アウンサンスーチー女史について
- 加藤康弘
- 2021年4月9日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年9月29日
ミャンマーで国軍によるクーデターが起こってから、2ヶ月余りが経過しました。
ミャンマー本国では、各地で連日のようにデモが繰り出され、またミャンマー人が在住するあらゆる国々でも、人々は立ち上がっています。この日本も、もちろん例外ではありません。
名古屋や東京などでは、大勢のミャンマーの若者がデモ隊を組織し、市街地を行進していく様子が報道されたことは、記憶に新しいところです。
「チェーズー ティンバーデー(ありがとう)」を執筆するきっかけとなった、わたしの友人たちは、名古屋に在住していますが、彼らももちろん、民主化を取り戻す闘いに立ち上がっています。
しかしミャンマー国内では、そんなデモ隊に対し国軍が銃を向け、500人を超える死者が出るという痛ましい事態が起こりました。その中には子どもも含まれており、その所業による国軍の罪は非常に重いものがあります。
しかし、ミャンマーの国民は諦めることを知りません。
公務員、医療関係者、そして学生や子どもまで。死者を出してもなお、その不屈の精神で国軍に立ち向かう彼らを見ると、もはや「敬意」という言葉でさえ陳腐に思えます。
彼らのエネルギーの源、そして精神的支柱はどこにあるのでしょうか?
軍事政権に対する怒りや、ビルマ仏教に根ざす精神性など、様々あると思われますが、中でもアウンサンスーチー女史の存在は、絶対に欠かすことはできません。
「ビルマ建国の父」と呼ばれる英雄、アウンサン将軍を父に持ち、インドでガンジーの「非暴力不服従」の思想や精神を学んだスーチー女史。
彼女のカリスマ性がいかに凄いものであるかは、ミャンマーの総選挙における、彼女が率いる政党「NLD」の得票率を見れば一目瞭然です。特に1990年の総選挙では、90パーセントの得票率で、約8割の議席を獲得したと言われています(国軍は政権の移譲を拒否)。
スーチー女史が平和的なデモや集会、そして対話で、ミャンマーの国民と共に地道に母国の民主化を模索してきた姿勢は、国際的にも評価され、1991年にはノーベル平和賞を受賞しました。
残念ながらロヒンギャ族に対する国軍の残虐行為を、国連の場で擁護する発言をしたために、その評価は失墜してしまいましたが、長年対峙してきた国軍と共同して国営にあたる難しさも、わたしは垣間見える気がしました。
このスーチー女史、実はわたしが高校生くらいの時にテレビのニュースで、初めてその存在を知ったのですが、軟禁状態にありながらも折れることのない、彼女の不屈の精神性は、まさにわたしの憧れでした。
いま再び、国軍の手に落ち、軟禁状態に置かれているであろうスーチー女史。
齢70を超えてなお、国軍と闘い続ける彼女の運命に、わたしはただ、ミャンマーの国民共々、ささやかな力添えができれば…と願うばかりです。
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