
天をつくような爆炎が7つ、アルフハイムの空を覆っていたのが嘘のように、今朝は晴れ渡っていた。
火星の赤い大地に吹き荒ぶ夜風が、全てを運び去ったのか?街のいたる場所に、靄がかかり煙がくすぶってはいたが、見上げる晴天はどこまでも高く、青々としていた。
ユウキはメディナス大聖堂のテラスにいた。彼は、戦火の止んだ街並みと、アルフハイムの上空をぼんやりと眺めている。
街には無数の死者を悼む儀式が、様々な場所で執り行われていた。魂をやすらかに、そして天や浄土に召し、神々の御許に送らんと多種多様な宗教者たちが、戦死者の遺体処理と合わせ、場所によっては読経を唱え、またある場所によっては、聖書を読み上げていた。
そして荼毘に伏す人々のすすりなく声、慟哭も無数に聞こえてくる。
破壊された街の宗教施設や住居などは、瓦礫の山と化し、そして鉄骨が剥き出しにもなっていた。瓦礫を撤去するための重機やロボット、ホバー式のトラック、低空を旋回する運送用のドローンなどが、破壊された街並みのあちらこちらで忙しく動いている。
しかし宗教施設をはじめとする街の復興には、幾日かかかりそうであった。それほど、“火星の夜明け”は、街を蹂躙し破壊しつくしたのであった。
ユウキは、やりきれない気持ちを必死に抑えていた。
その込み上げるものから目を逸らすために、部屋に籠ることもできたのだが、ユウキはそうしなかった。それは卑怯なことのように思えて、むしろそれに苛まされることより、終戦後の現実を直視すること、それを選択したのである。
ユウキの頬を冷たい風が伝い、その衣服や髪を揺らした。
(ファング…)
ユウキの脳裏には、戦火の最中、暮れゆく街並みに狼のように吠えるファングの姿がまざまざと蘇る。彼はブレードの首を目の当たりにして、血相を変えていた。
「ユウキ、お前がなぜここに?それは、なんだ?」
「なぜ、君が…そうか、あれからか。結局、君は“火星の夜明け”に入ったんだな」
2人は互いの言葉を一顧だにせず、また噛み合わせることもしなかった。
ファングは血走った瞳で、ブレードの首を気も狂わんばかりに見つめていた。
「それは…そうか、作り物か!作り物なんだな。へっ、脅かしやがって。お前、それを持って何をやっているんだ?」
ファングの声音は、ややトーンを落とした。
あの無敵の戦士が…そんなはずはない。事実、首の断面からは、一滴の血すら流れていないではないか?
「これは、作り物じゃない、本物だよ。彼は死んだ」
ユウキの言葉は容赦のないものだったが、ファングの耳には、陳腐で滑稽なものにしか聞こえなかった。
「ユウキ、見え透いた嘘はよせ。それにしてもよ…」
ファングはせせら笑った。
「よくできてるぜ。誰が作ったか知らねえが…。お前じゃ、そんな技術も芸当もないしな。ユウキ…」
ファングの眼がすっと細くなり、獰猛な輝きを増した。
「誰に頼まれて、そんなマネをしてやがる?どうせ、お前のことだ。このしけた街まで行商に来たんだろ。そして巻き込まれたんだ。アルフハイムの連中に、言いくるめられてよう。へっ、汚ねえ連中だぜ。よそ者だからって一般市民を巻き込み、利用するなんざ…それが、この街の人間のやり口かよ!」
ファングは吠えた。その矛先はまさに、ユウキの背後に佇むエインに向けられていた。
「ファング…」
ユウキは頭を振った。
「この首は、本物だよ。俺は、この戦火を鎮めるため、この首を掲げて“火星の夜明け”に降伏と撤退を呼び掛けた」
ファングは言葉に詰まった。
「ブレードは、あのメディナス大聖堂の地下通路で、ある戦士と闘い、相打ちになったんだ。俺はその一部始終を見届けて、ブレードの首をこの剣で切断した。ファング…」
ユウキは、ファングの顔を断固とした表情で見つめた。
「君とは争いたくない。君が何を思って“火星の夜明け”の一員になったのか?俺は、解っているつもりだよ。でも残念だ。知っているだろ?俺がテロを憎んでいること、その理由も…」
「…」
「だからといって、君を敵視するつもりはない。ファング、戦争はもう終わった。首魁のブレードは、この通りだ。これ以上、無駄な犠牲者を出すのは無益さ。だから…」
その時、2人の会話をじっと聞き入っていたコーネリアが「フン」と鼻を鳴らした。
