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 ジェシカにとって、人工の身体というものは、時に面倒に感じることがあった。

 四肢や臓器、“スクリーンアイ”などが彼女にとってのそれである。大使館のメディカルルームで、それらをメンテナンスしている彼女は、入念に時間をかける器機にイライラを募らせていた。

やがてメンテナンスが終了し、軽セラミックのスーツを装着したジェシカは、それを衣服に隠して、部屋をでた。

 部屋を出てすぐの廊下に、壁に背をもたれているマルコの姿を見た時、うんざりする気持ちと“やはりな”という諦観が、彼女の中に同時に去来した。

 「察しがいいな」

 ジェシカは小さく溜息をついた。

 「長年のつきあいですから。小規模な戦闘が、各地で起り、この街は混乱の極みです。あなたが出張ったところで、状況は変わりませんよ」

 ジェシカは、マルコを無視して、部下と通信回線を開いた。脳にマイクロマシンを内蔵した者同士で通話する、いわゆる“電脳通信”と呼ばれる通信方法で、電脳化されたもの同士で通信を開けば、言葉を発することなく、外部と連絡を取り合うことができた。

 「…これはあくまで職務です。ジェシカ隊長、通信の内容を口に出していただきたい」

 マルコは、ジェシカの様子から、それを察知した。

 「…報告はあとだ」

 ジェシカは鋭い口調で吐き捨てた。

 そしてしばらく、“電脳通信”に意識を傾け、黙りを決め込む。

 やがて通信を終えると、腕組みをしてマルコを睨んだ。

 「わたしの部下に、今後、テロリストどもが起こしうる行動を、シュミレーションさせた。今、テロによる戦闘で、多くの市民が逃げ込んでいる場所がある。メディナス大聖堂がそれだ。そして、この街の象徴が眠る場所でもある。メディナスの警護は、多くの避難民がなだれ込むことで、乱れが生じているから、テロリストの目的がどこにあるにせよ、そう仕向けられている公算は高い。次に大規模なテロや殺戮が起こる可能性があるとしたなら、そこだろうというのが結論だ」

「なるほど。あなたはこう考えているわけだ。多くの犠牲者が出る可能性があるのに、黙って見過ごすことなどできない…と。いや、ご立派です。わたしにはとても真似できませんよ」

 ジェシカはソッポを向いた。

 「勘違いするなよ。今回の任務は、ヴァルハラの国家安全を脅かすアルフハイムの不穏分子…エインとライアの二名の拘束、そして誘拐された少年の保護が目的だ。それを忘れたわけではない。マルコ…」

 ジェシカは再び、マルコに向き直った。

 「奴らは、この街のどこにいると思う?さらに少年の行方は?」

 マルコの眉がピクリと動いた。

 「…メディナス大聖堂。ありえますね」

 「そうだろう?」

 ジェシカは勝ち誇ったような表情を浮かべた。

 「そもそも、彼らに縁のある場所と言ったら、そこしかない。本来、アルフハイムの女神が鎮座するメディナス大聖堂は、調査対象の筆頭項目なのだ。メディナスの関係者が、彼らを匿うことは目に見えているが、今の状況ならどうだ?むしろ、好機なのではないか?」

 マルコは腕を組んだ。

 「なるほど。だから、そこに向かうと。あわよくば、混乱に乗じて任務を遂行できればと…。しかし、本国の指示は違いますね。あくまで、ここで待機が命令のはずです」

 そして、普段の飄々とした風情が影を潜め、その瞳が心なしか鋭さを増した。

 「あなた、部下にも命令違反をさせるおつもりですか?」

 「まさか」

 ジェシカは笑った。

 「予定としては単独行動だ。お前が、わたしを阻止できれば話は別だが」

 「できませんよ、そんなこと。それにわたしの任務は、あなたの監視だけです。そして本国にあなたの行動を逐一伝えること。それ以上のサービス残業をするつもりなど、毛頭ありません。ただ…」

 マルコは頭を掻いた。

 「参りましたね。あなたの監視をするということは、あなたの行動についていかなくてはならない。あなたが、あの危険と混乱の増すメディナスに向かうとなると…これは、わたしの命が幾つあっても、足りませんねえ…。しかも聞けば、相手は、かなりの手練れ。強力な戦闘能力を持つサイボーグだという…勝算はおありなのですか?」

