
エインは夢を見ていた。
赤く荒涼とした大地が、地平線の彼方まで続き、凍えるような冷たい風が吹きつける。そして彼の足元に、血潮に染まる鉄の装甲を身にまとった兵士の遺体が無数に転がり、累々と連なっていた。
風は囂々と音を立て、その身にまとうマントを揺らしたなびかせた。
彼の両腕には、重々しい銃が抱かれていた。
エインは、それがとてつもなく恐ろしい、そして禍々しい光を放つ銃であることを認識していた。
それはとうの昔に、廃れた兵器であるはずだが?しかし、エインの両腕に、その重みはしっかりと伝わっていた。
彼は死体の荒野をあてもなく進んだ。
その赤い大地の果てをただひたすら…渇きと飢えを覚え、ただひたすら…あてもなく進んだ。
望みは忘れ、明日を夢見ることもなく…。
ただ、切り裂くような冷たい風が、血潮にまみれたその頬に容赦なく叩きつけ、その歩を阻んだ。
空は黄昏に包まれ、日は傾いていた。
と、風の音に紛れ…泣き声が聞こえた。
ふと前を見つめると、1人の少女が、死体の累々と続く大地の隙間にへたり込み、しくしくと泣いている。
(おい!どうした!大丈夫か!)
エインは声を上げたつもりだったが、それは声にならなかった。
ただ彼は夢中で少女に駆け寄り、彼女のもとにひざまずいた。
長い黒髪の幼い少女だった。
彼女は、その赤い大地にポタポタと涙を染みわたらせ、ひたすら泣いている。
エインが、その頭に手をやり少女を抱きしめたその時だった。
まばゆいような光が、その大地に炎のように立った。
(!あんた…は…)
栗色の長髪、澄んだ青い瞳…。
光の中から現れたのは、エインのよく知る“人にあらざる者”だった。
彼女は、憂いを帯びた瞳をエインに向けて言った。
「救いを求めるのなら、わたしとともに来なさい…」
エインは、光に包まれた彼女に手を伸ばした。
やがてその光が周囲を包み、そしてエインと少女をも包んだ。
そして…。
エインは目を覚ました。
(…)
そこは周囲をセラミック製の壁に囲まれた白く、そして狭い空間だった。
(…どこだ?)
エインは、気を失う直前までのことを思い起こそうとして、額に手をやる。
アスガルドの飛行艇ターミナル、コントロールタワー、アンドロイド、そしてストロハイム、葉巻…。
すべてのことが繋がると、エインは合点がいったように手を打ち、そして忌々し気にセラミックの床を叩いた。
(ストロハイムめ…)
油断したといってはそれまでだが…ただエインにとっては、想定の範囲内でもあった。
もっとも最悪の想定ではあったが。
エインは舌打ちをして、床に仰向けになった。
「あ~あ、面倒くせえなあ…」
エインはただ、そのアクアマリンの瞳を、セラミックの天井に向けるのみだった。
「…」
エインは考えた。
地平線の彼方まで続く荒涼とした大地、凍えるような冷たい風…。
血潮に染まり累々と連なる屍…。
飢えそして渇き…。
望みも夢も忘れ…。
そしてその屍の荒野に、その少女はいた。
(へっ、今頃…あいつが夢に出てくるなんてな。もうあいつは、かわいい女の子どころか、人間でもありゃしないのに…)
エインは、天井を見つめた。
(それに…ナターシャか)
やがてエインは起き上がり、部屋の周囲を見渡した。
セラミック製の床や壁、そして天井は、ややくすんだ白色だった。
丸い電光が天井から照らす以外は、特に光源はない。通気ダクトが天井の片隅に確認できたが、それ以外は特になにもなく、殺風景な部屋だった。
部屋の入口は、上下開閉式なのか左右開閉式なのか?