「おとなしく聞いていれば!その口でよくもそんなデタラメが、次々と思いつけるもんだね。ファング、よく見るんだ。その首の断面、ハムを切ったようにツルツルじゃないか?こいつは随分精巧に作られちゃいるが、所詮はマネキンの首だよ。嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつくことだね。そんなもん、子どもだって騙せやしないよ」
そしてコーネリアはせせら笑った。
「…コーネリア」
エインである。彼は葉巻を咥え、じっと彼女を見つめていた。
「お前、こいつが普通の人間だと思っていたのか?不死身の体を持ち、弾丸さえ弾き返し、歳さえとることを知らないこいつを」
コーネリアはエインを睨みつけた。
「普通の人間だなんて、誰も思っちゃいないさ。特殊な身体をもったサイボーグ、それくらいはわかっている。“火星の夜明け”のスポンサーは、火星最大の軍需産業フェンリル。彼は己の肉体を捨てて、フェンリル製の特殊ボディを手に入れた。本人が言っていた言葉さ。どんな身体かって?少なくとも、そいつが玩具のように振り回している、そのマネキンの首じゃないことは確かだね」
コーネリアは、ユウキの持つブレードの首を憎々しげに指差した。
「へっ!」
エインは吐き捨てた。
「ブレードは、どこまでも罪の重い野郎だぜ。こいつは特殊なんてもんじゃねえ。そもそも人間ですらねえんだよ」
「…貴様?何を言っているんだ?」
エインは構わず言葉を続けた。
「“オージン”は知っているな。あのメディナスにいるナターシャと、ヴァルハラの軍需産業フェンリルを束ねるエリス。その“オージン”を守護し、彼女たちの活動を支えるのが、俺たちガーディアンだ。ガーディアンは、ほぼハイドロイドと呼ばれる人造人間たちで構成されている。彼らは、かつて人間ではあった。ブレードも例外なくな。しかし、永遠の命を持つ“オージン”を守護し支え続けるには、人間のままではその使命を果たせない。だから、人間であった頃の記憶をデータ化して、そのデータを特殊な人口の身体を造ってインストロール、そして創造されたのが、ハイ・アンドロイド、通称ハイドロイドというわけさ」
ファングは、獰猛な視線で、エインを睨んだ。
「ブレードが?その化け物の仲間だっていうのか?」
「まあ、普通の人間からしたら、化け物には違いないな。彼らは、人間であった頃の記憶を持っているとはいえ、けして生命を持った人間とは言えない。しかも、その体の構造や能力も普通の人間とは、桁違いにかけ離れている。こいつの身体にしたってそうだ。こいつの首の断面が、ツルツルなのも、その身体の特殊な構造であるが故なのさ」
言葉のないコーネリアとファングの顔を交互に見つめ、エインはニヤリと笑った。
「お前たちには、ブレードの身体の構造がどうだとか、これ以上難しいことを言っても理解できないだろう。ただ1つだけ、確かなことを教えてやる。ブレードは、こんな風になっちまったが、復活は可能だ。奴の本体は、この頭の中にあるが、それさえ致命的な損傷がなければな。それについては、お前たちのスポンサー、エリスと相談することだ」
そしてエインは、ユウキの持つ剣の先から、ブレードの首を引き抜き、コーネリアとファングの目の前に掲げた。
「取引といこうや。お前たちに、ブレードの首はくれてやる。その代わり、街中でおイタしているガキどもをまとめろ。それから撤退だ。もう、二度とこの街に手を出すな。今後、お前たちは、この街で好き勝手やった代償を支払うことになるぞ。なぜなら、この星中の宗教団体すべてを敵に回すことになったんだからな。これ以上の悪ふざけは、もう止めるこった。それから…」
エインは、その青い瞳を爛々と輝かせ、獰猛に言い放った。
「もしブレードが復活したなら、伝えておきな。今度は俺が、お前の相手になってやる!こちらから出向いてやるからよう。もう一度、首だけにしてやるから、その首を洗って待っていろとな!」
その言葉を聞いて、ファングがいきりたった。
「てめえ!ふざけるな!」
今にもエインに飛びかかろうとするファングを、コーネリアが制した。
「やめな。エイン、今の言葉に偽りはないな?」
「偽りもなにも、信じねえなら、お互いが殲滅するまで、戦争を続けるだけだ。あんな、まともな統制のとれない軍隊に、勝機があるとは思えんがな。そもそも、ブレードがこんな風になっちまったなら、お前たちの作戦は続行不可能だろ?」
コーネリアは、無言でエインの前に進み出た。
エインがブレードの首を差し出すと、鋭い視線でその顔を睨みつけた。
「お前こそ、覚えておきな。ブレードが復活しようがしまいが、関係ない。わたしの手で、必ず、お前を地獄に送ってやる!」