 「ふん!」

 ジェシカは鼻を鳴らした。

  「いやなら、任務放棄をしたらどうだ?」

 「いや、そんなことをしたら、あなたが、わたしの怠慢を報告するでしょう?」

 「…わかっているじゃないか」

 ジェシカは腰に手をやり、皮肉に笑った。

 「まあ好きにしろ。言っておくが、お前に構うつもりはないからな。自分の身は自分で守れ。足手まといや邪魔になるようなら、すぐに撃ち殺すからな」

 「やれやれ。相変わらず、物騒なお人だ」

 マルコは帽子を深く被り直した。

 「部下の方々には?何も告げないのですか?」

 「お前に心配されずとも、待機を命じてある」

  ジェシカはそう言い捨てると、もう廊下の先にある、エレベーターの入り口に向かい歩を進め始めた。

 マルコは肩をすくめ、ジェシカの後に続いた。

 「無事に戻ることができたら、大使館のバーで一杯奢って貰いますよ」

 「そうか。そうならないよう、お前が殉職するのを願おう」

 皮肉なやりとりを続けて二人は、やがてエレベーターの扉が開くと、その向こうに消えていった。

 

 メディナス大聖堂は、1万人を超える人数を収容できる、巨大施設だった。

 アルフハイム市街各地で大規模な爆発があった直後から、ぼつぼつと避難民が逃げこんではいたが、“火星の夜明け”の武装集団が市内になだれ込んでから、その数は時間を追う事に増加している。

アルフハイム各所に点在する宗教施設や集会所は、テロリストたちのターゲットにされ、焼き討ちされている…そんな情報を耳にするたび、ユウキは耳を塞ぎたくなった。メディナスに、これほど大勢の人が逃げ込んできている背景には、テロリストたちの邪(よこしま)な思惑が見え隠れしているようで、そのことにも懸念を覚えるが、なにより、彼らの目的が自分と“ユミルの鍵”にあることが明白な以上、いたたまれない気持ちになるのである。

 「ソフィア!ソフィア!」

 ユウキは、この数日、献身的な看病をしてくれた彼女の名を、何度も呼んだ。

 「どうされました?」

 部屋の扉から、いびつな形をした頭部が覗き、心配げな表情でユウキを見つめた。

 「カイルに会わせてくれ。俺はもう、こんなことは耐えられない!」

 部屋の外から聞こえる無数の悲鳴や怒号、そして雑踏。遠くから散発的に聞こえる銃声…。それらが、混然とユウキの心を掻き乱していた。

 「カイル様にお会いして、いかがされるおつもりですか?」

 ソフィアは扉を閉め、これ以上、一歩も行かせないとばかりにその前に立ち塞がった。

 「市内各所から、ここにみんな集まってきているんだろ?とても危険だよ。“火星の夜明け”はきっと、メディナスに大規模なテロを仕掛けて、皆殺しにするに決まっている!それも俺がここにいるばかりに!ソフィア、頼む!カイルに伝えてくれ、俺を別の場所…人気のない、誰も犠牲にはならない場所に俺を移送いてほしいと。そして、俺と“ユミルの鍵”はメディナスにない、その場所にあるんだと、やつらに宣言…いや、情報を流してほしんだ。このままじゃ、みんな殺されてしまう…」

 「ユウキさん!」

 ソフィアは、これまで遠慮しがちで、常におずおずしていた態度からは、想像できないほど、大きな声を張り上げ、ユウキを窘めた。

 「落ち着いて。カイル様は、このような事態になることはもう、先刻ご承知です。だから、きちんとした手だては打っています。あなたが心配するようなことには、けっしてなりません。ここはカイル様を信頼して、どうぞ気を静めてください。お体に障ります」

 ユウキはしばらく、ソフィアの顔をじっと見つめた。

 そして溜息をつき、ベッドに腰を下ろすと、頭に手をやりながら俯いた。

 「ユウキさん」

 ソフィアは、ユウキの前にひざまずき、肩にそっと置こうとその手を伸ばしたが、途中で引っ込めた。

 「ごめんなさい、わたし…偉そうな態度で。あなたに触れようとしてしまって…」

 ユウキは頭をふった。

 「いいんだよ、君が偉そうだなんて思ってないし、手を引っ込める必要もない。むしろ今は、そうしてほしいくらいなんだ」

「…」

 ユウキは、その視線を床に落としたままだった。

 「…俺は、テロで両親を殺されている」

 ソフィアは、口に手をやり、いたたまれない表情でユウキをみやった。

 「もう、あんなことは…俺の目の前で、起きてほしくないんだ」

 「ユウキ…」

 ソフィアはそっと手を伸ばした。そして震えるのもそのままに、その肩に手を添えた。

 「そんな悲しみ、二度とあなたの前で起きませんし、わたしたちが起こさせません。カイル様は、きちんと算段をつけています。きっと大丈夫。なによりあなたには、エイン様とライア様がついていますから」

