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  前方の廃墟群を見つめるその男の両眼には、鋭利な刃物のような光が宿っていた。

ヴァルハラを取り巻くようなスラム街。その貧民街の西部地区から南下し、およそ五時間近くが経過していた。今、その男が率いる部隊は、スラム街の南部地域に入ろうとしている。

賑やかで活気のあった西部地区とは違い、南部は静寂に包まれている。街そのものが死んでいるかのように、その廃墟群は不気味に林立していた。

男を囲むように武装した兵士が付き従う。その男の長い髪をまとめる不気味な色合いのバンダナがその眼光をより際だたせていた。

十数人の部隊を率いて“ミッション”を完遂するには、部下の手綱を引き締める必要がある。だから男は無言を貫いていた。何を考えているのかわからない無表情な顔。ただ鋭い眼差しで前だけを向いている。彼に付き従う部下たちは、その表情をみるだけで身が引き締まる思いがした。また襲撃がいつ来るとも知れぬ行軍は、隊の緊張感を高めるのに十分であった。

「…大佐」

銃を構えながら、男の背面を固めている兵士が、男の耳元に口を寄せる。

「敵影を後方に確認。左手にも移動の痕跡が…」

「前方に敵影。廃墟に潜んでいます。動く気配はありません」

四方を哨戒していた部下たちは、次々と男に報告を寄せる。

「右手、敵の移動を確認。我々と併走している模様」

「…囲まれたか」

男は立ち止まり、そばに付いていた兵士に右手を差し出した。

兵士は速やかに通信機を手渡した。

「ブレードだ。聞こえるか?予定を変更する。これより我らは戦闘に突入。敵は対テロ特殊部隊ワルキューレと思われる。追って沙汰があるまで待機しろ」

「了解」

通信機から返答が聞こえた。

「我らに“火星の夜明け”があらんことを」

「…すべてはアラーの御心のままに」

男は通信機を切った。

その男…ブレードの眼差しは、やがて獣のように豹変していた。そして彼は命令を下した。

「散開する。俺の後に続きたい奴はついてこい。合流場所はKC12地点。みな生きて落ち合おう。なお死したる者はアラーに召され、喜びの地にて祝福されるであろう!」

そして次の瞬間!

彼は雷鳴のように吠えた。まるで天地が鳴動するような雄叫び!彼は前方に待ち構える敵に向かい、嵐のように駆けだした。

「アラーの名のもとに…。大佐に続け!」

側近の一人がそう叫ぶと、部隊は一丸となってブレードの後に続き突入した。

「アラー!」と神の名を叫びながら…。

四方から無数の銃弾が、射撃音とともに彼らに襲いかかった。

血しぶきが舞い、肉片が飛び散る。一人また一人と吐血しながら凶弾に倒れていく。

しかし彼らは、仲間の屍を乗り越え、応戦しながらひたすらブレードの後を追った。

先頭で風のように突入するブレードの体は、無数の弾丸で蜂の巣になるはずだった。彼の後を追う部下たちのように…。

しかし…彼の体からは一滴の血も流れない。そればかりか銃弾を浴びた体は再生し、再生を繰り返すたびに、その奥にめり込んだ弾丸を弾き出す。

いつの間にか、仲間はすべて血の海に沈み、ブレード一人が残った。

前方の敵は銃撃を止め、鋼鉄の体をさらけ出し、突入するブレードに襲いかかってきた。

ヴァルハラ国家対テロ特殊部隊ワルキューレ。それは全身鋼鉄の体を持つアンドロイドで構成された部隊だった。鈍い銀色に輝くそのボディは、全身が凶器といっても過言ではない。そして銃弾を含め、あらゆる武器が通用しない体でもあるはずだった。

しかし…それは一瞬の出来事だった。

鋭い金属音が無数に鳴り響く!

ブレードを止めるべく挑んだアンドロイドたちの身体は、胴体から切り離され輪切りとなった。それはすべて四方に飛散し、壊れた人形のように地面を転がる。

ブレードの両手にはいつの間にか、細長い剣が握られていた。その刃先は熱を帯びオレンジ色の輝きを放っている。

野獣と化したブレードを止めるものは何もない。

嵐のようにワルキューレの陣地を縦横無尽に駆け抜け、立ち塞がる機械兵を紙くずのように、いとも容易く切り伏せる。

反撃の暇は与えなかった。

鋼鉄の残骸がまるで血しぶきのように潤滑剤をぶちまけて積み上がる。精鋭中の精鋭であるはずのワルキューレは、まるで為す術がなかった。

やがて突破口が開き、ブレードは機を逃さずそこに突入した。統制をしばらく失っていたワルキューレはやがて部隊を立て直し、ブレードの追跡を始めた。

しかし、それも遅すぎた感があった。ブレードは遙かに遠ざかり、もはや捕捉は困難であった。

狂風が吹き荒れた跡には、無惨な鉄の残骸と血海に沈んだ骸が累々と連なる。それはまさに虚空の荒野が広がる地獄の景色そのものであった。

 

