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ロケットランチャーの弾道が弧を描き、数百メートル先に着弾したのを確認すると、コーネリアは、「前進!」と指示をだした。
付近は、瓦礫が積み重なり、窓ガラスが飛散している。そして風通しのよくなった窓が連なり、石造り、煉瓦造りの建物が続く。それは崩れ落ちた屋根もそのままに、コーネリアたちにとって都合のいいバリケードになっていた。
アルフハイムの自警組織や国防軍は、けっして、建物を破壊し、市民を重大な危険に晒す砲弾やロケットランチャーの類を、こちらに向けてくることはなかった。
だから、コーネリアたちにとっては、やりたい放題に重火器の類を使い、敵を追いつめることが戦術的に可能であった。
ただ、白兵戦になれば話は別である。経験の乏しい兵士を抱えるコーネリアの部隊が、どこまでアルフハイムの防衛組織と渡り合えるか、まるで未知数だった。
だから敵陣に突入する前に、出来る限りの火力で、その戦力を消耗させる必要があった。
(コーネリアよ、出来る限り、多くのアルフハイム市民を、メディナス大聖堂に逃げ込むよう、戦術を展開しろ。敵戦力とは極力、交戦を控え、中距離からの攻撃で牽制するに留めておけ…)
それがブレードからの指示であった。
しかし、今“暁の挽歌”による爆破テロ、そして“火星の夜明け”による侵攻を受け、多くの市民が避難民と化して、メディナス大聖堂に駆け込んでいる。目的はほぼ、達成できたといっても過言ではなかった。
あとは、新兵や経験不足の戦士たちに、少しでも実戦経験を積ませるため、アルフハイム軍事組織と交戦する…そして駆逐し殲滅して、勝利の美酒を、味わせてやることが必要であった。
この作戦の目的は、“ユミルの鍵”奪取と、アルフハイムの“女神(オージン)”ナターシャの破壊。その二点であることは、ブレードの口から聞いてはいた。
しかし、その具体的な作戦について、彼は一言も漏らすことはなかった。
(避難民をメディナスに集め、何をするつもりだろう?)
ブレードという男が、何を考えているのか?コーネリアには杳として知れない。それは今回に限ったことではなく、重要な作戦において、その手の内を明かすことはなかった。
ブレードは、コーネリアら“火星の夜明け”の幹部を、自分の手足としてしか見ていない節もある。
(まあ、いいけどさ。勝手にやるだけだから…)
コーネリアは、サバサバとした気持ちで、街の中央にそびえるメディナス大聖堂をみやった。
コーネリアは、アスガルドのスラム街で育った。
7人の兄弟姉妹がいて、彼女は長女だった。
貧しかったが、大勢の家族に囲まれ、それなりに幸せな生活ではあった。
あの時までは…。
ヴァルハラと並び、テロの多い都市国家アスガルド。その温床とも言われる、スラム街に、政府の“粛清”の名の下、大量のミサイル兵器が降り注いだのは、彼女が15歳の時だった。
炎が街を焼き尽くす中、瓦礫と化した家から、すぐ下の弟と意識のない母親を引きずりだしたのが、昨日のことのように思える。
他の家族は、みな瓦礫の山に埋もれ、挽き肉のように潰され即死だった。
父親が幼い妹を抱きかかえるように、骸となって出てきた時…父に抱かれた幼い命の、安らかな死顔が炎に照らされた時…そして、意識を失っていた母が事切れた時…!
コーネリアの中で、何かが変わった。
それは、憎しみや悲しみと呼ぶことさえ軽々しい、あまりに巨大な空虚、そして無情…さらに突き動かされるニヒルな破壊願望…。
“火星の夜明け”ブレードに出会ったのは、それから、しばらくしてからのことだった。
ブレードの強烈なカリスマ性と狂気に触れた時…コーネリアは思った。
この男となら…この男の元ならば!
この抑えようのない、切実な願望を…このやるせない感覚を!
きっと、満たしてくれる!