 ユウキは少し、首をかしげた。

 「うん…そうだね。ヱインのことは信頼している。でも…」

 「…?」

 「ライアはどうかな?」

 ソフィアは笑った。

 「大丈夫ですよ。あの方は。少し恐い方ですが」

 「…すっ、少し?」

 ユウキは、また小さく首をかしげた。

 「あの人、ヱインやカイルはもちろんだけど…あのブレードよりも恐いとさえ、思うことがあるよ」

 ヴァルハラのターミナルタワーで、彼女に初めて出会った時のことが、ユウキの脳裏に浮かんだ。

 黒ずくめの禍々しい姿、硝煙の臭い、鋭利に輝く瞳…それはまさしく戦場の香り、そして血の臭いを漂わせていた。

また彼女からは、常にどこか殺気だつものも感じる。

 ユウキの想いとは裏腹に、ソフィアは笑顔を浮かべていた。

 「そうですね、確かに恐い方です。でも、だから、心強いんじゃないですか?」

 ソフィアは、ユウキの手を握った。

 「今は、心を落ち着けてください。きっと、ライア様があなたを護り、そしてあなたが悲しむような事態を必ず、防いでくれます。そう…必ず!」

 

 メディナス大聖堂に殺到する避難民は、まさに押し寄せる津波のようでもあった。

 しかし、先刻までの混乱はやや、収束しつつある。

 無数の雑踏とざわめきの中、聞こえる悲鳴や怒号、そして子どもや赤子の泣き声…それは、大聖堂に入った民衆からは、ほとんど聞こえなくなっていた。

 この施設には、人間の高ぶる神経を落ち着かせる、なんらかの力が働いているようであった。

 「各宗教施設への通路を開け。ただ、間違っても中央ドームへの通路は開くなよ」

 メディナス大聖堂には、カイルを中心とした“白羊の騎士団”なる警護部隊が駐屯している。大聖堂に順礼する敬虔な信者や、ラビ、宣教師、僧侶など、宗教者たちの保護、そして中央ドームに眠る、ナターシャの身体を護ることを、主な任務とする部隊だった。

 その命令指揮所でカイルは、電脳通信で送られ脳裏に浮かぶビジョン、各部署からひっきりなしに伝えられる避難民の様子を、部下たちの報告を聴きながら、その対応と分析に追われていた。

 カイルに伝達されるビジョンは、各所に設けられたカメラや、“スクリーンアイ”機能を持つ部下たちの義眼から、通信されてくるものだった。

 そのビジョンは、カイルの身体に伸びた有線を通して、指揮所に設けられたスクリーンに映し出されている。指揮所に詰めている“白羊の騎士団”幹部とも、情報を共有するためであった。

 「避難民の中に、やや不自然な動きを見せる集団があるな…」

 カイルがつぶやくと、皆が一斉に振り向き、やや不安げな表情を浮かべた。

 「避難民の各施設の収容を急がせろ。通路の入口に、各宗教宗派の“道標”を点灯し、混乱を防げ」

 カイルの的確な指示が続く。

「収容がある程度、進んだら、中央ドームへの通路…のダミーを開いて、第三部隊に検問を準備させろ。ナターシャ様の信者と、テロリストを選り分けるのだ。方法は、わかるな」

 やがてスクリーンに、ホログラムで浮かび上がる“道票”に示された、各宗教施設の入り口が開き、避難民が“白羊の騎士団”の兵士たちに導かれながら、わらわらと入っていく様が映しだされた。

 そして、中央ドームに通じる通路も開く。しかし、それはあくまでダミーだった。

 カイルは、その様子をじっと見つめ、あらゆる情報を集積しながら、分析を急いだ。

 「…間違いない。不審な挙動、武器を携帯している確率、年齢、民族性…あらゆる情報から割り出した結果、約20名程度のテロリストと目される人間が、群衆に紛れている。そして、そのほぼ全員が、ダミー通路に入っていく」

 カイルの瞳から鋭い眼光が走った。

 「第三部隊の配置を急げ。テロリストどもを一網打尽にするぞ!」

 

 「…」

 ふと、ユウキは、アローラのギター…“ユミルの鍵”を見やった。

 なぜか、心臓が早鐘を打つ。

 「どうなさいました?」

 ソフィアが怪訝にユウキの顔を覗き込んだ。

 「…あっ!」

 ユウキは驚きに目を見開いた。

 (これは!)

