
「ユウキ、ここにいたか」
メディナス大聖堂のテラスで、街の様子を眺めていたユウキにエインが声をかけた。
「昨日は随分、無茶をしたな。身体は大丈夫か?」
「うん」
ユウキは微笑んだ。
「もう平気だよ。この義手も随分、身体に馴染んだし」
「そうか」
エインはテラスの手摺に寄り掛かり、腕組みをしながらユウキを見つめた。
「街のことか?これはすべて、俺たちの責任だ。だからお前は苦にするな…と言っても無理か。お前は、そんな単純に割り切れる性格でもない。ただ1つ…」
エインは例の如く、葉巻を加えて火をつけた。
「カイルは事前に、この街に“火星の夜明け”が襲来することを市民に周知していた。この街から1番近いヨツンヘイムに打診して、避難民の受け入れを取り付けることもできていたから、テロリストどもが来る前に、そこへ避難することも推奨していたんだ。事実、“火星の夜明け”が襲来する前に、ヨツンヘイムへ行った市民も多くいた。しかし残った市民は、礼拝所や教会、寺社仏閣から離れることをよしとせず、テロリストどもと戦い、アルフハイムと運命を共にすることを選んだ人間もまた多いのさ。それにこの街の人間は、信仰に生きているだけに強い。きっと復興も早いし、家や家族を失った市民には、アルフハイム政府が戦後補償という形で、なんらかの処置をとるみたいだな」
そしてエインは、ユウキに顔を近づけ、やや小声で言った。
「これは、非公式だがな。アルフハイムの戦後補償に、フェンリルが絡むらしい。アルフハイムには、街の経済を支える大きな財団がいくつもあるが、中でもこの“雪山”の財団さ」
「雪山?」
ユウキはポカンとエインを見つめた。
「ここメディナス大聖堂のことだよ。カイルのバカは知らねえようだが、市民はここを“雪山”と呼ぶことも多いのさ。どちらかといえば、揶揄だがな。それはいい。このメディナスほど大きな施設になると、その維持費もかかるし、ここを建設したヴァルハラの建設業界に対する負債もまだ返し切れていない。だから、特別な財団が必要なのさ。フェンリルは、アルフハイムの戦後補償の肩代わり金となる莫大な費用を、とりあえず、メディナス特別財団に振り込むとそういうわけさ」
「フェンリル…」
ユウキは、ハッと表情を変えた。
「エリスか」
エインはうなずいた。
「そう、エリスだ。奴は裏でナターシャと取引をしたんだ。ブレードの身体を見返りによ。ナターシャは拒否したらしいが、俺は奴らの撤退と引き換えに、首だけくれてやったからな。そのことを知ったカイルのバカに、今朝はえらい怒られたぜ」
エインは忌々しげに葉巻を噛み、歯の間から煙を吐き出した。
「要するに、それがナターシャからの返事だと勘違いしたエリスが、律儀に恩返ししてくれるとそういうわけさ。ナターシャは、その是非をアルフハイム政府に一任したらしい。公式には、アルフハイムの戦災に対するフェンリルからの寄付金ということだから、ナターシャも個人的な感情で拒否はできないと、その件には身を引く構えなんだよ。カイルは、メディナス財団と軍需産業フェンリルとの間に、蜜密の関係を作ったという既成事実ができてしまうから…と不機嫌な顔をしていたがな。近く、長老院との会合で結論を出すみたいだ。まあ、俺に言わせれば、殴ってきたのは向こうだから、謝るのはあたりまえだろ?もらえるものは全部、もらえばいいんだよ」
「でも…」
ユウキは思案した。
「公式に謝罪したわけでもないし、そもそもフェンリルと“火星の夜明け”の関係は公にはなってない。戦災に対する寄付金とか言ったところで、あの軍需産業フェンリルがなぜ?って、なるよね?」
エインは頭を掻いた。
「まあ、そうなる…かな?」
「“わたしの飼い犬が、噛みついて大怪我させてごめんなさい。これは治療費も含めた謝罪の気持ちです。どうぞ、お受け取りください”とか、公に言えば話は違うけど…ね」
ユウキは笑った。
その笑顔を見てエインは、安堵するものを覚えた。
「お前、おもしろいことを言うな。もし、エリスの阿呆がそう言ってきたら、ちょっとした見物だぜ」
そしてユウキの肩を叩き、その頭を撫で回した。