背をかがめてようやく入れるくらいの小さなものだった。
ふと、天井の電光を見上げると、それが部屋を照らすのと同時に、カメラの役割を持つ最新式の代物であることがわかった。
普通の監視カメラではない。部屋の様子をデータ化して外部に送り、平面ディスプレイ、もしくは立体ディスプレイにホログラフにして再生することができるのだ。
エインは腹立たしい思いで、それを見上げた。
(ストロハイムめ、カメラの向こうでほくそ笑んでやがるだろうな…)
エインは己の腕を銃に変形させて、カメラに向けた。
が、その実弾を内蔵したカードリッジは、接収されて手元になかった。
エインはしかたなく、銃を納めると今度は刃に変えた。そして何度も、それを壁に突きたてた。
しかし…壁はびくともしなかった。
やがてエインは刃を納め「あ~あ」と投げ出したかのような声を上げて、その場にあぐらをかいた。
現状ではどうにもならない…不本意だが、認めざるをえなかった。
(まいったな。どうするよ…)
エインは腕を組んだ。
そして天井を見上げて叫んだ。
「ストロハイム!俺を監禁してどうするつもりだ!聞いているなら出てきやがれ!」
アスガルドより遥か東方、ここアルフハイムにも同じことを叫ぶ声があった。
「カイル、どういうつもりなんだ!俺をここから出せよ!ソフィア、来てくれ!ソフィア!」
そこはメディナスの地下にある、広い居住施設だった。
元々、他の都市国家からメディナスに訪問にくる、高い地位の聖職者のために用意された施設であった。水場や寝室など非常に充実しており、今までユウキに与えられていた部屋とは比べるべくもない。ただ…その出入り口の扉は固く閉じられていた。また、地下にある施設であるが故に窓もない。もはや、軟禁ではなく事実上の監禁であった。
ユウキは、部屋の装飾の1つ、獅子を模った置物に向かって叫んでいた。それが、この部屋に設置されたカメラであることを彼は知っているのである。
「こんなことをして!ヴァルハラ警察もきているんだろ?彼らが黙っていないぞ!国際問題になるぞ!それでもいいんだな?」
獅子は光沢のある金属でできていた。
もちろん応えはない。
ユウキは諦めなかった。
「ソフィア!ソフィア!いるんだろ?外にいるんだろ?俺を出してくれ!」
ユウキは出入り口の扉に駆け寄り、何度も叩いた。
激しく響く音は、虚しく室内の空気を揺らすだけだった。
「くそ!」
ユウキは腹立たしさをぶつけるように、扉を蹴った。
そしてその場にへたり込み、溜息をついた。
「騙して、俺をこんな所に閉じ込めるなんて…」
ユウキは、吐き捨てるようにつぶやいた。
ユウキの耳に、エインがアスガルドの捕虜になったという情報が入ったのは、エインがアスガルドに向かった2日後のことだった。
メディナス大聖堂から近い場所には、テロリストたちの爆破テロで、大きな被害を受けたイスラム教の施設があった。ユウキがその施設の復興を手伝うため、その現場に訪れた時、信者たちの間で噂が持ちきりになっていたのだ。
「今朝のニュース見たか?アスガルドのストロハイム総統が、暗殺者に命を狙らわれたって」
「ああ、でも変なニュースだったな。あれは多分、電波ジャックだよ。見たこともないキャスターだったし。なんでもアルフハイムからの刺客とか。捕虜にしたらしいな。ストロハイム総統自らニュース出演していた。アルフハイム政府に対して随分、きついことを言っていたしな」
彼らは石工職人たちだった。
他国にはあまりいない職人たちだが、石造りの建物が多いアルフハイムでは、必要不可欠な人々である。
「また、戦争になるのか?」
「やめてくれよ。テロリストが襲ってきたばかりじゃないか」
「どうして?こうも次々と…アルフハイムの長老院は何をやっているんだ?」
「やめるんだ。これはアラーが与えた試練、神の啓示だ。受け入れるしかない」
「まだ戦が始まると決まったわけじゃないよ。ストロハイムは、捕虜にした刺客と引き換えに、アルフハイムにいるアスガルドの捕虜、そいつと交換しろって」
「まさか!アルフハイムは今まで、アスガルドとは、国交もあるし友好関係があるわけじゃないが、事を構えることなんてなかったじゃないか?この街にアスガルドの捕虜がいるなんて…考えられない」
