top of page

 その巨大な塔は、火星の凍えるように冷えた強風を受けてもなお、傲岸なまでに佇んでいた。

 そして遠くバンハイム、ニブルヘイム、ヨツンヘイムより飛来する客船、貨物運搬船、軍用船などなど、様々な種類と形と大きさを持つ飛行艇が、出入りを繰り返していた。

 と、一際、とてつもなく大きな轟音が鳴り響いた。遥か上空より飛来した飛行物体が、その塔にめがけてバーニアを吹かし、推進剤を燃やし尽さんばかりに迫ってきたのだ。

 やがて塔の最上部からやや下にある巨大なハッチが開く。その飛行物体…星船は減速し、飛び込むようにそのハッチに収容された。

 収容された星船は、そのままエレベーターで最上階の格納庫まで移送された。

 そこは都市国家ヴァルハラの象徴、ターミナルタワーであった。ヴァルハラ最大の巨大建造物で、最大の玄関口でもある。今、そこに到着したのは、この星の経済を司るとも言われる存在、軍需産業フェンリルの頂点に君臨するエリスを乗せた星船であった。

 はるか上空の成層圏の果て、宇宙に浮かぶ火星の衛星ダイモスより帰還した女神を出迎えたのは、整然と並ぶ人型、犬型のアンドロイドたちであった。“スペクター”と呼ばれる人型と“ガルム”と呼ばれる犬型。いずれもエリスに忠実な親衛隊である。

 やがて星船のハッチが開き、姿を現したエリスは、置物のように並んだアンドロイドたちの真ん中にできた通路を、その黒髪を揺らし、暗黒の瞳を異様に輝かせて歩く。その先には、畏まった表情でエリスを待つ、フェンリルの役員たちの姿があった。

 みな一様に黒服に身を包み、エリス同様、恐ろしく暗い瞳で床を見つめている。20人はいる彼らの男女比率はほぼ同数であった。

 彼らはエリスがその前に佇むと、一斉に跪き頭を垂れた。

 「またストロハイムが、余計な動きをしているようだな」

 エリスは凍りつくような声音を発し、彼らを見下ろした。

 「はい。エリス様。先月から今月にかけてのアスガルドよりの発注状況を調べましたところ、軍用船籍20機、陸上兵器50機、銃火器5000丁。その他、各種ミサイル、弾薬、予備品等を含め、ヴァルハラ通貨にして1兆ユーロもの発注がありました。かつて“火星の夜明け”や“火星十字軍”との紛争時、バンハイム戦役時にも匹敵する購入額です」

 役員の1人が口を開くと、エリスは「フフ」と、不気味な響きで笑った。

 「また、あやつはヴァルハラに戦争を仕掛ける気か?出来レースを仕組んだ“スレイプニル戦役”は、この国の為政者どもが腰抜けであったがために、戦火が広がることはなかったが…。今度はどこに、戦争を仕掛けるつもりだ?」

 「不確かな情報ではありますが…ストロハイムは、国際的に禁止された弾道ミサイルの開発に着手したとか。火星のあらゆる地域に、着弾を可能にするもので、その開発技術もフェンリルのアーカイブより持ち出された可能性もあります」

 今度は後ろに控える女性役員が、やや自信に陰りを帯びた口調で口を開く。

 エリスの黒い瞳の奥に、焔が灯った。

 「全ての都市を、そのターゲットとするつもりか?再びわたしに弓を引くつもりなら…」

 空気がビリビリと震え、彼女のその黒髪が異様に逆立つ。エリスは、地獄の底から響く、冥王のような声を上げた。

 「今度は許さん!速やかに“火星の夜明け”を復興させ、アスガルドを焦土にするのだ!」

 そこに居並ぶ者は、アンドロイド、人間を問わず、全て彼女に跪いた。

 そしてエリスの怒りは、ヴァルハラより遥か、アルフハイムにも向けられた。

 「ブレードは必ず復活させる!ナターシャよ!やがてはアスガルドのみならず、アルフハイムも炎の海に沈めてやる!その時は、業火の底で苦しみ、のたうつがいいわ!」

  その地獄の底から響く異様な声は、格納庫の鉄の壁を震わせ、いつまでも響いていた。

 

その少年が応接室に入ってきた時、ジェシカはすぐに言葉が出なかった。

8年前に起きたセントラルパーク銃乱射事件。あの時、唯一の生き残りであったのが、目の前の少年だった。「父さん」と何度も呼び、泣き叫んでいた彼を、思わず抱き上げたのがジェシカだった。