「やめろよ」
エインは笑った。
「そう言うなよ。お前の言葉、なかなか傑作だぜ」
ユウキは溜息をつき、手摺に頬をつけた。
「?どうしたよ?」
ユウキは、憂いを帯びた瞳で、街を見つめた。
「アルフハイムの市民は、なぜ“火星の夜明け”が、街を襲ったのか?その理由についてまでは、周知してないよね?きっと、多くの市民が疑問に思っているよ。この街の人々は、ナターシャを無条件で信頼しているから、声には出さないだろうけど」
ヱインは言葉がなかった。
「戦後補償は充分にやってもらいたいさ。でも、親を亡くした子ども、子どもを亡くした親…その傷や失った悲しみが癒えることはないんだよな」
ヱインは何も言わず、手摺に腕を預けた。
また火星の冷たい風が、街を吹き抜け、ユウキとヱインが佇むメディナスのテラスに、寂しげな音を響かせた。
「おお、そうだ」
ヱインは、ユウキの顔を見つめた。
「用件を忘れるところだったぜ。ユウキ、俺はアスガルドに行く」
「えっ?」
ユウキは驚いて、ヱインに振り返った。
ヱインは体を入れ換え、再び手摺に背を預けてニヤリと笑った。そして葉巻の煙を風が吹くにまかせ、燻らせると腕組みをしてユウキに語りかけた。
「ここにある星船な、正直に言ってあれはダメだ。古くて整備が行き届いてねえうえに、部品不足ときてやがる。せめて不足している部品さえあれば、なんとかなるんだ。そこでよう…」
ヱインは葉巻を手に取り、また体を入れ換えて手摺にもたれかかった。
「アスガルドの星船、あれの部品もしくはスペアーを分けてもらおうと。そういうわけさ」
「でも…それは、アスガルド政府が管理しているんだろ?そんなことできるの?」
ヱインは不敵な笑みを浮かべて、アルフハイムの空を見上げた。
「なあに、心配ねえ。アスガルドの太守はストロハイムという奴なんだが…」
「…?」
「こいつとは、ちょっとした腐れ縁なのさ」
その応接室は、壮麗なメディナス大聖堂の中において、極めて簡素な造りだった。
白色の壁際にはまるで装飾もなく、絵画すら飾っていなかった。部屋の中央には、強化ガラスのテーブルを囲むように、簡素で大きなソファーがあるのだが、それは灰色で無機質ですらあった。
ジェシカは、そのソファーに腰掛けることもなく、ほぼ直立でカイルの入室を待っていた。カイルが無愛想な表情もそのままに、応接室の自動ドアを開いた時には、ややその表情をこわばらせた。しかしジェシカの認証システムが作動してカイルの正体を分析し、彼がハイドロイドであることを認識すると彼女は、やや得心のいった風情で手を差し伸べた。
「ヴァルハラ警察特殊部隊第5部隊部隊長のジェシカです」
カイルは、表情を変えないままジェシカの手を握った。
「“白羊の騎士団”団長のカイルという者だ」
その物言いも、無愛想な顔に比例するように、ぶっきらぼうである。
ジェシカはカイルがソファーに腰掛けるのを待って、自らも腰を下ろした。
「前回、この街に赴いた時には、お目にかかることはありませんでした」
ジェシカはやや表情を和らげ、カイルを見やった。カイルは無愛想なままだが、ジェシカはそれに怯むこともなく心に余裕を持つことができた。ジェシカがハイドロイドに接したのは、追跡を続けるライア以来だが(厳密には接したとは言い難いが)要は、表情の変化に乏しいアンドロイドである。そう考えれば、特別に気にする必要は感じなかったのである。
「ヴァルハラの警察は仕事熱心だな。しかも、“火星の夜明け”襲来という最悪のタイミングで任務に赴くとは」
カイルは無機質な言葉で口を開いた。
「まさしくです。アルフハイムに奴らが残した傷跡はひどいものですが、戦後の復興については、わたしからもヴァルハラ政府に働きかけておきましょう」
「いや、その必要はない」
カイルの言葉は、にべもなかった。そして無表情のまま、だんまりである。
ジェシカは言葉に詰まり、戸惑いと少しの苛立ちを覚えたが、要件をすぐに切り出すほうが得策と考え、腕組みをしながらカイルを見やった。
