキの肩に手をやり、彼を元気づけた。
「よし、星船の修理にもうひと頑張りしてくるわ。お前は、しっかり養生しろよ。お前の民族のことわざにあるじゃねえか、果報は寝て待てだ」
「うん…頼んだ」
やや不安げなユウキを尻目に、エインは部屋をでた。
そしてユウキの薬を運んできた、ソフィアと入れ替わりになった。
「ユウキさんのお加減はどうですか?」
「なに、ピンピンしているぜ、あとは頼んだ」
エインはしばらく、頭を掻きながらメディナス大聖堂の廊下を歩いた。
(ああは言ったけどよう、部品が全然、足りないんだよなあ…どうしたものか?)
その時、廊下の向こう側から歩いてきたカイルに、ばったりとでくわした。
「エイン」
エインは、誰何されるまで彼には気付かなかった。
「ああ?なんだ、カイルか」
カイルは不機嫌そうに顔をしかめた。
「なんだはないだろ。近頃、地下の星船をいじりまわしているそうだな。こちらは“火星の夜明け”の襲来に備えて、国防部を動かすのに苦労しているというのに。まったく、吞気なものだ」
エインは苦虫を潰したような顔をして、カイルを睨んだ。
「そいつについては、ナターシャに一任されていることだ。こちらだって苦労している。まったく、お前らが星船の整備をさぼってくれたおかげで、大迷惑だぜ」
エインの苦情に、カイルはただ「ふん」と鼻をならしただけだった。
「それで首尾はどうなんだよ?評議会のくそジジイどもは相変わらず,腰が重いのか?」
カイルは腕を組み、床にやや視線を傾けた。
「警備については万全だ。戒厳令に準じた警戒体制で、ターミナル、主要幹線、地下道、人の出入りが活発な場所や、侵入可能な通路などあらゆる想定の元、備えを強化している。
それについては、評議会もすみやかに認可した。問題は、対地対空兵器の配備だ。宗教者どもは頑なに渋っている。自衛権の行使において、無用な先取防衛になるとな。まったく、これは政教一致の弊害以外なにものでもない。軍事のわからぬ素人が…いや、素人だけならまだしも、不殺に凝り固まった宗教者どもでは、この街の自衛もままならんわ」
不満を口にするカイルだったが、エインは同意しなかった。
「それについては、俺はジジイどもに賛成だな。奴らだってそれくらいの兵器は用意してくるさ。ミサイルの撃ち合いになれば、市民に犠牲がでる。ヴァルハラではまさにそうだった。それより俺が心配なのは、外部からの攻撃じゃない。内部からだ」
カイルは気色ばんだ。
「我々の中から、裏切り者がでるというのか!」
エインは腕を組み、思案した。
「そうじゃない。この街は古くから、様々な宗教者が出入りしてきた。宗教者とあれば例え、貧しかろうが異形の者だろうが…」
カイルは不機嫌そうに反論した。
「しかし無条件ではない。アルフハイムは、テロリストやカルト教団を極力排除してきた。貴様、まさかそういう連中が、この街に潜みテロを企てていると?そんな輩が、この街に入る余地はない」
するとエインの青い瞳が異様な光を放ち、カイルを睨んだ。
「この街に入ってくるのは、永住を望む宗教者だけじゃないだろ。それに、過激派は自らを、真のイスラム教徒やキリスト教徒と自負しているんだ。コーランや聖書だって空んじることのできる奴だっている。そんなテロリストと、純粋な宗教者を分ける基準なんてどこにあるというんだ?」
その時である。
空気が震え、雷が落ちるような轟音が鳴り響いた。
エインとカイルは顔を見合わせ、次の瞬間には走り出していた。
そして屋外に出た二人の目にした光景は、街の南西の方向で天高く立ち昇る、黒く巨大な爆煙だった。
高層建築の上層部にあるヴァルハラ大使館は、緊迫した空気が張りつめていた。街を一望できる強化ガラス張りの窓から、それははっきりと見て取れる。黒々と立ち上る煙は、禍々しく、まさに巨人の影のようでもあった。
大使館のメインルームには、ヴァストのメンバーや大使館の職員が詰めかけ、みな一様に立体ディスプレイに浮かび上がる、アルフハイムの街並みを凝視していた。
その巨大な爆煙も数千分の一単位で、忠実な形で再現されている。正面にも巨大ディスプレイがあり、アルフハイムの国営放送が、事件の様子と、住民の避難をけたたましく呼びかけていた。
「“スモールパッケージ”か…。小型だが、内部は高密度に圧縮された化学薬品が詰め込まれている。それらを融合させ、その化学反応で巨大な爆発を起こせる代物だ。こんなものを簡単に持ち込ませるなど、アルフハイムのセキュリティは甘いな。ヴァルハラでは考えられない」
ジェシカがつぶやくと、マルコは異論を唱えた。
「この間に持ち込まれたものではありませんよ。あの厳戒態勢をくぐり抜けるなど、考えられない。おそらく敬虔な宗教者を装ったテロリストによってかなり前から、計画されていたことでしょう。数種類ある“スモールパッケージ”の化学薬品など、融合前は危険な代物ではない。計画的に持ち込めば、この街の中でも生成は可能だ。それが大量に生産されているとなると…。“スモールパッケージ”は、小型で持ち運びが恐ろしく便利です。これで終わりではありませんよ」