バベルの墓所に吹く風が、ステージの上に佇むアローラの長い黒髪を揺らした。

その視線は、スラム街の北西の方角に向けられている。そこから迫り来る者…それが何者であるかを、アローラは知っていた。

墓所には酔いどれの浮浪者、ボール遊びをしている子どもたち、墓地に花を添えるまばらな人影があるだけだった。

 アローラの脳裏に、一人の少年のビジョンが浮かび上がる。

 半刻前、小さな子どもたちの住処となっている廃墟で彼女はギターを弾いた。

 その少年…ユウキと小さな子どもたちは喜び、共に歌った。

 彼女はこの星で気も遠くなるような長い年月を生きてきた。しかし、これほど楽しいひとときを過ごすことは滅多にはなかった。

演奏を終えると、骸となった子どもの火葬を行った。炎が骸を包む間、少年たちは無言だった。しかし涙がこぼれ落ち、地面に染みをつけるようになると、みな声を上げて泣いた。

その悲しみは遙かな深淵の果てにあるアローラの胸の内に、確かな痛みとともに響くのだった。

「ありがとう」

ユウキの声だった。

アローラは、オレンジ色の炎が映えるその瞳を、彼に向けた。

ユウキのアローラを見つめる眼差しは優しかった。

「ユウキ…」

その時…アローラはユウキの頬に手を伸ばした。

己でも予期しえない行動だった。

遙かな時を生きてきた彼女の記憶の奥に、同じ眼差しのいくつもの顔が記憶されていた。それがフラッシュバックのように次々とよみがえる。

そしてそれは、火星の赤い大地に吹き抜ける風のように吹き去っていく。そこに残ったのは荒涼とした風景と、胸の深淵に刻まれた寂寥な空白だった。

アローラは我知らず、つぶやいた。

「わたしは火星の人類社会に必要とされ使命を帯びた存在。でもいつも一人ぼっち。わたしを守る存在はいても、あなたのような友だちはしばらくできなかった…」

ユウキは不思議な面持ちでアローラを見つめていた。

そして頬に添えた手をそっと握った。

「俺も、小さいとき両親を亡くしているから、いつも一人ぼっちだった。施設に入って友だちができたけど、胸にポッカリと穴が空いた感覚はどうしても埋まらなかった。施設の友だちはみんな同じ境遇だから、分かり合える仲間は大勢いたはずなのに…なんでだろう?」

 その時、アローラの深淵に何かが響いた。

 それは久しく忘れていた心の動きだった。そしてあらゆる事象に左右されない彼女が、唯一抗うことのできない衝動でもあった。

 アローラは“時”を止めた。

 そして衝動のままにユウキの唇に顔を近づけた。

次の瞬間、“時”は復刻した。何事もなかったかのように、己を見つめるユウキの瞳を見て、アローラは笑った。

「ユウキ、また会える?」

ユウキも笑顔を見せた。

「ああ!もちろん!」

そして力強くうなずき、再会を約束した。

火葬が終わるとユウキは、業務用のトラックに乗り込んだ。

 「ごめんよ、まだ仕事が残っているから。明日はあのステージでまた歌うの?俺、絶対にいくから…」

 そう言ってスラム街を走り去る彼の背中を、アローラはいつまでも見送った。

 それが半刻前の一部始終だった。

 アローラはうつむき、悲しげに目を閉じる。

 そしてつぶやいた。

 「ユウキ。ごめんね。もう会えないかもしれない…」

 風は彼女の黒髪と共にその外套をも揺らし、そして吹き抜けていった。

 

「どうもいけねえや…」

廃墟の物陰から、その青く鋭い眼差しを向けてヱインはつぶやいた。

「ヴァストばかりかワルキューレまでいやがる。それも半端な数じゃない…」

「しかも体制はかなり厳重ね。確認できるだけで三基のバリケードが造られている。部隊の構成はヴァストが二十、ワルキューレが四十…」

ヱインの側でセンサーの解析を続けるライアは、淡々とした口調で掴んだ近辺の状況を説明した。

「ヱイン。ここを突破して目的地を目指すのは得策とはいえないわ」

「わかってるよ…」

ヱインはまた葉巻をくわえ火をつける。

「ブレードが派手に動き回ってやがるんだ。でなきゃワルキューレがこんなに沸いてくるはずがない。“火星の夜明け”の他のメンバーも、スラム街にかなり紛れ込んでいるだろうな」

