ミャンマーや香港の情勢と作家の果たすべき役割、映画「NО」に見る、人々の心を掴む作品創りについて
- 加藤康弘
- 2021年3月13日
- 読了時間: 4分
更新日:2021年3月28日
2月に起きたミャンマーのクーデターは、国際的な批判が相次ぎ、国民は連日のようにデモを繰り広げています。にも関わらず、国軍はデモ隊に銃を向け、犠牲者まで出る惨事も起きました。
また香港では民主的な活動家が拘束され、香港の選挙制度を「愛国心のある者」に立候補者を限定するなど、香港市民に対する弾圧を強めています。
ミャンマーと香港については、連日のように報道されましたので、多くの方が注目したと思われますが、世界にはまだまだ、国家が国民を弾圧し続けている国は多くあります。それでもなお、自国を変えようと立ち上がる国民の闘いも数多あるのですね。
その中で1988年に軍事政権から国民が政権をひっくり返したチリの例は、注目に値します。
1988年のチリの政変。それは16年間に渡り続いたアウグスト・ピノチェト将軍を頂点とする軍事独裁政治に対し、チリの国民が国民投票で「ノー」を突き付けた歴史的な出来事でした。
あるネットの情報によると、ピノチェト政権の間に政治囚約3,000人が、逮捕後に即座に処刑され、また別の3000人が行方不明、数千人が拘束され拷問されたと言われています。
このピノチェト政権の存続か否か?その是非を問う国民投票が行われたのが、1988年10月5日。この国民投票においてピノチェト政権NO側には、深夜のみ「ピノチェト政権ノー」を呼びかけるCМの放送が許されました。その制作過程と、ピノチェト政権による妨害や弾圧を描いた映画が、2012年に公開されたチリの映画「NO」です。
この作品におけるCМ作成の過程は、物書きとしては非常に興味深いものでした。
CМの制作を担当したのは若きプロデューサーのレネ。このレネは実在の人物を2人重ね合わせた主人公ということですが、彼はチリの未来を描いた明るいCMを制作しようとします。しかし「独裁に苦しむ人々の心情が分かってない」と、左派の政治家たちから批判されてしまうのですね。
ただ独裁政治の恐怖や批判を主としたキャンペーンを展開したい野党側。
しかしレネは彼らに問います。
「それで独裁政権に勝てるのか?」と。
レネはあくまでも国民投票に勝利するため、国民が明るい未来を夢に描けるようなCМを作り続けるわけです。
やがて国民投票のためのテレビCMが放送を開始すると、レネの作った「No」のCMを見て、独裁政権側は焦り始めます。度重なる妨害や弾圧。しかし、レネの作った明るいCMは確実にチリ国民の心を掴んでいくのです。
そして国民投票当日。
開票の中間報告では、ピノチェト政権側の優勢が伝えられ、落胆する「NO」陣営。
しかしそれは、ピノチェトの悪あがきによる情報操作に過ぎませんでした。
やがて最終報告で「NО」側の勝利が伝えられます。
愛息を抱き上げながら、歓喜の中を、まるで凱旋するかのように歩き去るレネ。この瞬間わたしは涙が止まらなくなりました。
レネは国民投票勝利のため、批判や弾圧を恐れず、ただ国民の心を掴むことに己の創作エネルギーの全てを注ぎ込み、そして創作者として大きな役割を果たすことができたのです。
この映画においてわたしが学んだこと。それは自分たちの“想い”だけでは目的を達成することはできないし、観る側の心を掴むことはできないということ。
前述したように、「NO」側の野党陣営は、ピノチェト政権の批判や恐怖など、真実を伝えたることを主として国民に訴えようとしていました。国民から搾取し、逆らう者を弾圧し続ける、ピノチェトを弾劾したいという想いが強かったわけです。しかしレネは、CМ政策に携わっていた経験から、国民の立場から考え、明るい未来を思い描けるようなCМこそ、その心を掴むということを確信していたのです。
その創作哲学は、ジャンルは違えども物書きのわたしに、大きなインスパイアが与えられました。
この「NO」で描かれたチリの状況が、今のミャンマーや香港の状況に、そのまま当てはまるとは思いません。ただ、世界が激動している時代だからこそ、ミャンマーや香港で、祖国や故郷を変えるべく命がけで闘っている若者たちに対し、より多くの日本人に関心をもってもらいたい自分の想いはあります。そのためには、物書きとしてどういった作品を創作していけばいいのか?「NO」という映画は、非常に考えさせられました。
またこの映画はミャンマーや香港で活動する若者たちにも是非観てもらい、勇気に変えてほしいとも思いました。
また世界が激動する時代だからこそ、より多くの人々に、未来に希望を持ってもらいたい作品でもあります。

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