あのテロ事件以来、ヴァルハラは対テロ対策を強化し、アンドロイドによる対テロ特殊部隊ワルキューレを創設した。軍隊と警察の組織の違いはあれど、対テロ組織を別に創られてしまったことは、ヴァストにとっては大きな屈辱だった。そしてなにより、少年の父親をはじめ、多くの市民の命を護れなかったこと、それがジェシカをして悔恨の念を強くさせた。

だからあの時の少年…ユウキが、立派に成長した姿を見て、彼女の内に万感の想いが巡ったのである。

 「初めまして。ユウキ・スドウと言います。日系です。両親も父母共にそうでした」

 ユウキは手を差し出した。

 その手を握り返したジェシカは、思わず手に力がこもってしまった。

 ユウキは顔をしかめた。

 「あ?ああ、すまない」

 ジェシカは、すぐに手を引っ込めた。

 「凄い力ですね。女性とはいえ、やはり鍛えられた警官だ」

 ユウキは手をさすりながら、驚いた表情でジェシカを見やった。

 「いや、そうでもない。わたしの四肢は人工物のそれだ。普通の人間より遙かに強力な力があるんだ。だから制御を怠ると、今みたいに君の手を痛めつけてしまう。本当にすまなかった」

 ジェシカは、ソファーに座るようユウキを促した。

 ユウキが腰を落ち着けると、ジェシカは初めて笑顔を見せた。

 「わたしにとって君は、初めてではないんだよ。ヴァルハラ南部で起きた“火星の夜明け”と政府軍の軍事衝突があったあの日の夜、君はそこにいたはずだ。ヱインやライアと共に」

 ユウキは「あっ」と叫んだ。

 「あの時の!あれから無事だったんですね」

 「お互いにな。それに…」

 ジェシカは言葉を切った。

「8年前のセントラルパーク銃乱射事件、君にとっては思い出したくないかも知れないが、あの時、君を保護したのもわたしだ」

 ユウキは驚いた顔で、ジェシカを見つめた。

 「そうでしたか。僕はまだ小さかったし、気も動転して泣きじゃくっていたから、あの事件の直後のことはあまり覚えていません。事件の瞬間や光景は、今でも夢に出てきますけど…」

 「思い出さなくていい。君にとってはつらいことだから、今は考えないでくれ」

 ジェシカは思わず、腰を浮かすさんばかりに身を乗り出した。

 「ただ、わたしは、君がこんなに立派に成長してくれて…とても嬉しいし、ホッとしているんだ。君にもいろいろあるだろうが、本当によく…」

 ジェシカは言葉が詰まった。

 気持ちが高ぶり、思わず涙腺が壊れそうになった…のだが、彼女の瞳は人工物のそれであるから、涙そのものは溢れなかった。また人工物の瞳であるがゆえに、それに比して表情も変化に乏しいものになっていたから、ユウキには、彼女の感情は正確には伝わらなかった。

 ユウキにはジェシカの様子が不自然なものに見えたのだが、無論、そんなことはおくびにも出さなかった。

 「おかげさまで。あれからイスラム教の施設に入りましたが、今はマンチェスター通りにある自宅に戻り、食品の卸売業を営んでいます。商売が順調な時ばかりじゃありませんから、市民税の滞納もありますけどね」

 ユウキは後頭部に手をやり、済まなさそうに苦笑いした。

 「ユウキ…君。なにか力になれることがあるなら…わたしでよければ、相談に乗るが?」

 ジェシカの言葉は辿々しかった。我ながら、己の不器用さに舌打ちしたくなったが、ユウキはジェシカの申し出を嬉しく思い、その気持ちを受けて微笑んだ。

 「ありがとうございます。でも当面は特に。ただ、しばらくこちらに居ることになるから、商売はできそうにありません。そうなると市民税の滞納が膨らみますね。でも、こればかりは、誰かに肩代わりしてもらうわけにはいかないから」

 ユウキはまた苦笑いをした。

 「…そのことだが」

 ジェシカは表情を引き締め、ようやく本題はそれだとばかりに、ユウキの顔を見つめた。

 「わたしがなぜ、君に面会を求めたか?おおよそは知っているだろうから、ハッキリ言うが、君はヱインとライア、ヴァルハラにとっては犯罪者であるこの2人に誘拐され、アルフハイムに軟禁されている…と、こういう事になっている。だから我々は、未成年である君を救出し、その身柄を確保するためにここに来ている」