「六年前、この街のセントラルパークで“暁の息吹”によるテロ事件が起きた。それがきっかけになりワルキューレの増兵に繋がっている。今、このヴァルハラでは警察隊より、対テロ特殊部隊のほうが数は多い」

ライアの説明じみた口調に、ヱインはうんざりした声をあげた。

「ああ、まったくだよ。おまけにワルキューレは、ほとんどアンドロイドで構成されている。ソルジャーとしての能力はヴァストより上だ。それがあんなにウヨウヨしてやがるんだ。味のわからねえ葉巻もくわえたくもなるよ、まったく」

ヱインの葉巻から煙が立ち上るのをライアはじっと見つめた。

「この状況で葉巻は無意味よ。熱源反応でこちらの位置が探知されかねない」

「ああ、わかったわかった」

ヱインは投げやりに葉巻を握りつぶした。

「下水道をうまく抜けたと思ったのに…これだもんな。ヴァストはともかく、対テロ特殊部隊はお門違いだろ?これじゃあ、バベルの墓所にいつ辿りつけるやら…」

「ヱイン。バベルの墓所周辺は、ここより厳重な厳戒態勢の可能性が大きい。捕縛の危険がより高まるだけだわ」

ヱインは鼻で笑った。

「捕縛?それならまだましだ。奴らの狙いは、俺たちの破壊だろ?違うか?」

「否定はしない」

ライアの回答は常に無機質だった。

「…お前よう。その可愛げのない物言い、もう少しなんとかならないのか」

ヱインは無駄とは知りながら、その苛立ちをライアにぶつけた。

「わたしは脳まで人工化したアンドロイド。人間からアンドロイドとなった、いわゆるハイドロイド。脳と脊髄が生身のあなたとは違う。それはあなたもよく解っているはず。無意味な要求だわ」

ライアの言葉はニベもなかった。

「へいへい。よく解ってますよう。お前があのブレードと、ほぼ同類ということもねえ…」

ヱインはその青い視線の先を、再び厳戒態勢の敷かれたスラム街の街並みに向けた。

「だが行くしかねえ…。アローラの情報はそこしか掴めてないんだ。ブレードより先にアローラと接触し保護する…それが俺たちの仕事だもんな。“火星の夜明け”の動きが活発な以上、急がないと…」

ヱインは右手を胸の前から肩口にかけてかざした。

するとそれがアメーバのように変化する。やがて真っ直ぐに伸びて一本の刃になった。

右手に“格納”されていたそれは、ギラリとその刃先を光らせる。特殊な形状記憶合金でできたヱインのボディがなせる業だった。

「こうしていても埒が開かねえ。行くぞライア」

ヱインは特攻を覚悟した。とりあえず突破口を切り開くしかない。

「…待ってヱイン」

ライアが呼び止める。彼女のセンサーに何かが引っかかったようだった。

「多数の生命体反応。光学迷彩を着用している。ワルキューレ部隊がバリケードを構える地点の後方から急速に接近!」

彼らのセンサーにも反応があったか?

ヴァスト部隊、ワルキューレ部隊ともに緊張が走り、一斉に武器を構えた。

その直後である。

無数の銃弾が何もない空間から現れ、閃光となって彼らに襲いかかった。

火花が散り硝煙が立ちこめる。ワルキューレたちは、黒々とした潤滑剤をまき散らしながら次々と倒れた。ワルキューレも銃撃を始め応戦を試みるが、姿の見えない敵に標準を絞り切れない。やがて何もない空間から血しぶきが舞い上がり、赤い雨を降らせた。ヴァストも応戦を始める。しかし見えない襲撃者の銃弾に頭を撃ち抜かれ、脳漿を飛び散ちらせた。それは跡形もなく吹き飛び、首なしのボディが転がる。その光景はまさに地獄であった。

しかしヱインとライアにとって、それは見慣れた景色に過ぎなかった。

これよりさらに激しい戦闘を幾多も経験してきた彼らは、今それは問題ではなかった。

「かなり強力なショットガンを使っている。新型だわ」

ライアの声はあくまで冷静だった。

「チャンスだ!」

ヱインの青い目が光った。

「光学迷彩でわからないが、おそらく“火星の夜明け”だ。おかげで警備が手薄になった。いくぞライア!」

そう叫ぶとヱインは、ライアと共に駆けだした。

 

「どうなっている!」

ジェシカが苛立ちを隠せない声を上げた。

「申しわけない、隊長さん。火星全域で活動を強めていたあの“火星の夜明け”がスラム街のあちこちでドンパチを始めたもんでねえ。どういう訳かは知らねえが…。スラム街南部の封鎖は上からの命令です。というよりワルキューレの要請ですよ。あいつら自分たちのやることが、ヴァルハラ政府の総意とか考えている節がありますからねえ。まったくアンドロイドなんて人間をなめきってますよ」