そしてブレードの首をひったくると、クルリと背を向け、ファングを見やった。
「撤退だ。お前はこの通信機で、西側に展開している部隊と連絡を取れ。わかるな、通信コードは、“オリュンポスの我が家”だ。前に教えた通りにやれ」
「コーネリア!」
ファングはなお、食い下がろうとしたが、コーネリアの有無を言わさぬ一瞥で、「クッ」と呻くだけだった。
そして血走った眼で、ユウキを睨んだ。
「ユウキ!てめえは、こいつらとグルなのかよ!それなら、覚えておけ!絶対に、このままじゃ済まさねえ…絶対にな!」
そして彼は、ブレードの首を持つコーネリアの後を追い、夕闇の街の中に消えていった。
“火星の夜明け”の完全撤退が確認できたのは、それから夜半過ぎのことであった。
「ファング…」
ユウキは我知らず、その名をつぶやいた。
底知れぬ怒りと悲しみと、そして憎しみ…。
それはユウキの根底にも、間違いなく横たわるものだった。
あの獰猛なまでに血走った、そして増悪に満ちた瞳…。
ユウキには、それが鏡に映る己のもう1つの姿のような気がして、どうにも慄然とするものを覚えるのである。
テロで両親を亡くし、その胸に寂寥とした悲しみを抱えて生きてきた。そしてテロを憎み、世の不条理を呪うこともあった。
自分もどこかでボタンをかけ違えていたのなら…ファングは、もう1つの自分の姿であり、彼と同じ生き方を選ぶ可能性が、自分にもあるのではないだろうか?
ユウキは、しかし頭を振ってそれを否定した。
テロによって失われた命…自分の周囲にいた人々。両親やスラム街の子どもたち。
あの喪失感を知るのなら、どうしてファングと同じ道を、辿ることなどできるだろうか?
ユウキは、ファングの怒りや憎しみ以上に、その喪失感と失われる悲しみを知りすぎていた。だからファングの生き方を、けして肯定することなどできなかったのである。
またユウキの頬を、冷たい風が伝った。
街の景色は移ろうが、その深く刻みこまれた傷跡は、いまだ復旧の見通しが遠い。
「ファング」
ユウキはまた、その名をつぶやいた。
そして…。
「俺は…君には負けない!」
カイルは、その無愛想な鉄面皮もそのままに、椅子に深く腰掛けて、かしこまる部下たちを見つめている。
そして眼を見開き、瞳を異様に輝かせて、しばらくその“作業”に没頭した。
やがてその輝きが影を潜めると、おもむろに口を開いた。
「最後に見た者は?」
すると部下の1人が進み出た。
「わたしです。遺体の処理を指揮していましたが、ほんの一瞬でした。それまでは、けして目を離しませんでした」
「なぜ、すぐに回収しなかった?」
部下の1人が問い詰めたが、カイルが手を挙げてそれを制した。
「お前の判断は正しい。ブレードは不死身だ。首がないとはいえ、不用意に近づけば、息を吹き返し襲いかかってきたかもしれん。ただ、奴の身体を常時見張る役目を、誰かに命じることはできたな。いずれにしろ過ぎたこと。これ以上の詮索は無意味だ」
そして椅子をクルリと回転させ、メディナス内部やアルフハイム各地の様子が、モザイクのように映し出されている巨大なディスプレイを見つめた。
ここは、アルフハイムのあらゆる情報が、カイルのもとに集まる指揮所である。
「わたしのセンサーや、各所のカメラにもそれらしき痕跡は、掴めなかった。ライアに内部を徹底的に破壊され、しかも首のないあの状態で、奴はどこに消えたのだ?」
そしてしばらく、ディスプレイを見つめながら沈黙していたが、やがて思い出したかのように再び口を開いた。
「ライアは?どんな様子だ?」
「はい。身体の損傷は激しいのですが、ブレーンシステムは問題ありません。再起動は可能です。ただ、身体の修復には時間がかかるかと」
カイルは、その言葉が耳に入っていないかのように、ただ映像が移ろいゆくディスプレイを見つめ続けている。
「失礼します」
その沈黙を破るかのように、ソフィアが入ってきた。
「あのう、カイル様。面会を求めている方がお見えです」
カイルは再び、クルリと椅子を戻し、ソフィアを見つめた。
「誰だ?」
「はい。あのう…ヴァルハラからお見えになっている、警察官の方です」
カイルは立ち上がった。
「ヴァストだな」
「はい。女性の方です。ジェシカと名乗っておりますが…」
その言葉が言い終わらないうちに、カイルは歩を進めた。
「応接室に通せ」
そして自動ドアが開き、彼は指揮所を後にした。