やがて“火星の夜明け”の構成員となった彼女は、ブレードにつき従い、火星全土のあらゆる場所に転戦、家族を奪ったアスガルドとも交戦した。
しかし、この星で最も強大な軍事大国である、アスガルドを前にして“火星の夜明け”は、苦渋の撤退を余儀なくされた。
ブレードは撤退の際、憎しみを込めてコーネリアに言った。
(アスガルドはいずれ、焦土に変えてやる!あれは裏切り者が支配する街、徹底的に破壊しつくさなければならない。お前の願望は、その時、必ず満たされるだろう…)
ブレードはそう約束したのである。
しかし、今のコーネリアにとって、それは大きな問題にならなくなっていた。
国家による、貧困層への搾取や抑圧、人種差別、身体異常者への差別と抑圧…それは、アスガルドに限ったことではない。そのやりきれぬ思いの矛先は、未だアスガルドに向いてはいたが、この星の、七つの都市国家にどれほどの違いがあるというのか?
“火星の夜明け”には、火星全土から、様々な経緯でこの組織に行きついた若者が大勢いた。彼らのほとんどが、コーネリアと似た境遇と経歴をもち、出身国家の抑圧に、怒りと憎しみを持つ者たちばかりであった。ヴァルハラ、ヨツンヘイム、バンハイム…。様々な国々でコーネリアと同じ仕打ちを受け、その矛盾に対して震える怒りがあった。そんな彼らに接していくうち、コーネリアはもはや、アスガルドだけが、特別に差別と抑圧がひどい国とも思えなくなっていたのである。
だからコーネリアは、どの国でテロ活動、破壊活動を行おうと、それが自分の切実でやるせない気持ちを満たすのに、大きな役割を持つことを自覚した。
そして、“火星の夜明け”の幹部となり、ブレードの股肱となった今、コーネリアはまた変わった。
この星の底辺に生まれ、その境遇に怒りや苦しみ、悲しみを背負い、この組織に集った若者たち…。その思いを受け止め、満たさせてやりたい。そんな気持ちを持つ、余裕もできたのである。
若いテロリストたちのリーダーとなったコーネリアは、武力で制圧した区域で、若者たちに、その不満や怒りからくる欲求を満たすため、あらゆる狼藉を許してきた。
強盗、強姦、殺戮…。
任務を達成した同志には、接収した酒や煙草、そして大麻、捕虜にした女まで、その征服欲を満たすため、惜しみなく分け与えた。
だから、このアルフハイム侵攻作戦が収束した暁には、コーネリアはこれまでの慣例に倣い、それらを用意していかなければならない。今、彼女の頭を占めているのは、まさにそれであった。
コーネリアは、部下を率いながら、荒廃しつつあるアルフハイムの街並みに、くまなく視線を走らせた。
雑貨や食料品、酒を置いてある店はないか?どこかに隠れている女はいないか?
この宗教都市アルフハイムには、飲食店の類はかなり少なかった。市民の大半は、自宅で慎ましく自炊し、食事を摂ることが多いためである。それでも市はある。
やがて、コーネリアたちの行く手に、様々な野菜や肉、魚類の並んだバザーが現れた。
人気はほとんどない。各店の店主も、混多返していたであろう買い物客たちも、今はどこかに避難している様子である。あるいはメディナスに向かったのかもしれない。
コーネリアは、進軍を止めた。
「こんなに置いていっちまって、もったいないねえ…。よし、少し休止だ。ここにあるもの全部接収!」
そしてコーネリアは、キョロキョロとバザーを見渡した。
「おい、どこかに酒はないか?」
配下の者たちは、もう略奪を始めていた。
肉や魚、果物やお菓子、そして酒樽が次々と、一か所に集められる。
そんな中、一人の部下が、ニヤニヤした顔つきで酒瓶を差し出してきた。
「隊長、これ掘り出しもんですよ。400年もののブランディーだ」
コーネリアは、満足そうにそれを受け取り、瓶を揺らしながら笑った。
「へえ、上等な品だねえ。こんなしけた街にもこんなものが流通しているんだ」
酒瓶を持ってきた部下は、頭を掻きながら、コーネリアを見やっている。
コーネリアは、ややニヒルな微笑を浮かべた。
「なんだい?その目は?しょうがないねえ、この戦闘が収束したら、宴をやるから、その時に好きなだけ分けてやるよ。上物なんだから、ありがたく飲みな」
「へへ、隊長、さすが太っ腹!」
コーネリアは鼻を鳴らし、手放しで喜ぶ部下を見やって、またニヒルに笑う。
が、その笑みがすっと消えるのに、時間はかからなかった。
「へえ。上等な酒があるのはいいこった。じゃあ、上等な葉巻はねえかな?」
その男が、無造作に近づいてきた時!コーネリアは、即座に銃を構えた。
そして躊躇する間もなく発砲した!
