ビルマ文学の風景について
- 加藤康弘
- 2021年4月24日
- 読了時間: 3分
ミャンマー情勢は、増え続ける犠牲者、ジャーナリストの北角祐樹さんの拘束、国軍に対抗すべく、ミャンマー諸民族が賛同し参加をはじめた連合政権が発足するなど、激動が続いています。
ミャンマーと少なからず関わりのある自分としては、自ら創作したミャンマー作品を少しでも売り上げ、その売上金を少しでも彼らのために役立てたいのですが、思うように売り上げは伸びず。焦燥に駆られる毎日です。
そんな最中、ミャンマーの小説を日本語に訳すなど、ビルマ文学研究の第一人者である南田みどりさんの「ビルマ文学の風景」という書籍を読みました。
日本占領下、ネウィンによる支配の時代、軍事政権下など、ミャンマーの支配階級が変遷していく過程で描かれてきた、ミャンマーの思想や庶民の暮らし。その作品の数々を紹介するのと同時に、その文学の歴史、諸作品を通して透けて見える、ミャンマー近代史を追っていく非常に読み応えのある書籍です。
まず思うのは、筆者のビルマ文学に対する造詣の深さと、ミャンマー近代史対する研究の深さです。
軍事政権下のミャンマーに何度も足を運び、多くの文学者と交流してきた南田さん。
スーチー女史とも親交を深め、それが故か、昨今のミャンマー情勢に対する分析も非常に的確であるという印象をうけました。
そのスーチー女史が自宅軟禁より一時的に開放されたのは1995年。その翌年の1996年に、南田さんはスーチー女史を取材しています。
彼女は南田さんに、日本に対する想いを切々と訴えるのですね。
「日本企業は、ミャンマーの民主化が叶う日まで、進出を控えてほしい」と。
民主主義国家日本の国民がスーチー女史を支持しているのなら、日本政府はなぜ、軍事政権に毅然とした態度が取れないのか?スーチー女史は苛立ちが隠しきれないわけです。
国民の多数が政治に無関心なまま物事が回っていく日本の「民主主義」。それはスーチー女史の理解の範疇を超えていると、著者は記しています。
そもそもミャンマーで暴虐の限りを尽くす国軍は戦中、日本軍の特務機関(南機関)によって創設されたビルマ独立軍がその前身です。
日本軍国主義の悪しき伝統が、そのまま根付く国軍。国軍によるファシズム的な支配は、日本占領下より引き継がれた負の遺産であり、日本の戦争責任の1つでもあります。ミャンマーの民主主義を勝ち取るための戦いは、けして対岸の火事ではなく、スーチー女史の憂鬱は、我々日本人の民主主義に重要な課題をつきつけていると本書は記します。
また著者の旅の途中、「軍事政権を肥え太らせる日本のODAには反対」と固い表情で語るラカイン族の男性、「日本人の言葉は信じられない」と嘆く日本占領期の元外務大臣らに出会います。
「過去のビルマを調査する旅は、この国の運命と深く関わってきた日本人の過去と現在をも、我々につきつけてくる」
著者はなお、ミャンマーと日本の繋がりを、ビルマ文学を追及する最中に探究していくのですね。
そして著者は、ミャンマーの歴史に逆行するようなクーデターに際して、本書の後書きに、デモに参加者する若者の声を記します。
「(国軍が)恐ろしくないかって?恐ろしいです。人間ですもの。でも私たちの未来を築く子どもたちの教育や生活水準や権利が劣化するほうが怖い。だから参加します」
世界中が固唾を飲んで見守る、少数の暴力的愚者と大多数の非暴力的賢者のせめぎあい。
「小さな賢者たちは、世界の人々の支援を求めている。このような時期に本書が出版されるのは、運命というほかはない。本書を市民的不服従へのオマージュとしたい。クーデターなんかに負けられない!」
力強い言葉で締めくくられた著者の思いは、鬱々としたわたしの心に、大きな感銘と勇気を与えてくれました。
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