ジェシカがギョッとした表情で、マルコの顔を睨んだまさにその時だった。
遠くから破裂するような音が響き、立体ディスプレイの街の中央部付近から、また煙が立ち昇った。それは最初の爆発とほぼ同じ規模で、その爆煙も瓜二つの大きさだった。
「メディナスの近くだ!」
立体ディスプレイでは数センチの距離だが、実際はメディナス大聖堂から300メートルほど離れた場所で起きたようだ。
「!」
ジェシカは我が眼を疑った。
街の北西、そして北東…次々と爆煙が鎌首を持ち上げる。正面の巨大ディスプレイで放送されているニュースでも、青ざめたキャスターが、引き続く爆発について報道していた。 大使館のビルからは遠い距離にあるため、爆音は届かなかったが、立体ディスプレイで再現されているその異様な光景は、間違いなくアルフハイムで起きている現実なのだ。
その時、メインルームに慌ただしく職員が入ってきた。
「失礼、情報部です。たった今、入ってきた情報です。アルフハイム情報局によると、テロ組織“暁の賛歌”を名乗るグループから、アルフハイム政府に向けて、この一連の爆破事件に関する犯行声明が出されたとのこと。爆破は今回の四カ所を含め、全部で七カ所、市街地で起こす予定だと彼らは言っているようです」
と、その言葉が終わらないうちに、大きな振動が起こった。ガラス張りの窓からは、南一キロほどの地点で、黒々といた煙が巻き上がっているのが見える。
「こんな近くで!」
ジェシカは歯がみした。
爆破のあった場所で、それに巻き込まれた人々の悲鳴が聞こえてくるようで、ジェシカは、すぐにでも駆けつけたい衝動に駆られた。
「隊長、“暁の賛歌”は、“火星の夜明け”の傘下にあると言われるテロ組織です。その実態は不明ですが、イスラム教スンニ派のコミューンで地下活動を行っているという情報もあり、普通のイスラム教徒とほとんど見分けがつきません。彼らがイスラム教の信者としてアルフハイムに潜伏していたとしても、なんら不思議はない話です」
宗教関係のテロ組織の情報に明るい部下が、そう進言した。
「“火星の夜明け”が絡んでいるとなると…これは奴らの露払いというか!」
ジェシカは唇を噛んだ。
「被害地の情報は?」
ジェシカの鋭い言葉に、情報部の職員はややうろたえた。
「各地で消火部隊とレスキュー部隊が組織され、速やかに動いているようですが,詳しい被害状況はまだ…」
マルコは、巨大ディスプレイで流れるニュースを睨むように見つめている。
「報道官制が敷かれているのか、犯行声明については報道されていませんね。しかし、正確な被害状況くらいは流さないと、市民の不安と混乱が増すだけです。それに残る二カ所の爆破予告も気になる…」
マルコが言いかけたその時、立体ディスプレイで再現された街の東部で、爆煙が不気味に膨らんだ。そして次の瞬間、またメディナス大聖堂の方向から爆音が響き、最初に爆発のあった地点から大聖堂を挟み、反対側の場所かも爆煙が上がった。
「これで七カ所全て…」
ジェシカは、立体ディスプレイを睨みながらつぶやいた。
「…ジェシカ隊長、新たな情報が。どうやらアルフハイムの国防部は、国籍不明の飛行艇をキャッチ。“火星の夜明け”のものと特定し、ミサイルで撃墜したもようです」
情報室と通信いていた、情報部の職員がそう告げた。
「ミサイル?確か、対空兵器の配備は、評議会が許可していないはずだ」
ジェシカが訝しむと、アルフハイムの政局に精通する職員の一人が頭をふった。
「このアルフハイムの上層部は非常に複雑でして、特に軍事についてはそれが顕著です。国防に関する決定権は、各宗派の代表からなる評議会にあるのですが、こういう非常時の際、軍事を一手に引き受けて動かせる人物がいるのです。それは、メディナス大聖堂にゆかりのものとか。おそらく、その人物の独断でしょう」
「…」
ジェシカは思案した。
「彼らが、そんな簡単に撃破されたとは、思えませんね」
マルコがつぶやくと、メインルームは沈黙に包まれた。
「情報部の方々は、引き続き情報の収集を。わたしは本国に今後の指示を仰ぎます。ヴァストのメンバーはここで待機。マルコは好きにしろ」
そう言い捨てジェシカが部屋を後にすると、マルコは「やれやれ」と首をすくめた。
(好きにしろと言われてもねえ。それにしても…)
マルコは思索に耽った。
(飛行艇は、おそらく自動操縦されていたな。いわゆる目くらましだ。この混乱に乗じて奴らはもう…)
外を見やると、爆煙がその勢いを弱めることなく黒々と昇り立つ。
マルコは、この間の一連の出来事が、まだほんの序章に過ぎないことを感じずにはいられなかった。