ジェシカの前でニヒルに笑うこの男は、この付近を取り締まる警備部隊の隊長、マルコだった。

黒い帽子を目深に被り、肌色のコートを羽織っている。年齢は不詳だが、その抜け目ない眼光は、年季を感じさせるベテラン刑事そのものだった。

ジェシカはなおも食い下がる。

「ヴァストの他の隊も警備についているはずだ」

「ええ。第三、第四部隊の方々もワルキューレと行動を共にしているようです。しかしそれこそ、ヴァストの上層部が決めた話。わたしに言われてもどうもなりません。直接、おたくの上のほうに問い合わせてください」

「マルコ」

ジェシカの顔が、鬼のような形相になった。

マルコはおどけたように、両手の手のひらを前に出して後ずさった。

「怒らないでくださいよ。わたしたちはただ、この付近を封鎖するように命じられた一警備隊に過ぎないんですから。いくら隊長さんとわたしが知古でも、できないものはできません」

「ふん」

ジェシカは鼻をならし、そっぽを向いた。

そしてその眼をすっと細めた。

「…知っているぞ、マルコ。お前がこの辺りを取り仕切るスラブ系のグループと、蜜密な関係にあることをな」

マルコは“それがどうした”と言わんばかりにタバコをくわえ火をつけた。

「あなたがわたしの管轄で無茶をやり、市民を巻き込んだ事件の数々、誰がもみ消していると思うんですか?お忘れではありませんよね?まあ、その辺は、フィフティフィフティでいきましょうや」

「クッ!」

ジェシカは地面を蹴った。

マルコは素知らぬ顔でタバコを吹かし、林立する廃墟の向こう側にそびえるターミナルタワーを見やった。日は傾き、タワーが琥珀色に染まりかけているのが見える。

「申しわけないですねえ。わたしじゃ本当にどうにもならないですよ。ワルキューレの権力には逆らえない。なにしろ六年前に起きたセントラルパークのテロ事件以来、ワルキューレは急速に台頭してきましたからねえ。それまでの対テロ特殊部隊とは予算のかけ方が違う。無理もないですよ。“暁の息吹”に街中であれだけ住民を虐殺されちゃあねえ…。政府にもメンツってものがある」

「まるで当時のわたしたちが、無能だったみたいないい方だな。テロリストを殲滅したのはヴァストだぞ。わたしも現地で戦った一人だ」

ふと、ジェシカの脳裏に、当時の光景が広がった。

どす黒い血にまみれた死体が累々と横たわる。男も女も子どもも関係なかった。地面には血の川が流れ、血だまりがあちこちに渦を巻いていた。充満する血の臭い。そしてむせるような硝煙の臭いがたちこめていた。

そんな無惨な地獄の中、一つの骸の前で泣き叫ぶ子どもがいた。

(父さん父さん父さん…)と何度も呼びながら。

ジェシカは駆け寄り、夢中でその子を抱き上げた…。

(あの子。今はどうしているのだろう?)

マルコがけげんな顔つきで、ジェシカの顔を覗き込んだ。

「どうなさいました?」

「…」

ジェシカはただ、マルコの顔を見返しただけだった。

「…なんでもない」

ジェシカは踵を返し、部下に「行くぞ」と声をかけた。

「どちらに?上層部に掛け合うのですか?」

「それしかないだろう。頑固でわからずやの警備隊長に邪魔されたと報告してやる」

マルコは笑った。

「えらい言われようですな。わたしは確かに頑固だが、わからずやではありませんよ」

「…?」

思わずジェシカは振り向いた。この男のもの言いに含みを感じたからだ。

「内緒ですよ」

マルコはジェシカの耳元に口を寄せた。

「“火星の夜明け”は、かなりヴァルハラ混成軍を掻き乱しているようです。やつらは勢いがあります。だから警備隊の一部が戦闘に参加している区域があるのですよ。そこから入ればあるいは…」

「…どこだ?」

マルコは羽織っているコートの袖を開けた。

マルコの意図を察したジェシカは舌打ちする。

「貴様はヴァルハラ警察の癌だ」

「…どうとでも」

ジェシカはヴァルハラ通貨の紙幣を、その袖に突っ込んでマルコをにらんだ。

「さあ早く教えろ」

「そう急ぎなさんな」

ジェシカとマルコは並んで歩き出した。マルコのタバコの火が風になびいて消える。

辺りはいつの間にか薄暗くなっていた。

 

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