ドストエフスキー初期の作品より垣間見える、彼の恋愛観、理想の女性像について
- 加藤康弘
- 2021年3月28日
- 読了時間: 3分
ドストエフスキーのデビュー作「貧しき人々」、そして処女作の「初恋」。
ドストエフスキーのまさに原点であるこの2作品は、同時に彼の恋愛観が凝縮し、また彼が理想とする女性象が垣間見える小説でもあります。
「貧しき人々」はドストエフスキーをよく知る読書家なら、説明不要ともいえる作品ですが、あえてどのような構成で成り立っている小説か説明しますと、ワーレンカという薄幸の女性と老官吏マカールが、往復書簡を交わす形で進行していくもの。
その2人が手紙のやり取りをするなかで語る、彼らの周囲の人々はまさに「貧しき人々」。不幸を絵に書いたような人々です。衣類はボロボロ、借金まみれでしかも裁判まで抱えている家族、息子に疎まれ、後妻には常にDVを受けている老人、物乞いの老婆、事業の失敗が元で精神を病み、妻や娘に当たり散らワーレンカの父、それが元で衰弱死してしまったワーレンカの母…。
もう読んでいるだけで欝になってきますね。
ただ、ここにロシアの底辺に生きる人々に寄せる、ドストエフスキーのリアルな視点も垣間見ることができます。
主人公の2人ももちろん貧しく、幸福とは縁がありません。
ワーレンカは少女時代、母と共に想い人を亡くし、マカールは不器用であるが故に、同僚から嘲笑され続ける始末。
ただ、互いに不幸であるが故に惹かれあい、互いを大事な存在として認識していく過程は、時に激しい本音をぶつけ合うこともあり、妙なリアリティーがあります。
またこの2人は、彼の後の作品に登場する人物たちの原型も見てとれますね。
マカールは「地下室の手記」の「僕」、ワーレンカは「罪と罰」のソーニャというような。
世間のつまはじき者と薄幸の女性という男女の組み合わせは、ドストエフスキーの恋愛経験によるところも大きいようで、彼が身を持ち崩していた時期に、支えてくれた女性が何人かいたようですが、そういった女性に対する思慕の念も、マカールの綴る心情に滲み出ています。
それが彼の処女作「初恋」となると、また趣が違うんですね。
一人称で進行するこの物語の主人公は11歳の少年。彼にはМ夫人という、恋い焦がれる年上の女性がいます。
彼はどういう経緯か、大人たちの社交の場となるお屋敷で、いわば小姓みたいなことをやっているのですが、いつも意地悪な大人に、М夫人の前で赤恥をかかされることばかり。
しかしそんな彼がある時、勇者のように大人たちに刃向うのですね。それをきっかけに彼は変わっていくのです。
思春期に誰もが経験する「初恋」。瑞々しい感性で描かれたこの作品は、ドストエフスキーの若い頃に執筆された小説でしょうか?
明らかに後年の作品とは一線を隔し、素直な文体と構成で描かれています。彼が後年に描いた難解な作品しか読んだことのないわたしとしては、ドストエフスキーにもこういう小説を書いていた時期があったのかと妙に感心しました。この作品、クライマックスはよく練られており、小説としては傑作と呼んでも差し支えありません。
「貧しき人々」と「初恋」。
この作風の異なる2作品を読んで思うに、ドストエフスキーの恋愛観や理想の女性像が分った気がしました。「初恋」で主人公の少年が恋心を寄せたM婦人も、どこか幸薄い雰囲気の漂う女性です。「罪と罰」のソーニャもまたしかり。
儚く薄幸で、時にはマリアのような母性で包み込んでくれる女性。
ソーニャなどは、ドストエフスキーの理想の女性象なのでしょうね。
ワーレンカやМ夫人などは、その雛形なのかもしれません。
以上、初期に書かれたドストエフスキーの作品から見る、彼の恋愛観や理想の女性像についてでした。

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