 ユウキは、やや戸惑いの表情を浮かべて俯いた。

 ジェシカは、室内を見回した後、身を乗り出してユウキに顔を近づけた。

 「この部屋はおそらく、監視カメラや盗聴器の類が、どこかに仕掛けられているだろう。だが心配はいらない。わたしの背中には、特殊な電波でそれら監視器機を狂わせ、ニセの映像や音声を流す装置が内蔵されている。“イリュージョン”と言って、ヴァストの隊員が標準装備しているものだよ。だから監視されているからといって、演技する必要はない。本当はヴァルハラに帰りたいのだろ?大丈夫、わたしが必ず君を護り、ヴァルハラまで無事に送り届けるから」

 そう言ってジェシカは、ニコリと笑った。

 (…困ったな)

 ユウキは困惑した。

 (この人は、俺がヱインやカイルたちに脅されていると思いこんでいる。俺がここに留まる理由を、どう説明すれば…)

 ユミルの事、その鍵であるアローラのギター、ナターシャとエリスの闘争…あまりに壮大過ぎて説明できるものではない。なにより、アスガルドに向かったヱインを、この街で待たなければならないのだ。

 そしてカイルである。

 彼はなぜ、自分とジェシカを引き合わせたのか?

 ナターシャやカイルにしてみれば、自分は大事な鍵のマスターである。自分がヴァルハラに帰れば、“ユミルの鍵”を守るどころではなくなってしまうはずだが?

 「ユウキ…君。もう安心していい。これまでさんざん恐い思いをしてきただろうが、これからは、わたしがついている。うまく奴らを出し抜くから、大船に乗った気でいなさい。一緒にヴァルハラへ帰ろう」

 ジェシカはユウキの両手を握り、真剣な眼差しで見つめている。ユウキは苦笑いするより他にはなかった。

 「それにしても、あの卑劣感め。ユウキ君にあんな危険なことをやらせておきながら、“火星の夜明け”が撤退したら、それがさも自分がやったことのように得意げな顔をして…。あの鉄面皮も気にいらない。自分は無関係などと、いけしゃしゃあと…。しかし、わたしの眼は誤魔化さんぞ。おそらくあいつが、全ての黒幕なんだ」

 おもむろにジェシカはユウキの手を離し、自らの拳を握りしめた。

 (卑劣感?鉄面皮?)

 ユウキは首をかしげたが、すぐにそれが、ヱインとカイルのことを指しているのだと解った。彼女がアルフハイム関係者に向ける敵意は、尋常なものではないようだ。

 「それにあの死神女!」

 ジェシカの怒りは、また別の方向に向けられた。

 「スラム街の紛争の最中、君の頭に銃口を向けた時の…あの冷酷な眼!あいつが一番、危険だ。人の命をなんとも思っていない悪魔だ。ユウキ君、安心したまえ。わたしはいつか必ず、あいつを倒して、二度と君の前に姿を現せないようにするから。それこそ、完膚無きまでに破壊して!」

 (…もう半分以上、破壊されているけどね)

 ユウキは困惑を増すだけだった。

 ジェシカが“死神女”と名指したライアは、今はここメディナスの地下で、再生手術を受けている。再生には時間がかかるとのことだが、彼女が復したのち、このジェシカに遭遇しないことを、互いのために願わずにはいられない。

 「とにかくだ。わたしは卑劣感と鉄面皮、それに死神女どもから、君を救出したい。君がこのアルフハイムの連中に、なんらかの理由で軟禁されていることは確かだろう?どういう理由によるものなのか、君の口から聞くのは、ヴァルハラに帰ってからにしよう。“鉄面皮”は、君がヴァルハラに戻る、戻らないは、君の意志に任せるらしいがな。強制的にここに拉致されてきた君の意志は、聞くまでもないことだろうし、彼の言うとおりにしてやろうじゃないか」

 ユウキは首をかしげた。

 「カイルが?鉄面皮って彼のことですよね?彼が俺の意志に任せるって?そう言ったんですか?」

 ジェシカはうなずいた。

 「そうだ。奴はおそらく君を脅しているから、君が帰るとは言わないだろうとタカをくくっているがな」

 そして腕を組み、ニヤリと笑った。

 ユウキは思案した。

 (カイルが?ナターシャの意志なのか?“ユミルの鍵”は、どうするつもりなんだろう?)