「今日、ここであなたに会談を申し込んだのは他でもありません。単刀直入に申し上げます。20年前のスレイプニル号事件の重要参考人、並びに少年の誘拐犯であるエインとライア、並びに彼らが誘拐し、あなた方が軟禁している少年ユウキ・スドウの身柄をこちらに引き渡していただきたい」
「…ほう」
カイルは、態度を返すように自らも腕組みをして、その背をソファーに預けた。
「これは異なことを。まず、あなたのおっしゃる、20年前のスレイプニル号事件の重要参考人、並びに誘拐犯であるエインとライアだが、確かにわたしは彼らとは知己だ。だが、アルフハイム政府とは何も関わりあいを持たぬ連中で、我らの管轄化にあるわけではなし、身柄を引き渡せと言われても、そもそもその筋合いにはない。それは、20年前にも同じことを申し伝えているはずだ。それにわたしは、確かに政府の役人ではあるが、所詮、このメディナス大聖堂を守護する騎士団の団長に過ぎない。ナターシャ様のご意思を政府に伝える役割もあるが、それ以上でも以下でもない。あなたは交渉の相手を間違えている」
ジェシカは苛立ちを募らせた。
「それはわたしが掴んでいる情報とは異なりますね。エインとライア、この両名について今はいざ知らず、かつては、この街の女神様を守護する任務を持ったガーディアンであったはず。彼らのメンテナンス等は、今もこの街を拠点として行われているはずだ。アルフハイム政府の管轄外などと言われても、誰が信用するのか?それにあなただ。あなたはご自分を、このメディナス大聖堂を守護する騎士団…いわゆる“白羊の騎士団”団長に過ぎないとおっしゃるが、実質、この国の政治、経済、軍事にいたるまで、取り仕切っているのはあなただ。この街は、あなたを中心に動いていると言っても過言ではない。わたしがこの件について、まともに交渉すべき相手がいるとしたら、それはあなたしかいないではありませんか?」
ジェシカの瞳から鋭い視線が走り、カイルを突き刺した。
「それにユウキ少年だ。これについては、言い逃れはできませんよ。あなたがたがどういう経緯で、彼を誘拐し、なぜ軟禁しているのか?詳しいことをわたしは掴んではいないが、なんらかの重要な役割を彼に与え、その自由を奪い、またそれがこの戦争の発端の1つにもなっている…そこまでこちらは把握しているのです。彼は、善良なヴァルハラ市民だ。しかもまだ年端も行かぬ少年でもある。これは、国家的な犯罪ですよ。理由や経緯はどうあれ、あなたがたは速やかに彼を開放すべきだ。これはわが国家としても、とても看過できる問題ではない。カイル団長、少年の解放と身柄の引き渡しを、ヴァルハラ政府として強く要求する」
カイルはしばらく沈黙した。
それは、ジェシカの激しい剣幕にもまるで動じない風情も見てとれた。
やがて口を開きついて出た言葉は、意外なものだった。
「ユウキについては、引き渡し云々よりも、あなたと話す機会を設ける。そのうえで彼の意志が、ヴァルハラに戻ることというのなら、自由にすればいい」
ジェシカは拍子抜けしたような表情で、カイルを見やったが、やがてその表情を引き締めた。
「もしあなたがなんらかの方法で彼を脅し、ヴァルハラに帰りたくても、その意思をわたしに伝えることが困難であったなら…わたしがどう促しても、こちらに身を預けることはないでしょうね」
ジェシカの言葉に、カイルは「フン」と鼻をならしただけだった。
「そんな手のこんだことをしてまで、彼をここに留めておく意思はない」
「…証明できますか?」
ジェシカはなお食い下がった。
「信頼できないというのなら結構。ただ、彼は自分の意志でここに留まると言うだろう。その理由については、彼の口から確認するといい」
「…やはり、彼の身柄をこちらに引き渡す意思を、あなたは明確におっしゃいませんね。挙句の果てに、彼の意思とか…すべて少年の意志とやらに丸投げですか?」
ジェシカの辛辣な言葉にも、カイルはまるで表情を崩さない。ジェシカは、ハイドロイドという輩は、こうも人の感情を逆なでするものなのか?となお苛立った。