「いや。国家間なんてわからんもんさ。それに相手はあのアスガルドだぞ?我々の知らないところで、長老院の重鎮に刺客を送っていたのかもしれん。そういうのが捕まって虜囚になっているんだよ。今度は逆というわけさ」
「そんな!でも…今の長老院の連中なら、報復に刺客を送るとか…やりかねんな。それでこじれているわけか」
「ああ、そうか!わかったぞ!今度のテロリストたちの襲撃、アスガルドが裏で糸を引いていたんだ!政府は発表してないが、そうに違いない!」
「あっ!そうだな。きっとそうだ!」
「我々は、テロリストに街を荒され…随分痛めつけられて弱っている。そこにつけこんで今度は…」
「ちくしょう!なんて国家だ!女子ども関係なく犠牲者が出たっていうのに…このうえまだ…」
「やっぱりな。あの国は油断できないよ」
「でも…まだそうだと決まったわけじゃないだろ?」
「じゃあ、あの電波ジャックはどう説明つけるんだ?明らかに、アスガルドの謀略と挑戦じゃないか!」
「あれは多分、アスガルド大使館から発信されているのさ。まさしくアスガルドの謀略と挑戦だよ。しかもご丁寧に、捕虜の名前まで公表してやがったしな」
「へえ。なんて名前だい?」
「エイン…だったかな?なんでもユキ…ユウキか?そいつと交換しろと…さもなければ、処刑するそうだぜ」
ユウキは驚いて、手にしていた瓦礫を落とした。
そして血相を変えて、メディナスに戻ったのである。
が、そんなユウキを待っていたのが、カイルの騙しうちだった。
「そのことについては、こちらでゆっくり話そう」
と、この部屋に連れ出されたのだが、睡眠薬入りの飲み物を飲まされ、気付いた時には、閉じこめられていたのである。
「すまんな、ユウキ。お前にはしばらく、この部屋で生活してもらう。ヱインが帰ってくるまで辛抱するんだな」
カイルの声が、室内に響いた。
音声は例の獅子の置物から流れているようである。
「ヱインがアスガルドの捕虜になったのは、どうやら確かなことのようだ。替わりに“ユミルの鍵”の“元”マスターであるお前の身柄を求めている。我々にとっては機密事項にも等しい情報だが、あの国はもうそれを掴んでいるのだ。さすがに、鍵のマスターを変えたことまでは知らないようだがな。あのニュースは、市民の間でも噂になっているように、アスガルド大使館が電波ジャックをして流している。先方は否定しているがな。お前は、単独でもヱインの救出に行きたい気持ちだろうが、そうはいかん。これはお前の身を案ずるナターシャ様のご意志だ。お前は、あまりに短絡的な行動が多いからな。ヱインについては、わたしはなにも心配していない。あれでもガーディアンのはしくれだ。しかも旧社会機構が登用したガーディアンたちの中でも、わたしを除けば、特に優秀な戦士の1人だからな。彼にとってこんな状況はものの数ではない。というか自業自得だ。わたしに何も告げず、アスガルドに向かったのだからな。もう勝手にすればいい。自力で戻ってこいということだ。それまでは、ここでおとなしくしていろ。設備は整っているし、食事ももちろん用意する。ほしいものがあるなら、この獅子の像に向かって告げればいい。以上だ」
そして音声は途切れた。
ユウキはまた溜息をついた。
ヱインなら大丈夫…それはわかっていた。
しかし、万が一のことがあれば…ユウキは悔やんでも悔やみきれなくなる。
かといって、自分がアスガルドに向かったところで、どうにかなるものでもないのだが…。
またユウキには懸念もあった。
カイルの言うように、ヱインは確かに優秀な戦士である。
しかし、そのヱインでさえあっさりと捕虜にできる者など、この星に何人いるというのか?
(アスガルドの総統…ストロハイム。ヱインは知古だと言っていた…)
知った仲ということで油断させ、捕らえたのだろうが…逆に言えば、ヱインのことを知り尽くしているからこそ、捕らえることもできたわけだし、また彼を監禁し続ける自信もあるのだろう。
しかも相手は、あの血に塗られた国の総統である。
ヱインといえど、容易くは脱出できないのではないだろうか?