 ユウキの脳裏に、様々な光景がビジョンとなって飛び込んでくる!

それは、アローラがブレードに連れ去られ、ターミナルタワーに監禁されたあの時…!あの時もそうであった。

 ビジョンが脳裏に溢れんばかりに流れ込み、アローラがどこにいて、どんな心境でタワーの地下施設に監禁されていたか…それが容赦なく、ユウキの頭の中を掻き乱した。

 そう、あの時の現象が、今再び、ユウキの脳裏に現れたのである。

 「…ブレード!」

 野獣を思わせる巨躯、危険な眼差し、伸ばし放題の髪をまとめる、まだら模様のバンダナ…その禍々しい姿が、今まさにメディナス大聖堂に侵入しつつある。

しかし!

 その姿は、誰にも見えないのだ。

 (…光学迷彩?)

 ユウキは思わず、叫んだ。

 「だめだ!カイル!すぐに通路を塞ぐんだ!」

 

 その通路が中央ドームへと通じることに、疑いを持つ者は誰もいなかった。

 あらゆる宗教と信仰が混在する街、アルフハイム。

その象徴として、また宗教による人類の救済を掲げる人々の指導者として、彼女は敬われ、そして信仰の対象にもされてきた。

 オージン三姉妹の長女。かつては、この赤い大地において、最も強大な力を持つとされた生命体。

その身体が安置された中央ドームは、まさにそんな彼女を信奉する者たちにとって、究極の聖地だった。

その中央ドームに向かい、大勢の避難民が通路に殺到している。しかし今、その群衆に紛れ、ナターシャの身体を、破壊することを目的としたテロリストたちが、凶悪な牙を隠し、虎視眈々とその刃を聖域に突き立てんとしていた。

ただ、その企みは、アルフハイム側には見透かされている。だから、避難民の行く手に、武装した白ずくめの集団が立ち塞がった時、彼らにやや焦りの色が濃くなった。

そして「ナターシャ様の信者を自認するものは、これを掲げよ。そうでないなら、速やかに戻り、他の宗教施設に移れ」と、小さな剣をあしらったロザリオを彼らが掲げた時、侵入をやめ、立ち止まざるをえなくなった。

避難民たちは、次々にロザリオを掲げて、“白羊の騎士団”による検問をパスしていく。

このロザリオは、“白羊の騎士団”が、中央ドームに巡礼にくる信者一人一人に用意した、いわば聖地へのパスポートとも呼べるものだった。

 老若男女、そして小さな子どもまでロザリオを持っていた。テロリスト集団…“暁の賛歌”のメンバーは躊躇して互いに、顔を見合わせている。

 「なにをやっている!来るのか来ないのか?はっきりしろ!」

 “白羊の騎士団”の兵士が五人、こちらの様子に気づき、近づいてきた。彼らが携帯している武器は、殺傷能力の高い長身の銃である。いつでも抜けるよう、さながら剣のように腰に差している。

 (ここまでか…)

 テロリストたちは覚悟を決め、身構えた。

 その時である。

 突然、“白羊の騎士団”の兵士の一人が、首すじから噴水のように鮮血を噴きだした!

 そして無言で、その場にドサリと倒れた。

 兵士たちが呆気にとられる間もなく、一人二人と、倒され、色鮮やかな赤い花が咲き乱れる!

 やがて、その空間の空気が歪み、姿を現したのは、腕を刃に変化させてニヒルな笑みを浮かべる、ブレードの凶悪な姿だった。

 

 「…」

 カイルの瞳が驚愕に見開かれている。

 「抜かった。例え、光学迷彩を着込んでいたとしても、生命体反応さえ検知できれば、問題はなかった。しかし、奴はわたしと同じ、疑似生命体。生命体反応は出ない」

 そして再び、普段の無表情な顔に戻った。

 「ダミー通路に増援を急がせろ!後詰めの第五部隊出撃!光学迷彩には、エネルギー反応の検知で対抗せよ!」

 そう指示を下してから、カイルはつぶやいた。

 「ブレードのエネルギー反応は特殊なもの、並の機器では、捉えるのは難しい」

 そして膝を拳で「ドン!」と叩いて怒鳴った。

 「ライアはどこにいる!奴のエネルギー反応を感知できるのは、彼女のセンサーだけだ!

あの女を捜せ!見つけたら、首根っこを捕まえてでも、ブレードの前に引き出すんだ!」

 

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