「それにエインとライアだ。彼らはアルフハイムとは無関係とあなたは言った。しかしユウキ少年を攫ったのは、あの2人であることは明白であるし、それでも無関係というのはあまりに無茶苦茶な言い分だ。まあそれはいい。では、カイル騎士団長、彼らをこちらで捕縛したとして、それについては、一切の口出しはしませんね?エインは昨日、遭遇はしたのだが、武器が不充分であったことと、部下たちの到着が遅れたせいで捕えることはできなかった。しかし今度は、しっかりと体制を整えて彼らを捕縛する。その準備も怠りなく進めているし、またエインが、この施設に潜伏しているのもこちらは掴んでいる。ライアについては、足取りは掴めないが、おそらく彼女もここに隠れてもいるだろう。カイル騎士団長…」
ジェシカは、鋭い視線でカイルを睨んだ。
「この施設の中でもどこでも。我々は彼らの逮捕のためには場所を選ばない。それでいいのですね」
カイルは表情を変えなかった。
「…無論だ。ユウキをアルフハイムに連れてきたのは彼らの意思だし、ユウキがここに留まっているのも彼の意思。我々が関知することではない。エインとライアを逮捕したければ、どうぞご自由に。できれば礼拝所など、神聖な場所でやってほしくはないが、彼らはそんな場所に引き籠ることもなければ、逃げも隠れもしないだろう」
彼は、ライアの状態についておくびにも出さなかった。
「ユウキをあなたに引き合わせることは、請け負うが、その後のことは、ユウキとあなたの間で話し合うことだ。これも我々が関知することでもない。ただ…」
その時、初めてカイルの表情に変化が起こった。
その瞳が鋭い光を帯びて、ジェシカを見据えたのである。
「エインとライアをあなたは捕縛するというが、それは子どもが猛獣を捕えるにも等しい。覚悟することだ。ユウキについては、おそらくここに留まることを選択するだろうが、説得するなら説得するのもよし。ただ、彼は頑固だ。エインとライア、この2人を捕えることよりも難しいかもしれんぞ」
「…」
そしてカイルは立ち上がった。
「ユウキを呼ぼう。ここで心ゆくまで話すといい。わたしは戦後処理で忙しい。これで失礼する」
カイルは愛想もなく、速やかな足取りで応接室を出た。
(鉄面皮め…)
ジェシカは舌打ちをし、不満げな表情で、その後ろ姿を見送るだけだった。
「ユウキさん、ヴァルハラから見えた警察官の方が、面会を求めておいでです」
ユウキとエインの姿を、テラスで発見したソフィアが小走りで走って来ると、開口一番に出た言葉がそれだった。そしてエインをみやり、心配げな表情で見つめた。
「エイン様はお逃げください。その方は、あなたを逮捕すると息巻いておいでです」
エインは、どこ吹く風と言わんばかりの表情である。
「ジェシカだろ?どこまでもしつこい奴だ」
すると彼は、手摺の上に飛び乗った。
「各宗教施設に迷惑もかけれんしな。俺はこのまま、ズラかるわ」
「エイン!」
ユウキは、エインの顔を見つめた。
「お前は心配するな。昨日、コーネリアやお前のお友だちと睨み合っていた女さ。お前を保護するため、アルフハイムに来ているんだ。そいつは、俺とは因縁があってな。詳しいことはまた話す。とにかくお前にとっては悪い奴じゃねえが、俺にとっては厄介極まりない奴と。そういうことだよ」
エインは笑ったが、ユウキの表情は神妙だった。
「エイン、このままアスガルドに行くんだね?」
エインは苦笑いでユウキを見やった。
「相変わらず、鋭いな。行動は早いほうがいいだろ?このままここに居ても、ヴァストに追われるだけだしよ」
「…気をつけて。俺は待ってるよ」
ユウキは、それ以上は何も言わなかった。
エインは手を振り「あばよ」と言って、姿を消した。
このテラスから地面までは、50メートル近くあるのだが、エインの桁はずれな能力を知るユウキは心配しなかった。
ユウキはしばらく、エインの消えた手摺の向こうを見つめていたが、やがてソフィアに振り向くと「行こう」と言って歩きだした。
「ユウキさん」
ソフィアは、彼の後ろを慌てて追った。
やがて2人が入口の向こうに姿を消すと、また街の上空から吹き抜けるこの星の冷えた風が、テラスを舞った。