(…やっぱり心配だ)
ユウキの不安は膨らむばかりだった。
そしてどうにも身動きのとれないこの状況に、ジレンマを増すばかりであった。
「どういうことだ!」
ジェシカは怒鳴り声をあげて、大使館職員に詰め寄った。
「申し訳ありません。今回の件について、アスガルド大使館は、まるで貝の殻を閉じたように、こちらのコンタクトに応じる気配はありません。外務局のトップに話を通せ、との一点張りです」
職員は恐縮したように畏まっている。
「捕虜の、いやエインの状況を聞かせろというだけの話だぞ?捕まった経緯も断片的でよくわからんし、もう少し情報がほしいと、ただそれだけなのに」
ジェシカは腕を組み、苛立たしげに足で床を叩いている。
「隊長さん、これはおそらくアスガルドの国家機密なんですよ。なにが起こったのかわかりませんが、アルフハイム政府との政治的駆け引きの様相が濃すぎる。他国の一警察官が、どうにもできる問題じゃありませんや」
マルコは、お手上げだとばかりにタバコを吹かし頭を掻いている。
「エインはスレイプニル号事件の重要参考人だ。あの事件は、アスガルドとヴァルハラの先端を開くきっかけにもなった。あいつは両国にとって共通の犯罪者だ。やつの身柄を確保したというなら、こちらにもその情報を提示する義務というものがあるだろう!」
ジェシカの苛立ちは収まりそうもなかった。
「もういい。こうしていても埒が開かない。直接、アスガルド大使館に乗り込み、話をつける!」
ジェシカが踵を返そうとしたその時、ジェシカの頭に電脳通信が入った。
「隊長、アルフハイム政府の状況ですが、どうやらアスガルドの要求を無視するようです。この件に関して、政府としての公式見解も当面は見合わせるとか」
ジェシカはその場に立ち止まった。
マルコは、ジェシカの様子から電脳通信でやりとりをしていることを悟り、じっと彼女を見守る。
「…少年は?アスガルドがその身柄を欲しているのを、政府としてどうするつもりなのか?」
「隊長、それなんですが、どうやらアルフハイムは、ユウキ少年を監禁した模様です」
ジェシカの眉がピクリと動いた。
「なんだと?」
「監禁場所は、メディナス大聖堂の地下施設です。おおよその場所は見当がついていますが」
ジェシカの瞳が鋭さを増した。
「わかった。引き続き、政府関係を探れ。これで切る」
通信を終えるとジェシカは、マルコを見やり、複雑な表情で彼を見つめた。
「あの少年が監禁された。こんなことなら、強引にでも、連れて帰るべきだったな」
マルコは興味なさげに、タバコを吹かし続けている。
「監禁ですか。そんな必要があるんですかねえ?それは疑問ではありますが、もう関係ないことですよ。この状況が訪れる前、彼はこの街に残ると、はっきり意志を示したのでしょう?ここからは彼とアルフハイムの問題ですよ。我々が立ち入る筋道はありませんや」
ジェシカは腕を組み、じっと床を見つめた。
「ヱインが星船の部品を求めてアスガルドに向かった理由の1つに、あの少年…ユウキの意志が強く働いているようなのだ」
「…?どういうことです?」
マルコは不思議な眼差しでジェシカを見やった。
「星船を本当に必要としているのは、ヱインではなく、ユウキということだよ。なぜ、彼が星船を必要としているのか?込み入った事情はいろいろあるようだが…」
ジェシカは考え込んでいる。
「星船が必要…って?あんな少年が?何のために?隊長さん、あのユウキという少年は、一体、何者なんです?」
マルコの問いに、ジェシカは深く溜息をつき、しばらく沈黙した。
やがてマルコを見やり、口を開いた。
「彼が何者かというのは問題じゃない。彼の意志が行き着く先が問題なのだ。彼のためには、このままアルフハイムに預けておくのが、一番いいのかもしれない。しかし…」
ジェシカはまた黙り込んだ。
マルコは、ジェシカの言わんとすることを計りかね、ただ不思議そうな眼差しで彼女を見つめるだけであった。