 「さあ、ユウキ君。今のうちにここを出よう。速やかに行動すれば、奴らもすぐには動けないはず。ぐずぐずしている暇はないぞ」

 ジェシカがユウキの手を取ろうとした時、ユウキは慌ててその手を引っ込めた。

 「待ってください!僕はまだ、ヴァルハラには帰りません!」

 ユウキはジェシカの自分本意さに、ほとほと困惑していた。

 彼女はとにかく、暴走するタイプのようだ。

 悪い人間ではないし、むしろ自分を気遣い助けようとしている。その溢れんばかりの好意は嬉しいが、このまま彼女のペースに巻き込まれるわけにはいかない。

 「ジェシカさん、僕はカイルに何も脅されていないし、彼らに軟禁されているわけでもありません。ただ自分には重要な使命があるし、それに…」

 ユウキは、言葉に詰まった。

 アスガルドに向かったヱイン。彼を待たなくてはならない。

 しかし、そのことをジェシカに告げたならどうなるか?

 彼女の性格と特性を見抜いたユウキの脳裏には、ヱインを追ってアスガルドに猪突猛進する彼女の姿しか思い浮かばないのである。

 それとアローラのことである。

 彼がアスガルドに向かったのは、アローラを救出するために必要な、星船の部品を調達するためであった。

 ユウキは自分の行動を振り返り、その動機がただひたすら、彼女のためにあることは自覚していた。

 ナターシャは言った。

 (ユウキ、アローラを好きになってはだめ…といっても、あなたは納得できないでしょうね。でも忠告だけはしておくわ。人が人を好きになることは、とても素晴らしいことだけど、時にひどく傷つくこともある。その相手がオージンならなおさらのこと。アローラを想い救おうとしている気持ちは尊いことだけど、それ以上踏み込めば、あなたはきっと身も心もボロボロになってしまう…)

 (あなたは自分の気持ちが解らなかったの?でも仕方がないわ。それも全てあの子が無意識のうちに、あなたをそう導いてしまったことだから。アローラは特殊なの。わたしやエリスには持ち得ないものを持っている。それが時に人を傷つけてしまう。それをあの子も解ってはいる。でも生まれついた性(サガ)は、人間ではない彼女には変えられない。そんなあの子に出会ってしまったばかりに…ユウキ、あなたが気の毒だわ…)

 そしてナターシャがビジョンで見せた、火星の赤い大地に吹き荒ぶ風の中、ギターを奏でながら荒野を彷徨うアローラの姿…。

 そしてその背後に現れ、彼女に迫るブレード。ユウキはすぐにアローラの手を引き、その場から彼女を救いたい気持ちになった。

 ユウキは、ただ純粋にアローラへの気持ちだけで、ここまできたのだ。

 そしてこれからも、その気持ちの赴くままに行動するだろう。

 そのある意味、人間としての根元的な欲求による行動が、この街を“火星の夜明け”による破壊に導いてしまったとしたら…?

 とても無責任にこの街を去り、自分だけのうのうとヴァルハラの生活に戻る、そんなことは出来ないのである。

 ユウキは今や、“ユミルの鍵”を巡る“創られた神々”の攻防…火星規模の壮大な事件に、けして傍観は許されないことを自覚していた。

 それはある意味、アローラとの恋路と引き替えに架せられた、己の運命でもあった。

 だからジェシカと共に、ヴァルハラに帰るわけにはいかないのである。

 「なぜ?」

  ジェシカが首をかしげたその時だった。

 「どうやら。ユウキにナターシャ様の意志を、説明する必要がありそうだな」

 応接室の扉が開き、入ってきたのはカイルだった。

 カイルは、その表情に乏しい不機嫌な顔もそのままに、ジェシカを見やる。

 「黒幕の鉄面皮がいては、何かと都合が悪いか」

 ジェシカは「フン」と鼻を鳴らした。

 「やはり筒抜けだったか。“イリュージョン”が、効果を発揮しなかったところをみると、この部屋の監視システムは、よほど高性能なものらしいな」

 カイルはジェシカに構わず、ユウキを見つめた。

 「ユウキ。ナターシャ様は、お前にヴァルハラへ戻ることを希望されている。ここにおいでのヴァルハラ警察の方と帰ることだ。このお方にいつまでも、我々を誘拐犯に仕立てられ、あまつさえ妙なあだ名をつけられるのは不本意だからな。それにこのままでは、ナターシャ様まで誘拐犯扱いにし、不敬にもあだ名までつけるかも知れん」

 ジェシカはまた鼻を鳴らし、そっぽを向いた。

 「どういうこと?そんなの勝手だよ。“ユミルの鍵”は、どうするつもりなんだ?」

 カイルは表情を変えず、ジェシカを見やりながら言った。

 「それは、この方の前では言えんな。ただ…」

 「?」

 カイルの次の言葉は、ユウキにとって意外なものだった。

 「新しいマスターができた。それだけは伝えておこう」

© 2023 著作権表示の例 - Wix.com で作成されたホームページです

bottom of page