それを合図に、無数の弾丸が、その男に向けて閃光を走らせる!部隊全員の銃口が、一斉に火を噴いたのだ。
その男は、はじかれるように吹き飛んだ。
が、やがて何事もなかったかのように立ち上がった。
男の目の前には、はじかれた弾丸が無数に転がっている。
男は、葉巻を加え、余裕を見せつけるように、それに火をつけた。
「後退!」
コーネリアは即座に指示を下し、自身は銃を構え、銃口をその男に向けながら、横滑りに移動する。そして、その頭に向けて再び、発砲を繰り返した。
男は、その場でバク転し、その弾道を外した。
そしてスクッと立ち上がったその男の背後から、3人の兵士がダガーを抜き、襲いかかる!
「あっ!バカ!」
コーネリアが叫んだのも、つかの間だった。
男が振り向いた瞬間、噴水のような血しぶきが舞い、間を置いて素首が三つ…静かに音を立てて、その場に落ちた。
「あ~…やっちまった…」
男は、悲哀に満ちた表情で、血にまみれた三つの骸を見下ろしていた。
「俺は、できれば、生身の人間なんて殺したくねえんだがな。後味が悪くていけねえや…」
その瞳は青く、その哀しみの色をより引き立たせていた。
「貴様!」
コーネリアの瞳が怒りの炎に燃え上がる。
「…コーネリア?だっけかな、お前。メディナスのネットシステムで知っているぜ」
その男の青い瞳がこちらを見据えた時、コーネリアは憎しみを込めて、その男の名を呼んだ。
「エイン!」
その男…エインの右手は、巨大な刃と化して、血を滴らせている。その様はまさに、地獄の使者そのものだった。
「へっ!」
エインは凄みのある笑みを浮かべた。
「ブレードの野郎も罪だな。スレイプニル号事件から二十年、俺の知らない間に、こんなかわいい娘を、誑し込んで、己の手足にするとはよう…」
「黙れ」
コーネリアの額に汗が滲み、頬を伝って落ちる。
そして、その後方に待機する部隊全員の銃口は未だ、エインに向けられたままだった。
やがてエインのその青い瞳が、殺気を帯び、危険な光を放ち始めた。
「さあ、テロリストども。お遊びの時間は終わりだ…」
エインの右手の刃がギラリと光った。
「怖気づいた奴はお家に帰りな。ここからは大人の時間だぜ!」
屍が死屍累々と連なり、鮮血が赤い川と血だまりを形成している。
この通路に逃げ込んだ、ほとんどの避難民は、“白羊の騎士団”の兵士に導かれ、その奥へと誘導されていった。
今、この死血がふき溜まる地獄のような光景の中、二人の“人にあらざる者”たちが、刃を交え、火花を散らしていた。
刃が風となり、閃光が迸る。そして轟音とともに、その凶弾が唸りをあげ、火を噴いた。
牙を剥き合う二匹の魔獣は、ブレードとライア。その高度に発達した“失われたテクノロジー”ですべてを形成している二人の身体が闇に踊り、互いに磨き上げた戦闘技術のすべてをぶつけあっていた。
人工の体を持つこの二人には、当然、“息が乱れる”ということとは無縁である。
また、動きの俊敏さにおいては、互いに合い譲らない。膂力においてはブレードに分があるが、ライアはそのしなやかな体捌きと、左手にもつハンドガンでそれを相殺していた。
ライアのハンドガンには、当然、弾数に限界があるが、彼女の袖から銃の柄へ搬送される特殊な仕組みによって、それは常に補充されるため、弾切れを心配することなく撃つことができる。しかし、ブレードの身体を吹き飛ばすことはできても、致命傷を負わせることはできなかった。
ブレードの特殊なボディは、“失われたテクノロジー”によって生み出された、最後の遺産の一つである。あらゆる弾丸を弾く“鋼鉄の状態”から、あらゆる衝撃を吸収する“ゴムの状態”…。それを彼自身の意志で、自在に変化させることができた。
また、彼の右腕も特殊な形成記憶合金でできている。これも彼の意志により、広刃で鋭利な刃物に変化させることができるのだ。
この特殊な身体機能を付与されたガーディアンは、その稀小さゆえ、一握りの者しかいなかった。
それがブレードとエインである。
オージンとその信奉者による“十年紛争”が激化した時期、“失われたテクノロジー”を受け継ぐ科学者によって開発された、この人工の身体は、当初、エリスの陣営にもたらされた。そしてエリスのガーディアンの中で、最も優れた戦士であったブレードが、その特殊ボディを付与された最初の一人となったのである。
その後、ブレードの脅威に対抗するため、その技術を内包したデータを盗んだ、ナターシャの陣営は、紆余曲折を経て、そのボディをエインに付与した。
以来、この特殊ボディを持つ最強のサイボーグと化した二人の抗争は、二百年に及んだ。
しかし、エインとブレードがその究極とも呼べる身体を獲得するより以前…。
最強の戦士と呼ばれた、一人のガーディアンがいた。
それがライアである。
その身体能力、的確な判断力…そして時に冷酷にも比した冷徹さ。
敵味方問わず、“最も危険な女”とも評された彼女の戦闘能力は、時にブレードでさえ凌駕した。
“どれほど優れた戦士でも、彼女と百回闘えば、百回殺される…。”
ナターシャ陣営の司令官であったカイルの言葉である。
互いに生身の体であったならば…ブレードもエインも彼女には敵わない…。
それは、彼ら自身でさえ認める周知の事実であった。
しかし…。
それはあくまで“過去”の話であった。
ライアは、右手の細長い刃を乱舞させ、ブレードの凶刃をかいくぐりながら、斬りつけていく。ブレードは、ライアの斬撃を己の刃ではじくが、徐々にその軌道を読み切れず、空を切り、その刃を身に受けることが多くなった。
二人の戦闘能力の差が、少しずつだが開きつつあった。
しかし、ライアに斬りつけられた、その体の傷は、すぐに再生していく。
その身体の修復能力は、エリスの調査した“アーカイブ”よりもたらされた“失われたテクノロジー”によって新たに付与されたものだった。
だから、エインの特殊ボディとは、格段にその機能が上回ると言っても、過言ではない。
不死身の身体を持つ“ノスフェラトウ”…。
いつしか、その伝説が、この星のあらゆる場所で囁かれるようになった。
“火星十字軍”そして“火星の夜明け”…。
火星全土を、戦火の炎で焼き尽くしてきたテロ組織の首魁は、その伝説に顕れているように、確かな爪痕をこの星に残していた。その原動力ともいえるものが、彼の特殊能力に由来していることは、疑いの余地はない。
ブレードはニヤリと笑った。
「さすがだな。しかし、俺はこの通りだ。傷ひとつ、ついておらんぞ」
ライアの瞳が、鋭い光を放った。
「なら、その素首を刎ねるか、胴を真二つにするか…」
ライアは、ハンドガンをしまい、刃を構え直した。
この細長い刃は、ブレードも携帯している物と同じ型だが、性能が段違いである。ほのかに素粒子ビームをその刃に宿し、例えブレードの鋼鉄状態、ゴム状態の身体でも真っ二つにすることが可能である。
傷が再生するのなら、その修復の余地をなくせばいい!
その決意が、ライアの鋭い眼光から読み取れる。
ブレードは笑みを消し、油断なく構えながら、ライアの出方を窺った。
ジリジリ…と、二人は間合いを詰めていく。空気が張りつめ、構える刃がギラリと光る。
「…!」
先に動いたのはブレードだった。
飛び込み様に、下から斬撃を見舞う。その狙いは、刃を持つ、彼女の右手だった。
刹那!
その空に!
ブレードの素首とライアの腕が舞った!